AP通信やニューズウィーク誌に勤務し、George Polk AwardやI.F. Stone Medalを受賞した米国の著名な調査報道ジャーナリスト、ロバート・パリー氏による旧統一教会に関する調査報道をご紹介する第1回(後編)です。
ロバート・パリー氏は、主に、90年代後半から2000年代にかけて精力的に旧統一教会問題を追及し、2018年に惜しくも69歳で亡くなっています。
IWJは、ロバート・パリー氏の残した旧統一教会の暗部に関する膨大な調査報道を、シリーズで、全文仮訳して、ご紹介していきます。
最初に、Consortium Newsのアーカイブの中にある、「文師のダーク・サイド」シリーズの中から「麻薬同盟」を2回に分けてご紹介します。今回は、その後編です。
- 「文師のダーク・サイド」シリーズ(Consortium News、2022年8月9日閲覧)
【号外】第1回(前編)は、以下から御覧いただけます。
以下から、「麻薬同盟」後編になります。
「文鮮明とクーデターの参加者(1980年7月17日のボリビア・クーデターのこと)
新政権を祝福するためにラパス(※ボリビアの首都)に到着した最初の好意的な人々の中に、文鮮明の(組織における)最高指導者であるボー・ハイ・パク(朴普熙)の姿があった。文鮮明の組織は、ガルシア・メサ元帥と会談している写真を掲載した。朴は山間の首都を訪問した後、『世界一高い都市にファーザー文鮮明の玉座を建てた』と宣言した。
その後のボリビア政府や新聞の報道によると、文鮮明の代理人が、クーデターの準備のために約400万ドル(現在価値で約5億5万円)を投じたという。ボリビアのWACL(世界反共連盟)代表も重要な役割を果たし、ムーンの反共組織の一つであるCAUSA(※)は、ボリビア・クーデターの主要な実行者のほぼ全員を会員としてリストアップしている。[CAIB、1986年冬号]。
※CAUSAは、文鮮明の指示を受けた旧統一教会の会員たちが1980年にニューヨークで設立した反共教育機関。
クーデター後、アルセ-ゴメス(コカイン王ロベルト・スアレスの従兄弟)は、トラフィカンテ(※イタリアのシチリア出身の、米国フロリダ州タンパを支配したマフィアのボス)のキューバ系米国人密輸業者など大規模な麻薬密輸業者と提携するようになった。クラウス・バルビー(ナチスの戦犯)と彼のネオ・ファシストは、ボリビアの主要なコカイン男爵を保護し、国境まで麻薬を運ぶという新しい任務を得たのだ。[Cocaine Politics]
『バルビーが新しいタイプのSS(ナチ親衛隊)として構想した準軍事部隊は、コカイン男爵に自分たちを売り込んだ』とヘルマン(ドイツの調査報道記者)は結論づけた。『コカイン取引におけるファースト・マネーの魅力は、ラテンアメリカにおける国家社会主義革命の理念よりも強かったのだ』。
レヴィン(麻薬取締局の潜入捜査官)によると、アルセ-ゴメスはあるトップの密売人に、『米国の国境をコカインで埋め尽くしてやる』と自慢していたそうだ。この自慢は、クーデターの実行者たちにも支持された。
『ボリビアはすぐに、当時まだ駆け出しだったコロンビア・カルテルへのコカイン・ベースの主要供給国になり、ボリビアが米国へのコカインの主要供給国になった』とレヴィンは言う。『そしてそれは、DEA(麻薬取締局)の暗黙の協力とCIAの積極的な秘密の協力なしには成し得なかった』。
1980年12月16日、キューバ系米国人の諜報部員リカルド・モラレスは、フロリダ州の検察官に、自分がティック・トークス作戦の情報提供者になったことを告げた。これは、マイアミを拠点とする捜査で、ボリビアの新しい軍事支配者からコカインを輸入する陰謀にフランク・カストロや他のピッグス湾の退役軍人を巻き込んだものである。[Cocaine Politics]
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数年後、メデジン・カルテル(※コロンビア西部のメデジン市を拠点に、パブロ・エスコバルによって設立された国際的な麻薬密売組織。スペイン語では、カルテル・デ・メデリン)の資金洗浄者ラモン・ミリアン・ロドリゲスは、ジョン・ケリー上院議員(民主党)が議長を務める上院公聴会で証言した。ミリアン・ロドリゲスは、カルテルの初期には、『ボリビアは他の国よりもはるかに重要であった』と述べている。[1988年4月6日〕
麻薬王がボリビアで権力を強化するにつれて、文鮮明の組織もその存在感を増した。ヘルマンは、1981年初頭、戦犯バルビーと文鮮明の組織の指導者トーマス・ウォードがしばしば一緒に祈る姿を目撃されていると報告した。アルゼンチンの諜報部員ミンゴラは、ウォードを、CIAからミンゴラに支払われる給与の支払担当者だと言い、月給1500ドル(現在価値で約20万円)はウォードが代表を務めるCAUSAの事務所から支払われていると説明した。[CAIB、1986年冬号]
1981年5月31日、ラパスのシェラトン・ホテルのフリーダム・ホールで、文鮮明の代理人たちがCAUSAのレセプションを主催した。朴普熙とガルシア・メサ(1980年7月17日のクーデターを主導し軍事独裁政権を樹立したボリビア大統領)は、レーガン大統領が暗殺未遂から回復するための祈りを捧げた。朴普熙はスピーチで、『神は南米の中心に位置するボリビアの人々を、共産主義を征服する者として選ばれたのだ』と宣言した。後のボリビア情報機関の報告書によると、文鮮明の組織はボリビア人たちからなる『武装教会』をリクルートし、約7000人のボリビア人が何らかの準軍事訓練を受けたという。
コカインのストレス
しかし、1981年後半には、明白なコカイン汚染が、米国とボリビアの関係を緊張させるようになっていた。『文鮮明のセクトは、到着した時と同じように一夜にしてボリビアから姿を消した』とヘルマンは報告した。ボリビア情報機関が民政復帰を目指す中、ウォードら数人だけが、ボリビア情報機関とともにボリビアに留まった。
ヘルマンの記事によれば、ミンゴラは1982年3月、ラパスのホテル・プラザのカフェテリア『フォンタナ』で、ウォードと会ったという。ウォードはボリビアでの作戦について落胆していた。『アルトマン(バルビー)のファシズムとナチズムの件は、袋小路に入った』とウォードは不満げに言った。『文とCAUSAがここにいるのは愚かなことだ』。[CAIB, Winter 1986] この記事について、ウォードからコメントは得られなかった。
コカイン・クーデターの指導者たちは、すぐに逃亡することになった。内務大臣アルセ-ゴメスは、結局マイアミに送還され、麻薬密売の罪で30年の刑に服している。ロベルト・スアレス(コカイン王)は15年の実刑判決を受けた。ガルシア・メサ元大統領は、権力の乱用、汚職、殺人の罪で、ボリビアで30年の刑を課され亡命中である。バルビーは戦争犯罪で終身刑を受けるためにフランスに戻された。彼は1992年に死んだ。
しかし、文鮮明の組織はコカイン・クーデターの代償をほとんど払わずに済んだ。1982年に米国の保守的な複数の政治会合に資金を提供し、超保守的なワシントン・タイムズを創刊して、レーガン大統領や他の有力な共和党員に取り入った。また、南米での政治経済的な基盤づくりも進めた。
1984年、ニューヨーク・タイムズは、その前の3年間に約7000万ドル(現在価値で約95億円)を投資した文鮮明の教会をウルグアイにおける『最大の外国人投資家の一つ』と呼んだ。
投資先は、ウルグアイで3番目に大きな銀行であるバンコ・デ・クレディトやモンテビデオのホテル・ビクトリア・プラザ、新聞社アルティマス・ノティシアスなどだった。ウルグアイの軍事政権による税制優遇措置も、文鮮明の事業を後押しした。『教会関係者は、ウルグアイは海外利益の本国送金を容易にする自由な法律のために特に魅力的であると語った』とタイムズは報じている。[NYT, 2-16-84]
ニカラグアのコントラ反乱軍(親米反政府民兵)を支援する文鮮明の組織は、ニカラグアの国境に沿ってコントラにベースキャンプを与えた強力なホンジュラス軍とも親密な関係を築いた。この時も、コカインの米国への輸送を支援していると疑われる将校と接触していた。マイアミの麻薬ネットワークとつながりのある反カストロのキューバ人も、アルゼンチン軍の情報部員たちと同様に、反共産主義の大義を推進するために登場した。
ホンジュラス・コネクション
ケリー上院議員の報告書は、ホンジュラスが北へ向かうコカイン輸送の重要な中継地となったと結論づけた。『ホンジュラス軍の一部は1980年以降、麻薬密売人の保護に関与していた』と報告書は述べている。『これらの活動は、この期間中、米国政府の適切な担当者に報告されていた。米国は、麻薬取締局の駐留を強化し、米国がホンジュラス人に対して行っていた対外援助を梃にして麻薬密売を封じる断固とした動きをする代わりに、テグシガルパの麻薬取締局事務所を閉鎖し、この問題を無視したようである』と述べている。[麻薬、法執行、外交政策–ケリー報告書–1988年12月〕。]
1980年代半ば、ジャーナリストや議会調査団が、麻薬密売の証拠を探り始めたとき、文鮮明のワシントン・タイムズからの厳しい攻撃に遭遇した。私(パリー氏)がブライアン・バーガーと共同で書いたAP通信の記事は、タイムズの一面で、『政治的策略』と非難された。[1986年4月11日]
ワシントン・タイムズは、まずケリーの調査官を金の無駄遣い[1986年8月13日]で、次に司法妨害[1987年1月21日]で攻撃した。今、南米の麻薬に汚染された役人と文鮮明の歴史的なつながりによって、これらの調査への嫌がらせは、実行可能な自己防衛という別の側面をもっている。[詳しくは「文師のダーク・サイド」シリーズを参照]
さらに最近、文鮮明はウルグアイの豪邸に活動の拠点を移し、南米での保有資産を拡大し続けている。アルゼンチンのコリエンテス州は、パラグアイに近い国境地帯で、密輸の中心地として知られている。文鮮明はそこに多額の投資を行っている。
1996年1月2日の信者への説教で、文鮮明は南米の遠隔地に複数の小さな飛行場を建設し、沿岸警備隊のパトロールから逃れるための潜水艦の複数の基地の建設を始める計画を発表した。
飛行場建設プロジェクトは観光用で、『近い将来、我々は世界中に小さな空港を持つようになるだろう』と付け加えた。潜水艦は、『世界には国境があり、制約が多いから必要なのだ』と語った。
このように、文鮮明とその組織は、その歴史と知名度から、米国政府の監視の目にさらされるのは当然のことと思われる。しかし、文鮮明は非常に多くの米国の有力政治家を買収し、ワシントンの権力中枢では、本来、文鮮明が受けるべき監視ができなくなってしまっている。それによって文鮮明は押し付けがましい調査に対する保険を購入したのかもしれない」
以上が、「麻薬同盟」後編になります。
驚くべき記事です。
80年代から90年代にかけて、文鮮明が南米で麻薬密売やボリビアでの麻薬王国建設に直接関与していたことを暴露する記事です。
南米での文鮮明一派の活動を米国や南米諸国の情報部員との関連を絡めて詳細に伝えています。
特に、1980年のボリビアのコカイン・クーデターには、文鮮明が約400万ドルも資金提供していたことが暴露されています。
麻薬王国ボリビアの基礎を作ったのは、米国と文鮮明だったと言えます。
文鮮明とその組織は、ボリビアばかりか、アルゼンチン、ニカラグア、ウルグアイ、ホンジュラスと中南米諸国を、麻薬密売と投資行動で食い物にしてきたのです。
その文鮮明に直接・間接に協力してきたのが、CIAやDEA(麻薬取締局)といった米国の機関と、文鮮明に買収された米国政治家たちだったのです。
文鮮明とその機関、関連団体の資金源は、これまで、主に、日本の信者らから巻き上げた「献金」であると言われてきました。
しかし、ここに、もう一つの大きな資金源である「麻薬密売」を加えなければなりません。
この記事をロバート・パリー氏が執筆したのは、1997年です。当時から、25年経っています。この間、旧統一教会と南米の密輸組織の関係に司法のメスが入り、関係が清算された、という情報は寡聞にして聞きません。
現在であっても、いや現在だからこそ、旧統一教会と南米の麻薬密売ルートとの関連が改めて真剣に問われなければならないでしょう。