山本太郎氏が代表を務めるれいわ新選組の公認候補である大西つねき氏が、YouTube上で自らの政策を語る動画で、ナチス顔負けの「高齢者の命を選別すべき」という発言をした。信じられない発言に、批判が巻き起こっている。
大西氏の動画は「#大西つねき #ツネキスト #私が総理大臣ならこうする」というシリーズの7月3日にライブ配信された「『正しさ依存症』とそれを生み出す教育について」という回で、下記URLで置かれ7日まで見ることができたが、すでに削除されている。
※Youtubeにあがっている該当箇所抜粋(monbranさん)の動画はこちらです。いつ削除されるかわかりません。ご了承ください。
https://www.youtube.com/watch?v=x7DsNJBX8XY
大西氏は動画で、「高齢者を長生きさせるのかっていうのは、我々真剣に考える必要があると思いますよ」と語った。その理由を「介護の分野でも医療の分野でも、これだけ人口の比率がおかしくなってる状況の中で、特に上の方の世代があまりに多くなってる状況で、高齢者を……死なせちゃいけないと、長生きさせなきゃいけないっていう、そういう政策を取ってると、これ多くのお金の話じゃなくて、もちろん医療費とか介護料って金はすごくかかるんでしょうけど、これは若者たちの時間の使い方の問題になってきます」と述べた。
さらに「こういう話、たぶん政治家怖くてできないと思いますよ。命の選別するのかとか言われるでしょ。生命選別しないと駄目だと思いますよ、はっきり言いますけど」と、生命の選別を肯定。そして「何でかっていうと、その選択が政治なんですよ。選択しないで、みんなにいいこと言っていても、たぶんそれ現実問題としてたぶん無理なんですよ」と、それが政治であると言い放った。
結論として、「だからそういったことも含めて、順番として、その選択するんであれば、もちろん、高齢の方から逝ってもらうしかないです」と、高齢者に先に死んでもらうしかないと明言したのである。
「逝ってもらう」とは、寿命が来る前に、まだ生きている人を「殺す」ということである。高齢者の組織的大量殺戮を堂々と宣言したようなものだ。こんなことを「政治」の仕事だと公言する人物が、一度は国会議員を目指して立候補したということ自体に、寒気を感じる(大西氏の該当発言全体は本記事の文末に掲載します)。
藤田と同じ正義マンリンチですね。不快でした。
たしかに大西氏の今回の発言は看過できない内容です。
しかし、現政権はそれ以上に弱い者を追い込む政策をすすめているのも事実ではないでしょうか?
そこには何も言わず、弱い政党を責め立てる姿勢はジャーナリストとしていかがなものでしょうか?
大西つねき氏の発言内容にも違和感があるけど、この記事の論調にも違和感を感じる。
”「逝ってもらう」とは、寿命が来る前に、まだ生きている人を「殺す」ということである。”
という断定は解釈が飛躍し過ぎに感じる。
「逝ってもらう」という表現には、個々の尊厳死選択の自由を認めるとか、過度の延命措置をせずに、より自然死に近い形を是とするとかいう意味で使うこともあるだろう。
大西氏の本音として、果たしてどのような意味で言ったかは判らなが、少なくともここに掲載されている文字起こしの文面を見る限りは「殺す」とは言ってないし、大西氏のその後の発言内容、
”難しい問題をちゃんと我々、正面切って考える必要ありますよね。
で、考えることを僕は皆さんに、考えてもらうための発信はたぶんすると思います。結局最終的に皆さんにやっぱ決めていただく必要があるんですよね。僕が決めることじゃないですよ。”
という件を読めば、これは現実問題に対する提起であるとも受け取れるのに、そこは完全スルー。
で、これを以て更に
”高齢者の組織的大量殺戮を堂々と宣言したようなものだ。”
と拡大解釈となると、三段跳びのようでまったく理解ができない。
でも、一番違和感を感じるのは、岩上氏のリツイートの引用の件で、
こたつぬこ氏のツイートをわざわざ持ち出したのに”自民はともかく”
という点には一切触れずにスルーって、、、
言い方は悪いけど、所詮、弱小野党の当選経験もない、元候補者の発言なんて大した影響力も無く、
それよりも政権与党のモラル感の欠如の方がよほど重大なはず。
なのにそこには一切触れず大西氏を袋叩きにしているところは、弱い者イジメにしか見えない。
実際、気になって2016年6/17の麻生太郎氏の高齢者へのヘイト発言をこのサイトで検索してみたけどヒットはしなかった。
最も言論の自由を尊重しなければならないはずの報道に携わる会社、人間が、
”大西氏は、当然、政界はもとより、言論界からも去るべき人物である。”
と言い放ち、公平性を欠き、ダブルスタンダードで弱者のみを攻撃する本記事の論調には、
正にこれこそが優生思想的な傲慢さと恐怖を感じる。
難しい問題です。命を守るとはなんなのでしょうね。
たとえば日本では、もう回復の見込みのない意識混濁の高齢老人に対しても、その健康状態や老人本人の意志とは関係なく、まずは医師が機械的に延命し、その後、家族に対して「延命を辞めますか?」と問うことが多いです。
つまり、自然の状態であればただ寿命を全うするだけの人間に対しても、医療関係者、病院、電力、機械などといった限られたリソースを使って、不自然に延命させ、それをやめるためには親族の了解を得る必要があることが多いのです。
言葉を悪く言えば家族に人殺しの容認を強いているとも言えますので、簡単には結論はだせず、その間にリソースが使われ続けるわけです。
(海外では、あらかじめ本人の意志を確かめる制度・文化がある国もあります)。
ただただ「人間の命は大事なものである」という1点だけをお題目にして、その目の前の命を守るために他の命(人生や資源)が犠牲になっているという見方をすることはタブーなのでしょうか。
我々のリソースは無現ではありません。
リソースが有限なのに、そこから全てを得ようとする考え方は、人間の傲慢であろうと思うし、未来のほぼない人間の命だけを大事にするために、未来のある人間の犠牲を強いるというのも一種の暴論であろうと思います。
もちろん、話はその簡単ではないし、逆の意見もあることでしょう。
そして、社会的な課題において「あっちを立てれば、こっちが立たず」である事柄について議論し結論を出さねばらないとき、これを仕切るのが政治家の仕事だとも思いますし、とくに民主主義国家においては、国民が政治について考えることも大事だと思います。
この記事は、このような議論をできない環境に疑問を投げかけることすら狂っているとでも言いたいのでしょうか。
さようなら。ネトウヨ同然のIWJからは去ります。
大西さんの真意をくみ取ってください。 この記事は悪意しか感じません。 姥捨て山に高齢者をということではないと思います。 自然に命が静かに消えていく これが人間の尊厳死ではないでしょうか? 意識がはっきりしない状態で体中にチューブを繋がれ 食べられず。 ご本人がそれでも生きたいというのならばよいのですが、ほとんどの方が意識なく寝たきり状態。 ここで胃ろうをしたり人工呼吸器で生きながらえさせたり、ご自分ならどうしたいでしょうか? 私なら尊厳死を選びます。
大西つねきさんがよっぽど酷い発言したんだろうなあ…と思っていましたが、
問題部分と言われる映像を見て当たり前の発言だと感じました。
日本は老人の寝たきり年数が世界一と云われます。
ここ数年で呼吸器装着や胃瘻などの延命治療を選ぶ家族は少なくなった感がありますが、
その代わりに最近は高齢者にとってリハビリ地獄があると言ってもいいかも知れません。
100歳前後になっても排泄や食事などが最大限自立に近くなるよう
ひたすらリハビリをさせられます。
また、嚥下機能が落ちて誤嚥性肺炎を起こした人は
治療•嚥下リハビリをして食べさせて軽快退院しても数週間後に再び誤嚥性肺炎で入院。
辛い点滴や痰の吸引も繰り返し受けなければなりません。
病院で看護師をしていますが、
「早く死ねばいいのに死ねない。」との高齢者の言葉を度々聞いてきました。
長生きも辛いだろうなあとしみじみ感じる事があり、
大西つねきさんもこうした状況も感じての発言ではないかと思っています。
問題発言と騒がれる事が間違いではないでしょうか。
まず、タネマシンガンさんのコメントを削除しないのは立派だと思います。拍手です。
私は介護離職して5年になる自他共に認める「孝行息子」(笑)ですが、大西さんの発言、
動画を見る限りたいへん共感しましたよ。この政党支持してませんでしたけど、
こういう人なら投票したいと思ったぐらい。
「闇雲な延命ってどうよ」が本旨というのが私の理解で、たぶんこの方、現場でいろんな
事例見てきたんじゃないかな。社会資源の効率性から語っちゃったからそこは
確実にゴメンナサイですけど、なんで除名? 一度の失言で?
貴重な議論の機会をキャベツで封じ込めるのってがっかりだな~。
あと、この方自身が撤回して謝っちゃったんですよね? そこもがっかりでした。
せっかく大きなニュースになったんだから、本人含めもっと突っ込んだ議論したらいいのに。