2019年の参議院選挙に、山本太郎氏率いるれいわ新選組から出馬し、山本氏、蓮池透氏に次いで、れいわとしては3番目に多い1万9842票を得た大西つねき氏が、7月16日、れいわ新選組を除籍処分となった。
- 参院選2019 第25回参議院議員選挙 開票結果 比例代表 れいわ新選組(時事ドットコム)
大西氏は7月3日に自身のYouTubeアカウントで配信した動画の中で、「高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ」「生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど」「その選択が政治なんですよ」「高齢の方から逝ってもらうしかないです」などと発言し、大きな問題となった。「逝ってもらう」とは「死んでもらう」「殺す」という意味に他ならない。政治によって生命を選別し、社会的な負担を軽減するため、高齢者を順送りして「殺してゆく」ことを強く訴えていた。
この発言が「中卒、高卒、非正規や無職、障害や難病を抱えていても、将来に不安を抱えることなく暮らせる社会を作る」という、れいわ新選組の綱領(立党の理念)と正反対の主張であることから、大西氏は16日に開かれた総会での決議を経て除籍となった。
一方、大西氏は7月17日、離党会見を開いて「自分は生産性や能力、ナチスによる人種による選別などとは一言も言っておらず、むしろ反射的にそんなことを連想するほうが、差別と偏見に満ちている」などと詭弁を弄して反論した。
しかし、大西氏の主張する高齢者に「逝ってもらう」とは、「殺す」ということであり、「その選択を政治がする」とは、すなわち国家による組織的な高齢者ジェノサイドの遂行を主張していることに変わりはない。
大西氏は17日の会見の中で弁明として、少子高齢化で人口バランスがいびつになるなかで、「人の時間と労力」というリソース(人材)を確保するために、「国家経営上の決断」として、死に近い高齢者の「最後の出口を少しだけ緩める」ことが方策だと主張している。少子高齢化の問題は何十年も前から指摘されていることである。解決する方法は、2つだけである。若年人口を増やし、人口維持水準に戻すこと。もうひとつは、若手の移民を入れて人口動態バランスを少しでも回復させることだ。しかし、後者には抵抗する人々が多く、社会的コンセンサスが形成されず、現実に進んで来ていない。となれば、若手人口を増やす、若い世代が結婚し、子供を安心して産み育てる社会をつくること以外にない。そうした社会をつくる努力を、大西氏はこの数十年の間、してきたのだろうか!? 人口動態バランスを回復させるには、地道でポジティブな努力を積み重ねるしかない。それを諦め、投げ出し、生産性の落ちた高齢者から「逝ってもらう」ことで「解決」をはかろうとする。これは人間の「清算主義」という危険思想である。
非常に危惧されるのは、ネット上ではこのような大西氏の危険な主張に共感し、大西氏の発言を擁護する声が後を絶たないことだ。大西氏は伏在していた若年層の不満にはけ口を与えてしまった。パンドラの箱を開けてしまったというべきである。
岩上安身はかつて2002年から2003年にかけて、『正論』(産経新聞社)で連載した「日本人が消滅する日」の中で、今後、生産年齢人口が急激に減少していくという、経済企画庁が1997年9月に公表した「高齢化の経済分析」を紹介し、それ以来何の有効な対策もしてこなかった政府を批判し続けていた。
一方でその間、「高齢者ヘイト」は激しさを増している。2010年8月6日にはツイッター上で、岩上安身と『嫌韓流』などの著書で知られる漫画家・山野車輪氏との間で、論争となった。
山野氏は2010年3月15日、『マンガ 「若者奴隷」時代』(晋遊舎)を出し、増え続ける年金負担額などを理由に、「高齢者が若者を搾取している」と指摘した。
表紙には副題として「『若肉老食』社会の到来」と記され、若い男女を犬のように鎖でつないだ老人が「だ・か・ら 若者は高齢者に一生貢いでいればいいんだよ!」と叫んでいます。老人の足元では、重りをつけた足かせをつけられた若い男が「ジジババを殺らなきゃオレたちはこのままなのか!?」と青ざめている。
岩上安身は「高齢者に対するヘイトクライム。殺害を匂わすなど、論外」と、このマンガを批判するツイートをしたところ、作者の山野車輪氏から、言論の自由のもと「世代間格差を訴えただけ」だと反論のツイートが返ってきた。
10年前には、まだ高齢者ヘイトマンガのレベルだった。しかしここでもすでに高齢者を「殺るしかない」という表現が出てきていた。私はこの点にこだわって批判を繰り返した。10年後、もはや「表現の自由」を争う段階ではなくなってしまった。政治家として、政治の判断によって、高齢者ジェノサイドを実行しようと公言する人物があらわれたのだ。それも、生命の尊重と平等を最もラジカルに訴えるれいわ新選組の中に、高齢者ジェノサイド政策を進めることをたくらむ人物がまぎれ込むなどに至っていたことは、ショックなことである。高齢者ヘイトの事態は悪化し、深刻化している。
ここにあらためて、2010年8月6日のツイートをまとめた。
岩上安身「いつか姥捨てが始まると警鐘を鳴らしてきたが、とうとうきたか、という気がします。ほとんど高齢者に対するヘイトクライム。殺害を匂わすなど、論外」
山野車輪氏「若者を批判的に書いた若者論の本はたくさんありますが、高齢者を批判的に書いた高齢者論の本は見かけません。なので僕は、『最近の若者はケシカラン』というのと同じ程度には『最近の高齢者はケシカラン』と言える言論の自由のある社会を望んでいます。
若者を批判しても若者を捨てろとはならないが、高齢者を批判すると姥捨てが始まると歪められる。世代間格差を訴えただけでも、世代間対立を煽ると歪められる。話題に取り上げることすら封じ込められてしまう。だから若者冷遇・高齢者優遇の歪んだ社会になってしまったわけだが、これでいいわけがない。
世代間格差が生み出される制度や環境を作り上げてきたのは上の世代ですがそこはスルーですか」
岩上「言論の自由があるの当然。同時にそこで発せられた言論の質には、表現者が責任を負うべき。
経済政策や社会保障政策の積み重ねの結果、生涯収支や社会保障の収支に世代間格差があるのが事実としても、批判し是正すべきは公平性を欠いた政策や制度。あたかも高齢者が悪意を持って若者を奴隷化しているような表現(首輪など)は妥当性を欠くでしょう。
表紙に公然と『ジジババを殺らなきゃ、オレたちはこのままなのか!?』とあります。『殺る』という表現は、『殺害』以外に解釈しようがない。しかも、世代間の収支格差を埋めるのは再分配等の政策。老人を『殺って』解消しますか」
山野氏「返信ありがとうございます! 僕はこれまで、言論の質に対しても僕なりに責任を負っていたつもりで、裁判に訴えられても逃げずに係争したこともありますが、僕が責任を負っていないと岩上氏が考えておられるのでしたら、その根拠って何ですか? 是非聞いてみたいです。
政策や制度を作り上げてきたのは上の世代。そして変えようとしないのも、上の世代の票数の多さと政治家の結託が一因としてあると、僕は思っています。それを風刺マンガとして表現する『表現の自由』は、日本には存在しないと言っておられるのですか?
風刺マンガとして表現する『表現の自由』は、日本には存在するのかしないのか、どっちですか? 『殺る』という表現については、それを答えとします。実は、その『殺る』については編集とそーとー話し合いましたが、アリだということになりました」
岩上「表現するな、などと私は一度も言っていない。問題をすり替えないでください。表現の自由を認めたうえで、表現された内容への批判を申し上げている。
その『アリ』とは? 『殺る』という言葉は、殺害以外にどんな解釈があり得るのですか? それが、世代間格差解消につながるという根拠は?
山野氏「『表現された内容への批判』って一体何ですか? 『殺る』という風刺マンガ的アプローチですか? でも『表現の自由』は認めているんですよね? では、その『表現の自由』の境目ってどこですか?
『表現の自由』は認めると言いつつ、『例え』の表現全否定ということは僕にも理解できました。違うと仰るのであれば、岩上さんは『表現の自由』のどの辺りを認めておられるのですか?サッパリわかりません」
岩上氏「何度も言いますが『殺る』とは殺害以外に他に解釈できません。究極の暴力を示す言葉です。高齢者への暴力が世代間格差の問題を解決しますか?
世代間格差の問題を取り上げることには異論はありません。だが、問題のとらえ方に異議があると申し上げている。高齢者一般を攻撃の標的にするのではなく、世代間の格差を生んでいる政策・制度の是正を訴えるべきでしょう。
若者は高齢者に一生貢いでいればいいんだよ」という表現もあるが、今の若者もいずれ高齢者になります。一生高齢者に貢ぐ若者であり続けることなど、不可能です。このナンセンスな矛盾は?」
山野氏「問題のとらえ方に意義があるのは構いませんよ。人それぞれですから。僕は、政策・制度の是正だけでなく、高齢者批判の舞台も作りたい。それでいいじゃないですか。
話がまとまったところで、作業に戻ります。岩上さん、ありがとうございました! 高齢者と世代間格差の問題を少しずつでも広めていけたらと思います。今後ともよろしくお願いいたします」
岩上「素早い撤収ですね(苦笑)。若者層の困窮は大変な問題です。問題提起が実りあるものになりますように祈念します」
”若年人口を増やし、人口維持水準に戻す”ことは長期的に見れば正論だが、目の前に差し迫った医療・介護の2025年問題においては解決策にはなり得ない。時既に遅しだ。
”若手人口を増やす、若い世代が結婚し、子供を安心して産み育てる社会をつくる”努力をすべきは政権与党に在り続けた自民党であり、何一つ改善できなかった点で一番の戦犯であることは否定できない。
世代間格差や高齢者ジェノサイド論に問題を呈し語るのであれば、そうした自民批判が根源にあって然るべきだが、やはりそこには触れず、山野氏や大西氏にのみ矛先を向ける本稿のようなマスコミの体質も、結局のところ世代間格差や高齢者ジェノサイド論を助長、肯定しているのと変わりはない。