2021年9月4日(土)午後3時より、東京都葛飾区の荒川河川敷木根川橋下手にて、関東大震災98年周年韓国・朝鮮人犠牲者追悼式が行われた。
1923年9月1日の関東大震災で、当時この付近にあった旧四つ木橋では、震災による火災から逃げ延びてきた多くの朝鮮人が日本の軍隊、警察、自警団によって虐殺された。犠牲者たちは荒川に投げこまれ、あるいは河川敷に埋められた。
式は「一般社団法人ほうせんか」の矢野恭子氏の司会で進行し、冒頭、主催の「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」「ほうせんか」の落合博男氏より挨拶があった。挨拶で落合氏は、関東大震災後の韓国・朝鮮人虐殺の事実とその真実が圧殺されたことを紹介した。
そして、事件直後に調査を行った朝鮮人崔承萬(チェスンマン)氏が、1970年に出版した『極熊筆耕』から、亀井戸警察署で働いていた羅丸山(ナハンサン)氏が目撃した、軍隊による86名の朝鮮人虐殺の生々しい証言が紹介された。
「その時、田村という少尉の指揮のもとで軍人どもはみんな錬武場になだれこんで来るや、3人ずつ呼び出しては錬武場入口で銃殺し始めた。すると指揮者は銃声が聞こえれば付近の人びとが恐怖を覚えるだろうから、銃のかわりに剣で殺してしまえと命令した。それから軍人どもは、一斉に剣を抜いて83名を全部いっしょに殺してしまった。
この時妊娠していた婦人も1人いた。その婦人の腹を裂くと腹の中から赤ん坊が出てきたが、赤ん坊が泣くのでその赤ん坊まで突き殺してしまった。
殺された人の屍体は次の日の明け方2時、貨物自動車に乗せてどこかに運んでいった」。
落合氏は「戦前の日本では植民地であった朝鮮の人達の人権が認められませんでした。では今の日本社会はどうなのでしょうか」と述べ、次のように語った。
「今の日本政府は、日本が侵略戦争をしたことや、台湾・朝鮮を植民地支配したことを反省していません。
また日本社会はアジアの若者を技能実習生という形で安い賃金で働かせています。名古屋入管局のスリランカ人女性の死をみても日本政府の人権無視は明らかです。
また朝鮮高校への授業料無償化からの排除が続いています。『拉致』に無関係の高校生への差別はやめるべきです。
また横網町公園の『関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典』へ小池東京都知事が追悼文を送らなくなってから4年にもなります。墨田区も同様です。本堂でのすべての犠牲者の慰霊で足りるというのは、自然災害と人間による犯罪を混同する悪質な考えと言わざるを得ません。
このような態度は『慰霊』に名を借りてヘイトスピーチを行う人たちを力づけるものでしかありません。強く抗議します」
この日の挨拶全文は、「ほうせんか」のホームページにも掲載されている。
- 追悼式報告(一般社団法人 ほうせんか、2021年9月5日)
落合氏の挨拶に続いて、ミュージシャン 朴保(パク・ポー)氏が、プログラム「追悼のうた」として自作曲「もし川が話せたら」「雨に咲く花」、1920年の3.1独立運動における抵抗歌として知られる「ほうせんか」(作曲 洪蘭坡(ホン・ナンパ)、作詞 金亨俊(キム・ヒョンジュン)、日本語詞 朴保)などを歌い、死者を悼んだ。キーボード伴奏・コーラスは柴田エミ氏、サックス伴奏はSwing MASA氏が務めた。
続いて、1980年に在日朝鮮人として最初期に東京都の公立中学校の正教員となり、この荒川での追悼を個人で行なっていたパクウォンガン氏からのスピーチと、「関東大震災中国人受難者を追悼する会」川見一仁氏による中国・浙江省温州のご遺族メッセージ代読が行われた。
小雨の降る天候と新型コロナ感染警戒のため、参加者は例年より減じたが100名ほどの参加者が集い、犠牲者を追悼した。
追悼式の詳細は、ぜひ全編動画を御覧いただきたい。