『週刊文春』が報じた木原誠二官房副長官の妻の元夫の「不審死」をめぐり、2006年に「不審死」したこの元夫、安田種雄さんの父親と姉ふたりが、2023年7月20日、東京司法記者クラブで記者会見を行った。
会見で、種雄さんの父親は、涙で言葉をつまらせながら、種雄さんの遺体を発見した日の様子を、次のように語った。
「2006年4月9日のことです。息子の携帯に電話しても出ない。いつもは必ず折り返しの電話が来るはずなのに、その日は折り返しもなく、私は少し違和感を覚えた記憶があります。
なぜかその日は、いつもより2時間早く目が覚めたこともあり、連絡がつかなかった息子のことが気になり、夜中の3時頃に種雄の自宅へ向かいました。
玄関の鍵が開いていたので、中に入ることができたのですが、まさかそこで、変わり果てた息子を見つけることになるとは思ってもいませんでした。
息子は血まみれで、目を見開いたまま倒れていました。血は天井まで飛び散っており、右太ももの20〜30センチ先には、細いナイフがきちんと置かれていました。
当時の警察は、『事件性がないだろう。自殺だろう』と、判断していました。
でも、種雄の傷は、喉から肺にまで達していました。自分をそんなふうに刺した上で、足元にナイフをきちんと置いてから絶命するなどということは、果たしてあり得るのでしょうか?
『離婚して、自分は、子どもを育てていきたい』と、前向きに今後のことを語っていたのに、このまま種雄は犬死になって終わってしまうのか。私はずっと、息子を信じています。
種雄が亡くなった時もまともに捜査されず、闇に葬られ、諦めて生きてきました。それが12年後に再捜査していただけると連絡があった時には、心から喜びました。種雄の無念を晴らしてやろうと、息子に誓いました。
しかし、捜査が始まり1年もたたないで、捜査の縮小が告げられ、捜査1課の捜査班は解散され、大塚警察署へと管轄が移ってしまいました。
警察に対する不信感があり、捜査1課の刑事さんには、最初、冷たくあたってしまったこともあったのですが、私たち家族の思い以上に親身になってくださり、今では感謝しかない。
今月17日付けで、大塚警察署長にあてて、再捜査を希望する上申書を提出しました。熱い思いで捜査にあたってくださった方々にも、もう一度仕事をさせてください。再捜査をお願いします。
また、テレビ局や新聞社の皆さまには、この事件に関心を持っていただき、広く報じていただきますよう、心よりお願い申し上げます」。
質疑応答で、『東京新聞』の望月衣塑子記者が捜査に関する「疑問点」を質問すると、ふたりの姉は、種雄さんの死について、「ナイフが横に綺麗に置いてあったのは疑問点。弟が自殺をする動機が、まず考えられなかった」、「弟の最後の通話記録が、まったく開示されていただいていないのも、疑問に思っています」と答えた。
また、『アクセスジャーナル』の山岡俊介記者が、「文春の報道に対して、木原(官房副長官)の弁護士の方から、具体的な回答もなく、全部『事実無根』だとして、記者クラブに対しても書いたら訴えるような内容のものを出されていますが、それに対して一言でいいので、思いを言っていただきたい」と質問すると、姉のひとりは、次のように答えた。
「私たちが今ここにいるのが事実、すべてで、『事実無根』ではありません。そして、訴えるのではなくて、みんなの前で説明して欲しいです。もし何もないのであれば、説明できるのではないかと思います」。
詳しくは、ぜひ全編動画を御覧いただきたい。
- 日時 2023年7月20日(木)13:00~
- 場所 司法記者クラブ(東京都千代田区)
以下に、会見の全文文字起こしを掲載する。
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父「私は2006年4月に不審死した安田種雄の父です。息子が亡くなって、今年で17年になります。しかし、種雄の死の真相はいまだに解明されていません。私はただ、真実が知りたいのです。
種雄は中学校に入学すると、不良仲間とつるむようになり、暴走族に入ったこともありました。
高校時代からは雑誌モデルとして活躍していたこともあります。やんちゃな子でしたが、家族思いで、約束は必ず守り、人情に厚く、弱い者いじめだけはしなかった。
そんな種雄は誰からも好かれ、地元の先輩や後輩にも頼られ、亡くなった今でも『種雄のためなら』と、この解明されない真相のために、私たち家族と共に、悔し涙を流してくれている子がたくさんいます。
命日には花を贈ってくれたり、『種雄に会いに来た』と言って、私と酒を酌み交わしたり、種雄の残してくれたものは計り知れないです。子供の頃には厳しく育ててきました。友達に、父親である私の事を自慢していたということを聞いた時には、涙が止まりませんでした。(涙声で聞き取れず)
そんな種雄が結婚したのは、2002年5月のこと。種雄と同じように雑誌モデルをしていた女性と結婚し、子宝にも恵まれ、夫婦関係は良好でした。
しかし、徐々に夫婦関係が悪化し、2006年には離婚の話が出ていました。
2006年4月9日のことです。
息子の携帯に電話しても出ない。いつもは、必ず折り返し電話が来るはずなのに、その日は折り返しもなく、私は少し違和感を覚えた記憶があります。
なぜかその日は、いつもより2時間早く目が覚めたこともあり、連絡がつかなかった息子のことが気になり、貸していた車を返してもらうため夜中の3時頃に種雄の自宅へ向かいました。玄関の鍵があいていたので、中に入ることができたのですが、まさかそこで変わり果てた息子を見つけることになるとは、思ってもいませんでした。
息子は血まみれで、目を見開いたまま倒れていました。血は天井まで飛び散っており、右太ももの2~30センチ先には、細長いナイフがきちんと置かれていました。当時の警察は『事件性はないだろう。自殺だろう』と判断していました。でも、種雄の傷は、喉から肺にまで達していました。
自分をそんな風に刺した上で、足元にナイフをきちんと置いてから絶命する、などということが、果たしてあり得るのでしょうか。
『離婚して、自分が子供を育てて行きたい』と、前向きに今後の事を語っていたのに、このまま種雄は犬死になって終わってしまうのか。私はずっと息子を信じています。
種雄が亡くなった時もまともに捜査されず、闇に葬られ、諦めて生きてきました。
それは12年後に再捜査していただけると連絡があった時には、心から喜びました。種雄の無念を晴らしてやろうと息子に誓いました。しかし、捜査が始まり、1年も経たないで、捜査の縮小が告げられ、捜査1課の捜査班は解散され、大塚警察署へと管轄が移ってしまいました。
警察に対する不信感があり、捜査1課の刑事さんには、最初、冷たく当たってしまったこともあったのですが、私たち家族の思い以上に親身になってくださり、今では感謝しかない。今月17日付で、大塚警察署長に宛てて、再捜査を希望する上申書を提出しました。
熱い思いで捜査に当たってくださった方々に、もう一度仕事をさせてください。再捜査をお願いします。
また、テレビ局や新聞社の皆様には、この事件に関心を持っていただき、広く報じていただきますよう、心よりお願い申し上げます」。
髙橋氏「ありがとうございます。そうしましたら、質疑応答に移らせていただくんですけれども、時間の都合もございますので、お一人1問でお願いできればな、というふうに思います。では、挙手していただいてお願いします」。
記者「最初に幹事社から1問。共同通信ですけれども。
せっかく今日はお越しいただいているので、お姉さまがたから、今、再捜査に対して、または種雄さんに対して、思っていることがあれば、ひとりずつお願いできますか」。
姉1「きょうはお集まりいただき、本当にありがとうございます。
私たちは弟が死んだその当時、なかなか捜査をしてもらえなくて、私たちは何の力もない一般人で、何もすることができなくて。ただ諦めるほかなく、弟のことは心にしまったまま生きていく決意をして、私たちは生きてきました。
それが2018年、警察の方からご連絡をいただいて、まさか再捜査をしていただけるということは、本当に夢にも思っていなくて。
『本当に12年前の事件が解決できるんだろうか』と半信半疑でした。けれども、警察の方々が本当に親身になって動いてくださって。まさか、捜査があんなに進むと思っていなかったんですけど、弟のことを見つけてくださって、捜査に御尽力いただいた警察の方々に本当に心から私たちは感謝しています。
残念ながら1年足らずで捜査は終了したんですけど、今になって、まさか『文春』さんの方で、このように報じていただけるということも、夢にも思わずに生きてきました。これは何か、私たちは諦めて生きてきたんですけど、こうやって再捜査が始まったり、『文春』さんの方で報じていただいて、これは何かの、何かの、うまく言えないんですけど、『何かの力』というか『意志』というか、そういうものを感じています。
ここにこうやって集まっていただいて、私たちの話を聞いてくださって、本当にそれに関しても、すごく感謝してます。ありがとうございます」。
姉2「弟の死は28歳で止まってしまいました。生きていたら、多分、『今も私たち3人で楽しい人生を過ごせたのではないかな』って、時々想像しながら、一緒に年を重ねていきたかったです。
なぜ、弟が死ななければならなかったのかを、真実を知りたいので、せっかくいただいたチャンスなので、今回再捜査をしていただいて、真実を知りたいです」。
記者「東京新聞、望月と申します。
1回は捜査を見送られ、見送ったものをもう一度、再捜査に12年後になり、それも1年半で終息したということで、いくつも疑問点が、警察とやりとりする中であったと思うんですけど。
3人の方がやはり、『この点はとにかくおかしいんだ』と。取材してないこともあるんですけども、細かい捜査資料とかを私たち側は持っていないので、3人が警察と対面している中で、『この点がおかしいのに、解明されないまま、この事件が闇に葬られているんじゃないか』という点を、短くていいですけれど、あれば、教えていただけますか」。
姉2「やはり、ナイフが横にきれいに置いてあったというのは、やっぱりすごい疑問点で。まず弟が自殺をする動機がまず考えられなかったということも、あります」。
姉1「あと、弟の通話記録、そういったものも、全然。弟の最期の足取りというか、その記録といったものも全くわからないので、開示していただいてないので、そこも疑問に思っています。
お父さん、何でもいいよ、ほんとに…。すみません。ありがとうございます」。
記者「『アクセスジャーナル』の山岡といいます。
一言で結構なんですけれども、今回の文春の報道に対して、木原さんの弁護士の方から具体的な回答がなく、『全部、事実無根』だと、クラブの記者に対しても『書いたら訴える』というような、そういう内容のものを出されていますけれども、それに対して一言でいいので思いを言っていただきたい」。
姉1「私たちで、ここにいるのが『事実』というか、全てで、『事実無根』ではありません。そして、その訴えるという内容、訴えるのではなくて、説明をしてほしいです。みんなの前で。もし何もないのであれば、説明できるのではないかと思います」。
記者「はい、フリーランスの横田です。よろしくお願いいたします。種雄さんの当時の奥さんで、木原副長官の、現在、本妻におさまっていらっしゃるイクコさんについてお尋ねします。
お金づかいについてお聞きしたいと思うんですけれども、イクコさんは、ご結婚なさっていた当時、相当、お姉さん方にも無心していたというふうに、『文春』さんにも、お伝えてあるんですけども。
その約3年後には、銀座の1等地の、いわゆるカラオケラウンジを、現ナマで一括で、(入場券?)を購入しているんですが、イクコさんは、当時はどのくらいお金持ってたんですか」。
姉1「私は正直、彼女の、お財布事情については全く知らないです。正直に知りません。ただ、やはり、若いということもあって、お金は使う方ではなかったかな、と」。
記者(横田)「お金は使う方ではなかった?」。
姉1「あ、ごめんなさい」。
記者(横田)「お金『を』使うほうですよね」。
姉1「ああ、そうです」。
記者(横田)「お金『を』使うほうですよね。私も(イクコさんに)お会いしたときに、すごくブランドとかお金に、こだわりがあるなというのは感じたので」。
姉1「それはそうです」。
記者(横田)「ただ、お姉さま様方には、お金は無心していらっしゃるというような状況だったということですよね?繰り返しますが」。
姉2「お金の無心はないかな? ただ、お金がないということは、それはよく言ってました。けど、お買い物はよくしてたかな、という印象。
実家に来ると、親が全てお金を出すので、うちの父と母が大体お金を出すので、食事をしたりとか、やっぱり年齢的なものもありますし、そういったものは、やっぱり、こちら側で全部負担はしていました」。
記者(横田)「ありがとうございます」。
髙橋「何か、ございますでしょうか?」。
記者「フリーの佐藤と申します。ナイフが不自然に置いてあったとのことですが、その表現はわかるんですが、どういうふうに不自然に置いてあったのかということを考えると、偶然、そこに落っこちたということも考えられますよね。偶然落っこちた、というふうに見るには、あまりに不自然に丁寧に置かれていたということなのでしょうか?
そこら辺ちょっと説明が欲しいのと、あと、ナイフに関して、もう少し。警察が再捜査のきっかけになったのは、『血の付き方がおかしい』ということでしたね。そこら辺は、どういうふうにおかしいのか、警察の説明を受けていたとしたら、それを教えてほしいんです」。
父「そのナイフを自分が一番(身近で?)。右膝の下、ふくらはぎと膝の間ぐらいですか。(?右の)斜め30センチぐらいのところにね、体の方に行って、刃渡りがね。(?全部)置いてあったんですよ。それを見た瞬間、『これは誰かが偽装したんじゃないかな』と、そんなふうに疑っていました」。
記者(佐藤)「その時血がついていましたか? ナイフに」。
父「それは、後で刑事さんに聞いたら、『血もついてなかったのに、何でそれがあるんですか』と聞いたら、『血がちゃんと着いていましたよ』って。
それが『血が流れてね、ぱっと見た時は血が付いていたが、それは薄くなって見えなかったかもしれない』。でも刑事さんに聞いたんですよ、あとで、『血もついてなかった』と。刑事さんの話は、『ちゃんと血が付いてました』という返事でした」。
記者(佐藤)「見た感じはついていなかったんですか?」。
父「見た感じではね、はい」。
記者(佐藤)「後の質問ですけども。警察はどうして、『ナイフに対する血のつき方がおかしい』というふうに説明を受けたんですか。そこら辺、説明を受けていたとしたら…」。
父「再捜査の時、行った時、(?)刑事さんに写真を見せてもらいました。その時、思わず、『このナイフじゃないわ』って言ったんですよ。自分は」。
記者(佐藤)「このナイフじゃないわ?」。
父「うーん。そんな感じがしてね、思わず叫んだんですね、自分は。だから、『これですよ』と言って。
その時、僕のあれがちょっと違ったかもしれないけれども、記憶は。最初見た時は、ちょっと幅が広かったような感じがしてたんだけれども、写真を見せてもらった時にちょっと細くなったような。
だからそれは、自分の勘違いかホントかとは、はっきり言えないんですけれども。そんなこともありました」。
姉1「やはり17年という年月で、私たちもその当時の記憶が結構抜けている部分もありまして、家族で話しながら少しずつ思い出せることは、思い出すとか、作業はしているところです」。
記者(佐藤)「刑事さんが、『ナイフに対する血の付き方がおかしい』というのは、どういうふうにおかしかったのかという説明は受けられましたか? 例えば、柄の部分に血が付いていない、とか」。
父「そんな詳しくは説明してもらえなかったんですけどね」。
記者(佐藤)「そのナイフに関してなんですけどね、思い出させるようで申し訳ないんですけど。
『文春』の書き方もよくわからないのですけども、『頭上の方から』となっていますけども、要するにそれは、傷は、(脳?)からの傷ということでしょうか?」。
父「自分が見た時は、真ん中、ちょうど真ん中に穴があいていました。はい」。
髙橋「他にはいかがですか?」。
記者「『日刊ゲンダイ』の今泉と申します。事件第1発見当時のことで、お聞きするのを心苦しいんですけれども。
実は通報するまでの間に、恐らく(種雄?)さん、他のご家族の方とお会いしていなかったのではないかなと思います。第1発見の時なんですけども。
その後お会いしたのがいつか、というのは、もし覚えている範囲で構わないんですけれども」。
(父は姉1の方を見て何か問いかける)
姉1「あの、事件の後、みつけたんだと」。
記者(今泉)「一度、種雄さんのご遺体を見て、出て、住所を確認されて、それで通報されたと思うんですけども」。
父「はい、はい、110番した時のことですか」。
記者(今泉)「はい、それで、種雄さんの他のご家族の方に、現場では最初にはお会いしてないかと思うんですね。それで最初に会ったのは、そのあといつかという感じです」。
父「その後、警察署に、夜になって警察署に行って、種雄の(義理の兄というか)、その人に会いました。だから、そこで聞いたんですよ。『お父さんは?』と聞いたら、『今、事情聴取受けてます』という話を聞いて顔は見ていないんです」。
記者(今泉)「じゃあ、警察の方が来られるまでの間も?」。
父「全然会ってないんです」。
記者(今泉)「寝てたっていうような?」。
父「あー、それがね、種雄が1人でいるとずっと思い込んでいたのに。ずっと2カ月ぐらい探し回っていたのに、後で聞いたら、現場で警察官の1人が、自分のところに来て『嫁と孫は』と話しかけてきたんですよね。いや、『嫁と孫はどうしたんですか』って言ったら、『隣の部屋にいましたよ』と言うから、びっくりして、思わず、『生きてますか』と聞いたんです。
だから、そこ、そのドアから、その隣の部屋は1メートルくらいしか、扉まで離れていないんです。種雄が死んでいる部屋と、その隣の部屋とくっついているような感じですね。廊下を挟んで、狭い廊下を挟んですぐ隣です。
だから、ドアが閉まっていたので、まさか誰かがいるとは思わないで、そのまま110番をするのは先だと思って、110番したんです」。
記者(今泉)「ありがとうございます」。
幹事社記者「会見場が原則30分となってまして、もうそろそろ時間なので、今は手を挙げてた方ぐらいで、最後にさせていただければと思います」。
記者「フリーランスの田中龍作と申します。
種雄さんの奥様の、元奥様のお父さんが警察官になって、どれぐらいの階級の方ですか?」。
父「階級はよく分かりません」。
記者(田中)「どれくらいの地位の方ですか?」。
姉1「多分、これはお話ししていいのか、ちょっとわからないので、すみません。撮影、ちょっと控えさせていただいてもいいですか。プライベートに、ちょっと、かかわるのかもしれないので」。
記者(田中)「例えばですね、巡査なのか。例えば、警視とか署長クラスなのか、全然、これは圧力が違います」。
父「それは嫁に聞いたことありますよ。『お父さんはどこで勤めているの』と聞いたら、『警視庁だ』と言われて。『では階級は何?』と言ったら、『分かりません』といった。それきりです。だから全然、分かりません」。
記者(田中)「警視庁と言ったんですね。弁護士の先生は御存じじゃないですか?」。
髙橋「弁護士ではないので。すみません」。
記者(望月)「1点だけ。太田署? 警察署に上申書を出すということなんですが、出したのか、ということなんですけど。
民事で争うとか、それから、当時、検察審査会がなかったんだと思うんですけれども、被疑者というよりも、むしろ自殺という形で処理されていたら、その事件処理に対して何らかの形で、法的な訴えみたいなものを起こすということは検討されてない? 難しいのか、弁護士の方と協議をされてます?」。
姉1「今はまだ、そこまでは考えてません。まず、この場を皆さんにご報告すること。その後のことについては、また考えていきたいなと思っているんですけれども、今はまだ」。
記者「真夜中に会われた不審な男、ですね。長いものを、背中に背負ってたんですか? 風呂敷みたいな」。
父「いや、何か、後ろから見たら風呂敷みたいなね。それを抱えて、そこから棒のような、長いのが出ていたような感じがして、こんな感じで歩いたんですよ。後ろ姿しか見ていないので、それは歩き方がちょっとおかしいなと思ってね。カーブ曲がった時、走っていったら、いないんです」。
記者「車の音かなんか、しなかったんですか?」。
父「いやいや、それは、距離がもう20~30メーターぐらいしかないので、車の音なんかはないです」。
記者「長い棒というのは、どのぐらいの長さですか?」。
父「だから、頭ぐらいきたのかなと、そんな感じでした」。
記者「棒みたいなもの、とは?例えば日本刀とか?」。
父「ちょっと、それはよくわからないんですけれどもね」。
記者「すみません、フリーランスの横田です。その後、お孫さんというか、甥っ子とか姪っ子さんに当たると思うんですけれども、今、お会いになれてるんでしょうか?」。
姉1「いえ、一度も、会っていません」。
記者(横田)「それはイクコさんが会わせないっていうふうにおっしゃってるんでしょうか? それとも接点が全くなくなってしまった?」。
父「種雄が亡くなって、1回も連絡がなかったしね。会う事もできていないんです」。
記者(横田)「墓参り等も、彼女は全くこないんですか。お線香もあげずに、来ていないんですか?」。
父「いや、お葬式のとき、種雄を引き取る時、警察署で担当刑事さんが言った(理由は?)、『誰が引き取るのか』と言われて、『自分が連れて行きます』と言ったら、『一応、奥さんがいるからね』。『奥さん、離婚したんでしょ』と言ったら、『まだ離婚されていない』。あの、書類に出していないみたいです。
だから『一応、聞いてみます』と言って、そっちに電話して、僕達は警察署の前の喫茶店で待っていたんですね。それから刑事さんから、『引き取らない』って言うから、『電話でもしなさい』と言ったというから、しばらく経つと、嫁から電話が来たんですよ。
だから『お前たちな、自分の子供よりかわいがっていたのに』って言ったら、『そうですね』と言って、泣くような声が聞こえたんですけれども。
それで家内に変わってもらって。家内が『電話を代わってください』と言って渡したら、家内は『種雄が死んでいるんだけれども、葬式の時、孫を連れてきて、線香1本でもあげてください。お願いします』と言ったら、そのままきちっと切られて」。
記者(横田)「電話切ったんですか」。
父「私も電話切ったんです。その後、一回も会うことはできないんですよ」。
記者(横田)「逆に彼女にアクセスしようというか、電話をなさったことはあったんでしょうか?」。
父「ないです。一回もないです」。
記者(横田)「ありがとうございました」。
幹事社記者「最後に、奥様だった方というのが、木原さんの今の奥様であると。
このことと、捜索が打ち切りになったり、このあたりの因果関係であるんですけれども、事件の関係性としては、こうした事情というものをご家族としてはどういうふうに(?)。
関係がないって思うのであればそれでもいいですし、何か思うことがあれば」。
姉1「私たちは、犯人がもし捕まったとしても、弟はきっと戻ってくることはないので。
ただ、真実を知りたいと思っています。なので、知っていることがあれば言っていただきたいですし。
すみません、ちょっと頭が。関連性ですよね?」。
幹事社記者「そうです。そこが事情として、何かつながっていると感じるのかどうか、とか」。
姉1「その辺の真実を、私たちも知りたいと思ってます。憶測ではなく。ですので、この警察の方には、本当に再捜査をして、真実を明らかしていただきたいと思っています」。
幹事社記者「ありがとうございます。そうしましたら、いったん、会見の形としては、ここで(終了?)とさせていただいて、ご遺族へのご質問などあれば、先ほど配られたペーパーにある、連絡先へのご連絡をしていただければと思います。よろしいですか。本日ありがとございました」。