高齢者に対する「命の選別」発言で、れいわ新選組を除名処分された大西つねき氏が2020年7月17日、弁明の記者会見を行った。
そこで繰り広げられたのは、「高齢になれば死に近づくという『自然の摂理』にしたがって……『最後の出口を少しだけ緩める』」などというソフトな言い回しで、記者と世間を丸め込もうとする言説だった。しかし、それらは結局巧妙な詭弁に過ぎず、動画の中で「高齢の方から逝ってもらう」と明言した言葉と、本質的に何もかわりはない。「逝ってもらう」とは、つまり手をかけて高齢者を「殺す」ということであり、高齢者ジェノサイドを合法化せよ、ということにほかならない。
さらに大西氏は、「高齢者」の命の選別を話したが、「障害者」の命の選別については話してないという「ご飯論法」も展開した。
大西氏の釈明を受けて、IWJ記者は続けざまに質問を行い、「謝罪は本心ではなかった」との回答を引きだした。
12月25日と言われる衆議院選挙への出馬意向を表明した大西氏が、いかに「おごりがあり、政治家に向かない」(れいわ新選組の舩後靖彦議員の言葉)かを示す、言葉の数々をご確認いただきたい。
- 会見者 大西恒樹氏(元れいわ新選組参院選候補、元J.P.モルガン銀行資金部為替ディーラー)
- タイトル 大西恒樹氏 れいわ新選組離党会見
- 日時 2020年7月17日(金)19:00〜
- 場所 東京都千代田区内貸し会議室
「自然の摂理」にしたがって……「最後の出口を少しだけ緩める」とは、高齢者を「殺す」ということ
はじめに大西氏は、7月3日の動画チャンネルでの発言の真意を以下のようにもっともらしく釈明した。
「少子高齢化が加速するなかで、介護従事者の倍増が急務だが、『緊縮財政の呪い』が打破されれば『お金がいくらでも作れる』ので、上限は『人の時間と労力』という実体リソースの有限性になる。しかし人口バランスがいびつになる中、十分な人材を確保できるかは、他の分野も含む総労働力の配分の問題となり、難しい国家経営上の決断となる。『苦渋の選択』を迫られるかもしれない。
そのために、何かするとしたら、自分は生産性や能力、ナチスによる人種による選別などとは一言も言っておらず、むしろ反射的にそんなことを連想するほうが、差別と偏見に満ちている。そこにはご高齢者=生産性の低い人という決めつけが見てとれる。むしろ自分は生産性で序列を生む金融システムを変えようと活動してきた。
何らかの方策が必要なら、高齢になれば死に近づくという『自然の摂理』にしたがって考えるべきで、医師のアドバイスで延命中止のルールを作るなど、『最後の出口を少しだけ緩める』ということ」
大西氏の「弁明」は続く。
場面に応じ、言葉をいくらでも言いかえて、追及を逃れる。大西氏の話術は実に巧妙である。7月3日に公開し、7日に山本氏の怒りを買って頭を低くし、いったんは口先だけの謝罪を発表し、動画を非公開にしたものの、自分の「謝罪ポーズ」が党内では受け入れられないとわかると開き直り、7日に非公開にしていた動画を15日に再度公開。そこでははっきりと「生命選別しないと駄目」「高齢の方から逝ってもらうしかない」と言いきっている。記者会見でのソフトな言い回しの「最後の出口を少しだけ緩める」という表現は、ソフトに言い改めただけで、中身は同じである。
高齢者に「逝ってもらう」とは、高齢者に手をかけて「殺す」ということである。それを政治家として、国家全体で、組織的に行うようにしよう、と述べているのである。これは高齢者ジェノサイドを合法化せよ、という以外の何ものでもない。そうした煽動を、れいわを除名されてからは、開き直って動画を再公開しつつも、記者らに向かっては、ソフトな表現にして、丸め込むように語りかけるのである。
「大西信者」は、れいわ支持者らと重なっているのか?
中継のタイムラインを見るとぎょっとする。「大西信者」ともいうべき、熱狂的ファンが、礼賛の書き込みを続けているのである。この大西擁護者らのうち、どの程度が山本太郎支持者や、れいわ支持者らと重なっているのか、わからない。
16日のれいわの総会とその後の記者会見によって、山本代表およびれいわのメンバーの大半と、大西氏とでは、「命の尊重、平等」という一点において相容れないことはわかったはずである。
すると、ここに集って大西擁護に走っているのは、れいわと決別して、大西氏についていくことにした「信者」ばかりなのだろうか。
それにしても数が多い。大西氏は、れいわの公募に応募して、山本太郎氏の目にとまり、2019年の参議院選挙の公認候補となることで、山本氏の絶大な人気とカリスマ性にあやかって、一躍、名が知られるようになった。その間に、着々と「大西信者」をも増やしてきたようだ。
「ハーフトゥルース」という、煽動や洗脳にお決まりの手法
「また新型コロナで、重症化率は高齢者が特に高いなかで、若い世代にしわ寄せが大きい。ご心配なご高齢者には外出を控えていただき、スーパーなどで高齢者タイムゾーンを設けたり、高齢者施設の対策強化などを行い、そのほかは通常の生活様式に戻すのはどうか。
その結果、感染者数が増え、高齢者の死亡は増えるかもしれないが、このままいけば大量の経営破綻と失業者を生み、そこで失われるかもしれない命は『新しい生活様式』で選別されていないか?
仮に死を迎えなくても、子どもや今を大切に生きる人たちの時間の過ごし方も命の問題。どんな政策も命の選択につながるから、政治家の仕事は命の選択につながる。車に乗っても、児童労働で作られた服を着ても、誰もが他の人や動物の命を脅かしながら生きている」。
大西氏の言動は、言葉回しだけは流暢であるが、マニピュレーション(情報操作)の典型である。すべてが嘘ではない。事実をちりばめる。しかし、核心部分では強引な誘導がある。「ハーフトゥルース」という、煽動や洗脳にお決まりの手法である。
「高齢者以外の中高年以下の世代は元の生活に戻し、感染者数が増え、高齢者の死亡が増える」という主張は、若年層はコロナに感染しても重症化しないという「俗説」を前提とし、高齢者の死亡数が上がることを想定している。
しかし、これは、間違った根拠によるものである。コロナは感染後、死に至らなくても、軽症ではすまない。
英エジンバラ大学の研究グループが、コロナウイルスが心臓にもたらす「病理学的な変化」の可能性を明らかにしたと報じられている。69か国、1261人のコロナ患者の心エコー図分析の結果、「55%の患者に心臓の働きに病理学上の変化」、「7人に1人の割合で心臓の重い機能不全」がみとめられたという。研究責任者は「ウイルスの心臓感染は普通にあり得ることだが、コロナウイルスの場合、心臓感染を起こす患者の数が余りに多すぎる」と述べたとのことである。
- コロナ 心臓の病理を招く恐れ 英研究者ら(スプートニク、2020年07月14日)
コロナによる多臓器の合併症について、京都大学名誉教授の中辻憲夫氏も、Franklin Veaux氏のレポートを紹介し、以下のようにツイートしている。
「これは大事な指摘。新型コロナ感染症拡大の重大性について、『致死率は1%程度に過ぎない』と軽視するのは大間違い。即ち、100名感染すると、1名が死亡だが、それに伴う可能性高いのは、『19名の入院必要患者、18名が生涯の心臓障害、10名が生涯の肺障害、3名が脳卒中、2名が神経障害、2名が脳障害。』」
大西氏の言説は、データもファクトも踏まえていない。
「高齢者」の命の選別を話したが、「障害者」について話してないとの「ご飯論法」
次に、れいわ新選組からの除籍の経緯を大西氏自身が説明した。
7月3日の問題の動画公開から、7月7日に党本部から呼び出され、謝罪、撤回をすることを受け入れ、14,15日に生命倫理に関するレクチャーを受けたと話した。それは、木村英子議員や難病を抱えた当事者のお話だったが、自分は障害者について話してないから、前提が違っているとして、離党を決意したが、結果的に除籍になったと述べた。
自分は「高齢者」の命の選別を話したが、「障害者」の命の選別については話していない、というのは、詭弁の典型である。これは一種の「ご飯論法」だ。「自分は対象は障害者とは言っていない。高齢者だと言っている」と大西氏は弁明する。しかし、特定の社会的弱者の集団を指して、カネ(リソースとはありていにいえばカネのこと)の分配をめぐって邪魔になるから消してしまおう、といっていることに変わりはない。
続いて大西氏は、一度サイトに掲載した謝罪文を引き下げたことについて、「政治家にあるまじき言葉づかい」をしたのは事実だが、朝日新聞をはじめ各メディアは、「命の選別」という自分の発言だけを切り取って使い、拡大解釈されたとお門違いの反撃をした。
さらに、言ってもいない「優生思想」を持ち出して非難されたが、「お前は間違っている」と言って私を攻撃し社会的制裁を加えようとしたこと自体が、優劣が正誤に変わっただけで、優生思想と根っこは同じと語った。そうした観点から謝罪を取り下げたという。
もちろん、これも、事実と違う。我々もまた彼は政界から去るべきだと厳しく批判したが、彼の命まで奪うべきだ、などとは言っていない。他のメディア、批判者も同様である。彼が発言し、主張したことは、高齢者に「逝ってもらう」すなわち「殺す」ということ。究極の暴力の発動を政治権力が行うべきだと主張したのである。彼と同レベルの暴力的な議論などどこにもない。ミソとクソをごちゃまぜに並べる詭弁である。
最後に大西氏は、今後、「真実と自由と自立」を旗印に、12月25日と言われる衆議院選挙に出馬する意向を表明した。その際、憲法9条と自衛隊や在日米軍の矛盾や、岸信介を通じた戦後の米国による日本支配、昭和天皇の戦争責任等を取り上げ、向き合うべき問題に向き合っていないからだとして、自由にタブーに触れる必要があると述べた。
IWJの質問に「謝罪は本心ではなかった」と説明
この後、記者との質疑応答が行われ、IWJの記者は以下の質問を行い、大西氏の回答を得た。
IWJ記者「れいわの山本代表や議員からは、大西さんが『当事者の声をきく会』や総会で、自説を曲げず、自分の主張がいかに正しいかを訴えるばかりだったときいています。舩後議員は大西さんについて『おごりがあり、政治家に向かない』とおっしゃっています。これらの批判について、どうお考えでしょうか」
大西氏「そういうふうに思われていることについては、自分は特にないです。自分のなしたことに対する評価だと思う」
IWJ記者「大西さんは15日に動画を再公開し、総会で7日に出した謝罪を撤回したと聞きます。大西さんが出された7日の謝罪は、本心ではなかったということでしょうか?」
大西氏「7日の謝罪は本心ではなく、党との相談のうえで出したものです。動画については、もう少し前の段階で、動画を公開しない方がいいと、党との話し合いで、公開停止にした。その後、15日に再公開する前に、なぜか改めて党本部から、公開ついては『お任せします』というメールが来て、任された。16日の総会の前に見られるようにした方がいいと考えて公開した」
IWJ記者「山本代表は、大西さんがコロナ禍の中で命に対する考え方を変えたようだとおっしゃっていました。これは事実ですか?最初からそういうお考えをお持ちだったのではないですか?」
生きている人間に、大西氏の言う「延命主義」などという立場や思想はありえない!
大西氏「自分の人生や死生観は基本的に変わっていない。自分が変わったのは、コロナが拡散したときに、それまで遠い状態だった死が身近に近づいたときに、残りの時間をどう過ごすか多くの人が考え出した。自分は『延命主義』に対して、生きている時間の質を重視するようになった」
この大西氏の発言もまた、突っ込みを入れないわけにはいかない。およそ生きているすべての人間にとって、「延命主義」などという主義主張や立場や思想はない。すべての人は、生まれたての赤ちゃんの段階から、思想などとは関係なく、生きて、本能として「延命」をはかっているのだ。それぞれのかけがえのない人生を生きている人のうち、一部の高齢者を指して「延命主義」というレッテルをはる。あたかも、延命するだけに汲々としている人生の質の低い生き方だと言わんばかりだ。
すべての「生きよう」としている人間は、「延命主義者」である。クオリティー・オブ・ライフと何の関係もない。「延命主義」に対立する概念は、「生きる」ことを諦めた人、死を選ぶ人やそうした考えだけである。
IWJ記者「すべての人の生きる権利や尊厳を守るというのが、れいわの最初からの理念であることは、大西さんもわかっていたはずですが、命に対する考え方を隠して、れいわの参院選公募枠に申し込んだということはないですか?」
大西氏「隠しているつもりはまったくない」
大西氏個人の死生観にもとづく、身勝手な高齢者ジェノサイド政策
IWJ記者「れいわの参院選公募枠に応募した際、れいわの理念と共通したのは『反緊縮財政』という点だけだったのでしょうか?」
大西氏「まず『八策』という政策があるので、そこでの合意です。命に関する考え方は、八策の中ではなく、結党の理念にあったものだと思います。自分は命を粗末にしているように言われるが、そうでない。そこは一緒です。ただ、死をどう受け入れるかが、自分はちょっとあっさりしている、そこの違い。そもそも命を粗末にしているわけではなく、違っていないが、向こうから見ればそうなのかもしれない」
大西つねき氏も、いつかは死ぬ。人間はすべて死ぬ。死をどう受け入れるかは、それぞれのテーマであって、他人にとやかく言われることではない。「自分はあっさりしている」というのは、大西氏個人の死生観であり、それなら、彼自身はそのようにあっさりと死なれればよろしい。だが、そんな死生観を他人に押しつけないでもらいたいし、まして政策として、高齢者ジェノサイドを掲げるなどもってのほかである。そのような考えをバラまくこと自体、高齢者ヘイトを培養する行為であって、世代間の分断や憎悪を煽らないでもらいたい。