【第275-281号】岩上安身のIWJ特報! 立憲主義を「保守」することの意味 憲法学の「権威」が語る、自民党改憲案の危険性 東京大学名誉教授・樋口陽一氏インタビュー 2016.9.30

記事公開日:2016.9.30 テキスト独自
このエントリーをはてなブックマークに追加

(岩上安身)

◆ヤバすぎる緊急事態条項特集はこちら!|特集 野党合同ヒアリング―勤労統計不正「賃金偽装」
※公共性に鑑み、ただいま全編特別公開中です。ぜひ、IWJ存続のため会員登録でのご支援をよろしくお願いいたします。会員登録はこちらから→ https://iwj.co.jp/ec/entry/kiyaku.php

 「この政権にだけは、9条をいじらせてはいけない」――。

 昨年の夏、国会前でSEALDs(シールズ)の若者たちが、安倍政権が強行しようとしていた集団的自衛権行使容認にもとづく安保法制に反対し、連日のように抗議の声をあげていたのは記憶に新しい。

 このSEALDsによる抗議行動に参集したのは、若者ばかりではなかった。会社帰りのサラリーマン、幼い子どもを持つママ、既に仕事をリタイアした高齢者など、SEALDsによる切実な訴えは幅広い世代の共感を得た。

 日本を代表するアカデミシャンでありながら、あくまでもそうした市民の一人としてマイクを握ったのが、東京大学名誉教授の樋口陽一氏である。戦後の日本の憲法学を牽引してきた最高級の知性が、まだ20代のSEALDsの若者らとともに、安倍政権に対して「No!」を突きつけたのである。

▲SEALDsの集会でスピーチする樋口陽一氏――2015年6月19日

 しかし、こうした樋口氏やSEALDsら若者の懸命の訴えにも関わらず、2015年9月19日未明、安保法制は「可決・成立」してしまった。これによって、日本は米国とともに「戦争をすることができる国」へと、また一歩近づいてしまったのである。

 私は2016年2月17日、樋口氏に単独インタビューを行った。樋口氏は通常、大手新聞を除き、テレビや週刊誌、タブロイド紙への出演は一切断ってきたという。インターネットメディアへの出演は、このIWJでの私によるインタビューが初めての出演になるという。

 インタビューの中で樋口氏が繰り返し強調したのが、立憲主義という考え方の枠組みを「保守」することの重要性である。立憲主義とは、端的に言えば、国民が憲法によって権力の暴走を制限するという考え方のことだ。樋口氏によれば、安保法制の最大の問題点は、解釈改憲による集団的自衛権行使容認の閣議決定という手法が、立憲主義を蔑ろにした点であったという。

 樋口氏によれば、このような立憲主義を蔑ろにするという姿勢は、自民党憲法改正草案に通底するものであるという。特に、自民党憲法改正草案第98・99条に新規創設が明記された「緊急事態条項」は、大災害にかこつけて基本的人権は公権力に従属させるという点で、立憲主義に完全に反したものであると樋口氏は指摘する。

 7月10日に投開票が行われた参議院選挙の結果、自民党、公明党、日本維新の会、日本のこころを大切にする党の「改憲勢力」が、衆参両議院で3分の2議席を占めることになった。そのため、9月26日に召集される秋の臨時国会は、戦後初めての「改憲国会」となる見込みである。安倍政権は、改憲による「緊急事態条項」の創設をまず第一に狙ってくるだろう。日本の立憲民主主義は、今まさに土壇場の正念場を迎えているのである。

 なぜ、安倍政権に改憲をさせてはいけないのか。立憲主義を「保守」することの意味とは何か――。以下、樋口氏へのインタビューのフルテキストをお送りする。ふんだんに付した注釈とともに、ぜひ最後までご一読いただきたい。

記事目次

「一身にして三生を経る」が「四生を経る」にならぬよう~激動期の日本を人々とともに歩んできた”憲法の神様”樋口陽一・東大名誉教授、万感の想いを込めて、ネットメディアに初登場!

▲東京大学名誉教授・樋口陽一氏

岩上安身「皆さん、こんにちは。ジャーナリストの岩上安身です。本日は私にとってまさに待望のインタビューです。憲法学の第一人者で、東京大学名誉教授の樋口陽一先生をお迎えしました。

 『お話を聞かせていただけないでしょうか』と、これまで何度もお願いしてきたのですが、時間の都合などもあり、なかなかお引き受けいただけずにいました。

 そこへ先だって、小林節(※1)さんが音頭を取って発足した民間立憲臨調(※2)でご一緒する機会を得て、ここはもう直談判でお願いするしかないと。先生も、『こうして顔を合わせたからにはしょうがないね』なんて笑顔でおっしゃってくださいました。そうして実現したのが、今日のインタビューなのです。ということで、樋口先生、よろしくお願いいたします」

樋口陽一氏(以下、敬称略)「はい。よろしく」

▲「民間立憲臨調」(立憲政治を取り戻す国民運動委員会)の様子――1月19日、衆議院第一議員会館

▲民間立憲臨調の事務局長を務めた慶応義塾大学名誉教授・小林節氏

岩上「私としては、お目にかかれて直談判して、本当に良かったと思っているのですが、先生はやはりこういうインターネットのメディアに出ることに、何か抵抗がおありだったんでしょうか」

樋口「私は、テレビには出ておりませんのでね。それから、週刊誌と日刊タブロイド。英語でいうところの『タブロイド』ではなく、純粋に形状のそれとしての『タブロイド』(※3)ですけれども」

岩上「『日刊ゲンダイ』とか『夕刊フジ』のことですか?」

樋口「はい」

岩上「そうですか。この時代、『日刊ゲンダイ』ぐらい出てあげてもいいような気がしますけれど」

▲駅売店に並ぶタブロイド紙(出典・WkimediaCommons)

樋口「非常にまじめな記者がおられるということももちろん知っていますが、今のところ、とにかくそういうやり方でやってきました。つまり、非常にクラシックな新聞か、さもなければ街頭か、ということですね」

岩上「それは、新聞はちゃんと伝えてくれるだろうが、他のメディアではそうでもないだろうとか、そんな風にお考えだったということなんでしょうか?」

樋口「それもあるでしょうが、人は何かそれぞれ、その人なりの仕切り方をしていないと際限がなくなりますし、それなりの一つの発言の型というものがあるじゃないですか」

岩上「来る仕事来る仕事、来るコメント来るコメントを受けていたら仕事になりませんものね。学者ですから、静謐な環境で、ものを読んだり考えたりするのも大事でしょうし」

樋口「残り時間が少なくなってしまう人間にとっては、特にそうですよ」

岩上「失礼ですが、お年はおいくつなのですか?」

樋口「1934年生まれです」

岩上「30年代ですか。では、戦前・戦中のことをはっきり覚えていらっしゃるのでしょうか」

樋口「そうですね。私が小学校に入った年、小学校が私の年代から国民学校(※4)という名前になりました。入ったときには、自分で言うのもおかしいけれど、いわゆる『級長』(※5)でした。国民学校の5年生になると、もう戦争の最末期です。国民学校5年生のときの8月15日が敗戦ですから。その段階になりますと、私の肩書きは『級長』ではなく『学徒隊副小隊長』(※6)です」

岩上「学徒隊副小隊長?」

樋口「そう、副小隊長です。小隊長は担任の先生ですね。ほどなく8月15日となり、新しい体制になる。それとともに私は、今度は『学級委員』に。福沢諭吉が『一身にして二生を経る』(※7)と言っていますが、私はすでに三生を経たんです。級長から副小隊長へ、副小隊長から学級委員へと」

▲戦前、国民学校で行われていた薙刀(なぎなた)訓練の様子(出典・WikimediaCommons)

▲国民学校には天皇・皇后の「御真影」と「教育勅語」を納める「奉安殿」が設置された。写真は茨城県桜川市真壁小学校の奉安殿(出典・WikimediaCommons)

岩上「では今後、自民党が改憲をやって国の体制が変わり、『四生を経る』ということになりかねませんね。ここへきて大変なことになってしまいました。2016年ですから、先生はいま――」

樋口「数え年で83歳です」

岩上「まだまだお元気ですね、先生。今こそ、先生のご発言を必要としている人たちがたくさんいると思うんです。特に専門家であればあるほどそうだと。

 というのも、私はこのところ連続して、これまでなかなかご縁のなかった憲法学者の先生たちにお話をうかがうことになったんですが、そうした先生方が共通して尊敬しているのが、樋口先生なんだと改めて実感しました。先生のお言葉は、一般の人にももちろんそうですが、特に専門家の人たち、インテリの人たちに影響力があるんだろうと。

 本日は、そんな先生が、ご自身に課したルールを破って引き受けて下さった、異例のインタビューです。先生、インタビューをお引き受けいただきまして、本当にありがとうございます」


(※1)小林節:1949年生まれ。法学者、弁護士。専門は憲法学。母校である慶應義塾大学に1974年から勤務、法学部教授(1989〜2014年)を経て、現在同大学名誉教授。

 かつては改憲論者として知られたが、安倍政権の強引な解釈改憲や自衛隊派遣のあり方を目にして考えを変更した。

 2015年6月、安保法制における集団的自衛権行使について審議する衆議院憲法審査会に参考人の憲法学者として呼ばれた際、他の二人の参考人憲法学者(長谷部恭男、笹田栄司両氏)とともに「違憲」を表明して、自民党議員たちをうろたえさせた。

 2014年、奥平康弘氏、樋口陽一氏、長谷部恭男氏らとともに「立憲デモクラシーの会」を発足させたほか、2016年1月には「憲政の常道(立憲政治)を取り戻す国民運動委員会」(民間立憲臨調)を立ち上げ、安倍政権下で危機に陥った立憲主義を守るよう世に訴える運動を展開している。

 7月10日に投開票が行われた参議院議員選挙では、政治団体「国民 怒りの声」を立ち上げ、自身も含めて10人の候補者を擁立。当選者を出すことはできなかったが、与党が改憲について「争点隠し」を行う中、選挙戦に一石を投じた。

 岩上安身はこれまでに、小林氏に3回にわたって単独インタビューを敢行。安保法制の違憲性や右派団体「日本会議」、「国民怒りの声」など幅広いテーマで話を聞いた。

(※2)『憲政の常道(立憲政治)を取り戻す国民運動委員会』(通称:民間『立憲』臨調):2015年9月に「可決・成立」した安保関連法に反対する学者や文化人らが、2016年1月19日に発足させた団体。小林節・慶応義塾大学名誉教授が呼びかけ人となり、憲法学者、政治学者、学生団体SEALDsのメンバー、俳優、弁護士ら約200人が参加した。

 政治状況の分析やメンバー間あるいは意見を異にするグループとの公開討論等を行い、その成果を定期的に発信してゆくことを通じて、安倍政権が揺るがせようとしている立憲主義について国民の省察・再考を促すことを目的とした。

 発足の同日に衆議院第一議員会館で行われた会見では、樋口陽一氏も代表世話人の一人として発言。『大日本帝国憲法を作った権力者らの掲げたキーワードである立憲政治を、安倍政治は攻撃している。『戦前に戻る』どころか『戦前の遺産』さえも無視しようとしているのが安倍政治なのだ。だから私たちは『憲政の常道』ともいえる立憲主義を取り戻す必要がある』と語った。

 この会見には、岩上安身も出席。安倍政権が新規創設を目指す『緊急事態条項』について警鐘を鳴らした。

 IWJは、この日の会見を含め、これまでに行われた全5回の記者会見をすべて中継した。

(※3)タブロイド:「スタンダード判」または「ブランケット判」と呼ばれる普通サイズの新聞(406×545mm)の、半分ほどの大きさの版型(285×400mm前後)、および、それを用いた新聞のこと。

 19世紀後半、ロンドンとアメリカに本社を置く製薬会社、バロウズ・ウェルカム・アンド・カンパニーが、粉薬を圧縮整形した錠剤を開発し、「タブロイド」の商品名で発売して以来、イギリスでは小型のものを指して『タブロイド』と呼ぶようになった。

 新聞の領域においても、1896年に創刊された「デイリー・メール」をはじめ、「ザ・サン」、「デイリー・ミラー」といった大衆紙がこのサイズを採用するとともに、これらが犯罪やスポーツ、性、ゴシップ記事などを”扇情的”に報道することで部数を獲得する戦略を用いたことから、そのような報道スタイルの小型廉価の大衆紙が『タブロイド』と呼ばれるようになった。

 20世紀後半になると、欧米の一般紙(高級紙)が紙面改革に取り組み始め、通勤中にも読みやすい小型の版型としてタブロイド判に注目。最近では、イギリスの「スコッツマン」や「タイムズ」、アメリカでは「ニューヨーク・ポスト」などがタブロイド判に移行している。

 日本では、高度成長期に主にフリー・ペーパーの領域でタブロイド紙がさかんになって以来、タブロイド判夕刊専門紙『夕刊フジ』(1969年創刊)や『日刊ゲンダイ』(1975年創刊)が成功を収めたこともあり、この版型を採用する新聞も増えている(参照:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bcKyw5)。

(※4)国民学校:1886年に文部大臣森有礼のもとで「小学校令」が公布されて以来、日本の初等教育および前期中等教育は「尋常小学校」(修業年限4年)と「高等小学校」(修業年限2年)が担ってきたが、昭和に入り、満州事変、日中戦争と戦火が拡大するにつれて、宣旨教育の色彩を強めてゆき、1941年には「皇國ノ道ニ則リテ初等普通敎育ヲ施シ國民ノ基礎的錬成ヲ為スヲ以テ目的」とした「国民学校令」が発令された。

 「尋常小学校」は「国民学校初等科」(修業年限6年)に「高等小学校」は「国民学校高等科」(修業年限2年)にそれぞれ改組され、戦時体制に即応した言行一致・心身一体の皇国民練成を目指す、国家主義的教育が行われるようになった。

 校庭には「御真影」と呼ばれる天皇・皇后の写真を納めた奉安殿がしつらえられ、児童たちは登下校のたびにその前で最敬礼を行う。

 校長は四方拝、紀元節、天長説、明治節といった式典のたびに教育勅語を読み上げ、軍国教育の徹底を図る。太平洋戦争に突入すると、国民学校の児童も、食料増産の労働に参加したり木材運搬などの奉仕作業に従事させられるようになり、教室で勉強する時間はみるみる減少していった。校庭も芋畑などに一変し、統制経済のもとで学用品は手に入らなくなった。

 1943年には『学徒動員体制確立要綱』が閣議決定。本土防衛のために、児童・学生たちは、軍事訓練、勤労動員へといっそう駆り出されていくことになった(参照・石部南小学校HP『第三章第四節 教育制度の整備『戦時下の小学校教育』【URL】http://bit.ly/2bwI4eb』)。

(※5)級長:戦前、国民学校では「級長」「副級長」という、現在の学級委員に類する制度があった。一般的には担任教師がクラスの児童の中から指名。選ばれた児童は「級長を命ず」と記された指示書を渡された。

 戦後に各地で国民学校の沿革がまとめられるようになったが、そこに寄せられた卒業生の体験談などを総合すると、学力はもとより統率力があり、かつ人との親交力にも優れた児童が適任者として選ばれたという。クラスをまとめる役目のほか、号令や学徒動員時における引率などを任されていた(参照:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bGnV3I)。

(※6)学徒隊副小隊長:太平洋戦争末期の1945年3月18日、日本政府は「決戦教育措置要綱」を閣議決定し、学生や児童も食料増産、軍需生産、防空防衛などの労働に動員させること、また、国民学校初等科以外の学校はその目的に専念するため1年間授業を停止することが定められた。

 さらに同年5月には「戦時教育令」が公布され、学徒は本土決戦への参加を通じて国家に対する最後の「奉公」を行うよう義務づけられた。すなわち、学徒は戦時にふさわしい要務に挺身すること、教職員は学徒隊を結成させてその要務に当たらせること、そして、徴集・召集を受けた学徒がこれによって負傷・戦死し、正規の在学期間を満たせなくなっても、卒業扱いを許されることなどである。

 このような状況下で、国民学校の児童たちもまた、戦地の兵士らと同じような暮らしを強いられた。校庭では毎日戦いの訓練が行われ、登下校は防空頭巾をかぶりながら団旗を先頭に掲げた集団で行った。クラスをまとめる役目である「級長」「副級長」はそれぞれ「小隊長」「小隊分隊長」などと軍隊風に呼ばれるようになり、登下校や行列の指揮を任された(参照:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2b9d4Np

 10歳で敗戦を迎えた樋口氏は、その時の感慨を、小林節氏との共著『「憲法改正」の真実』(集英社新書)の中で次のように述べている。

 「敗戦当時、私は10歳で国民学校の5年生、学徒隊副小隊長(担任の先生が小隊長)でした。今で言う学級委員長ですが、小学生ながら、この戦争は永遠に続き自分も近いうちに死ぬのだろうなあと思っていました。兵士になるための体力と敏捷性だけが求められる、そういった教育を受けていましたから。終戦を知ったときに、そうした死と隣り合わせの閉塞感から解放されたことをよく覚えています。ポツダム宣言の受諾がなければ、実際私はここにいなかったでしょうし」[34]

(※7)「一身にして二生を経る」:西洋と日本の文明を比較した文明論説である『文明論之概略』(1875年、全10章)の『緒言』における、著者・福沢諭吉の有名な言葉。

 福沢諭吉は、明治維新前には漢学、維新後には洋学という異なる二つの学問に図らずも触れることとなった、自分も含めた当時の学徒の運命の奇を、「ひとりの人間がまるで二つの人生を送るようだ」と表現。だが、そうして異なる価値観を体験したからこそ、それとの比較において自国の文化・社会の本質を正しく見据えることができるのだと胸を張ったという。

 『文明論之概略』には、次のように記されている。「試に見よ、方今我国の洋学者流、其前年は悉皆漢書生ならざるはなし、悉皆神仏者ならざるはなし。封建の士族に非ざれば封建の民なり。恰も一身にして二生を経るが如く一人にして両身あるが如し。二生相比し両身相較し、其前生前身に得たるものを以て之を今生今身に得たる西洋の文明に照らして、其形影の互に反射するを見ば果して何の観を為す可きや」(参照:福沢諭吉『文明論之概略』本文【URL】http://bit.ly/2b99eHc

 明治維新後に西洋文明の紹介者となった福沢諭吉だが、1894年の日清戦争に前後して、朝鮮人や中国人に対して「ヘイトスピーチ」とも言える言辞を弄するようになった。岩上安身は2014年9月3日、名古屋大学名誉教授の安川寿之輔氏に直撃インタビューを行い、「差別主義者」としての福沢諭吉の実像に迫った。

<ここから特別公開中>

仲間内で黙々・着々と進められる『緊急事態条項』新設への道!~大手マスコミも加担して、国民はいつも寝耳に水!

7ea54ada90aedc0188db5f6f1dc85ba59649ece2

岩上「では、早速本題に入らせていただきます。本日先生にお話をうかがいたいのは、まず、自民党の改憲草案の中に第98条・第99条として『緊急事態条項』が新設されていることです(※8)。

 私どもは、これを非常に危険なことだと思い、他のどのメディアよりもこの問題を取り上げ続けてきました。ここへきて、だいぶ色んな人に耳を傾けてもらえるようになったとはいえ、この条項の危険性を理解していない人がまだまだたくさんいます。そこで、今日は先生に、この条項のどこがどのように問題なのか、改めて説明していただきたいと思います」

a5192b8e36676e52eccde3ae416808be7eafb722

岩上「次いで、この『緊急事態条項』を含む自民党の憲法改正草案全体についてです。これは、全文がネットでダウンロードできるんですけれども、これを現行の日本国憲法と比較しながら、具体的にどこがどう問題なのか教えていただきたいと思います。日本国憲法がどのような点で優れているのか、あるいは、弱点や欠陥があるならば、それはどのようなところかということも、あわせておうかがいしたいと思います。

 また、この改憲草案が『大日本帝国憲法への回帰』といった評され方をする(※9)ことについても、先生のお考えをお聞きできればと思います。といいますのも、『戦前への回帰』とよく言われますが、私が実際に草案を読んでみて思うのは、これは戦前とはまた違うものを目指しているのではないか、ということです。天皇に大権が集中する(※10)のではなく、『緊急事態条項』によって、首相に全権を集めようとしているのではないでしょうか。こうした点についても、お聞かせ願えればと思います」

5459d256df314324082a9ca12ed562006860b993

岩上「その前に、ここまでの流れをざっと申し上げておきます。安倍総理が会見で『緊急事態条項』の新設を明言したのは、昨年の9月でした。それまでも改憲について自民党は繰り返し言及していましたが、この『緊急事態条項』については、実際に何年も前に掲げているわけですね(※11)。従って、彼らの『我々はいきなり言い出したわけではありませんからね』という言い分は、確かに間違ってはいない。

 2015年9月24日、安保関連法案の強行採決の後に無風の総裁選があり、安倍総理は記者会見を自民党の本部で行いました。この記者会見は記者クラブしか入れないのですが、そういう場で、改憲をやると言ったのです(※12)。

 しかも、けしからんことに、大手の新聞はこれをほとんど伝えませんでした。詳しく報じたのは、産経新聞だけです。改憲マニアが読む改憲マニアのための改憲マニアの作っている、この一紙のみでした。要するに、産経新聞を読まないと、ここまで話が進んでいるなんて分からなかったわけです。

 その後、11月の閉会中審査の際に、改めて緊急事態条項の新設が明言された(※13)んですが、その間3ヶ月もの間、野党連合を作る機運もあったのに、緊張感なくやり過ごしてしまうことになった。野党がようやく動き出したのは年が明けてからでした。

 安倍総理は、1月4日の年頭の記者会見で、再び憲法改正を訴えました。これを、参院選の争点にすると(※14)。さらに1月21日の決算委員会では、改憲に向けた現実的な段階に移ったことが明らかになる(※15)。

 その頃、ちょうど岡田(克也・旧民主党代表)さんや志位(和夫・日本共産党委員長)さんに直接インタビューする機会があったのですが、志位さんは、国民連合政府構想や野党共闘を掲げたにもかかわらず、それは『立憲主義の回復』と『安保法制廃止』の二本で『この緊急事態条項を絶対阻止するため議席の三分の二を取らせない』とは言わず、共闘には踏み出そうとはしませんでした(※16)。

 このことについて、僕は志位さんに『三分の二議席を阻止するという言い方が必要なんじゃないですか?』と詰め寄りましたが、志位さんは『態度としてちょっと後ろ向きだから』ということでした。しかし1月からは、『緊急事態条項はけしからん。重大な問題だ』とおっしゃるように変わられましたけど。

 つまり、あの秋の3ヶ月間は、今年の7月に参院選を迎えることを考えると、とても大きな時間のロスだったんじゃないかと、私はちょっと焦っているんです。こうした流れをふまえて、先生のご意見をお聞きしたいと思います」

▲岩上安身のインタビューに応じる志位和夫氏――2015年10月8日


(※8)自民党の改憲草案の中に第98条・第99条として『緊急事態条項』が新設されていることです:立憲主義国家において、戦争や災害といった国家の平和と独立を脅かす急迫不正の事態に際し、政府が憲法秩序を一時停止して秩序の回復を図ろうとする権能を『国家緊急権』という。この『国家緊急権』を規定した『緊急事態条項』が、自民党の『日本国憲法改正草案』(2012年4月27日発表)において『第9章 緊急事態(第98条・第99条)』として新たに設けられている。

 それによれば「内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる」(第98条第1項)。

 また、そうして緊急事態の宣言が発せられたときは「内閣は法律と同一の効力を擁する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行」(第99条第1項)うことができるとされる。

 一方、全ての国民は「当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない」(第99条第3項)。要するに、内閣に絶大な権限を与え、人権保護規定を停止するといった「超法規的措置」を取ることを可能にする危険な条項なのであり、各方面から批判が巻き起こっている(参照:・日本国憲法改正草案(全文)自民党憲法改正推進本部【URL】http://bit.ly/2aeSE8Z)。

 岩上安身は、この「緊急事態条項」について一早く警鐘を鳴らしてきた永井幸寿弁護士と升永英俊弁護士に、それぞれ単独インタビューを行った。

(※9)改憲草案が『大日本帝国憲法への回帰』といった評され方をする:2012年4月27日に自民党が発表した「日本国憲法改正草案」は、「戦後レジームからの脱却」や「日本国民自らの手で作った真の自主憲法」のスローガン通り、現行憲法全体に大々的な変更を加えるものであった。

 なかでも、天皇の元首化(第1条)、国防軍設置(第9条の2)、緊急権条項(第98条、第99条)、政教分離の緩和(第20条)、表現規制の強化(第21条)、中央集権化(第92条~)等の新設条項は、あわせて条文化された「国民の義務」なるもの(国防義務(前文)、国旗・国歌尊重義務(第3条)、領土・資源確保義務(第9条の3)、公益および公の秩序服従義務(第12条)、家族助け合い義務(第24条)、環境保全義務(第25条の2)、地方自治負担分任義務(第92条第2項)、緊急事態指示服従義務(第99条第3項)など)とともに、国家権力体制の維持のために国民の基本的人権を大幅に制限した戦前・戦中を容易に想起させ『復古主義的』『戦前回帰』との批判を呼び起こすこととなった(参照:自民党HP【URL】http://bit.ly/1lw9ASM

 岩上安身は、この自民党憲法改正草案の危険性について、澤藤統一郎弁護士、梓澤和幸弁護士とともに全12回の鼎談を行った。この鼎談の模様は、書籍『前夜~日本国憲法と自民党改憲案を読み解く』(現代書館)としてまとめられた。

・岩上安身・澤藤統一郎・梓澤和幸『前夜〜日本国憲法と自民党改憲案を読み解く』

http://bit.ly/1jWh3da

(※10)天皇に大権が集中する:大日本帝国憲法は「日本国家の主権は天皇にあり」という理念に基づき、行政権・立法権・司法権をはじめとする統治権全般、および、国務大権・統帥大権・皇室大権といった、天皇の裁量によって行使可能な一連の大権」を天皇に認めていた。

 なかでも、第31条に規定された「非常大権」は「戦時または国家事変時」において天皇が大日本帝国憲法に定められた臣民の権利・義務の全てあるいは一部を停止しうるという、強大な権能であった。ただし、その規定の曖昧さに加え、第8条に定められた「緊急勅令権」および第14条の「戒厳宣告権」との区別も明確でなく、大日本帝国憲法が施行されていた期間中に一度も発動されることはなかった(参考:非常大権:Wikipedia【URL】http://bit.ly/29kOUkK

(※11)『緊急事態条項』については、実際に何年も前に掲げているわけですね:自民党は2012年の「日本国憲法改正草案」以前にも独自の改憲案を発表している。「穏やかな改憲案」のうたい文句とともに2005年10月に公表、翌11月の立党50年記念党大会で正式発表された「新憲法草案」である。

 ところが、そうしたうたい文句とは裏腹に、この改憲案には、自衛軍の保持、国民の諸「責務」、政教分離の緩和、軍事裁判所の設置など、現行憲法の国民主権、基本的人権、そして平和主義の理念を無に帰しかねない要素がすでに多く含まれていた。

 戦争放棄を掲げる現行の第9条は残しつつも、「我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持する」ことを定める新たな条項を設置(第9条の2、第1項)。さらに、その「自衛軍」の活動として「国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」および「緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動」(第9条の2、第3項)と明記されていた(参照:自民党新憲法草案全文【URL】http://bit.ly/2bUiUrG

(※12)そういう場で、改憲をやると言ったのです:2015年9月24日、自民党の両院議員総会が開かれ、安倍晋三総理が無投票で総裁に再選された。9月8日に安倍総理の任期満了に伴う党総裁選が告示されたが、首相以外に立候補の届出がなかったためである。

 こうして正式に総裁に決まったことを受け、安倍総理は同24日午後、党本部で記者会見を行い、「アベノミクス」の展望やGDP600兆円の達成など、今後推進する政策目標について語った。その後、記者団との質疑応答のなかで、憲法改正を次の参院選で公約に掲げると明言。憲法改正発議を実現するため、今後多数派形成に力を注いでいく構えであることを明らかにした(参照:自民党総裁再選会見詳報「民主党議員も勇気を持って憲法改正の議論に参加を」産経新聞、2015年9月24日【URL】http://bit.ly/1Sfj1fK)。

(※13)改めて緊急事態条項の新設が明言された:2015年11月10日の衆議院予算委員会において、岡田克也・民主党代表は、自民党が憲法改正を主張しながら目指しているのは「限定なき集団的自衛権の行使」ではないのか、また、これを実現するために国民投票にかけようと目論んでいるのではないかと安倍総理を追及した。

 これに対して安倍総理は、改憲案はあくまでも「国民の命とそして平和な暮らしを守っていく上においては、九条の改正を行うことが必要であろう、こう(考える)自民党の総意としての、その草案」にすぎないこと、そして「過半の国民の理解と支持のもとに成立をさせる」ために「しっかりと今議論を深めているところ」であると繰り返し強調。

 さらに「党においても、この憲法の我々の草案の中において〔…〕緊急事態という条項からやるべきだという議論もかなり有力であります」と述べ、「緊急事態条項」から重点的に押し進めていく方針であることを明らかにした。

 翌11日の参議院予算委員会においても、自民党・山谷えり子議員の質問に答えるかたちで、「大規模な災害が発生したような緊急時において、国民の安全を守るため、国家そして国民自らが、どのような役割を果たしていくべきかを憲法にどのように位置付けるかについては、極めて重く大切な課題である」と発言。野党や国民の合意を取り付けやすい「緊急時の対応」という理由を前面に押し出しつつ「緊急事態条項」新設への意欲を改めて示した(参照:衆議院HP【URL】http://bit.ly/29V5JQW)。

(※14)参院選の争点にする:安倍晋三総理は2016年1月4日午前、官邸で年頭の記者会見を行った。

 まず冒頭発言で、南スーダンに派遣された自衛隊の「活躍」、雇用や賃金の大幅な「増加」、東北被災地における着実な「復興」など、「成果」をひととおりアピールしたのち、今年はさらなる経済成長のために「新しい国造りへの新しい挑戦を始める」と宣言。

 さらに、その後の質疑応答において「参議院選の争点についてはどのように考えているか」という西日本新聞の記者の質問に対し「憲法改正については、これまで同様、参議院選挙でしっかりと訴えていくことになります。同時に、そうした訴えを通じて国民的な議論を深めていきたいと考えています」と答弁。憲法改正を2016年夏の参議院選挙の争点にすることを改めて明らかにした(参考:首相官邸HP【URL】http://bit.ly/1SaZw6Q)。

(※15)1月21日の決算委員会では、改憲に向けた現実的な段階に移ったことが明らかになる:安倍晋三総理は2016年1月21日午前、参院決算委員会において、二之湯智議員から「憲法改正への思いとその戦略について」考えを求められ、次のように答弁した。

 まず、現行の憲法が国民投票を経ずに成立したことに言及し、改憲が「自らの手で新たな憲法を作る初めての機会になっていく。そうした新たに生み出されるこの精神こそ、日本の未来を切り開いていくことにつながっていく」と持論を展開。

 そのうえで「国民主権、基本的人権の尊重、平和主義といった現行憲法の基本的な考え方を維持することは当然の前提として、その上で必要な改正は行うべき」と、参院選後の改憲実現に強い意欲を示した。さらに「いよいよもう、どの条項についてこれは改正すべきかという、そういう新たな段階に、憲法改正議論も現実的な段階に移ってきた」と語りつつ『緊急事態条項』新設に向けて事がかなり進展している様子をうかがわせた(参考:参議院会議録情報 第190回国会決算委員会第2号【URL】http://bit.ly/296OgEJ)。

(※16)2015年9月19日、閣議決定による憲法解釈の変更に始まり、形だけの「審議」と「採決のようなもの」を経て、多くの国民が反対を訴え続けてきた安全保障関連法案、いわゆる「戦争法案」が強行採決された。

 自民党のこうした暴挙に対し、志位和夫・日本共産党委員長は即日「野党5党1会派」の結束を呼びかけた。すなわち「全選挙区に独自候補を擁立する」という党の従来の原則をあえて曲げ「戦争法の廃止」および「日本に立憲主義・民主主義を取り戻すこと」で野党が合意すること、そのうえで安倍政権打倒のため選挙協力を行うことを訴えたのである。

 これを受けて、岡田克也・元民主党代表は9月25日、志位委員長と党首会談を行ったが、共産党の提案する『国民連合政府』構想に抵抗を示し、共闘は大きく出遅れることとなった。

 岩上安身は、2015年10月8日に共産党の志位氏に単独インタビュー。このインタビューの中で志位氏は、憲法改正について「憲法改悪に反対するのは当然です。ただ、今の私たちには、攻めの姿勢が必要です。安倍政権を倒して国民連合政府を作ることができれば、安倍政権の暴走をすべてストップすることができる。安倍政権をどんどん攻めていくことが重要です」と語った。

国家緊急権は、縛られる側が縛りを緩めてくれと言うに等しい権能~「お試し改憲」などとは不謹慎きわまりない態度!「備えあれば憂いなし」のごとき軽々しい話では決してない!!

樋口「憲法のなかに緊急事態条項を入れるということが、そもそもどういう意味を持つのか。問題を考えるうえでの前提、事柄の重大さ、そういったところからまずは入っていきましょう。

 今まで、メディアが『お試し改憲』(※17)という言葉を使ってきましたでしょう? 96条からいけば、まずはするっと門を入れるんじゃないか。ところが、これが当事者である改正論者としては意外にも強い抵抗にあって、これはダメだと(※18)。

 それじゃあどこの条文でもいいからとにかく手をつけよう、そのために一番抵抗のなさそうな入り口を探そう、というわけです。実は緊急事態条項も、そんな感じでちらほら言われていたのが始まりでした」

岩上「環境権と並べて、いかにも無難で画期的な条項のように思わせようとしていましたよね。特に、これは災害の時のためのものなんだ(※19)などと言われています」

樋口「ごく最近も、高村正彦副総裁が、何が一番やりやすいか、そこから国民の皆さんの意見を踏まえながら、といったような発言をしていました(※20)。しかし、そういう態度がまさに最も不謹慎なのであって、自分が提案している条項が立憲主義・民主主義の両方にとっていかに致命的な意味を持つか、全く意味を理解していない。そんな人々がたくさんいるのです」

▲高村正彦衆議院議員のホームページより

樋口「しかし、決して、何か緊急の事態が起こったときのために『備えあれば憂いなし』みたいな簡単な話ではありませんよ、ということを申し上げたい。

 憲法とは何か。ここ数年来の安倍政権のもとで生じた、様々に緊迫した事態のなかで、この点は国民のかなり広い範囲で認識が共有されるようになったんじゃないかと思います。憲法とは、国民主権のもとで、国民が作った権力それ自体を縛るものです。そうすることによって、国民の自由を保障する。それが憲法です。

 もとより、必要とされる場合に、その自由にいかなる限定をつけるべきかという問題はあります。だが、それはあくまでも例外です。憲法で保障した自由を制限する必要がある場合は、法律でもってする。それが適切かどうかは裁判所が判断する。大まかにいえば、こうした仕組みになっています。

 憲法の本領はあくまで権力を縛ることにある。従って、国家緊急権というものは、縛られる側が縛りを緩めてくれと言っている、そういう話なんですよというのが、まず一番のポイントです」

岩上「そうですよね。この問題を考えるうえでの前提となるような、根本的なポイントですね。鎖でつながれ監視されている立場の者が、それを課している側の人間に、いやあ、この鎖をお試しで解いてみてって、そんな間抜けな話があるか!って話ですよね」

樋口「まったく、おっしゃるとおりです。きわめて適切なおっしゃりようです」


(※17)お試し改憲:2015年3月22日、自民党の船田元・憲法改正推進本部長は時事通信はインタビューに応じ、党が構想する憲法改正プランについて次のような趣旨の発言を行った。

 「2016年夏の参院選後に憲法改正発議を目指すが、いきなり第9条は無理だろう。われわれはその前に『慣れる』ことが必要だと考えている。だから、第9条の改正は後回しにし、まずは各党の賛同を得やすい項目から段階的に改憲を進めるつもりである。

 具体的には、環境権創設、武力攻撃や災害時の緊急事態、財政健全化条項の三項目。その他、最高裁判所裁判官の報酬の減額を阻んでいる第79条や、私学助成で問題となっている第89条も対象にするか検討中だ」と。

 「お試し改憲」という言葉は、この船田発言が浮き彫りにしているように、一度でも憲法改正を経験すれば国民にとって改憲が「恐いもの』ではなくなり、ゆくゆくは「本丸」である第9条の改憲に対して国民の抵抗感を薄めることができるという自民党の考え方を指している(参照:「9条改正へ4段階論も=改憲全体15〜20項目想定―自民・船田元氏インタビュー」 時事通信、2015年3月22日)。

 本丸の9条を攻める、その「お試し」の段階ですでに「最強カード」である「緊急事態条項」が入っている点が、要注意である。

(※18)これはダメだ:第一次安倍政権において掲げた「任期中における第9条を中心とする改憲」が世論の反発を招き、退陣に追い込まれた自民党は、今度は第96条改正を突破口とした第9条改正を企図。

 すなわち、第96条に規定される改憲の発議要件「衆参各院の総議員の3分の2以上による賛成」を「過半数の賛成」に変更し、国会発議のハードルを下げようとしたのである。これに野党や憲法学者たち・政治学者たちが猛反発した。

 樋口陽一氏も、自らが代表を務める「96条の会」(2013年5月結成)発足シンポジウムの基調講演の中で「裏口入学にあたるやり方で、かりに改憲が成功しても一国の基本法としての正当性を持つことは到底できない。政治家としての、その発想自身が批判されなければならない」と、自民党の姿勢を厳しく批判した。こうした反発を受けて、自民党は第96条改憲を事実上断念することになった。

(※19)災害の時のためのものなんだ:2015年5月7日、衆院憲法審査会での討論の中で自民党は、2016年夏の衆院選後に憲法改正に向けた国民投票の手続を始めるため、各党の合意を取り付けやすい項目から改憲に着手する方針を打ち出した。そして、こうしたいわゆる「お試し改憲」の具体的項目として「環境権」「財政規律」「緊急事態」の3条項をあげた。

 「環境権」とは、個人が健全な生活を営むことができるよう、良好な環境を享受できる権利である。「プライバシー権」「知る権利」等とともに、時代の変化とともに現れた「基本的人権」の新しい形態のひとつとして、憲法への明記の是非が議論されてきた。

 「財政規律」とは、たとえばユーロ加盟国が締結するマーストリヒト条約の「原則として財政赤字はGDP比3%以下」という規約のように、財政を秩序正しく運営するための基準を定めた規定のこと。財政危機に直面していたギリシャ等を視察した船田元氏ら憲法審の与党メンバーが、時の政権が野放図に借金を拡大させることなく「財政の健全化」を堅持するように、条項として憲法に盛り込むべきだと主張した。

 そして「緊急事態条項」は、東日本大震災のような大災害に際して国が迅速に対処するため、また「憲法で任期が定められている国会議員の場合、任期満了直前に大災害が発生して選挙を実施できない事態が生じたときに、法律で任期を延長できない。あらかじめ憲法に何らかの規定を設け、緊急時に国会議員が存在しないということを避けるため」(船田元氏)、新設が必要だとした。

 自民党はこのように、彼らの押し進める改憲が、あたかも時代の変化に対応した、健全で平和な民主国家運営のためのものであるかのような様相をまとわせようとしたのである(参照:WEBRONZA『憲法改正に『お試し』はあり得ない(下)水島朝穂氏』【URL】http://bit.ly/29AztDO)。

(※20)2016年1月23日、高村正彦・自民党副総裁はテレビ東京の番組に出演し、自民党が押し進める改憲について次のような趣旨の発言を行った。

 「憲法改正と言っても、いろいろ条項があるわけで、何を改正するかという話が、憲法改正してもいいと言っている人たちの間で必ずしもまとまっていない。自民党自身だってまとまっていないと思う。(憲法改正にとって)何が一番必要かということと、(改正を)やりやすい所(から)何でもやればいいということもあります。私は、何が一番やりやすいか、ということから入ってもいいと思います」。

 この発言が報じられると、国民からは「無責任」「無理にやらなくてよい」「結論先にありきの態度」といった批判の声が挙がった(参照:「憲法、何を改正するかまとまっていない」自民・高村氏 朝日新聞、2016年1月23日【URL】http://bit.ly/29luZVO

(※21)憲法とは、国民主権のもとで、国民が作った権力それ自体を縛るものです。そうすることによって、国民の自由を保障する。それが憲法です:このような考え方の枠組みを「立憲主義」という。小林節氏は樋口氏との共著『「憲法改正」の真実』(岩波新書)の中で、「立憲主義」について次のように説明している。

 「憲法とはなにか。せっかくだから、読者に向けて説明をしておきましょう。法律は国家の意思として国民の活動を制約するものです。しかしながら、憲法だけは違いますよね。国民が権力に対して、その力を縛るものが憲法です。憲法を守る義務は権力の側に課され、国民は権力者に憲法を守らせる側なのです」[22]

非常事態に対処するため、国民の自由を一部制限する、だが制限しすぎないようにする道具立てを、われわれはすでに法律として持っている~これを憲法そのものに入れることは『右手で与えて左手で取り上げる仕組み』を確立することに等しい

樋口「やむを得ない理由で、国民の生命や安全、財産が脅かされるような事態、たとえば外からの攻撃が現実化するとか、内乱の危険があるといった場合、それから原発の事故といった大規模災害のような事態に対して、国民が作った国家の権力があらかじめ、対応の仕方を法律で定めておくということは十分うなずけることです。実際、私たちはそういう法律を持っています。

 例えば、災害対策基本法(※22)とか、それから武力攻撃事態国民保護法(※23)などです。後者については、もちろん批判や議論の余地は大いにありますが、ともかく、国民の自由を制限して、難局に対処する道具立てを、我々はすでに法律で持っているわけです。

 しかも、そうした法が実際に適用される場面で、国民の自由を制限しすぎていないか、あるいは違法でないかどうか、裁判所が判断することになっています。少なくとも建前上は、ですけれど。

 といいますのは、この裁判所の出番は、日本では今のところ、統治行為論(※24)といいまして、統治の根本あるいは高度に政治的な問題が争点になっている場合には裁判所は判断を行わない、というのが判例になっているからです。それはそれで大問題なんですけど、枠組みとしてはこのように、緊急の際は普通の法律の形で対処できるのです。

 ここ最近出てきたテロ活動のような、新しい種類の脅威にしても、どういうテクニカルな対応が必要か、また、今まで想定されていなかったような対処法を新たに設ける必要があるかどうか、それは法律のレベルで批判も受け入れながら絶えず見直していく、そういう問題なんですね。

 ところが、『緊急事態条項』を憲法そのものの中に入れるとなると、憲法自体が自由を制限する根拠になってしまう。つまり、国民の自由を制限することが、国家の権能として認められることになるわけです。

 そうすると、繰り返し申し上げているように『国民の自由を保障する。権力からの自由を権力にたいして保障し、権力に楔(くさび)をかける』、それがいわば憲法の役割の”その一”だとすれば、その憲法の役割”その二”として、『緊急の場合にはその楔が外れます』ということが、同じレベルで規定されることになってしまいます。

 実際、これは自民党が2012年の野党時代に作り発表した憲法改正草案の、色んな条文に当てはまることなのですが、第1項で自由を保障しておきながら、第2項で制限のほうを書く。いわば、右手で与えて左手で取り上げるような仕組みを、憲法レベルで用意することになるんですね。

 以上のことを前提にして、ではその憲法改正草案のなかでどのような規定が既に用意されているのか、具体的にお話しすることしましょう」


(※22)災害対策基本法:甚大な被害を出した伊勢湾台風(1959年)をきっかけに、国土並びに国民の生命、身体及び財産を災害から保護することを目的として1961年に制定された、全10章117箇条からなる法律。

 防災に関し、国、地方公共団体及びその他の公共機関を通じて必要な体制を確立し、責任の所在を明確にするとともに、防災計画の作成、災害予防、災害応急対策、災害復旧および防災に関する財政金融措置など、災害対策全般について詳細な規定を置く。

 また、防災活動に自発的に参加するよう努めるといった、住民による災害への備えや協力についても定められているほか、市町村長による避難勧告・避難指示の発令など、災害発生時の役割や権限も定めている。阪神大震災を契機とした1995年の改正では、市町村長でも自衛隊の災害派遣が要請できることが盛り込まれた(参照:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1Vr0X2E

(※23)「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」(通称「国民保護法」):武力攻撃や大規模テロといった、恣意的かつ悪意による災害から国民の生命・財産を保護することを目的として2004年に成立した、全10章194箇条からなる法律。主に国と地方公共団体の役割を規定する。

 これによれば、国は武力攻撃やテロ等の「緊急事態」に際して、国民保護のための方針を定め、警報を発令し、避難措置を指示する。一方都道府県は、住民に対する避難指示や救援活動を行うとともに、住民の避難・救援のために必要と判断される場合には、一定の範囲で私権を制限すること(私有地の一時的な提供、医薬品や食料の保管指示、交通規制など)が容認されるとされる(参照:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1Nwv4ht)。

(※24)統治行為論:「国家統治の基本に関する高度な政治性」を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、司法審査の対象から除外すべきとする理論のこと。

 「砂川事件」上告審判決(昭和34年)にあたり、時の最高裁長官・田中耕太郎が初めて用いて以来、裁判所が法令の違憲審査を回避するための法技術として説明され、知られるようになった理論である。

 在日米軍立川飛行場の拡張を阻止するため、地域住民が1955年から闘った「砂川闘争」は、1957年、危機的局面を迎えた。

 すなわち、デモ隊の一部が立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数メートル立ち入ったとして、学生や労働組合員23人が検挙、うち7人が日米安全保障条約に基づく刑事特別法違反の罪に問われ起訴されたのである(砂川事件)。

 東京地方裁判所裁判長判事・伊達秋雄は、1959年3月30日「日本政府がアメリカ軍の駐留を許容したのは、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、違憲である。したがって、刑事特別法の罰則は不合理なものである」と判定。全員無罪の判決を下したことで、大きな注目を集めた(伊達判決)。

 これに対し、検察側は高裁を通さず、最高裁判所へ跳躍上告。さらに、最高裁判所裁判長・田中耕太郎長官は同年12月16日「憲法第9条は日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」(統治行為論)として原判決を破棄、地裁に差し戻した。

 つまり「日米安保条約」の合憲性判断について、統治行為論と自由裁量論を組み合わせた変則的な理論を展開し、これを司法審査の対象外としたのである。

 以後、苫米地事件(昭和35年)や長沼ナイキ事件(昭和48年)、百里基地訴訟(昭和52年)など、日米同盟の憲法適否が問われる問題では『統治行為論』に基づいて裁判所が憲法判断を回避することが通常化することになった。

 なお、2008年以降の研究により、伊達判決を早期に破棄させるため日米両国政府間で秘密協議がされていたことが明らかになっている(参照:統治行為論、Wikipedia【URL】http://bit.ly/1DwE4hA

 矢部宏治氏はこの「統治行為論」について、著書『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)の中で、次のように説明している。

 「安保条約とそれに関する取り決めが、憲法をふくむ日本の国内法全体に優越する構造が、このとき法的に確定したわけです。だから在日米軍はというのは、日本国内でなにをやってもいい。住宅地での低空飛行や、事故現場の一方的な封鎖など、これまで例に出してきたさまざまな米軍の『違法行為』は、実はちっとも違法じゃなかった。日本の法体系のもとでは完全に合法だということがわかりました。ひどい話です」[44]

 岩上安身はこれまで、3回にわたって矢部氏に単独インタビューをしている。

改憲案第99条に『従わなければならない』の文言!!本来権力側を縛るものである憲法が、国民に服従の義務を課すように・・・!

樋口「まず、改憲案第98条はこのようになっています。『内閣総理大臣は、我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において、特に必要があると認めるときは、法律の定めるところにより、閣議にかけて、緊急事態の宣言を発することができる』。

 次に、99条の第3項では、『緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない』」

d8cf07ddb008460c64df794f22efe219186f8542

d70c37ba8467f428d6fd7743f102909a7e93f2cb
53c4d9d5e78f1357cf2e7525d4645a07104aa1e8

6d1ea3d1818a949c758362d4476bdcd5322264c4

岩上「『従わなければならない』。すごいですね、服従・従属の義務ですよ」

樋口「先ほども、緊急の場合に行政機関に色んな権限を与える色んな法律がすでにあると申し上げましたが、例えばそのうちのひとつ、武力攻撃事態国民保護法の条文には、国民の『協力』という言葉が出てきます。けれどもそれは『義務』とはされていない。『義務』とまでは言えない、その立法上の理由まで、きちんと説明されているほどです(※25)」

岩上「なるべく協力をお願いしたい、という姿勢ですよね」

樋口「ところが、今度は憲法レベルの規定に上げるとなると、同時に憲法上の義務になるというわけです」

岩上「しかもこれ、限定的ではないですよね。『国民の生命や身体及び財産を守るための措置』と言ってはいるけれど、それは戦争のため、内乱の鎮圧のため、ということになったら、全員の財産が守られるのかどうか分かったもんじゃないですよね。

 例えば、戦争遂行のため、みんなの財産を守るためと称して、ある人の財産は供出して取り上げるというようなことも起こり得るし、実際にかつて起こりました。財産だけでなく、人間の徴用とか徴発とか、そうしたことも(※26)・・・こう考えると、この条文はなにも限定していない。何を命令されるか分からない」

▲徴用・徴発を可能とする国家総動員法の成立を伝える新聞記事(1938年)

樋口「私は今はもう事実そのものを知りませんが、信頼できる新聞の報道によりますと、最近、緊急時の船の調達に関連して・・・」

岩上「はい。船員組合が反対した一件ですね(※27)」

樋口「現時点の法律のレベルでは、先ほども言いましたように、義務までにはなっていない。けれども、その現在においてすら、日本社会の法の運用のあり方からすると、法文上の義務ではなくともやらざるを得なくなるという心配が語られています。いわんや、かつての戦争の時は」

岩上「そうですね。輸送船等として出させられ、使われた」

樋口「船はもちろん、人命を含めて、莫大な損害を民間の船員たちが受けたわけでしょ(※28)。そうであるだけに、このセクションの人たちは、問題の重さ、この条文の持つ意味の重さといったことを、誰よりも切実に感じられるんでしょうね。国民に義務を課すというこの考え方のベースにあるものは、自民党改正草案の102条に述べられています」

ed6d70eef7f7bc8cd2c4b6306e88060c92aa371f

樋口「第一文目は、現行憲法にはない、新設された条文です。『全て国民は、この憲法を尊重しなければならない』と。なんか当たり前じゃないかとおっしゃるかもしれないけれども、現在の状態とつけ比べると、非常に意味がはっきりします。

 現在の条文では、天皇・摂政から始まって、およそ憲法のルールに従って公務に携わる人々、公務員法の公務員という意味ではなく、最も広い意味における『公務員』(※29)、つまり権力の側の人々が、この憲法を尊重擁護する義務を負うと書いてあります。『国民が』とは書いていない。

 それは、先ほどから繰り返しお話ししておりますように、憲法というものは『国民の側が権力の側を鎖でつなぐ』ものだからです。これは、アメリカ独立の時のジェファーソンの有名な言葉(※30)ですよね。だから、憲法には『国民は何何しなければならない』などという文言はなかった」

▲トマス・ジェファーソン(出典・WikimediaCommons)

樋口「国民の心構えならば、今の憲法の11条・12条に一般的なそれとして書いてあります(※31)。けれど、憲法の尊重擁護義務を定める日本国憲法の99条に『国民』は出てこない。あくまでも縛られる、鎖をつけられる立場の人々が、憲法の尊重擁護義務を負うというわけです。こういう書き方に、先ほどから繰り返しお話ししている憲法というものの本質的な意味合いが出ているでしょう? それを、自民党改憲草案は、いわば逆転しているわけですよ」

岩上「国民のほうを鎖でがんじがらめにしてしまおうということですね」

樋口「そうです。そういう思想、そういうものの考え方の転換の上に、先ほどの99条3項のような言葉が出てきているというわけです」

岩上「現行憲法の第99条には『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う』とあります。しかし全然、尊重も擁護もしていませんよね。おかしなことばかり起こっています。

 今上天皇は、憲法を尊重し擁護していますけど、本当に天皇だけだと思います。例えば、議員会館に入る際、『9条バッジ』をつけていると、それを外せって言われる(※31)んですよ!? 金属探知機の場所を通るのですけど、金属に反応しているという意味ではなく、9条バッジは、思想チェックで外されてしまうようなものにされている。信じられないようなことがいま横行しているわけです」

▲9条バッジ

樋口「ここまでは、いわば条文に即しながら、しかし抽象的に、国家緊急権を憲法に置くことの意味をお話してきましたけども、もう少し具体的に頭の整理をするために、ここから多少歴史をさかのぼって話をしてみたいと思います」


(※25)立法上の理由まで、きちんと説明されているほどです:「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律」第4条は、次のように、非常事態において国民は「協力』を求められること、ただしそれは「強制」されるようなものであってはならないことを定めている。

 「第4条 国民は、この法律の規定により国民の保護のための措置の実施に関し協力を要請されたときは、必要な協力をするよう努めるものとする。

 2 前項の協力は国民の自発的な意思にゆだねられるものであって、その要請に当たって強制にわたることがあってはならない。

 3 国及び地方公共団体は、自主防災組織(災害対策基本法(昭和三十六年法律第二百二十三号)第二条の二第二号の自主防災組織をいう。以下同じ。)及びボランティアにより行われる国民の保護のための措置に資するための自発的な活動に対し、必要な支援を行うよう努めなければならない」

(※26)財産だけでなく、人間の徴用とか徴発とか、そうしたことも:日中戦争に突入した日本政府(第一次近衛文麿内閣)は、1937年に「国民精神総動員実施要項」を閣議決定し、国民全員を戦争に協力させ貢献させる一大キャンペーンを展開。

 「挙国一致」「八紘一宇」「堅忍持久」の3スローガンのもと、国民の戦意高揚を図るとともに「国防献金」や「愛国国債購入」「一戸一品献納」など、国民が国家に経済的協力をも行わねばならないよう仕向けていった。

 戦争の激化・長期化が決定的となった1938年には「国家総動員法」が制定され「国防目的達成」のため国家のすべての人的・物的資源を政府が統制運用できる体制が整えられた。すなわち、戦争を遂行し勝利を収めるため、国家が国民を強制的に動員して一定の業務に従事させたり、財産や物品を強制的に取り立てたりできるようにしたのである。

 この法律によって、国のすべての資源、資本、労働力はもちろん、貿易、運輸、通信などの経済分野、さらには争議の禁止、言論統制など、国民生活におけるあらゆる領域が国家統制下に服すことを余儀なくされ、これを拒む者に対する罰則も強化された(参照:コトバンク【URL】http://bit.ly/2bUplLv)。

(※27)船員組合が反対した一件ですね:近年、日本の西南地域における有事を想定し、九州・沖縄の防衛を強化する「南西シフト」を推進するようになった防衛省は、武器や隊員を危険地域に輸送する船舶および操船者の不足を補うため、民間フェリーを有事の際に防衛省が使える仕組みを整備した。

 さらに、民間船員を海上自衛隊の「予備自衛官」(普段は別の職業に従事し、有事に召集される、自衛隊OBを含む志願制の自衛官)として採用するための費用を、2016年度予算案に盛り込んだ。

 こうした防衛省の計画に対し、2016年1月29日、全国の船員で作る全日本海員組合が記者会見し、「事実上の徴用で断じて許されない」とする声明を発表。「防衛省は強制はしないと言っているが、会社や国から見えない圧力がかかるのは容易に予想できる」と猛反発した。また、民間の船舶や船員の大部分が軍に徴用され、多くの船員たちの命が失われた太平洋戦争時の状況を紹介し、そうした悲劇を繰り返してはならないと訴えた(参照:船員予備自衛官化 「事実上の徴用」海員組合が反発 毎日新聞 2016年1月29日【URL】http://bit.ly/1RRsmZZ

(※28)1942年、国家総動員法に基づき「戦時海運管理令」が公布、施行された。船舶の国家管理、船員の徴用や管理、これらを担う船舶運営会の設置などを定めた勅令である。

 施行前にも内航船のうち1,000トン未満約300隻がすでに軍に徴用されていたが、この勅令により、100トン以上の汽船および150トン以上の機帆船が新たに国家の管理下に置かれることになった。

 だが、戦況が悪化するにしたがい、その対象は小型船にまで広がっていった。その結果、民間船舶や船員の大半が軍事徴用され、物資輸送や兵員の輸送等に従事させられることとなり、撃沈された民間船舶1万5518隻、落命した船員6万609人という、陸海軍軍人の死亡率をも大きく上回る甚大な被害を出した(参照:戦時海運管理令、Wikipedia【URL】http://bit.ly/2b8TFM8

(※29)公務員:一般的意味(狭義)における「公務員」とは、公選による議員(国会議員や地方議会議員)を除いた、それ以外の公務を担当する職員(国家公務員および地方公務員)を指す。さらに、国家公務員法は国家公務員の職を一般職と特別職に区分。同法の規定が適用されるのは一般職についてのみであり、特別職(大臣、副大臣、大使、公使、裁判官、国会議員、自衛官、失業対策事業労務者などの職がこれに指定されている)には適用されない(国家公務員法第2条)。

 一方、広義における「公務員」とは、任命、嘱託、選挙その他いずれの方法で選任されたかも、立法、司法、行政のどの部門に属するかも問わず、国または地方公共団体の公務に従事するすべての者を指す。日本国憲法における『公務員』とは、まさにこの意味におけるそれである。

 日本国憲法第15条は「公務員」は「全体の奉仕者」であり、その選定や罷免は「国民固有の権利」であると規定。すなわち「公務員」を「天皇の官吏」とした大日本帝国憲法の反省をふまえ「公務員」の究極の使用者は国民であること、国民の「公僕」であることが強調されている。

 従って、この意味における「公務員」には国会議員や地方議会の議員も含まれる。実際、日本国憲法第99条(『第99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』)には、「公務員」に該当する者として天皇、摂政、国務大臣、国会議員、裁判官が明記されており、そうした意味における「公務員」が憲法の尊重義務を負うと定めてある(参照:国家公務員法 条文【URL】http://bit.ly/29qY0g3

(※30)トーマス・ジェファーソン(Thomas Jefferson, 1743-1826):第3代アメリカ合衆国大統領(任期:1801〜1809年)を務めたアメリカの政治家。

 アメリカ独立宣言(1776年)の主要な起草者であり、イギリスの帝国主義に対抗し「自由の帝国」としてのアメリカ合衆国の理想を追求した、最も偉大な「建国の父」のひとりとみなされている人物である。

 政治党派としては、各州の独立性を維持し連邦政府の権限はできるだけ小さくあるべきとする反連邦派に属し、就任演説では武官に対する文官の優位、少数意見の尊重、信仰の自由、言論・出版の自由など、民主主義の原則を強く打ち出した。

 1798年、ジョン・アダムズ大統領(連邦党)のもとで制定された「外国人・治安諸法」(Alien and Sedition Acts)に反対して書いた政治声明「ケンタッキー州決議書」(Kentucky Resolutions)では、次のように、政治権力の専制化や政治の恣意的支配を憲法や法律によって防止・制限するという「立憲主義」の理念が端的に表現されており、日本でもしばしば引用される。

« that it would be a dangerous delusion were a confidence in the men of our choice to silence our fears for the safety of our rights; that confidence is every where the parent of despotism;〔…〕In questions of power, then, let no more be said of confidence in man, but bind him down from mischief by the chains of the Constitution. »

(『我々が選んだ者たちを信頼することが、我々の諸権利の安全に対する我々の懸念を沈黙させるようなことがあれば、それは危険な誤認であろう。信頼はどこでも専制の生みの親だからだ。〔…〕よって、権力の問題については、人に対する信頼などといったことをもはや言わせぬようにしよう。むしろ、憲法の鎖によって(権力を託した)人を拘束し、過ちを犯させぬようにしよう』)(参照:世界史の窓【URL】http://bit.ly/29uP4qD

(※31)日本国憲法第3章・第11条および第12条は、次のように、国民が自由権及び人権を保持する義務があること、またその濫用の禁止について規定し、人権保障の基本原則を定める。

 「第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」

 「第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」

(※32)多くの人々が戦争反対や憲法第9条の重要さを共有できるようにという願いを込めて、東京在住のデザイナーたちが制作・配布するようになった『9条グッズ』。『9』や『NO WAR』の文字をモチーフとしたタグやバッジ、Tシャツなどだが、日常生活にも溶け込むさりげないデザインは若者たちにも受け入れられている。

 ところが、この「9条グッズ」を身につけて通りを歩いているだけで職務質問された、あるいは、国会や議員会館への入館時に外す・隠すよう強制されたといった声が、昨年秋頃から相次ぐようになった。

 理由としては、「脱原発」「戦争反対」など「政治的なメッセージがあるもの」の着用・持ち込みは「示威行為にあたる」あるいは「主義主張が異なる個人の間などでの口論などトラブルを防止するセキュリティー確保の観点からご協力をいただいている」などがあげられるが、こじつけの感が否めない。

 所用で出向いた参議院議員会館で身につけていた「9条ストラップ」を外すよう言われ、その理由を尋ねると複数人の警備員に取り囲まれたうえ別室に連れて行かれそうになった体験を、自身のツイッターで報告している人もいる。

 こうした事態に対し、「こんな小さなタグが秩序を乱すわけがない」「表現の自由を奪う行為」「憲法第12条の『憲法が保障する権利は国民が不断の努力で保持しなければならない』という規定を無視するもの」などと、各方面から激しい批判が巻き起こっている(参照:9条タグ着用 国会、議員会館への入館✕ 東京新聞、2015年10月7日【URL】http://bit.ly/1L7iLGE

ナチスを生んだワイマール憲法第48条「大統領の非常事態措置権」の安易な模倣は許されない――その成立の歴史的背景をおさえる

樋口「20世紀の憲法の歴史と聞いて、多くの人が真っ先に思い浮かべるのは、かのワイマール憲法(※33)でしょう。第一次世界大戦でドイツは敗れました。敗戦の結果、帝政は崩壊し、国民主権をうたう新しい国家作りが始まります。日本でよく言われている表現を使うなら、『様々な社会的な綱領にも目を向けた新しいタイプの憲法』が誕生した。それが、ワイマール憲法というわけです。

 ところが、みなさんもご存知のように、他ならぬこのワイマール憲法のもとで、選挙を通してヒトラーの率いるナチスが国会の第一党になり、1933年には首相に選任されることになった。さらには、全権委任法(※34)を手にすることによって、誰も想像もしていなかったような新しい国家体制ができあがったわけです。日本もそれに与し、世界中を第二次世界大戦の大きな悲劇に引きずり込みました。

 こうした歴史のなかで、ワイマール憲法の第48条(※35)という条文がよく知られています。これは、大統領の非常事態措置権なのですね。要するに、大統領がなんでもできるようにする規定です。

 この48条は、当時のドイツの人々のあいだで『委任された独裁』(※36)と評されました。憲法がないところでの独裁なら、もちろん世の中にたくさんあったわけですけれども、これはデモクラティックな憲法によって、ひとりに権限が授けられる。独裁という言葉が使われていますが、まさにそういうことを可能にするような条文でした。

 だが、どうしてこのような条項が導入されるに至ったのか、その背景について、とりわけ現在の日本の今の状態と比べて、誰も真面目に考えていないのではないでしょうか?」

▲アドルフ・ヒトラー(出典・WikimediaCommons)

岩上「そうですね。考えているとしたら、総務大臣の高市早苗さんぐらいですよね。あの人は、テレビの番組の停波云々と発言したとき、テロに賛同したり扇動するような番組を繰り返し流し続けたような場合は、テレビの停波もありえるって言っているんです(※37)」

▲高市早苗総務大臣

樋口「ワイマール憲法ができた時のドイツの事情はこうです。1919年1月、ベルリンで武力蜂起が起こりました(※38)。カール・リープクネヒト(※39)とか、ローザ・ルクセンブルク(※40)は特に有名ですが、彼らが殺されたあの出来事です」

39fa0e5b7d2ce017bf43470b569628d9895614e0

▲カール・リープクネヒト

bfaf6aae4acc4569dd197ae9ac2720ef4ebd78d8

▲ローザ・ルクセンブルク

岩上「これは革命ですよね?」

樋口「革命です」

岩上「そして、失敗する」

樋口「そうです。共産主義革命をうたうグループが武力蜂起し、失敗する。それを受けて成立したのがワイマール憲法なんです。

 当時の情勢としては、1917年に世界で初めての社会主義体制がソビエトとして成立する(※41)。このロシア革命の『衝撃』は、全世界を揺るがした。それこそジョン・リードの『世界を揺るがした10日間』(※42)じゃありませんけど、そういう緊迫した状況にあって、しかもローザ・ルクセンブルクたちの武装蜂起が鎮圧された。すると、ほどなく今度はヒトラーが出てくる。これがまた、ヒトラー自身がいったん牢屋に入れられるという」

岩上「彼も武装蜂起したんですよね。ミュンヘン一揆といいますね(※43)」

▲ミュンヘン一揆に参加したナチス党員たち(出典・WikimediaCommons)

樋口「要するに、ドイツは右派左派両方の内戦を経験するんです。そういう深刻な事情を背景に作られたのが48条なのです。そういうことを忘れてはいけない。

 ワイマール憲法のもとでの議会、すなわちワイマール議会は、いわゆるワイマール連合(※44)という政党連合が取り仕切って、どうにかこうにかワイマール憲法の体制を維持した時期もあるんですけれども、そこへ例の1929年の世界恐慌(※45)がドイツを直撃する。しかも、ベルサイユ条約による過酷な賠償金の取り立て(※46)があったただなかのことでした。

 そんな中、左の側に共産党、右の側にナチスというのが出てきて、議会で安定した多数派ができない状態が続くことになります。法律を作ろうにも、いわば中間政党が細っていって、右と左が非常に強くなってきますから、一つの多数党、多数派連合ができない。となると結局、憲法48条の非常事態措置権、大統領令に頼らざるを得なくなっていく。これは麻薬みたいなもので、一回手を出すと・・・」

岩上「依存してしまいますもんね」

▲ワイマール連合(ヴァイマル連合)と他党との関係

(岩上安身による東京大学教授・石田勇治氏インタビュー用資料より)

樋口「典型的な依存症になります」

岩上「繰り返し、使われたんですか?」

樋口「はい。繰り返し使われ、それが平常化してしまう(※47)。政治家はもちろん、議員政治家たちも麻痺しますし、なによりも、主権者国民自身がそういう状態に麻痺してしまう。それがヒトラーの台頭を許してしまう結果になった。

 ヒトラーがはじめて議会に大きな勢力として登場した時から、1933年の全権委任法に至るまでの3年半の間に、4回の選挙があったんです。4回も選挙が繰り返されたにもかかわらず、いや、繰り返されたからこそ、選挙にも麻痺したのか、これに反発することができないほど、主権者であるはずの国民たちの、政治への意思というものが摩滅してしまいました。これが、歴史の教訓なのです」

岩上「なるほど。今日の日本でも、ここの部分は重なりあいますね。日本は内乱状態にあるわけじゃないですけどね」

樋口「2012年から2016年まで、ちょうど3年半じゃないですか。期せずして、ヒトラーの時と同じく、この3年半の間にすでに3回、大きな国政選挙がありました。やがて、4回目がきます。5回目になるのかもしれないという、たいへん恐ろしいことまで取り沙汰されています。だからといって、そういう暗示にかかるべきではないですけども、ともかく、ここは歴史の教訓を忘れてはならない局面だということです」


(※33)「ワイマール憲法」:第一次世界大戦末期の1918年、戦況の悪化とロシア革命の影響のもとでドイツ革命(十一月革命)が起こり、ドイツ帝政は崩壊。これに代わって「ドイツ共和国」が成立した。翌1919年2月には、総選挙で選ばれた国民議会がワイマール(チューリンゲンにある小都市)に召集され、新しい憲法の制定へ向けて審議を始める。同年7月、議会が「ドイツ共和国憲法」を可決、翌8月の大統領の認証を経て公布・実施されることとなった。

 「ワイマール憲法」とは、制定へ向けての審議が行われた地にちなみ、この「ドイツ共和国憲法」を慣習的に指し示す呼称である(同様に、その時代のドイツ共和国も『ワイマール共和国』と呼ばれる)。国民主権主義の原理に立脚し、男女の普通選挙による議会政治、国民の直接選挙で選ばれる大統領制を採用したことに加え、生存権、労働権、労働者の団結権などの社会権の保障、経済活動の自由と財産権を制限付きで保障するなど、社会国家的色彩の濃い、当時としては革新的な憲法であり、その後の民主主義諸国に強い影響を与えた(参照:コトバンク【URL】http://bit.ly/2b8UTam)。

(※34)「全権委任法」:ナチス政権下のドイツで1933年に制定された「民族および帝国の困難を除去するための法律」の通称。立法府が立法権や憲法改正権を行政府に委譲する「授権法」の一種であり、ヒトラーに強大な権力を掌握せしめると同時に、ワイマール憲法を事実上死文化させた、悪名高い法律である。

 前文および全5条から成り、国会に代わり立法権を政府に与えること(第1条)、政府立法が憲法に優越すること(第2条)、大統領に代わり首相が法令認証権を得ること(第3条)、議会の合意を得ず政府は外国と条約を締結できること(第4条)、公布と同時に発効、政権交代とともに失効すること(第5条)が規定されていた。

 国会に対する通告義務や国会による政府措置の破棄権限の条項が存在しないなど、この法律は従来の授権法と引き比べても異質な法律であるとされる。さらに、制定の手続についても、欺瞞や恐喝による同意の取り付け、左翼議員の逮捕など、明らかな違法行為による立法であったことが明らかになっている(全権委任法:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1SLJXPK

 東京大学教授の石田勇治氏は著書『ヒトラーとナチ・ドイツ』(講談社現代新書)の中で、この「全権委任法」が成立した過程について、次のように説明している。

 「ヒンデンブルクは、たとえ表面的でも合法性にこだわる人物だった。そのため、この問題で神経質になり、大統領緊急令による統治をいつまでも続けるわけにはいかないと考えるようになっていた。そこで浮上したのが授権法だったのである。授権法により、国会の立法権を政府に付与し、強い政府を作ればよい、とヒンデンブルクは考えた。国会は有名無実となるが、ヒンデンブルクはかねてより議会政治からの決別を望んでいた」[154]

 岩上安身による石田氏へのインタビューは、下記URLより視聴することができる。

(※35)ワイマール憲法第48条は、大統領の非常措置権限として、国家緊急権(国家の平和と独立を脅かす急迫不正の事態または予測される事態に際し、一刻も早い事態対処が必要と判断される場合において、憲法の一部を停止し『超法規的措置』によってこれらの危機を防除しようとする権能)を定めていた。

 すなわち「ドイツ国内において、公共の安全および秩序に著しい障害が生じ、またはその虞れがあるときは、ドイツ国大統領は公共の安全および秩序を回復させるために必要な措置をとることができ、必要な場合には、武装兵力を用いて介入することができる。この目的のために、ドイツ国大統領は一時的に第114条〔人身の自由〕、第115条〔住居の不可侵〕、第117条〔信書・郵便・電信電話の秘密〕、第118条〔意思表明の自由〕、第123条〔集会の権利〕、第124条〔結社の権利〕、および第153条〔所有権の保障〕に定められている基本権の全部または一部を停止することができる」(ワイマール憲法第48条2項)。

(※36)「委任的独裁」:ドイツ・ワイマール時代の法学者・政治学者であるカール・シュミット(Carl Scmitt, 1888-1985年)による有名な評言。

 シュミットは著作『独裁――近代主権論の起源からプロレタリア階級闘争まで』Die Diktatur : von den Anfangen des modernen Souveränitats gedankens bis zum proletarischen Klassenkampt (1921年)の中で「専制政治」と「独裁」との相違を共和制ローマの例に照らしながら分析。「独裁」を、非常時に現行法規を侵犯するもの、つまり既存の法秩序を回復するという具体的目的に従属し、目的達成のあかつきには当然終了する例外的事態であると定義した。

 さらに、シュミットは「独裁」を「主権的独裁souveräne Diktatur」と「委任的独裁kommissarische Diktatur」とに二分。フランス革命におけるロベスピエールのように、主権者である人民からその権限を委託され、現行法秩序を全く超越して成立する革命権力である「主権的独裁」に対し「委任的独裁」は、憲法に定められている「非常大権」のような権限に基づき、合法的に現行憲法の機能を一時停止して秩序の回復を図る独裁、すなわち「立憲的独裁」であるとした。ワイマール憲法第48条における非常時独裁権は、この『委任的独裁』の例である。(カール・シュミット『独裁』http://amzn.to/2crMfHf)

(※37)テロに賛同したり扇動するような番組を繰り返し流し続けたような場合は、テレビの停波もありえるって言っているんです:政府・自民党によるメディアへの介入・圧力が問題視されるなか、2016年2月8日の衆議院予算委員会において、民主党の奥野総一郎議員が与党による放送法の恣意的運用に懸念を表明しつつ、高市早苗総務相に対して「政権に批判的な番組を流しただけで業務停止が起こりうるのではないか」と質問。高市総務相はこれに答え「政治的公平性を欠く放送が繰り返された場合、放送法第4条違反を理由に、電波法に基づき放送局へ電波停止を命じることがある」と発言した。

 さらに、翌9日の予算委員会においても「憲法9条に反対する内容を相当時間にわたって放送したら電波停止になる可能性があるのか」との民主党・玉木雄一郎議員の質問に答え「自分が総務相でいる間はないだろうが、将来にわたってまでそうではない保証はない」と、電波停止を命じる可能性を重ねて肯定した。

 これに対し「放送事業者の表現活動を過度に萎縮させる」「憲法第21条(表現の自由の保障)に違反する」「政権による言論統制」等々と、激しい批判の声が各方面から巻き起こった。

 こうした国民の反応に驚愕した高市総務相は、ただちに(10日)自身のHPで弁明を展開。今回の「電波停止命令」発言は単に民主党議員の質問に答えただけであり、自ら進んでそのような意志を述べたわけではないと強調しつつ、それでも「万が一、不幸にも<極端なケース>が生じてしまった場合、たとえば『テロリスト集団が発信する思想に賛同してしまって、テロへの参加を呼び掛ける番組を流し続けた場合』のような『リスクに対する法的な備え』として『電波停止』は必要である」と述べている(参照:高市早苗HP【URL】http://bit.ly/29ptccx

(※38)ベルリン蜂起:1918年11月3日のキール軍港での水兵暴動に端を発し、ドイツ各地に波及した「十一月革命」によって第二帝国は倒れ共和国が成立するが、これを率いる社会民主党(SPD)は伝統的なエリート層を温存した社会秩序の維持を指向し、独立社会民主党(USPD)の離反を招いた。

 さらに、USPD内にあって共産主義革命を目指すスパルタクス団は、1919年年頭からドイツ共産党(KPD)を名乗り、革命の継続を目指す。1月5日、USPD党員でただ一人政権にとどまっていたベルリン警察長官アイヒホルンが解任されたことにより20万人規模のデモが発生。新聞局占拠、バリケード構築が行われる中、8日、USPDとKPDは「革命委員会」を設立、その呼びかけにより50万規模のゼネストが行われる。

 同日、SPD党首で臨時政府首班の地位にあったエーベルトは一連の動きを「スパルタクス蜂起」と名付け、義勇軍(フライコール。帝国瓦解により正規の軍隊が機能停止状態に陥った中で作られた志願者による軍事組織)による鎮圧を命令。デモやゼネストは武力で解散させられ、なお抵抗する兵士・労働者との市街戦も12日に終結した。

 数千人の犠牲者を出したこの出来事の直後、1月19日に行われた総選挙は高投票率を記録、社会安定を切に望む多くの国民によってSPDは信任を受けた(参照:世界史の目―Vol. 189―戦間期のドイツ社会主義・後編【URL】http://www.kobemantoman.jp/sub/189.html

(※39)カール・リープクネヒト(Karl Liebknecht、1871-1919):ドイツ社会民主党(SPD)創設者の一人であったヴィルヘルム・リープクネヒトの次男。1910年SPDに入党、以後、党内左翼急進派の先鋒として活動する。第一次大戦では、党の戦争協力政策に反対し離党、1916年1月、ローザ・ルクセンブルクらとスパルタクス団を組織する。

 1918年11月の革命時にはSPDとの協力を拒み、ドイツ共産党(KPD)を結成。1919年1月の蜂起に参加して捕えられ、同月15日、ルクセンブルクとともに義勇軍によって虐殺された(参照:コトバンク【URL】http://bit.ly/2b7CbF1)。

(※40)ローザ・ルクセンブルク(Rosa Luxembourg、1871-1919)は、当時のロシア領ポーランド生まれ。十代半ばから政治活動に身を投じ、スイス亡命(チューリッヒ大学で学ぶ)を経て1897年ドイツに移住、たびたび逮捕・投獄されながらも、社会民主党左派および国際社会主義革命運動(第2インターナショナル)の理論的指導者の一人として活躍する(著書『経済学入門』『資本蓄積論』等)。ベルリン蜂起鎮圧後の1919年1月15日、リープクネヒトとともに捕えられ、銃床で撲殺され運河に投げ込まれた。実行犯たちはその後特定され審問を受けるが、同年5月無罪となった(Wikipedia【URL】http://bit.ly/29MIPeU

(※41)ロシア革命:帝政ロシアは連合国として第一次世界大戦に参戦した。ドイツ、オーストリアとの激戦により国内が疲弊した1917年3月(ロシア暦では2月)、首都ペトログラード(現ペテルブルグ)での「戦争反対」「専政政府打倒」を訴えるストライキが全国に波及、皇帝が退位し共和政政府が成立した(二月革命)。

 このとき成立した臨時政府は議会制民主主義を指向するブルジョワ政権だったが、労働者・農民・兵士が組織するソヴィエト(ロシア語で『会議』の意)は戦争の即時停止を求め、政府と鋭く対立した。そして11月(ロシア暦では10月)、4月に亡命先のスイスから帰国していたレーニンがボリシェヴィキ(工場労働者を主体とする革命勢力)を率いて臨時政府を打倒(十月革命)、一連の改革を押し進め、マルクス=エンゲルスが綱領化した「プロレタリア独裁」を史上初めて出現させる。

 孫文ら世界の革命指導者たちには歓喜を、反共産主義者たちには恐怖をもって迎えられたこの出来事ののち、レーニンは1919年3月にコミンテルン(第三インターナショナル)を立ち上げ、世界革命を呼びかけた。各国の共産党はコミンテルンの下部組織として中央の指令のもとに政府打倒のための活動を行っていくことになる(参照:世界史の窓・二月革命/三月革命(ロシア)【URL】http://bit.ly/2bFULR)。

(※42)ジョン・リード(John Silas Reed、1887-1920)はアメリカ合衆国のジャーナリスト・社会主義者。メキシコ革命(1914年)の報道により声価を確立し、第一次大戦ではロシアを含む東ヨーロッパ戦線を取材。1917年8月に妻とともにロシアに渡り、ペトログラード(現ペテルブルグ)でのボルシェビキ蜂起に立ち会う。

 その経験をもとに帰国後書き上げた『世界を揺るがした10日間』Ten Days that Shook the World(1919年)は、ロシア十月革命を間近から描いたルポルタージュとして好評を博し、レーニンも後の版に序文を寄せた。ロシア語、ドイツ語はじめ各国語に翻訳され、1946年と68年には邦訳も刊行されている。

 その後リードはアメリカ共産党を結成し、三度ロシアに渡るが、チフスに罹患し客死、クレムリンに葬られた(参照:コトバンク【URL】http://bit.ly/2buorEU)。

(※43)ミュンヘン一揆:1923年11月8日から9日にかけてバイエルン州ミュンヘンで起きた、アドルフ・ヒトラー首謀によるクーデター未遂事件。ベルサイユ条約によって課された過酷な賠償はワイマール共和国の政治基盤を不安定なものとせずにはおかなかった。1923年2月、賠償義務の一部不履行を理由として、フランス、ベルギーがルール地方を占領する。

 政府は『消極的抵抗』、すなわち公務員および労働者の就業拒否を指示し、紙幣を増刷して給与を補償したので、空前のインフレが発生した。

 1919年にドイツ労働者党としてミュンヘンで結党、翌年ドイツ国家社会主義労働者党と名を改めた通称ナチスは、中央政府への不満を背景に、バイエルン州で党員3万人を擁する政治勢力に成長していた。突撃隊と称する独自の軍事組織を持ち、他の国家主義団体を糾合する動きも見せていた。

 このバイエルン州で、州総督カール、州在駐の師団司令官ロッソウ、州警察長官ザイサーの三名が、ムッソリーニ『ローマ進軍』(1922年10月)のひそみにならった『ベルリン進軍計画』を公然と語らう。これに乗じ、第一次大戦の英雄エーリヒ・ルーデンドルフを担いで新政府樹立を企てたのがナチスのヒトラーである。

 11月8日、ビヤホールでの演説会に集ったカール以下三名を突撃隊が包囲、いったん協力をとりつけるが、彼らの寝返りにより、翌9日の蜂起はあえなく鎮圧された。

 一揆の指導者たちは逮捕され、ヒトラーは禁固刑に服した。この事件によりナチスは一時活動停止を命じられるが、ヒトラーの大衆的人気はかえって増し、一揆が簡単に鎮圧された経験は、ヒトラーが武力革命から、言論・演説・選挙という民主的手段による政権奪取へと戦術を転換する契機となった(参照・Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bunQ6d

(※44)ワイマール連合:1919年1月、ベルリン蜂起鎮圧後の国民議会選挙で第一党〜第三党の地位を占めたドイツ社会民主党(SPD)、中央党、ドイツ民主党(DDP)の三派による連立内閣の呼称。うち中央党は、現在のドイツ政権党であるキリスト教民主同盟(CDU)の前身で、カトリック教会の利害を代表したため信者層からの安定した支持を保つ。DDPは議会主義に立脚しつつ社会政策を重視し、大資本経営者、中間層の支持を受けた。

 この三者が連携して連合国との戦後和平交渉にあたるとともに、ドイツ革命後の処理、ワイマール憲法の制定を行った。1923年以降はシュトレーゼマンの率いる保守政党ドイツ人民党(DVP)も連立に加わった(参照:コトバンク【URL】http://bit.ly/2a7AxDb

(※45)1929年の世界恐慌:第一次世界大戦後、戦勝国であり唯一国内が戦場とならなかったアメリカ合衆国は、世界最大の債権国となる。貿易黒字に加え、ヨーロッパ諸国の戦時国債の償還も始まり、大量の資金がウォール街に流れ込んだ。

 ウォール街の金融資本はこれを低利で企業に貸し付け、企業は設備投資に資金を投下、賃金も上昇し、自家用車や家電製品が急速に普及、大量生産・大量消費社会が現出した。

 だが1920年代後半になるとヨーロッパ経済が復興し、輸出は頭打ちとなる。企業は売れ残った商品の在庫を抱え、収益もマイナスに転ずる。こうして実体経済の不況が始まっていたが、庶民が株式に手を出していたため、株価は異常な高騰を続けた。

 そして1929年10月29日『暗黒の木曜日』に大暴落が始まる。株価は7分の1に下落、破産者が続出し、現金を下ろそうと人々が銀行に殺到したため、銀行も資金が枯渇して営業停止に追い込まれる。銀行から資金を調達できなくなった企業の連鎖倒産も始まり、倒産しなかった企業も大規模な人員解雇を始める。この恐慌はソ連を除く世界各国に波及したが、とりわけ深刻な影響を被ったのがドイツだった。

 ドイツは戦後アメリカからの投資で経済復興を進め、賠償金支払いを行っていた。しかし世界恐慌が始まると、アメリカの金融資本は海外に投資していた資金を一斉に引き揚げてしまう。ドイツは点滴を外された患者さながら、たちまち多くの企業が倒産し、失業率は50%に迫る。それまで賠償金の支払いと協調外交を進めてきた社会民主党政権は、国民の支持を失った(参照:ダイヤモンド社書籍オンライン『経済は世界史から学べ!茂木誠・第13回”『不況なのに株価が上がる』恐ろしさ”『経済成長→世界恐慌』のメカニズム』【URL】http://diamond.jp/articles/-/68543)。

(※46)ベルサイユ条約による過酷な賠償金の取り立て:1918年11月11日の休戦後、戦勝国である米・英・仏・伊の4カ国を中心に、ドイツを排除して講和条件の策定が進められた。米大統領ウィルソンは当初「公正な講和」という自らの理念にもとづき、行き過ぎた懲罰に反対したが、仏首相クレマンソーは国内の反独世論を背景にドイツの国力を削ぐための過大な制裁を要求、英首相ロイド・ジョージも、戦費や債務をドイツからの賠償で補うという目論みからこれに同調した。

 こうして提示された案にドイツは無論反発したが、連合国側は武力攻撃をも辞さないとの強硬姿勢を貫き、ドイツ政府(ワイマール連合)が最終的に受諾、1919年6月28日にベルサイユ条約が調印される。条約には敗戦国ドイツが履行すべき領土および植民地の割譲、船舶の譲渡、物納による賠償(建築資材、家畜、石炭等)について事細かに規定されていたが、賠償金については別途賠償委員会が定めることとしており、1921年5月にいたって、1億3200万金マルクという金額が決定された。

 これはドイツの1913年の国民総所得の2.5倍という莫大な額で、これを30年間にわたり、しかも外貨で支払うことがドイツに課せられた。こうしたあまりに過酷な賠償を課すことについては反対意見もあり、とりわけイギリスの経済学者ケインズは1919年12月の時点で『平和の経済的帰結』The Economic Consequences of the Peaceを著し、盲目的な反ドイツ感情がもたらしうる危険について警鐘を鳴らした(参照:ヴェルサイユ条約、Wikipedia【URL】http://bit.ly/1gMiocm)。

(※47)それが平常化してしまう:1925年、初代大統領エーベルトの死去を受けて行われた大統領選で、第一次世界大戦時、タンネンベルクの戦いでロシア軍に勝利し国民的英雄となった77歳の退役元帥ヒンデンブルクが、ブルジョワ・保守派・右翼勢力一丸となった支持を受け、ワイマール連合の候補者を僅差で破り就任した。

 ヒンデンブルクは「売国奴」と罵られていたシュトレーゼマン外相を庇護するなど、支持層の期待を裏切る穏健な政策を推進し、国際連盟加盟を実現する(1926年9月)。ドイツ経済も徐々に復興したこの時期には、議会の多数派連合により議院内閣制がかろうじて機能していた。

 しかし世界恐慌後の1930年3月、失業対策をめぐる対立からミュラー(社会民主党)の大連立内閣が瓦解して以後、ドイツは「大統領内閣」の時代に入る。ヒンデンブルクが憲法53条(大統領の首相任免権)に基づきブリューニングを首相に任命、9月には議会の翼賛化をねらい議会解散を命じるが、総選挙はナチスと共産党が躍進する結果となる。もはや議会の協力を望みえないブリューニングは、主として緊縮財政とデフレーション政策を盛った62もの法案を憲法48条第2項に規定された大統領緊急令として通過させた。ブリューニング退陣後(この間、1932年4月の大統領選でヒンデンブルク再選)も、パーペン内閣(1932年6月〜12月)、シュライヒャー内閣(1932年12月〜33年1月)と、この手法は引き継がれ、続くヒトラー首相による全権委任法成立によってワイマール共和国は事実上の終焉を迎えることになる(参照:パウル・フォン・ヒンデンブルク、Wikipedia【URL】http://bit.ly/1fzn7h9

 石田勇治氏は『ヒトラーとナチ・ドイツ』の中で、ヒンデンブルクについて次のように説明している。

 「超党派性を矜持とし、政党政治から距離をとるヒンデンブルクが愛着を抱いたのは、自ら名誉会員に名を連ねる在郷軍人会・鉄兜団のような旧軍人たちの愛国主義団体、ナショナリスト団体だった。ヒンデンブルクが、ヴァイマル共和国に代わる新たな国づくりの担い手として期待を寄せたのは、こうした伝統的な保守派・右派勢力であった」[120]

 「大統領緊急令とは、ヴァイマル憲法(第48条)が定める大統領権のひとつだ。『公共の安寧と秩序』が著しく脅かされるなど国家が危急の事態に陥った場合、大統領はその事態を克服するために『必要な措置を講ずる』ことができたのだ。大統領緊急令は法律に代わるものとみなされたから、首相が大統領を動かして緊急令を発令できれば、首相は国会から独立して国政にあたることができた。しかも非常時に関する明確な規定がなく、大統領はこれを自らの責任で解釈する余地があった」[121]

「外国はみんな緊急事態条項を持っている」のロジックの安易さ~ドイツ基本法における『緊急事態条項』は、過去の苦い経験をふまえるとともに、連邦の歴史と特質に即して何重にも安全装置をめぐらした詳細な規定

樋口「このように、国家緊急権のような規定があると、麻薬のように乱発によって断ち切ることができなくなるから危険なわけです。しかし世間には、あるいは国会の今の政府与党の側には、外国はそういう規定をみんな持っているじゃないかと反論する人がいます(※48)。

 ところが、そんな簡単な話ではないのです。たとえば、現在のドイツ連邦共和国は、戦後、まず西ドイツとして出発したわけですけれども、このドイツ連邦共和国の憲法(※49)には、日本国憲法と同じく、もともと緊急事態のルールは憲法に1カ条もありませんでした(※50)。ワイマール憲法48条の苦い経験がありましたから。そこへ、1968年、ひとつの転機が起こって、直訳すれば『防衛出動事態の際の対処』という規定が導入されます(※51)。

 ただしこれは非常に詳細な規定でして、過去の教訓をふまえて、どんな緊急の時でもこの発動には、事後承認ではなく、国民の代表を関与させるということで一貫しています」

岩上「つまり、その宣言を出すときに、国会の承認が絶対に必要というわけですね」

樋口「もちろん、緊急事態を想定しているわけですから、数多くの議員が集まれない、定足数を満たさない、ということも起こりうる。そのような時のために、あらかじめ両院合同の委員会(※52)を作ってあります。

 両院といっても、日本の両院制とはちょっと違いまして、まず日本の衆議院にあたる連邦議会(ブンデスターク)(※53)、それから『連邦参議院』(※54)と訳されているもの。これは日本の参議院とは違って、各『ラント』(※55)、日本では『州』と訳されますけれど、その代表たちで構成されます。忘れてはいけないのは、ドイツの州というものは元々、19世紀には全て独立国だったことです」

▲ドイツ連邦議会(ブンデスターク)の議場(出典・WikimediaCommons)

岩上「そうですね」

樋口「そういう意味での『両院』ですけれども、正規の両院が集まれない場合でも、必ずこの両院合同委員会を集めなくてはならない。繰り返しますけれども、どんな場合でも、このように、緊急事態措置の発動には国民代表が関与しなくてはならない。10カ条にわたる規定が憲法の中に導入されました。

 それから、両院合同会議のための、日本流に言えば『章』を作る。これは1カ条ですけれども、そういう周到な仕掛けになっています。

 大事なことは、今のドイツはあくまでも連邦制だということ。つまり、先ほども少し触れましたけれども、元は独立国であったそれぞれの州が、それぞれの独自の国家機関を持っているわけです。だからこそ、緊急の場合には中央、つまり連邦政府に権限を吸い上げる必要が確かにあるということです。日本とは、全く条件が違います」

岩上「ものすごく中央集権の強い国ですものね」

樋口「はい。日本の場合はむしろ逆に、そういう場合こそ地方の実情に即した対応を、法律レベルなら法律なりで授権しておく必要があるのかもしれません」

岩上「阪神大震災や東日本大震災のような、未曾有の大規模災害でも、実はそこから少し離れるだけで、その影響を受けてない地域がある。被災エリアというものは、こうしてローカルにとどまりますから、とりわけ被災直後の一番大事な時期、必要な支援物資についての情報や手配も中央があれこれやるのではなくて、むしろ市町村や県の権限を強めて、こっちでやるほうがいいということですよね」

▲阪神大震災で崩落した阪神高速道路(出典・WikimediaCommons)

▲東日本大震災の津波で破壊された大船渡市(出典・WikimediaCommons)

樋口「はい。しかも、現在のドイツの緊急事態条項は、憲法に入れられたその時代的背景も日本とは全く違います。これが導入された1968年は、まだ東西和解が成っておりませんでした。アジアではもちろんですけど、ヨーロッパでもそうでした。人為的な国境線を隔てて、東ドイツと対立状態にありました。もちろんその背景には、当時高揚していた米ソ冷戦があったわけですが(※56)。ベルリン危機が1960年代のはじめでしょ(※57)。

 今の韓国では南南対立(※58)という言葉があるそうですが、要するに、南の内部で、北に対する政策上の基本的スタンスに対立があるというものです。外部から見てもそれほど対立があるようには見えませんけれども、いずれにしても、その南南対立につけ込まれてはいけないと、今の大統領(朴槿恵)も語っていましたね(※59)」

▲韓国の朴槿恵大統領(出典・WikimediaCommons)

岩上「宥和か強硬策かという対立ですか?」

樋口「太陽政策(※60)と強硬策です。歴代の政権自身がそうした違ったニュアンスで北に対してしてきたわけですから、当然のことですよね。ドイツの場合も、東に対する対処の仕方に関しては、ヴィリー・ブラントの東方外交(※61)がありました」

▲ウィーリー・ブラント(出典・WikimediaCommons)

岩上「デタントへの道ですね」

樋口「それに対して、早まるな、というのもあった。つまり、ワイマール憲法48条のときと同じように、68年のドイツも内側で矛盾を抱えていたんです」


(※48)外国はそういう規定をみんな持っているじゃないかと反論する人がいます:たとえば西修・駒沢大学名誉教授(2014年7月における集団的自衛権行使容認の閣議決定にさいし、これを合憲とした数少ない憲法学者のひとりであり、安倍政権の理論的支柱として知られる人物である)が、産経新聞【中高生のための国民の憲法講座】第6講「『世界唯一の平和憲法』は誤り」に寄せた次の言葉は、<外国はどこも緊急事態条項を有して国家の危機に備えている。だから日本も有するべきである>というロジックの端的な一例である。

 「平和条項は多くの憲法に取り入れられてきていますが、それ以上に多くの国の憲法に規定があるのが、国家緊急事態対処条項です。国家緊急事態対処条項とは、国が外部からの武力攻撃を受けた場合や大規模災害などの緊急事態が生じた場合、それに対処するための条項のことです。国家の最大の任務は、国の独立を守り、国民の生命・身体・財産を保護することです。平和が侵されないためには、ふだんからどのような措置を講じておく必要があるのか、万一、平和が侵されればいかにして平和を回復すべきかは、どの国でも最大の関心事です〔…〕平和条項を入れるとしても、国家緊急事態対処条項とセットで組み合わせるのが、各国憲法に共通しているといえます」(参照:産経新聞【URL】http://bit.ly/2b9hzYw

 樋口氏はこのような大規模災害を受けての国家緊急権の導入について、自著『いま、「憲法改正」をどう考えるか』(岩波書店)の中で次のように批判している。

 「東日本大震災の折の政府の対応が批判されるべきであったのは、『それをしようとしたのに法令上の制約のためできなかった』のではなく、政府(その他関係者)の日常からの準備の欠落と適切な判断力の不足によるものだったことは、にがい国民的体験となっているはずである」[113]

(※49)ドイツ連邦共和国基本法:ドイツ連邦共和国の憲法。1949年、西側のアメリカ・イギリス・フランスの三国の要請を受けて、旧西ドイツで制定。東西ドイツが再統一されるまでの「暫定的な」憲法(当初、東西ドイツ再統一のさいに、改めて憲法を制定することとされていた)という意味を込めて、「憲法」ではなく「基本法」と呼ばれる。

 草案の審議が行われた旧西ドイツの首都ボンにちなみ、しばしば「ボン基本法」とも呼ばれる。しかし、1990年の東西ドイツ再統一後も新たな憲法は制定されず、ドイツ連邦共和国基本法は、全ドイツに適用される最高法規としていまなお維持されている。

 特徴としては、次の諸点が挙げられる。

・国家目的を「民主主義に基づく社会福祉国家」と規定しつつ、ワイマール憲法において詳細に規定されていた社会権の実現を議会に委ねる。

・自由主義・民主主義を基礎理念とし、これを防衛する義務を国民に課す。すなわち、全権委任法の制定によりナチスの合法的な政権獲得を許した過去を教訓として、表現の自由や結社の自由などの基本権を濫用する者に対しこれらの基本権の剥奪を規定。また、そうした敵対者に対して、他に防衛手段がない場合は、国民は抵抗する権利を有するとされる(抵抗権)。

・連邦主義を採用。すなわち、大統領は連邦議会と各州議会代表の連邦総会で選出。しかもその権限は大幅に制限され、代わって首相の権限を強化。政権の安定を図る。

(※50)もともと緊急事態のルールは憲法に1カ条もありませんでした:1948年8月に専門委員会が起草したドイツ連邦共和国基本法の草案には、緊急事態に関する条項も含まれていた。すなわち、草案の第111条として『公共の秩序と安全に対する差し迫った危険』に対処するため、連邦政府は緊急命令を発することができる。これによって、言論、出版、集会、結社の自由および通信の秘密の基本権を停止しうるという規定が盛り込まれていたのである。しかし、この草案第111条はワイマール憲法の反省から削除され、ドイツ基本法から欠落することになった(参照:清水隆雄『ドイツ緊急事態法の制定過程とNATO軍』【URL】http://bit.ly/2bFUSws)。

(※51)「防衛出動事態の際の対処」という規定が導入されます:ドイツ連邦共和国(西ドイツ)は1968年、憲法にあたる「ドイツ連邦共和国基本法」の改正(第17次改正)を行い、緊急事態に関する規定を有することになった。「ベルリン危機」に代表されるような、東西冷戦構造による危機的状況下においてではなく、むしろ緊張緩和がうたわれたこの時期、ドイツは自力で緊急事態に対処できる法制を整備することを通じて、西側三カ国からの自立を目指したのである。

 とはいえ、ワイマール憲法の失敗から、その発動によって国家が独裁政治に陥らないための安全弁を幾重にも張り巡らしたうえでの導入であった。

 そこでは「緊急事態」はワイマール憲法のように包括的に規定されるのでなく、細かく類型化される。

 まず「対外的緊急事態」と「対内的緊急事態」とに大別され、さらに前者は「防衛事態」(115a条〜115条l)「緊迫事態」(80a条1項)「同盟事態」(80a条3項)の三つのカテゴリーに、後者は「憲法上の緊急事態」(87a条4項、91条)および「災害事態」(35条2、3項)の二つにそれぞれ分類され、各々の場合について詳細な要件や手続、効果が定められている。

 国家防衛のための戒厳令に相当する「防衛事態 Verteidigungsfall」の場合、次のような規定が設けられている。

 まず、要件は連邦領域に武力攻撃が加えられた、もしくはその危険が迫った場合であり、その認定は連邦政府の申し立てに基づき、連邦議会および連邦参議院の同意を得て行う(115a条1項)。

 緊迫した状況下にあって連邦議会の集会や議決が行えない場合は、両院の議員で構成される合同委員会にその権限が与えられる(115a条2項)。

 ヴァイマル憲法のもとで、大統領による解散権の濫用によって議会が機能不全に陥った反省から『防衛事態』の発動中は連邦議会の解散を禁じる規定も設けられているとともに(115h条3項)、連邦憲法裁判所とその裁判官の地位と任務の不可侵も定めてあり(115g条)、憲法の規範性の維持に対する配慮もなされている。

 そうして『防衛事態』が確定されてはじめて、軍隊に対する命令権・指令権の、連邦国防大臣から連邦首相への移動(115b条)、ラントの専属的立法事項に対する連邦の競合的立法権の取得(115с条1項)、緊急立法の手続(115d条)といった統治機構上の措置をとることができる。

 さらに、職業の自由(12a条)、移転の自由および住居の不可侵(17a条2項)、通信の秘密(10条2項)、移動の自由(11条2項)といった人権に対しても一定の制限または変更を加えられるが、併せて国民に『抵抗権』を保障する規定(20条4項)も盛り込まれており、緊急事態のさいに政府が権限を濫用できない仕組みも整えられている(参照:『『非常事態と憲法』に関する基礎的資料』平成15年2月衆議院憲法調査会事務局【URL】http://bit.ly/2bGtuzj

(※52)両院合同委員会Gemeinsamer Ausschuss:ドイツにおいて、連邦が武力において攻撃された、または攻撃される危険性が差し迫っている場合、政府は下院である「連邦議会」に申し立てを行い「連邦議会」は投票数の3分の2の多数、かつ、少なくとも総議員の過半数の賛成を得るとともに、上院である「連邦参議院」の同意を得て「防衛事態」の確定を行うが、「連邦議会」の集会に著しい障害が生じた場合はこれに代わり「連邦議会」および「連邦参議院」の代表から成る委員会にその権限が与えられる。

 この委員会が「両院合同委員会」であり、ドイツに緊急事態の対処法を導入した1968年の「ドイツ連邦共和国基本法」第17次改正のさいに「第4a章」(第53a条のみで構成)として規定が盛り込まれた。

 それによると「合同委員会は、その3分の2〔32名〕を連邦議会議員、その3分の1〔16名〕を連邦参議院代議員をもって組織する。その連邦議会議員は、会派の議員数の割合に応じて、連邦議会が決定するが、その議員は、連邦政府の構成員であってはならない。各ラントは、自ら任命する1名の連邦参議院代議員をもって、その代表とするが、これらの代議員は、指示に拘束されない」。

 これら「合同委員会」の議員たち48名は、冷戦終結前、敵国の核攻撃にあっても国家機能を存続させるためにつねに首都ボンにとどまっていることが要求されたほか、有事には専用ヘリコプターでアール渓谷にある核シェルターに向かう手はずとなっていたという(参照:「『非常事態と憲法』に関する基礎的資料」平成15年2月衆議院憲法調査会事務局【URL】http://bit.ly/2bGtuzj)。

(※53)「ドイツ連邦議会」Bundestag:国民の直接選挙で選ばれる議員からなる、ドイツ連邦共和国の議会。もうひとつの議会である「連邦参議院」との対比において「下院」と称されることもある。

 定数は原則的に598名、任期は4年。解散あり。選挙制度としては小選挙区比例代表併用制を採用、有権者(選挙権年齢・被選挙権年齢ともに18歳以上)は小選挙区候補者に投じる票と、州単位の政党に投じる票の、計2票によって代表者を選ぶ。

 連邦首相の選出、法案の先議権、大統領の訴追、憲法裁判所の構成員の選出等の権限を有するほか、常任委員会(議院から付託された案件の処理)、特別委員会(個別の事案について設置)、調査委員会(不祥事等の問題の解明のために設置)、調査会(重要な事案について広く情報収集を行う)等の委員会を擁し、さまざまな事案の処理に当たる(参照:『主要国の議会制度』国立国会図書館調査及び立法考査局 2010年3月【URL】http://bit.ly/2bcO89m)。

(※54)「連邦参議院」Bundesrat:ドイツ連邦共和国を構成する16州の各州政府の意思を、連邦政府の政策に反映させるための議会。

 もうひとつの議会である「連邦議会」との対比において「上院」とも呼ばれるが、それとは異なり、国民による選挙で選ばれた議員では構成されず、各州政府が人口に応じて決まった議席数(たとえば、人口200万以上の州は4票、600万以上の州は5票、700万以上の州は6票の表決権)の代表者を送り出すことによって成り立つ。

 通常は各州の首相もしくは閣僚が出席。よって任期という概念はなく、審議する法案によって代表者が入れ替わる。ドイツ連邦共和国基本法の形成法案、および州に関する法案の審議と議決を行うことが、その主要な任務である(連邦参議院:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bcNwR5)。

(※55)ラント:ドイツ連邦共和国は、16のラント Land(州)から構成される連邦国家である。各州は中世以来の独立した王国を起源とし、各々独自の歴史と文化を担ってきた。

 神聖ローマ帝国の時代におけるヴュルテンベルク公国およびバーデン辺境伯領を継承する南西部のバーデン=ヴュルテンベルク州。

 10世紀に神聖ローマ帝国によってバイエルン大公国が設立されて以来、南部ドイツの主要な領邦として影響力を持ち続けてきたバイエルン王国を引き継ぐバイエルン自由州。

 プロイセン王国の州を受け継ぐとともに、フランス・ベルギーと領有を争ったルール地方を擁しつつ、国内トップの人口密度と工業地帯を保有しながらドイツ経済を牽引してきたノルトライン=ヴェストファーレン州、等々。

 首都ベルリンや中世以来の自由都市を起源とするハンブルク、ブレーメンは、各々単独で州としての行政権限が認められており、「都市州」とも呼ばれる。

 こうした州は、各々主権を有し、独自の州憲法、州議会、州政府および州裁判所を擁する国家Staatであり、特に基本法(憲法)に定めのない限り、国家の権限の行使および任務の遂行は州の所管とされる(基本法第30条)(ドイツの地方行政区分:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bunRGX)。

(※56)米ソ冷戦があったわけですが:第二次世界大戦におけるナチス・ドイツ軍の無条件降伏(1945年5月8日)後、ドイツは米英仏ソの連合国四カ国軍によって占領。中央政府の不在および軍政開始を宣言するベルリン宣言(6月5日)を経て、以後東西ドイツ成立(1949年)までの期間、同四カ国による分割統治が実施された。

 ヤルタ会談(1945年2月)においてあらかじめ決定されていた方針に従い、1937年12月31日の時点で存在した国境内を東部地区、北西地区、南西地区、西部地区の四地区に分割、それぞれソ連(最高司令官:ゲオルギー・ジューコフ)、イギリス(バーナード・モントゴメリー)、アメリカ(ドワイト・D・アイゼンハワー)、フランス(ジャン・ド・ラトル・ド・タシニ)の占領地区とされ、ベルリンもこの四カ国の間で分割・管理された。

 同時に、四カ国軍司令官の共同運営による管理理事会が置かれ、ドイツの統一性を維持しつつその完全な非ナチ化、民主化を推進するための共通の指導を行う方針であったが、各占領区域の軍政当局は事実上、地方住民に対してめいめい異なった方針の政策を実施。

 1948年6月には、ソ連の意向に反して西側三か国が新通貨ドイツマルクの発行および自由価格制導入を強行したため、ソ連による対抗措置(「ベルリン封鎖」)とともにドイツは東西に分断された。

 かくして1949年、西側連合国占領地域にドイツ連邦共和国、ソ連占領地域にドイツ民主共和国が誕生するのだが、この連合国軍政期に実施された懲罰的政策(「統合参謀本部命令1067」ドイツ国民に対する一切の支援を禁止する)や強制連行、強制労働等によって、ドイツ国民は深刻な貧困と混乱に直面することとなった。

 また、食糧難に乗じてドイツ人女性に肉体関係を強要する米兵もおり、それによって生み出された多くの私生児、とくにアフリカ系黒人兵士との混血児およびその母親たちは、軍政終了後も長く悲惨な状況に置かれた(参照:連合軍軍政期 (ドイツ)、Wikipedia【URL】http://bit.ly/2brCuqk

(※57)ベルリン危機:1949年、ドイツが西側連合国占領地域のドイツ連邦共和国(西ドイツ)とソ連占領地域のドイツ民主共和国(東ドイツ)とに分割されたことに伴い、ベルリンもまた東西に分割された。

 とはいえ、ベルリンは全域が東ドイツ内部に含まれていたため、米英仏の占領地域に当たった西ベルリンは、周囲を東ドイツに囲まれた飛び地――そこから「赤い海に浮かぶ自由の島」と呼ばれた――となっていた。

 東西ベルリンを通行する道路もたくさんあったほか、地下鉄、近郊電車も普通も運行されるなど往来も比較的自由であったため、毎年大量の東ドイツ国民がベルリン経由で西ドイツに大量流入するようになった。

 これに危機感を抱いた東ドイツ政府は、1961年8月13日、軍を出動させて東西ベルリン間にある道路すべてを遮断したのち、境界線沿いに鉄条網を敷設。

 この際、東ベルリン市民の間にパニックが起こったが、軍はそのまま壁の建設を押し進め、2日後には石造りの壁の建設が始まる。「ベルリンの壁」である。

 東ドイツ軍による西ベルリン奪取の可能性を考慮した米英仏の西側三カ国は、8月20日、西ドイツ領内の基地から西ベルリンへ向けて軍隊を派遣。この際、東側との軍事衝突が懸念され、緊張が一気に高まったが、西側部隊は無事に西ベルリンに到着。その後フルシチョフからこの件に関する後退声明が出され、危機は回避された。

 だが、壁の建設により東西ベルリンの分離は固定化され、西側が構想していたドイツ再統一は遠のくことになる(参照・ベルリンの壁:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2b782Xr)。

(※58)「南南対立」: 韓国メディアで「南南葛藤」と呼び慣わされる現象を指す。6.15南北共同宣言以後、韓国内では、対北朝鮮政策や南北統一のための方法論をめぐる保守・進歩両陣営の対立が表面化する。

 共同宣言の翌年、2001年に平壌で開かれた「8.15民族統一大祝典」に韓国側代表団311人が参加するが、その一部が「祖国統一3大憲章記念塔」での式典に参加したこと(記念塔は北朝鮮の「高麗連邦制」統一案を象徴する建造物とみなされ、参加自粛が要請されていた)、また、参加者の一人である姜禎求東国大学校教授が金日成の生家万景台訪問のさいに「万景台精神」を讃える言葉を記帳したこと(姜教授は帰国後国家保安法違反で逮捕される)が報道され、代表団が帰国した8月21日、金浦空港には、警官2300人余が配備される中、賛否両論を主張する各種市民団体らが押しかけた。この事件により国内問題としての「南南葛藤」の存在がメディアをにぎわすこととなった。

 「反共を基盤とした冷戦的思考と脱冷戦的思考の対立,金大中政府の対北朝鮮包容政策に対する支持可否に対する葛藤」と目される「南南葛藤」は、その後「イデオロギー的・政策的対立を越え,地域感情と階級および世代間の葛藤,そして国内政治の力学関係が重畳的にかみ合って拡大再生産されている実情である」(朴貞憙)という(参照:朴貞憙 韓国における北朝鮮政策をめぐる市民団体間の対立構造―『天安艦沈没事件』を事例として― 『立命館国際研究』24-1(2011)【URL】http://bit.ly/2b8V19W

(※59)今の大統領(朴槿恵)も語っていましたね:韓国の現大統領朴槿恵は、2013年2月の就任以来「韓半島信頼プロセス」をうたい、北朝鮮への人道支援や経済協力を通じて平和統一をめざす政策を推進した。

 しかし2016年1月から2月にかけての北朝鮮による核実験とミサイル発射を受けた2月16日の国会演説において、こうした宥和政策から強硬策への転換を意味する、開城(ケソン)工業団地(北朝鮮との共同運営事業)からの撤退と在韓米軍の高高度ミサイル防衛体系(THAAD)配備に向けた議論の開始を表明する。

 中央日報日本語版によれば、この演説で大統領は「北が各種挑発で混乱と国内葛藤を助長し、我々の国論を分裂させるための宣伝・扇動を強化する可能性もある」とし「そうであるほど国民の団結と国会の一つになった力が北の意図を阻止できる唯一の方法だと考える」と述べた。

 さらに、「我々が内部でこのように揺れれば、それはまさに北が望むものとなる」と指摘し「いま我々全員が北の無謀な挑発を強く糾弾し、北の無謀な政権が核を放棄するようにしても足りない状況で、我々の内部で刃先を向け合って内部を分裂させることは決してあってはならない」と述べた(参照:中央日報日本語版 朴大統領「北の挑発に屈服して一方的支援すべきでない」(2016年2月16日)【URL】http://bit.ly/2bDkRUT)。

(※60)太陽政策:韓国が北朝鮮に対するにあたって、イソップ寓話の『北風と太陽』になぞらえ、軍事力によるのではなく、人道援助、経済援助、文化交流、観光事業を深めることで、将来の南北朝鮮統一を図ろうとする外交政策。

 1953年の南北朝鮮分断確定後、朴正煕政権における「先建設後統一政策」、盧泰愚政権における「北方政策」がこうした方向性をもつものだったが、「太陽政策」が本格的に推進されたのは金大中政権の下においてである。

 1998年政権の座についた金大中大統領は、2000年6月に金正日との南北首脳会談を実現し、6.15南北共同宣言を締結、金剛山観光事業、開城工業団地事業、京義線と東海線の鉄道・道路連結事業という対北朝鮮三大経済協力事業が進められた。

 続く盧武鉉政権も太陽政策を継承したが、2008年に発足した李明博政権は対北朝鮮政策を転換、南北間の緊張が高まり数度の軍事衝突が生じた(参照:太陽政策、Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bGtNdg)。

(※61)ヴィリー・ブラントの東方外交:日本と同様、戦後連合国軍の軍事占領を受け、ドイツは国際社会では「敵国」としてつねに警戒の目を向けられることになった。

 1990年9月12日に「ドイツ最終規約条約」(通称『2+4条約』)によって東西再統一を、そして1994年には米英仏ソ四カ国の駐留軍完全撤退を実現し、国家としての主権を完全に取り戻した。

 そこに至るまでの半世紀を俯瞰するとき、この国家の歴代首相は並々ならぬ努力を外交に注ぎ、一歩一歩、周辺諸国の信頼を勝ちとってきたことがよくわかる。

 なかでも第四代連邦首相ヴィリー・ブラント(1913年-1992年)は、その「東方外交」によって東欧革命や東西ドイツ再統一の基礎を構築し、国際社会の緊張緩和・平和推進に貢献した人物として知られる。

 初代連邦首相のコンラート・アデナウアー(1876-1967年)は、1951年に西ドイツの外交主権が回復するや、フランスをはじめとする旧連合国との和解へとただちに乗り出した。北大西洋条約機構への加入も成り、ソ連や東側諸国とも国交を結ぶ。とはいえ、冷戦のまっただ中にあって、東ドイツおよびこれを国家承認したソ連以外の国家とは交流を持つに至らなかった。

 こうしたアデナウアーの外交方針――ハルシュタイン原則――を乗り越えたのが、1969年に首相に就任した、ドイツ社会主義労働者党(SAP)のヴィリー・ブラントである。

 ブラントは1970年、訪問先のポーランドにて、首都ワルシャワにある『ゲットー英雄記念碑』(1943年にワルシャワ・ゲットーのユダヤ人レジスタンスたちが起こした、ナチス・ドイツに対する武装蜂起を記念するモニュメント)に拝跪、献花しつつ、ナチス・ドイツ時代のユダヤ人虐殺について謝罪の意を表明。

 さらには、国境問題を構成していた東プロイセン領を放棄し、オーデル・ナイセ線を承認するなど、ポーランドとの関係正常化に努めたのであった。

 同年には、前政権がその存在自体を否定してきた東ドイツの首相、ヴィリー・シュトフと会談。初の東西ドイツ首脳会談を実現したほか、その翌々年の1972年には東西ドイツ基本条約を締結し、互いに主権国家として承認し合うに至る。

 そして、こうした一連の外交が、ドイツが「敵国」のレッテルを事実上返上することに大きく貢献したのであることは、「コマンテール国際連合憲章(国連憲章逐条解説書)」における、第一〇七条(『敵国条項』)の項目の、次のような文言からもよく見てとれる。

 『次に検討する外交の実践が示すように、ソ連を含む連合国は、第107条に基づく権利を今では、少なくとも西ドイツとの関係においては、放棄したように思われる。』『実際、西側諸国は、西ドイツをその軍事的政治的同盟体制に入れることを決定することにより、第53条と第107条の受益を放棄した〔…〕このような断念は、たしかに北大西洋同盟諸国のみに関するものであり、ソ連は拘束されない。〔…〕しかし、東方政策(Ostpolitik)の諸条約は、1970年代以降、西ドイツと東側の隣国との関係において、第107条を――第53条も――無効にした』(下巻p.700-703)(参照:『コマンテール国際連合憲章』アラン・プレ、ジャン=ピエール・コット共編、中原喜一郎、斎藤恵彦監訳、東京書籍)

 この『コマンテール国際連合憲章』における「敵国条項」の解説について、矢部宏治氏は『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル)の中で次のように指摘している。

 「1970年代の東方外交の結果、ドイツに関しては、敵国条項は事実上、死文化しているということです。ところがその一方、日本についての記述はどこにもないのです!つまりこの本の著者や編者たちは、日本に対する敵国条項の効力は、依然として存続している可能性が高いということを言外に教えてくれているのです」[237-238]

フランスは緊急事態に法律で対処~パリ同時多発テロを受けて、オランド政権が憲法規定に格上げを画策するも、混乱を生み出しただけに終わった!

樋口「外国にだって緊急事態規定はあるじゃないかという議論は、折りに触れ出てきますから、もう一つだけ付け加えておきましょう」

岩上「『102カ国あるぞ』なんて言っていますよね(※62)」

樋口「去年(2015年)の11月13日にパリで大きなテロが起こりましたね(※63)。あれをオランド大統領は『戦争だ』と言いました(※64)。けれども、非常に軽率な発言であって、およそ一国の、それこそ元首が言うべきことではありません。あれは大規模なけしからん犯罪事件であって、戦争ではない。

 しかも、あの事件を奇貨(※65)として、日本でも緊急事態の対応に関する規定が必要だという議論が出ましたよね(※66)。今でも続いているかもしれませんが」

▲パリ同時多発テロ事件の現場となったレストラン(出典・WikimediaCommons)

▲フランスのオランド大統領(出典・WikimediaCommons)

岩上「はい。まさにそうなっていると思います。『惨事便乗型改憲』(※67)という感じです」

▲ナオミ・クライン『ショック・ドクトリン~惨事便乗型資本主義の正体を暴く』

樋口「フランスでは実際どのようにそうした事態に対処しているかというと、それは法律によってです」

岩上「憲法上の戒厳(※68)とかではない?」

樋口「ではありません。1955年に制定された法律(※69)なんですが、当時アルジェリアで、人々がフランスによる植民地支配からの解放を求めて蜂起が起こった(※70)。それがやがて、大規模なアルジェリアの独立戦争を展開していくことになるわけですが、その時の法律で対応しているんです」

岩上「事実上、宗主国とアルジェリアという植民地との戦いなんだけれども、表向きは、フランス国内で起こった内戦とか内乱ということになるわけですね?」

▲アルジェリア独立戦争(出典・WikimediaCommons)

樋口「今回の事件も、同じパターンです。内戦、内乱へ発展する可能性をはらむ。もちろん、今回発動された緊急事態宣言についても、やり過ぎだという批判がいち早く上がりました。とりわけ、今のような運用の仕方だと、フランス国民が一体となってテロに対処すべきなのに、逆にイスラム系のフランス国民をいたずらに追いやることになる(※71)。それは一番深刻な事態です」

岩上「実際、令状もなく大規模な捜索が行われているとのことですね。それこそ何百件とかの単位で、おそらく千件を超えて」

樋口「はい。現に、いくつかフランスの行政裁判所が、それは違法だという判決を出しています(※72)。とにかく、法律でやっているんですよね。法律でやっているから、行政裁判所も場合によっては救済の判断を出します」

岩上「これは違法だよ、と。人権は守らなくちゃいけないという、憲法の規定を前提として、このやり方はダメだよと判決が下されるわけですね」

樋口「ところが、少し立ち入りますけれども、今の社会党政権、オランド政権は、この1955年の法律を憲法に格上げしようとして、その手続を始めたんですよ。しかし、そのために一緒に入れようとした他の条文が火種となって、与野党を斜めに分断するようにして、賛否が分かれてしまった(※73)。

 だから、与野党一致どころか、与党の中が分裂し、野党の中でも対応がまちまちになるという、混乱状態を逆に引き起こしているんです。憲法改正にはかなり詳細なルールが定められていますから、手続きは始められたとはいえ、ルール通りやろうとするとおそらく棚上げになるんじゃないかと思われるほどの混乱ぶりです」

岩上「フランスでは、真っ当で健全な批判が、言論界からちゃんとあがっているということですよね」


(※62)「102カ国あるぞ」なんて言っていますよね:自民党が2012年4月27日に「日本国憲法改正草案」を発表して以来、これを擁護する産経新聞は「1990年から昨年までに憲法を新たに制定した100カ国は、すべて緊急事態条項を定めている。国家には必ず置くべき条項だといえるだろう」(産経新聞・金曜討論『緊急事態条項』西修氏)「駒沢大の西修(にし・おさむ)名誉教授(73)の調査では、1990年から2011年夏までに制定された99カ国の新憲法のすべてに緊急事態条項が備わっていた」(サンケイビズ『憲法改正 重み踏まえ行動を』2014年5月10日)などと、折りにふれて西修・駒沢大学名誉教授の「調査結果」を紹介。

 諸国が有する国家緊急権を日本が持たないのは理不尽であるというロジックによって、自民党による緊急事態条項新設の正当化に努めてきた。

 最近もまた、パリ同時多発テロ事件(2015年11月13日)に直面したフランスの対応(非常事態宣言および対テロ作戦の遂行)を賞賛しつつ、次のように西修氏の最新の『調査結果』を紹介している(2015年11月19日付記事)。

 「西修・駒沢大名誉教授の調査によると、1990~2014年に制定された102カ国の憲法の全てに、国家非常事態に関する規定があった。しかし、日本の憲法にこうした規定はない。大規模テロに際してフランスのような措置を取ろうにも、居住・移転の自由や財産権、通信の秘密といった権利の制限は困難だ。憲法の枠内で緊急立法するとしても国会審議が必要で、機動的な対応は難しい」(参照:産経新聞【URL】http://bit.ly/240wv16

 しかし、西氏があげる「102カ国」は、いずれも新興独立国や発展途上国であり、先進国、特にアメリカとイギリスには「緊急事態条項」は存在していない。「緊急事態条項」が存在するフランスとドイツでも、国家緊急権は容易に発動できないようになっている。

(※63)パリ同時多発テロ事件:2015年11月13日、フランスのパリ市街および郊外のサン=ドニ地区の商業施設において、イスラム国の戦闘員とみられる複数のグループによる銃撃および爆発が同時多発的に発生。死者130人、負傷者300人以上の被害を出した。

 まず21時ごろ、男子サッカーの独仏戦が行われていたスタッド・ド・フランス(オランド大統領も観戦していた)の入り口付近および近隣の飲食店で爆弾が爆発。実行犯と思われる4名が自爆により死亡、1人が巻き添えになった。

 次いで21時30分ごろ、パリ10区および11区の4カ所の飲食店で発砲事件が発生。ここで多くの人々が犠牲となった。

 犯行グループはさらにバタクラン劇場を襲撃。コンサートの観客に向けて銃を乱射したのち、人質を取って立てこもったが、翌日未明、フランス国家警察の特殊部隊が突入し実行犯1人を射殺、2人は自爆により死亡。だが、ここでさらに観客89人の死亡者と多数の負傷者を出した。

 オランド大統領はただちに非常事態(état d’urgence)を宣言。以後フランスは、対外的にはアメリカなどとも連携したイスラム国空爆の強化を、国内では道路封鎖、令状なしの家宅捜査、物品の押収や人の拘束など「緊急状態法」に基づく諸措置を取りつつ「テロ対策」を強化していくことになる(参照:パリ同時多発テロ事件:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1PQkKV9)。

(※64)オランド大統領は「戦争だ」と言いました:パリ同時多発テロ事件の翌朝(2015年11月14日)、オランド大統領はテレビを通じて国民に次のように語りつつ、犯行はイスラム過激派組織によって計画されたものであること、そうした「野蛮人らに対してフランスは無慈悲な態度で臨む」構えであることを表明した。

 『昨日パリとサン=ドニで起こった出来事は戦争行為である。そして、戦争行為に対して、国家はそれにふさわしい決断を下さねばならない。それはダーイッシュ、このテロリスト軍が、我々がそうであるところの自由で全世界と対話を行う国家に対して犯した戦争行為である。これがそうした外部組織の共謀によって周到に計画された戦争行為であること、蛮行以外のなにものでもないことを、今後の調査が証明することになろう』

 さらに11月16日、オランド大統領は、ベルサイユ宮殿で開催された両院合同会議にて「フランスは戦争状態にある」と改めて強調。国境警備の強化や防衛費の拡大、そして、テロ対策関連法の強化の必要性を訴えた。

 さらに、犯行グループが属していたとみられる過激派組織「イスラム国」への空爆を強化するため、アメリカやロシアの協力を要請するほか、事件直後に発した非常事態宣言を3ヶ月延長するとともに治安部隊を5000人増やし、容疑者の捜索や拘束を行う権限を強化する意向を明らかにした(参照:Le Monde【URL】http://bit.ly/1WS08S3)。

 なお、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロの直後から、「WAR!」という言葉がひとり歩きしたことと同様の事態である。アメリカのブッシュ大統領(当時)も、「9.11」直後に「対テロ戦争」の可能性を示唆していた。

(※65)奇貨:珍しい品物のこと。『史記・呂不韋伝』が伝えるエピソード――成功した趙の商人・呂不韋が、ある日、趙国の人質として惨めな境遇に陥っていた秦の公子・子楚を目撃。「これ奇貨なり。居るべし(これは珍しい品物だ。ここで買っておけば、後でいいことがあるかもしれない)」と言いながらこの敵国の王子を助けた――にちなみ「いま自分にとって無価値・無関係であっても、ここでうまくとらえておけば、将来自分に利をもたらすことが見込まれる事柄や機会」という意味の言葉として用いられる(参照:コトバンク【URL】http://bit.ly/2bmJNCj

(※66)日本でも緊急事態の対応に関する規定が必要だという議論が出ましたよね:2015年11月13日のパリ同時多発テロ事件を受けて、フランスが非常事態宣言を布告、当局の権限を強化し対テロ作戦を推進していることについて、たとえば産経新聞などは、ただちに「『国家緊急権』が憲法や法律に設けられているから」こその、しかるべき対応であると賞賛する記事を掲載。

 「(日本の)憲法には同様の規定は存在せず、『テロとの戦い』の欠陥となっている」などと読者の危機感を煽り、自民党が推進する緊急事態条項の新設を擁護する論陣を張った。同時に、安倍政権の支持団体である「日本会議」のメンバーもまた「ヨーロッパのみならず日本にとってもイスラム過激派によるテロは『今そこにある危機』」「緊急事態に対する国家としての構えとも言うべき緊急事態法制」の導入が急がれるなどと、しきりと喧伝するようになった(参照:日本政策研究センターHP【URL】http://bit.ly/2brHMCc

(※67)惨事便乗型改憲:カナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインの著作 『ショック・ドクトリン――惨事便乗型資本主義の正体を暴く』(2007年。日本語訳は2011年刊行)を下敷きとして、3・11以後の自民党による改憲への世論誘導の仕方を評した言葉である。

 ナオミ・クラインは、近年の新自由主義者らがいかに各国の政変、戦争、災害などの危機的状況につけこんでは過激な市場原理主義を強引に導入し、人々の従来の暮らしを破壊しながら利益追求に邁進してきたかを分析。これを「惨事便乗型資本主義」(disaster capitalism『災厄(を利用する/となる)資本主義』の意)と呼び、告発した。

 これになぞらえて、森英樹・名古屋大学名誉教授が、政府が2011年3月の東日本大震災後、北朝鮮や尖閣諸島をめぐる中国の脅威を煽るかたわら「震災における迅速な救援活動に必要」などと緊急事態条項新設をしきりと訴えるようになったことを指して「惨事便乗型改憲論」と評した。

 「『大規模自然災害』などのときは、政府に権限を集中させ、基本的人権を停止し、法律を制定しなくとも政令で国民を国の指示に従わせたりする規定が盛り込まれている。震災があり、不安定な朝鮮半島情勢や中国との尖閣諸島問題など東アジアの『軍事的緊張』も高められてきた。これらを『緊急事態』で一括しても、国民の支持を得られると考えたに違いない。その陰で、この草案は自衛隊を『国防軍』に変え、非常権限を政府に集中させる方向を打ち出した。自民以外の改憲主張も同じだ。震災を奇貨とした『震災便乗型』『惨事便乗型』ともいうべき新手の改憲論だ」(東京新聞2012年5月3日付)

 自民党は最近もまた、同じやり方で世論を改憲へ導こうとしている。2015年11月におけるパリ同時多発テロにさいして、そして、2016年4月14日に生じた熊本地震にさいして。被災地の人々が不安や恐怖のただ中にある翌15日、菅義偉官房長官は記者会見し、大災害時の対応を定める意味でも緊急事態条項の新設は重要であると発言したことは、まだ記憶に新しい(参照:ショック・ドクトリン、Wikipedia【URL】http://bit.ly/20SOhkn)。

(※68)憲法上の戒厳:警察権と裁判権の軍への委譲と定義される戒厳令(état de siège)は、代々のフランス共和国憲法に規定され、1848年の二月革命、1871年のパリ・コミューンという大規模な内乱時および両大戦時に、実際に発令された。現行の第5共和国憲法は、第36条において戒厳令を次のとおり規定している。「戒厳令は閣僚評議会において布告される。十二日を超えるその延長は議会によってのみ許可される」。1945年10月12日の戒厳令解除を最後に、現在まで戒厳令は一度も発令されていない(État de siège (France):Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bwYfbg)。

(※69)1955年に制定された法律:「緊急状態を制度化しアルジェリアにおけるその適用を宣言する1955年4月3日の法律第55-385号」。その名のとおり、アルジェリア戦争勃発に対処するため、フランス第四共和制末期の1955年4月3日に制定された、いまなお効力を有する緊急事態への対処を定めた法律である。

 戦争を彷彿とさせる既存の「戒厳令」を用いず、このように新法律の制定によって対処しながら、当時のフランス政府はアルジェリア戦争をあくまでも国内における「流血の騒乱」にとどめておこうとしたのである。

 規定によれば「緊急状態état d’urgence」は公の秩序に対する重大な脅威を生じさせる急迫した危険がある場合、または公の災害の性格を帯びた事件の場合に宣言することができる(第1条)。

 緊急状態宣言の有効期間は12日間、それ以上の期間にわたって「緊急状態」が維持される場合は、国会による決議が必要である(第2条)。その間、県知事には当該県において、また内務大臣には全土において広範な権限を与えられ、市民の権利を制限できる(第5条、第6条、第8条、第9条、第10条、第11条)。

 具体的には、

・規定する時間と場所における人間と車両の通行の禁止

・立ち入り制限区域、あるいは保護区域の設定

・公務執行妨害を行おうとする人間の県への立ち入り拒否

・イベントやデモの禁止

・公衆安全及び公衆秩序に反する人物に対する外出禁止命令(自宅拘留)

・映画館、劇場、飲食店、その他集会場の閉鎖

・人および物資の徴発

・捜査令状なしに、昼夜を問わず、家宅捜索を行う命じる権限

・報道規制(刊行物、ラジオ放送、映画上映、劇場における上演)を命じる権限

ただし、立ち入り拒否や外出禁止などの処置を適用された者は、必要に応じて裁判所に異議を申し立てることができる(第7条)(参照:矢部明宏『フランスの緊急状態法―近年の適用事例と行政裁判所による統制』【URL】http://bit.ly/2b7cghF

(※70)アルジェリア戦争:1954年11月1日の蜂起から1962年3月18日のエヴィアン協定調印によりアルジェリアの独立が承認されるまで足かけ9年に及んだ独立戦争。ただしフランスが国家としてこの戦争が『戦争』であると認めたのは1999年になってのことで、それまでの公式の呼称は「秩序維持行動」であった。

 フランス最大の植民地のひとつであったアルジェリアの独立運動は長い前史を持つが、1954年のアルジェリア民族解放戦線(FLN)の結成によって、武力闘争の幕が切って落とされる。

 FLNは同年11月1日、30箇所にのぼる軍事施設や警察署の襲撃を決行、フランス政府は本土から機動隊を送り秩序の回復を図る。緊急状態法(1955年4月3日の法律、前註参照)の制定は、この時期のことである。

 しかしFLNは帰順を拒みゲリラ戦を展開、戦線は拡大し、翌56年からはフランス軍が大幅に増員(アルジェリア側の戦闘員2万5千に対し40万)され、全面戦争の様相を帯びる。

 FLNは多くの人的犠牲を払いながら、56年3月にフランスからの独立を果たした隣国のモロッコ、チュニジアはじめ、アラブ諸国からの支援を受け対抗した。

 58年には現地の入植者層が軍と結んでパリ政府転覆を企てる動きも生じ(5月13日の危機)、新たに大統領に就任したドゴールは軍の暴走を食い止めるべく、停戦に向けた合意形成の道を探ることになる。

 60年以降は世論もしだいに独立容認に傾き、多くの人命を奪った(民間人を含めたアルジェリア側の死者30〜40万、フランス側の死者約3万と推定される)戦争は、フランスが大国のプライドから執着したアルジェリアを手放すことで決着した(参照:Encyclopédie Larousse en ligne : guerre d’Algérie (1954-1962)【URL】http://bit.ly/1MAn0Bo)。

(※71)イスラム系のフランス国民をいたずらに追いやることになる:2015年11月14日、前日のパリ襲撃事件をうけて緊急事態宣言が発令されるや、最初の10日間で令状なしの家宅捜査1072件、139人の路上取り調べ、117人の起訴前拘束が行われ、253人が自宅軟禁を言い渡された。

 その後、フランスは3度にわたって非常事態を延長。家宅捜索を受けた世帯は3500件を超え、そのほとんどが社会秩序の脅威になることを立証する事実も令状もない、強引な捜査だったという。

 さらに、自宅のパソコンのデータをコピーされる、夜間外出を禁止される、一日数度の警察署への出頭を課される、居住地域外への移動を禁止される、前科のある者は電子ブレスレット装着を強制され居場所を監視される、集会所や礼拝所を強制閉鎖させられるなど、捜査の対象となった人々は人権を著しく侵害するような処遇を受けたうえ、恐怖やストレスによる心身の不調、移動を制限されたことによる失業、行政裁判所に救済を申し立てるための出費など、多くの不利益を被ることとなった。しかもそうした捜査や処遇の大半が、イスラム教徒であるという理由だけで行われたものだった。

 「非常事態」を理由としたフランス政府のこのような行為を、アムネスティやヒューマン・ライツ・ウォッチなどの人権団体は激しく非難した。

 政府の権限を強化したからといって、テロ防止にめざましい成果をあげているわけでもなく(2016年1月における家宅捜査3242件中、テロ関連の犯罪捜査に結びついたのはわずか12件であるという)、むしろ都市部と移民系住民の集中する郊外部との分断や、国内のイスラム教徒たちの社会的孤立、疎外感、差別意識を増幅するのみだと批判した。

 こうした批判を受けて『緊急事態』3度目の期限を控えた2016年7月、オランド大統領は4度目の延長はないとコメントしたが、その矢先の7月14日、フランス革命記念の祭典ににぎわうニースで、多くの犠牲者を出すテロ事件が発生。オランド大統領はただちに非常事態宣言のさらなる延長を宣言した(参照:アムネスティ・インターナショナル【URL】http://bit.ly/29KIGxU)。

(※72)それは違法だという判決を出しています:フランスでは、司法権に属する司法裁判所と執行権に属する行政裁判所とが裁判権を分有するという、いわゆる「二元的裁判制度」が採用されている。

 基本的人権を制限するベクトルを有する緊急状態法の発動中、政府の行為を制御する役割を果たすのが、まさにこの行政裁判所であり、緊急状態法第7条にも規定されているとおり、立入拒否や外出禁止といった、緊急状態法に基づいて適用された処遇を不当と考える者は、それを行政裁判所に申し立てることができる。

 昨年11月のパリ同時多発テロをきっかけに取られた諸措置についても、行政裁判所に多くの訴えが起こされており、日本でもあるケースがテレビで紹介された。

 パリ郊外に住むイスラム教徒のアリム・アブデルマレクさんは、事件の二日後、突然パリ警視庁から呼び出しを受け、移動の制限を命じられた。パリにある会社にも行けず、パリに住む病気の母親にも会えなくなったアブデルマレクさんは、行政裁判所に訴えを起こし、3ヶ月後にようやく『根拠の不十分な、個人の自由を重大かつ不法に侵害する処遇』と認められ、移動制限命令を解かれたという(参照:矢部明宏『フランスの緊急状態法―近年の適用事例と行政裁判所による統制』【URL】http://bit.ly/2b7cghF

(※73)与野党を斜めに分断するようにして、賛否が分かれてしまった:オランド大統領は、パリ同時多発テロが起きた直後の議会演説にて、「我々は戦争状態にあり、この新種の戦争には危機管理のできる憲法体制が必要だ」と語り、テロ対策強化のために憲法を改正する意向を表明した。

 「緊急状態法」に基づく諸措置、たとえば捜索令状なしの家宅捜索などは憲法裁判所で問題視される可能性があるため、憲法に明文化することでこれに法的正当性をもたらすことを画策したのである。

 2015年12月23日には憲法改正案を閣議決定。不審人物の排除のため「テロを起こすおそれのある」二重国籍の人物からフランス国籍を剥奪したり、国外追放を迅速に行えるようになる規定を盛り込んだほか、令状なしに被疑者を捜索できるようにするなど、治安当局の権限を強める非常事態宣言を憲法上に位置づける内容となっていた。

 憲法改正には、国民投票で過半数の賛成を得るか、議会の5分の3以上の賛成を得る必要があるが、2016年2月に始まった国会での審議では、国籍剥奪の規定に右派の最大野党である共和党が反対した。

 大統領が所属する左派の社会党からも「人権にかかわる」「フランスでは数百万人単位の国民が二重国籍を持っており、改憲案は市民を2つに分類するもの」「伝統的な共和国の価値観を破壊する」などと批判が巻き起こった。

 改正案は社会党が多数の下院で通過したが、3月には野党が多数派を占める上院で紛糾。政府は国籍剥奪の条件から『二重国籍』の文言を削除した修正案を提示したが、これがかえって『無国籍者をつくり出す恐れがある』と猛烈な批判を呼び、改憲派であった極右勢力も反対に転じて大混乱となった。

 こうしてオランド大統領は憲法改正を断念することを余儀なくされ、3月30日、テレビ演説を通じてその旨を表明した(参照:Le Monde【URL】http://bit.ly/1kZQMT0)。

憲法上の行政権に全権を委任する制度というものは、本当に腫れ物に触るように扱わなくてはならないものだ――フランスは「大統領令」に関する規定を持つも、その発動は過去一度きり!それも軍人らによるクーデター未遂事件のさい!

樋口「実は、その気になれば、もっと乱暴なルールがひとつ、憲法の中にすでにあるんです」

岩上「フランスの憲法のなかに?」

樋口「はい。第16条(※74)といいまして、一定の要件を満たす事態が起こった時には、大統領が全権を掌握するというものです。だから、ワイマール憲法第48条と、全く同じではないにせよ、パラレルなものがあるんですね。

 先ほど述べたアルジェリア戦争に関して、フランス政府は『戦争』と言わないんですよ、自国内での話だから。しかし、客観的には明らかにアルジェリア戦争ですね」

岩上「独立戦争ですよね。ド・ゴール(※75)の時代ですね」

▲シャルル・ド・ゴール(出典・WikimediaCommons)

樋口「はじめは曖昧な態度を取っていたこのフランス大統領が、途中から民族自決政策へ方向転換するわけです。そうしてアルジェリアを独立させることが、ド・ゴール政権の既定路線となったことが明らかになったその時、アルジェリアへ派遣されていた現役の将軍たちが反乱を起こします(※76)」

岩上「フランスから行っている軍人たちが、右派のガチガチ頭だから、ド・ゴールの態度が変わったら、え? ふざけるな!ってことで、ド・ゴールに対して反乱を起こしたってことですか?」

樋口「そうなんです。実際にその後、ド・ゴールが大統領専用車でパリから彼の田舎の自宅に帰る途中に爆薬を仕掛けられて、非常線を張っている中を運転手の機転で強行突破するという、暗殺未遂事件も起こりました(※77)。大統領令は、そうした緊迫した状況のなかで、一回だけ使われました。その後の1968年危機(※78)、日本のメディアは68年パリ革命、5月革命なんて言葉を使って大げさに言い立てましたけども」

▲パリ「5月革命」を描いたジャン=リュック・ゴダールの「万事快調」

岩上「学生運動ですよね。日本で言うと、全共闘(※79)みたいなものですよね」

▲全共闘運動の象徴となった東大安田講堂

樋口「とは言っても、あの時は日本と違って、労働組合の全ストも付随して出てきましたから、フランス自身が機能停止しましたね。その時ですら、第16条をド・ゴールは使わなかった」

岩上「なるほど」

樋口「ド・ゴール自身の価値観、政治観からして使わせなかったと言った方がいいかもしれません。アルジェリアを独立させるためには使うけれども、学生運動や労働運動を抑圧するためには使わないと」

岩上「先生、ちょっと確認させてください。第16条の大統領令は、アルジェリアを独立させようと決めた時に反乱が起こった、その鎮圧のときに使ったんですね?」

樋口「はい。アルジェリアの人々に対して適用されたのは、1955年の法律のほうです。アルジェリアは当時、フランスの領土、フランスの一つの県でしたから。そこで起こった事態を法律でもってどう対処するかと。これが1955年の法律です。とはいえ、アルジェリア戦争と呼ばれるような事態に発展していくわけですから、もちろんその運用の仕方もひどく乱暴になるんですけれども」

岩上「反発も大きかったってことですよね」

樋口「はい。それに対して、憲法第16条は・・・」

岩上「非常に強力なものですよね、大統領令は軍の反乱に対して。ということは、日本で言うと、戦前3回使われたという戒厳令(※80)、そのうちの一回が二・二六の時で、怒った天皇が出して反乱軍を鎮圧させた、あれと似たようなものと思えばよろしいでしょうか?」

▲二・二六事件で永田町一帯を占拠した兵士

樋口「対応していますね。それほど、憲法上の行政権に全権を委任する制度というものは、本当に腫れ物に触るように扱わなくちゃいけないものなんです。それを、通りそうだからこれからやろうかとか、お試しに、なんて言う政治家であれば、その理由だけで国民は反対しなくちゃいけない」

岩上「反対どころか、辞任を求めなきゃいけないぐらいですよね。まともに説明もせずに危険な毒薬を、いやそれどころか、爆薬とか劇薬のようなものを、お試しでどうぞって勧めるセールスマンなんて、明らかに詐欺師じゃないですか。今の自公政権は、まさにそういうことを行っているということですよね」

樋口「そういう緊急事態の条文を憲法に入れようとすることそれ自体が、こうして、大変危ういものであると心得るべきでしょう」


(※74)フランス共和国憲法第16条:フランス第五共和国憲法は、アルジェリア戦争中の1958年10月4日、政権の不安定と軍のクーデターに終止符を打つという目的のもとに制定された。したがって、国会の地位と権限は著しく弱められている一方、選挙後10年を経過すれば自由に国民議会を解散できる、重要問題を国民投票に付すことができるなど、大統領の地位と権限が強化されていることを特徴とする。

 とりわけ第2章第16条は、次のように、国家の危機に際して大統領に非常権限を授権することを定めており、行政府優位型の憲法と評されるひとつのゆえんとなっている。

 「第16条  共和国の諸制度、国家の独立、領土の保全あるいは国際的契約の履行が著しくかつ切迫しておびやかされ、憲法上の公権力の通常の運営を妨げられた場合、共和国大統領は、首相、両議院議長および憲法院長との公式協議のうえ、状況が要求する諸措置を取るものとする。

 共和国大統領は教書によりそれを国民に通知する。

 これらの措置は、憲法上の公権力が最短期間でその使命を全うするための手段を保障する、という意志に基づいていなければならない。

 国民議会は非常権限の行使中は解散することができない。

 非常権限の行使が30日を超えた場合、国民議会議長、元老院議長、60名の国民議会議員あるいは60名の元老院議員は、第1項に規定された諸条件が満たされているか審査するため、憲法院に提訴することができる。憲法院は最短期間で見解を公式発表せねばならない」(参照:フランス第五共和国憲法条文【URL】http://bit.ly/2brHNWA

(※75)シャルル・ド・ゴール(Charles André Joseph Marie de Gaulle, 1890-1970): フランスの軍人、政治家。フランス北部の工業都市リールに生まれ、陸軍士官学校やフランス陸軍大学校で学んだのち、両大戦を通じて数々の戦闘を指揮した。

 1940年6月、パリの陥落とともにイギリスへ亡命、潜伏先のロンドンにて亡命政府「自由フランス」France Libre を結成し、対独抵抗運動(レジスタンス)を指導した。1944年8月のパリ解放後は、フランス臨時政府の主席としてフランスの再建に携わったが、いったん政界から引退。

 1958年、アルジェリア独立運動をめぐる危機を打開するため首相に復帰し、同年10月、新憲法(第五共和国憲法)を国民投票で承認させるとともに、翌1959年1月には第18代共和国大統領に就任、行政府により大きな安定性と権威を与える新しい民主主義政治体制の確立に努めた。

 以後、1969年に退陣するまでド・ゴールは独自の政策を押し進め、フランス国内では政局の安定と高度経済成長を、対外的には「第三の極」としてのフランスの地位の向上および民族自決に基づく植民地独立――このことにより1960年は『アフリカの年』と呼ばれることとなった――をもたらした(シャルル・ド・ゴール:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1Llm3q6)。

(※76)将軍達の反乱:1961年4月21日、在アルジェリア仏軍の退役軍人4名がアルジェにて武装蜂起。外人落下傘部隊を動員して主要戦略拠点を掌握し、フランス本土への進軍・パリ占領をもくろんだ。

 泥沼化したアルジェリア独立問題を打開するため、政界に華々しく舞い戻ったシャルル・ド・ゴールが、政権の座に就くや、新人事により軍部を牽制していた時期だった。

 アルジェリアの民族自決をはじめ、アフリカ植民地の独立を次々と承認したのみならず、1961年1月には国民投票によってアルジェリア独立の是非を問い、圧倒的多数の賛成を獲得したことが、アルジェリアの最前線にいたフランス軍の軍人たちにとっては、「裏切り」だというわけだった。

 4月22日、パリにて報を受けたド・ゴールは、ただちに危機対策本部を設置。クーデターに関与していると疑われた将校らをパリで一斉に逮捕し、空港を閉鎖したうえ、アルジェリアに非常事態宣言を発令した。

 さらに翌23日午後8時、反乱軍に従わぬようテレビを通じてフランスの軍民に呼び掛けつつ、フランス共和国憲法第16条=大統領非常権限の発動を宣言した。

 これに応じた兵士たちが、反乱に賛同した職業軍人らの命令を一斉に拒否したことをはじめ、反乱軍からも続々と投降者が現れた。4月26日、政府軍は首謀者2名の投降・逮捕(他の2名は逃亡)とともに反乱を鎮圧。発動された大統領令は、その後9月30日まで維持された(参照:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2b9izP4)。

(※77)暗殺未遂事件も起こりました:シャルル・ド・ゴールは、その強権的な姿勢から、頻繁に暗殺のターゲットとなった人物として知られる。とりわけ、フランス第五共和制初代大統領の座に就き、アルジェリアの民族自決を承認・推進するようになって以後、これに激しく反発するOAS(フランスの一部の政治家と駐アルジェリア軍人らが、1961年1月、フランコ政権下のスペイン・マドリッドにて結成した、フランスの極右民族主義武装地下組織)によってたびたび命を狙われるようになった。

 1962年8月22日にプティ=クラマールで起きた、ド・ゴールの乗る自動車への機関銃乱射事件は、映画「ジャッカルの日」などを通じて日本でもよく知られているが、その1年前「将軍達の反乱」の鎮圧直後にも、ド・ゴールは暗殺未遂事件を経験している。

 1961年9月8日午後9時35分ごろ、ド・ゴールとイヴロンヌ夫人を乗せてパリから地方に向かっていた公用車が、ポン・スュル・セーヌ(オーブ県)を時速110kmで通過中、路上に仕掛けられていた40kgのプラスチック爆弾が爆発。ともに仕掛けられていた20ℓのガソリン缶に引火し、激しい炎が立ち上った。

 このとき、付近に潜伏している暗殺者らによって機関銃掃射を浴びる危険性にとっさに思い至った運転手フランシス・マルーは、迷うことなくアクセルを踏み、そのまま猛スピードで安全な所まで駆け抜けた。こうして大統領夫妻は事なきを得た(参照:Attentat de Pont-sur-Seine【URL】http://bit.ly/2b9lV1x)。

(※78)1968年5月事変:1968年5月から6月にかけてフランスで起こった、学生・労働者らによる大規模な反体制運動。日本では「フランス五月革命」「五月危機」などと呼ばれる。

 フランスでは数年前から、大学の民主化やベトナム戦争反対などを掲げた学生運動が拡大していたが、1968年5月2日、パリ大学の学生らがパリ中心部でデモを行い、これに労働総同盟(CGT)やフランス民主労働総同盟(CFDT)、全国教育連盟(FEN)などによるデモやゼネストが加わって、大規模な反政府運動に発展したのである。

 政府は軍隊を投入して沈静化を図ったが、治安部隊がデモ参加者に対して暴力をふるったことをきっかけに、工場、国営鉄道、マスコミ、金融機関、大学など、各種労働現場が一気に抗議のストライキに突入。交通システムもすべて麻痺に陥り、フランスは一時、内乱寸前の様相を呈した。

 政府は5月27日、賃金の大幅な引き上げや社会保障、労組の権利の改善を約束して事態の収拾を図ったが、運動の沈静化には至らなかった。そのため、ド・ゴール大統領は5月30日、議会を解散して国民の信を問う。

 6月23日〜30日、総選挙を実施。結果は、極左的運動を恐れて一時保守化した国民の支持を得た与党の圧勝であった。

 こうして学生・労働者らの左翼運動は下火になったが、この一連の出来事はド・ゴール体制を根底から揺るがすことになった(参照:コトバンク【URL】http://bit.ly/2bDrS8d)。

(※79)全学共闘会議(全共闘):1968年初めから1969年にかけての大学紛争のさい、学部やセクトを超えて各大学内に結成された学生組織。

 各大学の個別的問題(学費問題等)に対処する学生運動・組織として始まり、その後、大学当局の硬直した対応や政府・機動隊の介入を受ける過程で次第に全学化したものである。

 22億円にのぼる使途不明金問題を契機に結成された日大全共闘や、医学部インターン問題をめぐる学生への不当処分を発端として結成された東大全共闘をはじめとして、日本全国の大学に拡大した。帝国主義的管理システム/国家の暴力装置のひとつと化した大学の解体を目的に掲げつつ、本館封鎖やバリケードストライキを含む実力闘争(機動隊との衝突の場面では投石やゲバルト棒も使用された)を展開した(全学共闘会議:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1Newo90)。

(※80)本来の意味における「戒厳」とは、戦時において、極端な治安悪化や暴動を鎮圧するために国民の権利を保障した憲法や法律の一部の効力を停止するとともに、行政権・司法権の一部あるいは全部を軍部の権力下に移行させることを指し、大日本帝国憲法では第14条(「天皇は戒厳を宣告す。戒厳の要件及効力は法律を以て之を定む」)に規定された軍事法規のひとつである。

 一方、こうした本来の意味における「戒厳」ではなく、大日本帝国憲法第8条に基づく「緊急勅令」(公共の安全を保持する、または災厄を避けるために緊急の必要がある場合、天皇が議会にかけずに発することができる緊急命令)に基づいて取られた行政措置も「戒厳(行政戒厳)」と呼ばれることがあり、3例がそれに該当する。

 まず、1905年9月5日の日比谷焼打ち事件(日露戦争の講和条約(ポーツマス条約)に反対する決起集会の参加者が警察との衝突のすえ暴徒化した事件)にさいして布かれた「戒厳」。

 次に、1923年9月1日に生じた関東大震災による混乱収拾のための「戒厳」(9月2日発令)。

 最後に、1936年の二・二六事件(陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らがクーデターを計画、約1500人の下士官兵を率い、岡田啓介首相、高橋是清蔵相、斎藤実内大臣、渡辺錠太郎教育総監など政府の要人を次々と襲撃した事件)のさなか(2月27日)に発令された「戒厳」である(参照:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1NbfRR4)。

野次を飛ばす、批判されると逆ギレする、回答をはぐらかす――立憲国家の長としての自覚も品位も欠いた安倍首相の数々の振る舞いに、国民は唖然としている場合ではない

岩上「ところが、日本の国会の審議の状況といったら、それはひどいものです。先ほども触れましたが、緊急事態条項新設への動きに対抗するのに、野党は昨年、ひどく出だしが遅れてしまった。秋の国会も開かれませんでしたし(※81)。そんななか、少なくとも1月になってから、野党議員の幾人かは安倍首相を厳しく追及しました」

c5fab1afd98e4a66e6b48b0b24d2a137dacecd67

岩上「まず、社民党の福島みずほ議員が、参議院予算委員会で、緊急事態条項の危険性を指摘しました。『緊急事態条項、これはまさにナチスドイツの『国家授権法』(全権委任法)と全く一緒ではないですか』と。

 『ナチス』と呼ばれたからでしょう、安倍総理は最近お得意の逆ギレが出まして、『緊急事態条項は諸外国に多くの例がある。限度を超えた批判は慎んでいただきたい!』と(※82)。

 野党議員の質問に対して、『慎め!お前ものを言うな!』なんて、行政の長たる者が口にするべき言葉じゃありません。有権者の代表である国会議員は厳しい質問をするのが仕事で、それに答弁するのが首相の義務であるはずなのに、こんなことを平気で言うとは異常です」

樋口「中立の立場にある議長とか、この場合は委員長ですか、この発言を注意しなくちゃいけませんね」

岩上「そうですよ。言っていいことと悪いことがありますよね。そもそも福島議員の批判は限度を超えた批判でもなんでもなく、歴史的観点からしても明らかです。自民党の緊急事態条項は、もしかすると、ナチス以上に悪いかもしれない」

樋口「安倍総理がもし普通の総理大臣ならば、『おっしゃるようなことに万が一にもならないように、我々の政権は大丈夫ですから』と答えるべきところでしょう」

岩上「おだやかにね。たとえそれが嘘であっても」

樋口「それから、『緊急事態条項は、諸外国に多くの例があり、確かに第三世界の独裁国では、もう目を覆うような状態で使われておりますけれども、日本では日本の国民のレベルも高いから、絶対にこれは、あえて絶対にと申しますが、心配はございません』と、こう説明して欲しいですね」

岩上「もはや先生がスピーチライターになって、安倍総理に教えてあげたほうがいいんじゃないでしょうか。今の先生の口調、昔の大平正芳さんとか、福田赳夫さんとか、そういった方々の懐かしい言葉遣いですよね。『ああ』とか『うう』と言いながら、でも穏やかな言葉を選んで慇懃(いんぎん)に回答していた、あの古き良き時代の自民党の言葉遣い(※83)。やっぱり、なんだか今はひどいですよね」

7882970f1e8416cb9b4ad15b283da0f3f48e62ca

▲大平正芳元総理

▲福田赳夫元総理

樋口「ペーパーを出してないんじゃないですか、安倍総理に。官僚はどうしているんでしょう?」

岩上「出しているんでしょうけど、官僚も困惑しているんじゃないでしょうか。答弁を求められてないのに自分で立ち上がって『民主党は!』なんて叫び始めたり。委員長も唖然、野党の議員も唖然ですよ。国民も唖然ですけど(※84)」

樋口「唖然としてちゃいけないんですよ。戦前の帝国議会で、政府委員席から『黙れ!』と言った陸軍の軍人がいるんですね。有名な事件です(※85)。非立憲の最たるものだと大騒ぎになりましたけれども。安倍総理の発言はそのくらい・・・」

岩上「非立憲的ですね。国民は、大騒ぎしなくちゃいけない」

樋口「はい」

岩上「野党議員の方々には、はっきりそう言っていただきたいところです。それでも、福島みずほ議員は質問をやめず、緊急事態条項の中身に切り込もうとしましたが、安倍首相はそれに一切答えませんでした。いつもこんな調子です。『内閣の意思として緊急事態条項をやる』と、これだけ喧伝しているのに、いざその中身に関して議論しようとすると逃げるんです」

cd923008bfe84986b1f66548c0131c59664953ca

岩上「民主党の岡田克也代表に対してもそうです。私がインタビューした時など、当初は岡田さんは、緊急事態条項についてさほど危機感を持っていらっしゃらなかったんですけど、しまいには『これは大変なことなんじゃないか』とおっしゃるようになりました。

 1月26日の本会議でも、『現行憲法で具体的に何が足らないのか?』と厳しく追及なさったんですが、具体的な話に入ったとたん、安倍総理は『憲法改正草案の個々の内容について、政府として答えることは差し控える』と(※86)。

 翌27日にも、今度は共産党の志位委員長が『自民党改憲案の緊急事態条項は、独裁政治・戦争国家に道を開き、憲法9条改定につながる危険極まりないものだ』と批判して、中身についての議論に入ろうとしたんですが、またまた『政府としてお答えすることは差し控えさせていただきます』なんて、回答を頑なに拒否し続ける(※87)。

 要するに、安倍政権としては、国民に知れ渡らなきゃいいわけでしょ、緊急事態条項の危険性が。あなたが売りつけてくる商品は何かと尋ねられれば約款なんかを説明しなきゃいけないのがセールスマンだとしたら、そのまさにセールスマンが、約款などの説明は一切なしに、それはお答えできません、ただポンと判子だけ押してください、っていうようなものだと思うんです。

 多くの人がまだ知らないでいる間に時間稼ぎをして、選挙さえやってしまえば後はこっちのものだとでも思っているんでしょう。これって非常に危険な状態じゃないかと思うんですが、この点はいかがでしょうか?」

樋口「まったくですね。自由民主党総裁として自ら憲法改正草案を公にしてるわけですし、しかも首相として憲法改正をやるんだと繰り返しているのですから、その内容をしかるべく説明するのは政府としての義務でしょう」


(※81)秋の国会も開かれませんでした:政府・自民党は、2015年10月15日、例年秋に召集する臨時国会の年内の召集を見送る方針を表明した。日中韓首脳会談やアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議など、11月下旬まで安倍晋三首相の外遊日程が立て込んでいることや、大筋合意した環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)の国会承認が来年となる事情を考慮してのことだという。

 これに対し、民主・維新・共産・生活・社民の野党5党は10月21日、125人の議員の連名で衆議院議長に対し召集要求を行ったが、政府は「首相の外交日程が立て込んでいる」「かつて要求があっても臨時国会を開かなかった事例もある」と言いつつ、召集に応じなかった。

 憲法53条に「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」と定められているにもかかわらず、である。

 2012年の総選挙直後、安倍首相があるテレビ番組で「みっともない憲法ですよ、はっきり言って」と発言した(毎日新聞2012年12月15日『遊説録』)ことにも表れているように、安倍政権はこれまでも憲法軽視の姿勢を露わにしてきたが、憲法に基づく野党の国会召集要求を拒んだこの一件は、改めてそれを裏付けることとなった(参照:産経ニュース【URL】http://bit.ly/1jExVMu)。

(※82)「緊急事態条項は諸外国に多くの例がある。限度を超えた批判は慎んでいただきたい!」と:2016年1月19日、参院予算委員会において、社民党の福島みずほ議員が自民党の憲法改正草案の中に明記されている「緊急事態条項」の危険性について指摘。安倍総理に答弁を求めた。

 これに対し、安倍首相は要領を得ない発言を繰り返していたが、福島議員の『緊急事態条項はナチスの全権委任法と同じ』という指摘に激高『そのような批判は慎んでいただきたい!』と、威丈高に福島議員の質疑を封じ込めようとした――IWJはこのときのやり取りを完全文字起こしし公開している。ぜひご覧いただきたい。

(※83)古き良き時代の自民党の言葉遣い:高度成長期の日本をリードし、積極的な外交政策によって国際社会における日本の地位を高めつつ、自民党の基盤を固めていった歴代首相たちは「その地位にある限り、『私人』として、言いたいこと、やりたいこと、やらせたいことをできる限り抑制して、嫌いな人物とも握手をし、憎悪する政党の、大嫌いな議員の、不快な質問にも『丁寧に』答弁」「怒りと不愉快な気持ちを押し殺して、相手をじっと見据え、『ご意見としてうけたまわっておきます』とか『私はかように考えております』等々、野党議員がどんなに激しい言葉で追及しても、腰は低く、やや上目づかいに、慇懃無礼感覚を全身で表現しながら答弁していた」(水島朝穂・早稲田大学法学学術院教授)。

 演説や答弁の際に「あー」「うー」と前置きをすることから「アーウー宰相」の異名を取った大平正芳・第68、69代内閣総理大臣しかり、「人命は地球より重い」や「民の声は天の声というが、天の声にも変な声もたまにはあるな、と、こう思いますね。まあいいでしょう! きょうは敗軍の将、兵を語らずでいきますから。へい、へい、へい」といった、キャッチーかつユーモアのある言葉で知られる福田赳夫・第67代内閣総理大臣しかり、質問する議員に向かってストレートに感情を露にしたり、口汚く野次を飛ばしたりなどということはなかった(参照:水島朝穂HP【URL】http://bit.ly/2bmKQSX)。

(※84)国民も唖然ですけど:ここ数年、国会や討論会における安倍総理のマナーの悪さが問題になっている。他党の代表や議員の発言中に自席から野次を飛ばす、急に割り込んで自分が延々話し始める、批判を向けられると逆に相手を非難し始めるといった、品位を欠いた振る舞いに及んでは、周囲を驚愕・困惑させることが多くなっている。

 たとえば2015年2月19日、衆議院予算委員会において、民主党・玉木雄一郎議員が西川公也・農林水産相の不正献金問題について追及していたところ、20分ほど経過したあたりで安倍首相がいきなり口をとがらせ、自席から野次を飛ばし始めた。

(安倍首相)「日教組!」

(玉木議員)「総理、野次を飛ばさないでください」「いま私、話してますから、総理」

(安倍首相)「日教組どうすんだ! 日教組!」

(大島委員長)「総理、総理…ちょっと静かに…』

(安倍首相)「日教組どうすんだ!」

(玉木議員)「日教組のことなんか、私話してないじゃないですか!?」

 過去に起こった、日教組による民主党議員への献金事件を念頭に置いた発言と思われるが、こうした品のない不規則発言を契機に与野党の議員から野次の応酬が始まり、委員会は一時騒然となった。

 安全保障関連法案を審議する2015年5月28日の衆議院特別委員会では、機雷掃海の実施によって日本もテロの標的になるリスクについて、辻本清美議員が中谷元・防衛相に指摘・質問していたところ、安倍首相は何度も手を挙げて自分が発言しようとした。

 その都度制止されるという状況がしばらく続いたが、質問が3分ほど経過したあたりで、『早く質問しろよ!』とまたもや野次を飛ばしたのである。長妻昭・民主党議員らがただちに委員長席に詰め寄り抗議、場内は騒然となり審議が中断する事態となった。

 さらに2015年8月21日の参院特別委員会でも同様のことが起こった。

 自民党が推進する安全保障関連法案について、他国軍を後方支援できる『重要影響事態』とはいかなる事態を指すのか、蓮舫・民主党議員が中谷防衛相に質問。

 中谷防衛相が「野呂田6事例」(野呂田芳成・元防衛庁長官が示した、他国軍を後方支援できる事態の例)と「大森4要素」(大森政輔・元内閣法制局長官が示した、他国軍の武力行使との一体化の基準)とを混同し「大森6事例」と答弁したため、蓮舫議員がそれを指摘したところ、安倍総理は再び自席から「そんなこと(どうでも)いいじゃないか!」と野次を飛ばした。もちろん「どうでもいい」わけがない。

 安倍総理によるこうした一連の「野次」はメディアでも大きく取り上げられ、国民の非難を浴びることとなった。安倍総理はその都度弁明と陳謝を繰り返していたが、最近ふたたび「問題行動」が目立つようになっている。

 「報道ステーション」(テレビ朝日)の党首討論会(2016年6月21日)において、持ち時間を無視して延々しゃべり続けたのみならず、他党の党首が発言を始めるとすかさず割り込む安倍首相の様子は記憶に新しい。

 直後の「NEWS23」(TBS)における党首討論(2016年6月24日)では、舛添要一・前東京都知事による公金の私的流用問題に関連し、山本太郎・生活の党と山本太郎となかまたち共同代表に「安倍首相も、たとえば『ガリガリ君』というアイスクリームとか、そういったものも政治活動費から支出しているではない」と批判された安倍総理が「それ、私、全然知らないんでね、それ全然知らない」や「いきなりこんなところで突然言われてもですね」等と狼狽した姿をさらした挙げ句「そんなもの政治資金で買いませんよ!」と声を荒げる様子がオンエアされ、安倍総理の一国の首相としての品格や資質に改めて疑問が投げかけられることになった(参照:リテラ【URL】http://lite-ra.com/2016/06/post-2368.html)。

 安倍総理によるこうした一連の野次について、樋口氏は小林節氏との共著『「憲法改正」の真実』(集英社新書)の中で次のように述べている。

 「国会は国会議員のものであって、日本国憲法にも、内閣総理大臣や閣僚は院が求めたらば出席する義務があると、書いてあるわけですよ。出席する義務がある首相は、院に呼ばれたら、議事を進めるのではなく、議員たちから問いつめられる立場です。問いつめられる側が、早くやれ、早く質問しろと議事進行を促した。(中略)小さなことのようで、これは権力分立という大原則を破っているのです。立法府において行政側の人間が、勝手に議事を仕切る権利はない」[45-46]

(※85)「黙れ」事件:1938年3月3日、衆議院国家総動員法委員会において、佐藤賢了・陸軍省軍務課国内班長(1895-1975)が答弁中、「黙れ!」と他の委員たちを一喝した事件である。

 陸軍省の説明員として出席していた佐藤は、たんに法案を説明するだけでなく、法案の精神や個人的信念といったことがらについても長々と熱弁をふるった。

 これに対して他の出席者から「やめさせろ」「(このような弁説は)討論ではない」等の野次が飛び出したため、壇上から彼らに「黙れ!」と叫んだのである。

 政府側の説明員にすぎない人物が、国民の代表である国会議員にこのような発言を行うのは問題だと、ただちに抗議が巻き起こり、佐藤は席を蹴って退場。委員会は紛糾し、散会を余儀なくされた。

 その後、杉山元・陸軍大臣から陳謝がなされたが、佐藤本人は特に処分を受けなかった。当時の陸軍の横暴・傲慢を表す事件として有名であるが、佐藤は戦後著した自伝(『佐藤賢了の証言』芙蓉書房)の中で次のように自らの振る舞いを弁解しており、そこではむしろ、公人としての自覚や責任感の稀薄さが浮き彫りになっているように思われる。

 「違憲論は、初めから予期できたことなのだから、近衛首相が受けて堂々と所信を披瀝すれば、出足は満点だったのである。ところが首相が欠席しているので(…)議員は『首相が出ろ』『国務大臣が答弁しろ』といきり立って、議場はたちまち混乱した」

 「政府側は相変わらず、のらりくらりお茶を濁した答弁をするのに業を煮やして、板野議員は『この法案は若い軍人や官僚が作ったのだろう(…)誰でもよいから、よくわかっとる人が説明してくれ』といったような主旨を述べた。私は議会では説明員という資格で(…)指示によって限られたことの説明をするだけである。ところが今、議員から誰でもよい、説明してくれとの発言があったのだから(…)総動員や、軍需動員の実際業務を例にとって滔々と説明し出した」

 「小川委員長が私に続けろと指示したので、私は説明を続けたところ、宮脇議員がまたガナリ立てて、私の説明を妨害したので、堪忍袋の緒を切って『黙れッ、長吉』とのどまできたのだが、場所柄を考えて『黙れッ』だけいって、あとの『長吉』を吞みこんだ」(参照:佐藤賢了、Wikipedia【URL】http://bit.ly/2b9hRRW

(※86)安倍総理は「憲法改正草案の個々の内容について、政府として答えることは差し控える」と:2016年1月26日に開かれた第190回国会本会議(第7号)にて、岡田克也・民主党代表は、自民党の憲法改正案に導入されている緊急事態条項が基本的人権の保障という観点から大きな危険をはらむことを指摘。緊急事態に対処するにあたり、現行憲法のどのような点が不足と考えてそのような条項を新設しようというのか、安倍総理の認識を問うた。

 これに対し、安倍総理は「憲法改正の内容は今後の議論の過程で具体化してゆくものであり、ここで答えることは差し控えさせていただく」と答弁し、明確な回答を避けた。「会議録本文」として公開されたこの質疑応答の模様は次のとおり。

(岡田代表)「自民党の憲法改正草案では、緊急事態条項を規定しています。しかし、曖昧な要件のもと、緊急事態宣言が発せられると、内閣総理大臣に権限が集中し、法律と同一の効力を持つ政令によって基本的人権を制約することが可能となります。民主主義の根幹を揺るがしかねない問題であるとの認識が、安倍総理にはあるのでしょうか。また、現行憲法で、具体的に何が足らずにそういったことができないとお考えなのでしょうか。答弁を求めます」

(安倍総理)「憲法改正草案は、自由民主党として将来のあるべき憲法の姿を世の中にお示ししたものですが、その個々の内容について政府としてお答えすることは差し控えさせていただきます。憲法改正の具体的な内容は、国会や国民的な議論と理解の深まりの中で定まってくるものであると考えています」(参照:衆議院HP【URL】http://bit.ly/2bsbngR

(※87)回答を頑なに拒否し続ける:2016年1月27日における第190回国会本会議(第8号)にて、志位和夫・共産党委員長は、戦争や大災害にあたって権力を内閣に集中させる一方、国民の基本的人権を制約することを明記する緊急事態条項を憲法に導入することの必然性について、安倍総理の認識を問うた。

 これに対し安倍総理は、前日の岡田民主党代表に対してと同様「憲法改正の内容は今後の議論の過程で具体化してゆくものですので」と答弁、またもや明確な回答を与えようとしなかった。「会議録本文」として公開されたこの質疑応答の模様は次のとおり。

(志位委員長)「うかがいます。第一に、『自民党改憲草案』の『緊急事態条項』では、戦争や大規模災害のさいに、首相の『緊急事態の宣言』のもと、『内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる』、『何人も……国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない』――内閣への権力集中と国民の基本的人権の制約を行うことを明記しています。総理は、こうした規定を、憲法に明記することが必要だと考えているのですか。

 第二は、災害対策が『緊急事態条項』の理由になるかという問題です。東北弁護士会連合会は、『災害対策を理由とする国家緊急権の創設に反対する会長声明』を発表し、つぎのように述べています。『確かに、東日本大震災では行政による初動対応の遅れが指摘された事例が少なくない。しかし、その原因は行政による事前の防災計画策定、避難などの訓練、法制度への理解といった『備え』の不十分さにあるとされている。……日本の災害法制は既に法律で十分に整備されている。……国家緊急権は、災害対策を理由としてもその必要性を見出すことはできない』この批判に総理はどう答えますか」

(安倍総理)「自由民主党は、党是として、立党以来ずっと憲法改正を主張してきており、今後とも、これまで同様、公約に掲げ、しっかりと訴えてまいります。

 御党がこの問題に真摯に取り組み、具体的な改正項目を検討されていることに敬意を表しますが、どの条項をどのように改正するかについては、国会や国民的な議論と理解の深まりの中でおのずと定まってくるものであり、今後、御党を初め、各党各会派で広く御議論いただいた上、国民的な議論を深めていくことが必要であると考えています」(参照:衆議院HP【URL】http://bit.ly/2bG2v6d

 なお樋口氏は、小林節氏との共著『「憲法改正」の真実』(集英社新書)の中で、次のように安倍総理を批判している。

 「今、その日本国憲法を『みっともない憲法』と公言してきた人物を首班とする政権が、<立憲・民主・平和>という基本価値を丸ごと相手どって、粗暴な攻撃を次々と繰り出してきています。憲法という意味のconstitutionのみならず、戦後に私たちがつくりあげてきた日本の社会構造そのものとしてのconstitutionをも壊しにかかっていると認識したほうがいい。『粗にして野だが卑ではない』という表現で、ある人物を好意的に描いた城山三郎さんの作品がありましたが、その言い回しを借用すれば、あまりに『粗にして卑』としか言いようのない政治の情景を私たちは目にしています。それに対しては、法の専門家である我々が、市民とともに、抵抗していかなくてはならない」[5]

「価値観を共有するリベラル・デモクラシーの国」を掲げ、アメリカの「テロとの戦い」に馳せ参じようとする安倍政権~だがそのアメリカは「戦争」と言いながら戦時国際法も守らない!

岩上「自民党としては『日本国憲法改正草案Q&A』(※88)で説明の義務を果たしたことにしたいのかもしれません。しかし、先生はこれにも大変な問題があるとおっしゃっておられますね。緊急事態に関する部分には、こうあります。

 『国民の生命、身体、財産の保護は、平常時のみならず、緊急時においても国家の重要な役割です。今回の草案では、東日本大震災における政府の対応の反省も踏まえて、緊急事態に対処するための仕組みを、憲法上明確に規定しました。このような規定は、外国でも、ほとんどの国が盛り込んでいるところです』」

5f4cb8ec7e5c2cf8d84c3e29db10d7f578fa8811

樋口「『ほとんどの国』って、まさか総理が百いくつある国を、ひとつひとつ考えているわけではないでしょう。価値観を共有するリベラルデモクラシー(※89)の国と言いたいんでしょうね。

 その一つの国であるフランスで、緊急状態法を憲法に入れるか入れないかという話になって、政府は入れる方向に踏み出したわけですけれども、それが先ほども言ったようにかえって議論を大きくしてしまって、法律レベルの規定の運用の弊害まで問題になって大混乱になりました」

岩上「あのフランスですら、こんなふうになってしまう。先ほど、パリ同時多発テロ事件を指して、オランド大統領が『戦争』と言ったのは間違いであるとおっしゃいましたけれども、アメリカのブッシュ前大統領は、9.11の時にはっきりそう言ったわけですよね。『ウォー』と(※90)。

 あのフランスが、ブッシュレベルになってしまったのかと、特にフランスに非常に馴染みのある方々はショックを受けたと思うんですが。先生もフランスにずいぶん馴染みがおありなんですよね、留学されていたんですか?」

▲2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件

▲ジョージ・W・ブッシュ前大統領(出典・WikimediaCommons)

樋口「50年前に。いや、もう55年前になりますか」

岩上「フランスについてのご著作もおありですね。人権思想を生んだ国でもこうなってしまう」

樋口「『戦争』と言ってしまっては、本当は自分たちも具合が悪いはずなんです。戦争ということになれば、戦時国際法(※91)を守らなくちゃいけない。相手は守らなくても、こっちは守らなくちゃいけない。ですから、敵が投降してきたら捕虜として遇さねばならない。犯罪者としてじゃなくて、捕虜として。つまり殺しちゃいけないんです。ところが、いまや戦争だと言いながら、戦争の相手としても遇さない、そんな妙な状態に・・・。ブッシュの戦争がそうでした(※92)」

岩上「そうですね。それと同じようなことをオランド大統領はやろうとしているんじゃないでしょうかか。しかも、敵としてイスラム過激派を想定している。

 日本も、いまや全く他人事でいられません。このところ、安倍総理がISに敵対的な態度や声明を出してきましたから。実際、日本人人質事件が起こって、しかもイスラエルに加担する動きをし、挙げ句の果てには殺されてしまって(※93)。同時に国内では集団的自衛権行使容認を閣議決定一つでやってしまい(※94)、安保法制を強行突破(※95)して、地球上どこでもコミットできるようにしてしまいました」

▲IS(イスラム国)に捕らわれた後藤健二さん(左)と湯川遥菜さん(右)

▲エルサレムで記者会見する安倍総理

岩上「フランスの対テロ作戦にも、もしかしたら今後コミットすることになるかもしれないし、あるいは、そのイスラム過激派を生み出している中東に行けってアメリカから言われたら、つき従わなきゃいけないかもしれない。こんな状況下にある今、緊急事態条項新設の議論が出てきていることに、何か意図的なものを感じずにはいられません。

 安保法制については、昨年の夏、反対運動が大変盛り上がりました。SEALDs(※96)の皆さん、学生たち、ママの会(※97)、それから学者の会(※98)の皆さんももちろん、みんなで声を合わせて反対しましたよね。

 おかげで、一般の市民の人たちにもずいぶん、この安保法制が危険だということが知れ渡ったと思うんですけど、その海外派兵を可能にする集団的自衛権行使容認、安保法制やなんかと、今回のフランスの事態も考え合わせると、いま日本で緊急事態条項を憲法に入れるということは、これは全部つながり合っている、何かしら互いに接続し、セットになっているように見えるんです。

 先生はそのあたり、どのように考えていらっしゃいますか?」

▲SEALDsによる国会前での抗議行動

▲国会前では樋口氏もマイクを握った

樋口「そのとおりだと思いますね」

岩上「補完関係にあると」

樋口「ただ、そういったことを真面目に考えた末の一つの決断として、緊急事態条項の話を出してきたとはとても思えませんね。だって、どの国にでもあるという程度の論拠で出してきているわけでしょ」

岩上「はい。低俗な議論です。高尚な議論をする気なんて全くないようです」

樋口「それぞれの国にはそれぞれの事情がありますから、民主主義・立憲主義でない国々をいたずらに侮辱する気はありませんけれど、少なくとも、日本の責任ある政治家がそういう国々、たとえばアラブの春が逆転していく過程にある数年来のエジプト(※99)とか、もっとひどい強権主義的な国家もあるじゃないですか。

 そういった例を引き合いに出して、ほらみんな緊急事態に対処する規定を持っているじゃないかなどと、公の口にするのは慎んでもらいたいですね」

岩上「安倍政権、そして安倍総理自身も、しきりと自分たちのことを『リベラル・デモクラシーを核として自由と民主主義を共通の思想として持つ陣営』と言います(※100)。

 けれど、もしこんなものが通ってしまい、この緊急事態条項一発で日本国憲法が停止というような状態になったなら、これはもはや、日本は先進的なリベラル・デモクラシー・立憲国家の隊列から脱落することを意味しますよね」

樋口「今の話題、論点についてのお答えとして、この憲法改正草案全体に関係するひとつの肝心な点に、ここで少し触れておくことにしましょう」


(※88)「日本国憲法改正草案Q&A」:2012年4月27日に「日本国憲法改正草案」を発表した自民党は、同年11月8日、「日本国憲法改正草案Q&A」を冊子で公表。さらに党のHPにPDFファイルで掲載した。これは、「草案」の逐条解説とまではいかないまでも、主要な変更点について問答方式で簡潔な説明をほどこしたものであり、たとえば「緊急事態」(「草案」第9章)に関しては、次のような4個の「問い」を通じて自民党の答えが与えられる構造になっている。

・Q39「緊急事態に関する規定を置いたのはなぜか」

・Q40「緊急事態の宣言に関する制度の概要」

・Q41「99条3項に国等の指示に対する国民の遵守義務を定めたのはなぜか。また、基本的人権が制限されることもあるのか」

・Q42「99条4項に衆議院解散の制限や国会議員の任期の特例の規定を置いたのはなぜか」

 余白をたっぷり取った紙面、大きめサイズの文字、カラフルなレイアウトや図、90頁近くに及ぶ47個のQ&A、そして「ですます」調の柔らかな文体は、改憲草案に対する疑問に自民党が懇切丁寧に答えているかのようなイメージを読者に与える。

 ところがその内容といえば、改憲案の発表以来噴出した国民の批判に十分に答えていないばかりか、近代以前の人権観・国家観が鏤められた、いわゆる「突っ込みどころ満載」の解説文であり、あらためて人々を驚愕させた(参照:自民党憲法改正推進本部HP【URL】http://constitution.jimin.jp/faq/)。

(※89)リベラルデモクラシー(自由民主主義):政治参加は誇るべき行為であるという思想のもと、政治共同体の意思決定は共同体の成員全員の平等な参加によって行われるべきとするデモクラシー=民主主義と、人類に普遍的であるとみなされる個々人の諸権利――生命や身体や私的所有の安全の保障、および思想・信条や表現の自由といった、憲法上いわゆる自由権と呼ばれるもの――は、国家権力による制約・侵害を逃れるべきとする思想、すなわちリベラリズム=自由主義とが結びついた、西側の、とりわけアメリカをモデルとする政治的イデオロギーおよび政治制度。

 政治参加に大きな価値を見出す国民ひとりひとりが、政府をコントロールしながら自らの自由を確保するという国家のあり方を理想とし、その実現のために、基本的人権の尊重と権力分立の原則をかかげ、主義や政策が互いに異なる複数の政党によって行われる議会制民主制によって国家が運営されることを特徴とする。

 ヨーロッパの「社会民主主義」ともソ連・東欧型共産主義国家の「人民民主主義」とも一線を画す、進歩的な民主主義のかたちとして現代世界を覆ったが、冷戦終結以後は新自由主義の風潮――他の人間が有する諸権利を犠牲にしても個の欲望・利益を究極まで追及してよしとする思考――や政治参加に対する人々の無関心が顕著となり、いまやリベラルデモクラシーが根底から揺らいでいる(川出良枝『民主』と『自由』―二つの原理の再構成【URL】http://bit.ly/2brIEXj)。

(※90)「ウォー」と:2001年9月11日朝、国内便航空機4機がほぼ同時にハイジャックされた。犯人らはパイロットを殺害したのち、自ら操縦して標的(2機はニューヨーク・世界貿易センターツインタワー、1機はアメリカ合衆国国防総省本部庁舎ペンタゴン)に向かいこれに突入。3000人以上の死亡者と6000人以上の負傷者を出す大惨事となった。

 アメリカ政府は、この事件がサウジアラビア人のオサマ・ビンラディンをリーダーとするテロ組織「アルカーイダ」によって計画・実行されたとただちに断定し、16日にはジョージ・W・ブッシュ大統領が、次のように国民の恐怖と義憤を煽りながら、アメリカが「戦争 war」に入ることを宣言した。

« …We need to go back to work tomorrow and we will.  But we need to be alert to the fact that these evil-doers still exist.  We haven’t seen this kind of barbarism in a long period of time.  No one could have conceivably imagined suicide bombers burrowing into our society and then emerging all in the same day to fly their aircraft – fly U.S. aircraft into buildings full of innocent people – and show no remorse.  This is a new kind of  — a new kind of evil.  And we understand.  And the American people are beginning to understand.  This crusade, this war on terrorism is going to take a while.  And the American people must be patient.  I’m going to be patient.

But I can assure the American people I am determined, I’m not going to be distracted, I will keep my focus to make sure that not only are these brought to justice, but anybody who’s been associated will be brought to justice.  Those who harbor terrorists will be brought to justice.  It is time for us to win the first war of the 21st century decisively, so that our children and our grandchildren can live peacefully into the 21st century. »

(…我々は明日には仕事に戻らなければならないし、またそうするだろう。だが我々は、ああした悪事を働くやからがまだ存在していることに警戒しなくてはならない。かくのごとき蛮行を、我々は長い間目にしたことがなかった。自爆犯らが我々の社会に潜り込んでいて、ある日一斉に姿を現し、奪った航空機――罪もない人々を満載した合衆国の航空機――をビルに突っ込ませ、それでいて何の後悔の念も示さぬなど、一体だれが想像しえただろうか? これは新手の悪だ。我々はそれをはっきり理解した。アメリカ国民も理解しつつある。この十字軍、テロリズムに対するこの戦争はまもなく始まる。それまでアメリカ国民はこらえて欲しい。私もこらえる。

 だが私はアメリカ国民に約束しよう。私の決意はゆるがない。あれらの者どもが裁きを受けること、いや、彼らのみならず、これに加担してきた全ての者も裁きを受けることを保証することに全力を注いでいくことを。いまこそ我々が21世紀初の戦争に勝利する時だ。我々の子どもたち、孫たちが、平和に21世紀を生き抜くことができるように!)

 実際、ブッシュ政権はこれを機にアフガニスタン侵攻を行った。また2002年には、イラク、イラン、北朝鮮の3国を、国際テロ組織の温床たる「ならず者国家」「悪の枢軸」と断じつつ「アメリカの防衛のためには予防的措置および場合によっては先制攻撃も必要」として戦争を開始することを決定。大量破壊兵器を隠し持っているという疑惑を理由に、イラク戦争へと突入していく(参照:The White House HP【URL】http://bit.ly/1j09a5V)。

(※91)戦時国際法(交戦法規 jus ad bello):戦争状態においてあらゆる軍事組織が遵守すべき義務を明文化した国際法。

 「ハーグ陸戦の法規慣例に関する条約」(1899年採択)や「ジュネーヴ諸条約」(1864年、1906年、1929年、1949年)が有名であり、開戦・終戦、交戦者資格、攻撃目標、戦闘方法、捕虜の扱い、非戦闘員の対応、死傷者の収容・保護、病院地帯・非武装地帯などについて定める。

 これら「戦時国際法」を支えるものは、敵を撃滅するために必要な軍事的措置を正当化する原則である「軍事的必要性」、および、不要な破壊や殺戮、非戦闘員に対する攻撃、過剰な苦痛といった、適切な軍事活動にとって不必要な行為を禁止する原則である「人道的必要性」の二大原則であり、これに違反することは国際者社会からの非難を受けるとともに戦争犯罪として処罰の対象になる(戦時国際法:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bmL6RT)。

(※92)ブッシュの戦争がそうでした:2001年9月の同時多発テロを契機に「対テロ戦争」を国家戦略の中心に据えたアメリカのブッシュ政権は、翌2002年初頭の一般教書演説において、大量破壊兵器を保有するテロ支援国家=「悪の枢軸国」としてイラン、イラク、北朝鮮を名指しで非難。2003年3月には、国連決議なしに、イギリスとともにイラクに対して開戦に踏み切った。

 「イラクが大量破壊兵器を秘密裏に保有している可能性があり、それが世界の安保環境の脅威となっている」こと「独裁者サダム・フセインが、クルド人を弾圧するなど、国内に圧政を布いている」こと、そして「フセインと国際テロ組織アルカーイダとが協力関係にある可能性がある」ことなどを理由に、米英による「先制的自衛権」の行使は正当化されるというのである。

 こうして「イラク戦争」(2003年3月20日〜2011年12月15日)が始まった。

 開戦直後から米英連合軍は、GPS誘導爆弾やレーザー誘導爆弾、武装プレデターなどの無人攻撃機や遠隔操作無人自走機関銃など、ハイテク兵器を投入した。

 また、ピンポイント爆撃をはじめとする空爆や巡航ミサイルによる迅速な攻略法で瞬く間にイラクを征圧し、5月1日には米英連合国軍の圧倒的勝利というかたちで戦闘の終結を宣言した。

 だが「復興業務」という名目でその後も連合国軍はイラクに駐留し、残存する「テロ勢力」に対する掃討作戦を続行した。同時に、米軍によって直接手が下された残虐な『戦争犯罪』――戦時国際法違反――が、次々と明るみに出た。

 たとえば、ジュネーヴ諸条約(1949年)および同条約第一・第二追加議定書(1977年)は、軍人と文民、軍事目標と民用物を区別せずに行う無差別攻撃(第二次世界大戦で行われたような都市への空爆などもこれに相当する)を禁止している。

 しかし、アメリカ軍は、サダム・フセインを含めた最重要指名手配者殺害のため、民間人居住区への空爆を50回近く許可。目標人物の誰ひとり仕留めることができなかったうえ、誤爆により200人にも上る民間人が犠牲になった。

 とりわけ2004年4月のファルージャ総攻撃では、米軍は市街地を包囲して「病院も一般住民も武装戦士達も区別することなく」攻撃を加えたのみならず「民家に武装勢力が潜んでいる」としてピンポイント爆撃を展開し、600人とも1,000人以上ともいわれる住民を殺害した。

 この際、米軍が白リン弾や劣化ウラン弾等の残虐兵器を大量に投入したことも明らかになっている。

 さらに世界を驚愕させたのは、アブグレイブ刑務所(イラク)やグアンタナモ湾収容キャンプ(キューバ)における、米軍兵士のイラク人拘留者に対する行為である。ジュネーヴ諸条約(1949年)および同条約第二追加議定書(1977年)は、軍隊に編入されている者といえども、降伏者、捕獲者に対しては一定の権利が保障されており、あらゆる暴力、脅迫、侮辱、好奇心から保護されて人道的に取り扱われなければならないこと、また、女性はあらゆる猥褻行為から保護されねばならないことを定めている。

 だが2004年、内部告発によって、これらの収容所で「尋問」と称しての水責め、殴る蹴るの暴行、睡眠妨害、電気ショック、薬物投与のほか、裸にして汚物を塗りたくる、犬をけしかける、性的・屈辱的姿勢や行為を強要するなど、必要以上の肉体的・精神的苦痛を収容者に与える暴力が横行していたことが、1,000点を超える証拠写真とともに発覚したのであった。拷問のすえ命を落としたイラク人捕虜も少なからぬ数にのぼる。

 かくしてアメリカは「人道に対する罪」を国際社会から激しく非難されることになったが、アメリカ政府は収容所が国外にあることや、テロリストは「捕虜」ではなく「犯罪者」であるとの身勝手なロジックをたてに、ジュネーヴ諸条約の適用を否定するとともに、少数の末端の兵士の暴走として幕引きを図ろうとしている。

 そもそも開戦の名目であった「イラクによる大量破壊兵器の隠匿」は、事実無根の言いがかりであったことが判明。ブッシュ元大統領をはじめ、この戦争の意思決定に関与した者たちに裁きを求める声はいまだ大きい(参照:イラク戦争:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1qAF6ZD)。

(※93)挙げ句の果てには殺されてしまって:2014年、イスラム過激派による戦闘やテロ活動がエスカレートする中東で、二人の日本人が過激派軍事組織ISILに拘束された。

 一人は元ミリタリーショップ経営者の湯川遥菜氏。6月にイラク、次いで7月にシリア入りし、以前から交流のあった反政府勢力兵士らと行動をともにしていたところ、8月なかばにシリア北部のアレッポで拘束された。もう一人はフリージャーナリストの後藤健二氏。10月末、取材のため入国したシリアでISILに拘束される。

 年明けの2015年1月20日、ISILから日本政府および日本国民に向けた動画が発信された。そこには拘束された二人の姿が映し出され、ISILメンバーと見られる覆面の人物によって「おまえたちはイスラム国と戦うのに2億ドル支払うという愚かな決定をした。よって、72時間以内に2億ドルの身代金の支払いがなければ二人を殺害する」との声明が発せられた。

 日本政府は身代金の支払を拒否。その結果、1月24日には湯川氏の、次いで2月1日には後藤氏の、各々無惨に殺害された姿が、インターネット上の動画に公開されたのだった。

 1月20日の犯行声明にも示唆されていたように、この日本人拘束および身代金要求事件は、安倍首相が直前の1月17日にカイロで行った「地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺諸国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」という発言が引き金になっている。

 いかに「人道支援」と銘打ったところで、戦闘の主要部分を占めるのは後方支援であるがゆえに、日本の「ISILと闘う周辺諸国に総額で2億ドル」はイスラム国からすれば利敵行為であり、宣戦布告にひとしい。

 さらに悪いことに、安倍首相はこのときイスラエルも訪問、イスラエル国旗を背に、ネタニヤフ・イスラエル首相と連携の強化を誓ったのである。これはイスラム国に敵対する示威行動にほかならない。

 かくのごとき配慮を欠いた振る舞いが二人の命を奪うことになったと、国内では安倍首相に対する激しい非難が巻き起こった。

 また、アメリカをはじめとする諸国の「テロリストの要求には屈しない」姿勢に同調するあまり、身代金を支払わなかったことも国民の怒りに油を注いだ(参照:ISILによる日本人拘束事件:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1UXabSj)。

(※94)国内では集団的自衛権行使容認を閣議決定一つでやってしまい:2014年7月1日、政府は首相官邸で臨時閣議を開き、集団的自衛権の行使を容認するための憲法解釈変更を決定した。日本はこれまで、安全保障政策として「専守防衛」を堅持。権利を有していても行使できないとしてきたが、そうした従来の立場を180度転換し、たとえ日本が攻撃されていなくとも自衛隊が他国の武力紛争に参加できるようにしてしまった。

 行使を抑制する歯止めとして、政府は武力行使を認めるための(1)密接な関係にある他国への武力攻撃が発生し、国民の生命・自由、幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合、(2)国民を守るために他に適当な手段がない場合、(3)必要最小限度の実力行使の三要件を挙げ、この三要件を満たしての武力行使のさいの法的根拠として、憲法上は「わが国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置」、国際法上は「集団的自衛権が根拠」とした。

 くわえて、国連平和維持活動(PKO)に参加する自衛隊が離れた場所にいる他国部隊や国連職員を助ける「駆けつけ警護」での武器使用を可能にする方針も示した。

 国民の激しい反対の声を押し切っての強行採決であった。

 「集団的自衛権行使の三要件は曖昧で、時の政権の裁量次第で無制限の武力行使が可能になるのではないか」「他国、それもアメリカの戦争に巻き込まれるのではないか」「ゆくゆくは徴兵制も憲法解釈の変更で合憲とされてしまうのではないか」といった人々の不安の声も、全世界の人々の平和に生きる権利、すなわち平和的生存権を定めた日本国憲法前文にも、一切の武力による威嚇や武力の行使を放棄することを定めた日本国憲法第9条にも違反するという憲法学者、弁護士、元法制局長官、元最高裁長官らの警告も、憲法解釈の変更に関する報告書の提出(2014年5月15日)からわずか1ヶ月半で閣議決定・採択という異様なスピード決着の前に無視された。

 こうして日本の立憲主義は踏みにじられ、以後政府・自民党の暴走は加速していくことになった(参照:立憲デモクラシーの会HP 安倍内閣の解釈改憲への抗議声明【URL】http://bit.ly/2bcUA0p)。

(※95)安保法制を強行突破:2014年7月の集団的自衛権行使を認める憲法解釈変更による閣議決定にもとづき、2015年5月14日、安倍政権は国家安全保障会議および閣議において、平和安全法制整備法案(「我が国及び国際社会の平和及び安全の確保に資するための自衛隊法等の一部を改正する法律」)および国際平和支援法案(「国際平和共同対処事態に際して我が国が実施する諸外国の軍隊等に対する協力支援活動等に関する法律」)の2法案を決定。

 同年7月16日に衆議院本会議にて可決したのち、同年9月17日および19日の参議院本会議で可決、成立した。

 これらは、自衛隊法、周辺事態安全確保法、船舶検査活動法、国連PKO協力法、事態対処法制など10の法律を一括改正するものであり、以後日本は、自衛隊の活動内容を拡大し、在外邦人などの保護措置のため、また米軍等の部隊を支援するために、武器の使用や物品・役務の提供が行えるようになる。

 安倍政権が繰り返してきた「わが国を取り巻く安全保障環境が変化したいま、国民の命と平和な暮らしを守り、国の存立を全うするために必要な法律」や「諸外国の軍隊に協力する活動を通じて国際社会の平和および安全の確保に貢献するために必要な法律」等、口当たりの良いうたい文句とは裏腹に、実質的にはまさに「戦争法案」の呼び名にふさわしい法案であり、9割の憲法学者、最高裁元長官、最高裁元判事、内閣法制局長官経験者、日弁連および52の弁護士会すべてが違憲と判断したほか、国内外で批判や撤回を求める声が噴出した。

 「戦争法案反対」のデモや集会が連日行われ、参院での採決・可決の日も国会議事堂周辺を大勢の人々が取り囲み「戦争法案廃案」や「憲法守れ」のコールを挙げた様子は記憶に新しい。政府はこうした大勢の国民の声を無視して、強行採決に踏み切ったのだった――飛び交う怒号と罵声、委員長席に詰め寄ろうとする野党議員を力づくで妨害する自民党議員、速記を止めさせたまま採決・可決を宣告する委員長など、およそ立憲主義国家とは言い難い様相を呈した(参照:平和安全法制:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1UWTkfB)。

(※96)SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動 Students Emergency Action for Liberal Democracy):2015年5月3日、安倍首相の政権運営や憲法観に対して危機感を抱く若者たちによって発足した学生団体。東京都内の大学生・奥田愛基氏らが中心となり、在籍する大学・学校も様々な十代後半から二十代前半の若者たちが、学業やアルバイトのかたわら、国会前をはじめ人の集まる場所で安倍政権に対する抗議集会・抗議活動を行った。

 2013年12月6日に参議院本会議で可決された「特定秘密保護法」に反対するため、首都圏の大学生メンバーが創設した「特定秘密保護法に反対する学生有志の会 Students Against Secret Protection Law, 略称SASPL」をその前身とする。

 代表者を立てず、抗議活動を担当する「デモ班」、その様子を配信するための「映像班」、ビラやチラシを作成する「デザイン班」など、メンバーたちが分業体制で運営。若者らしい活力に溢れたパフォーマンスと洗練されたスタイルは「SEALDsKANSAI」「SEALDs TOHOKU」「SEALDs RYUKYU」など、地方の学生らによる派生団体を数多く生み出したのみならず、若者の政治に対する無関心を憂慮していた国内のリベラル層を勇気づけ、母親たちを主体とする「安保関連法案に反対するママの会」など、幅広い年齢・階層によるいくつもの市民団体の創設を促した(自由と民主主義のための学生緊急行動:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1hOriH3)。

(※97)安保関連法案に反対するママの会:安倍政権の推進する安保関連法案に危惧を抱いた子育て中の京都の母親たちが、SEALDs等若者たちの反安保関連法案運動に即発され、「だれの子どもも、ころさせない」「We say NO WAR!」をキャッチフレーズに、2015年7月に立ち上げた市民団体。発起人であり三児の母である京都大学大学院生の西郷南海子さんが、Facebookで『安保関連法案に反対するママの会』のグループページを立ち上げるや、9日間で2000人を超える賛同者が集まり、発足から1年を経たいまや2万人を超える賛同者を有する。

 「これだけの人たちが戦争に反対していることを、沢山の子どもたちに見せたい」として実施した、2015年7月26日の「7・26戦争立法反対! ママの渋谷ジャック!」をはじめ、多くの街頭宣伝やデモ、講演会を実施。各都道府県に数多くの派生団体を生み出したほか、SEALDsや「立憲デモクラシーの会」「安全保障関連法に反対する学者の会」「戦争をさせない・九条壊すな! 総がかり行動実行委員会」といった他の団体とも連携し『戦争法(案)』廃止に向けた活動を続けている(参照:安保関連法案に反対するママの会 HP【URL】http://mothers-no-war.com/)。

(※98)安全保障関連法に反対する学者の会:歴代の政権が憲法違反と判断してきた集団的自衛権の行使を憲法解釈の変更という手を使って法案化したにとどまらず、圧倒的多数の憲法学者・学識経験者、歴代の内閣法制局長官が違憲とし国民の6割以上が反対を表明している安保法案を強行可決した安倍政権を「立憲主義と民主主義と平和主義を破壊する暴挙」であるとし、これの廃案および廃止を求めて、2015年6月、憲法学者や大学教員、弁護士らが「学問と良識の名において組織」した団体である。

 街頭における抗議活動や抗議声明の発表のほか、各都道府県に結成された大学関係者による有志の会や、SEALDs等の学生団体、日本弁護士連合会など、志を同じくする他の団体とも共闘し、安倍政権による『議会制民主主義の蹂躙』『立憲主義に対する冒涜』を糾弾しつづけている(参照:安全保障関連法に反対する学者の会HP【URL】http://anti-security-related-bill.jp/)。

(※99)エジプト:2010年末、ひとりの若者が当局による度重なる理不尽な取締りに抗議して行った焼身自殺を発端に、チュニジアで大規模な反政府運動が巻き起こり、わずかひと月ほどで長年独裁体制を維持してきたベン=アリー政権を崩壊させるに至った。

 この民主化運動(ジャスミン革命と呼ばれる)は他のアラブ諸国にも飛び火、各国で長期独裁政権に対する国民の不満と結びつき、一連の政治改革を引き起こした。「アラブの春」である。

 エジプトはジャスミン革命の影響が最も早く波及した国であった。独裁体制を30年にもわたって維持してきたムバラク大統領の辞任を求め、2011年1月25日、カイロやアレクサンドリア、スエズなど、国内各都市で大規模デモが発生。治安部隊との衝突で死傷者を出しつつも、2月11日にはムバラク大統領を辞任に追い込んだ。

 軍による暫定的な統治の後、翌2012年7月、自由選挙を経てムハンマド・ムルシーが初の文民大統領として就任。12月には新憲法が制定され、新たな民主主義国家の船出と思われた。

 ところが、ムルシー政権はわずか1年で崩壊、エジプトは軍と警察による強権支配の国に逆戻りしてしまう。

 外貨準備金の枯渇による財政状況の悪化およびインフレ率の上昇にくわえ、労働組合結成の禁止や国内企業の安値による売却など、ムルシー大統領が取った新自由主義政策によって国民生活はみるみる悪化した。

 それを不満とする反政府勢力とムルシー派勢力とに国内はまっぷたつに分かれ、ちょうどムルシー大統領就任1年目にあたる2013年7月には大規模な暴動が発生。これに乗じて、アブドルファッターフ・アッ=シーシー国防大臣兼エジプト国軍総司令官率いる軍部がクーデターを起こしたのだった。

 憲法は停止され、ムルシー大統領は大統領権限を剥奪されたうえ、逮捕・拘束された。そして、ハーゼル・エル=ベブラーウィー暫定内閣を経て、2014年6月、シーシー国防大臣兼エジプト国軍総司令官がエジプト大統領に就任した。

 以後エジプトは、シーシー政権のもとで議会は停止、内閣と大統領が立法機能を担うという異常事態が続き、抗議規制法やテロ対策法といった国民の自由を制限する法律を次々と成立させていった。

 2016年1月、昨年の選挙を受けてようやく議会が復活したものの、大統領支持者が圧倒的多数を占め、ムバラク時代の政権幹部や官僚、治安機関出身者も多くいる。政策に批判的なジャーナリストや活動家は監視され、資金を没収される、国外渡航を禁止される、さらには一斉に検挙されるようになった。

 とりわけ問題視されているのが「テロとの戦い」を名目とした人権の蹂躙である。シーシー政権は米英との結びつきを強め「過激派とテロと戦う上での重要なパートナー」(ジョン・ケリー米国国務長官)として治安部隊による市民の監視や拘束を強化している。

 エジプト内務省によれば、これまでに数万人、2015年だけで12000人近くが「テロリスト」の疑いで逮捕された。逮捕者は拘禁施設で劣悪な環境に長期間置かれるのみならず、激しい暴行や電気ショック、さらには性的暴行などの拷問を受けているという。治安部隊に連れ去られた市民の中には、その後行方知れずとなった人も少なくない。

 5年前に世界中から歓呼の声で送り出された新しい「民主主義国家」は、このように、瞬く間に強権的な警察国家へと戻っていったのである(参照:2013年エジプトクーデター:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bLBwZM)。

(※100)自分たちのことを「リベラル・デモクラシーを核として自由と民主主義を共通の思想として持つ陣営」と言います:自民党は2005年11月、結党理念を新たにした。それは次のように、自らが「自由主義」と「民主主義」の担い手であることを高らかに宣言する一文から始まるものであった。

 「わが党は、すべての人々の人格の尊厳と基本的人権を尊重する、真の自由主義・民主主義の政党である」

 安倍政権が第一次内閣(2006年9月〜2007年8月)から第三次改造内閣(2015年10月〜)に至るまで推進してきた「価値観外交」は、まさにこうした自己規定を対外政策に利用したもの(のはずである)。

 すなわち「自由主義、民主主義、基本的人権、法の支配、市場経済」を「普遍的価値」とし、この「普遍的価値観」を共有する国々との連携を通じて平和と繁栄を構築するというものだ。

 だが、これを具体化した対外政策構想「自由と繁栄の弧」にもはっきり顕在化しているように、狙いはアメリカと一体となっての、中国、北朝鮮、中東といった国々に対抗するための包囲網の構築であり、それは安倍首相が、アメリカの要人たちに対して事あるごとに「非欧米圏における<リベラル・デモクラシー>の先駆者たる日本」をアピールすることからもうかがえる。

 2013年2月のワシントンDCにおける安倍総理の演説はその端的な例であり「日本はグローバルコモンズの守護者として、米国をはじめとした志を同じくする一円の民主主義各国と力を合わせる」「ルールの増進者であり顧問図の守護者、米国など民主主義諸国にとって力を発揮できる同盟相手であり、仲間である国、それが日本」「日米両国が世界により一層の法の支配、より多くの民主主義そして安全をもたらすことができるよう、日本は強くあり続けたい」「世界最古にして最大の海洋民主主義国である米国と、アジアで最も経験豊かで最もリベラル・デモクラシーの海洋国である日本とは、まことに自然な組合せ」などと、日本がアメリカにとって自由主義・民主主義を共有するパートナーであることをしきりと強調したのであった。そこには、卑屈なまでの対米従属と、価値観の異なる国々を蔑む驕りとが浮き彫りになっていた(参照:自民党 HP【URL】https://www.jimin.jp/aboutus/declaration/100292.html)。

人とは何か、国家とはどうあるべきかということに対する、長い省察のなかで培われた、「個人」という概念~自民党改憲案はこれを、もっと集合的なるものを含意する「人」へとすり替える

樋口「私は従来、日本国憲法の条文のなかであえて一番肝心要の条文を挙げよと言われれば、憲法第13条をあげてきました。特ににその第一文章、法律家は前段と言いますが、その『全て国民は、個人として尊重される』という一文です。

 尊重されるのは国民だけなのかという議論はもちろんありますけれども、しかし、20世紀を通じて今日まで、憲法というものは国民国家単位でできていますから、そこは少なくとも自然に読んでほしい。国民でないものを除外しているというふうな読み方ではなく、人として尊重されると、素直に」

岩上「現行憲法第13条『全て国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大限尊重されなければならない』――最大限の尊重ですね。

 これに対し、改憲案では『全ての国民は人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない』となっている。

 注目すべきは、まず現行憲法の『公共の福祉』が『公共及び公の秩序』に取って代わられている点。次いで、『国民』が『人』に代わっている点です」

樋口「そのとおり。前段の『個人として尊重される』が『人として』に変わっています。ところが『個人』という語は、諸国の憲法の文言に限らず、政治思想や法思想など近代以降のさまざまな領域で運用されるなかで、格別の意味を保持してきた、歴史的に非常に重たい言葉なんです。それを『人』に置き換えると。『個人』はイヤで『人』にしようと」

岩上「『個人』と『人』との違いは何か、これが普通の人には、あるいは私どもも考えたりしたんですけど、なかなか・・・」

樋口「『人』というのは、たとえば、刑法199条に『人を殺したるは』云々とありますね(※101)。これは自然に使われる用法です。つまり、動物、植物、鉱物のなかでの一類型ということです。

 生物学的にはもっと周到な定義ができるんでしょうが、我々は常識的に『人』というものを理解しています。胎児は『人』なのかというような問題も勿論あるわけですが、それは堕胎罪なんていう犯罪類型を問題にしたときに持ち上がるのであって、普通は、『人』とは我々が経験的に認識できる――」

岩上「肉体的存在ですよね。生命があって肉体がある」

樋口「それに対し、『個人』という概念はまさに近代を特徴付けてきました。そもそも、それこそ『人』が集まって今の用語で言うところの『国家』のようなものが形づくられてきたわけですけれども、近代以前はそれは血のつながっているもの同士のまとまり、つまり『人種』や『民族』といった、なんらかのエスニックな単位における『人』のまとまりのことでした」

岩上「『部族』なんかもそれですね」

樋口「あるいは、神様の思し召しでできた国、と『国家』の成り立ちを説明するものもありましたでしょ(※102)」

岩上「神が世界を創造し、アダムとイブが生まれ・・・みたいな話ですね」

樋口「しかし、近代における『国家』はそうではない。義務教育段階で習う社会学的理論の主要な転換点を挙げるなら、まず、トマス・ホッブズ(※103)。ホッブズの国家イメージは非常に強い国家、権威主義的な国家ですけれども、その成り立ちを『個人』で説明するわけです。

 『人は人にとってオオカミである』という彼の言葉は有名ですが、それでは社会関係が成り立たないから、約束を取り結んで、権力を一つのところに預ける。それが今風に言うところの『国家』というわけです。

 つまり、神様の思し召しで集められたわけでもなければ血がつながっているわけでもない諸個人、日本語には馴染まない表現ですが、そうした諸個人が、あえて互いに約束を取り結びこしらえたものが、近代的な意味での『国家』なんです」

▲トマス・ホッブズ(出典・WikimediaCommons)

▲ホッブズ著『リヴァイアサン』の口絵(出典・WikimediaCommons)

岩上「なるほど。個人には各々いわば自衛権があり、欲望があり、戦う闘争心や権力を志向する気持ちが全員にある。そのせいで、互いにぶつかりあい、際限のない闘争が生まれてしまうから、停戦の取り決めをあらかじめしておこうと。

 こういう違反をしたら処罰されるけど、こういうルール内だったら大丈夫とか、とにかく各々の個人が侵害されないように、自衛権を規範化しようってことですね」

樋口「そうです。それで権力を一カ所に集めたわけです。こうした、力を振るうことを正当化された、ひとところに集められた物理的強制力というのが、ホッブズが抱いた国家イメージなわけですね。それで諸個人の生存、安全というものを維持するんだと。

 この理念は、政治史的にも思想史的にも非常に大きな転換点をもたらしたわけですけれども、しかし権力というのはしょうがないもので、目的を決められて預かったはずのものを勝手に使い出すかもしれない」

岩上「乱用ですね」

樋口「そうなってはいけないから、やはり『権力からの自由』というものも保障されていなければならない。ということで、最終的には抵抗権まで含めて、この『権力に対する権力からの自由』というものを論理化したのが、ジョン・ロック(※104)ですよね。

 さらに、その権力を、個人の集まりである国民が自らの手で動かすための仕組み、いや仕組みだけでなく、いつでも動かせるような状態を作っておかなくていけないと主張したのがルソー(※105)です」

c7cc1a0a1970137ebc4c2b6f0f83ea6ace1ce6ee

▲ジョン・ロック

2e97b2a850562bc6bb49e1bc36c9b8213ccede99

▲ジャン=ジャック・ルソー

岩上「頭の中がすっきりしました」

樋口「まあ、こうして日本の義務教育の段階で名前だけは必ず出てくる思想家たちを辿っていくだけでも十分納得できるでしょう。そういうものの考え方の系譜のなかで作り上げられてきたコンセプトが『個人』なのだということです。

 ところが、このたびの改憲案ではその『個人』がどうも困ると。『個人』じゃなくて『人』なんだと。これが一番決定的な転換点です」


(※101)刑法199条に『人を殺したるは』云々とありますね:「人(ひと)」という言葉は、実在としてのわれわれ人間の様々な位相を指し示す。生物学的分類における1カテゴリーとして(「ヒト」)、またその観点から、同一種族としての仲間意識そのものを(「人類」)、そうした<類>を構成する個々の実在を指して(「個人」)、また、個々の実在を個々ならしめる精神的なるものを指して(「人格」「人間」)等々。

 だが、法律用語としての「人」は、そうした様々な「人間」の位相も包括する、独自かつ明確な定義を有している。すなわち「誕生と死、氏名・住所、権力・義務を有する社会的実在」「法人」と対をなす「自然人」としてである。近代法では通常、すべての人に平等に権力能力を認める。

 刑法第199条(殺人罪)「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する」における「人」も、まさにこの「誕生と死、氏名・住所、権力・義務を有する社会的実在」=「自然人」のことをいうのであり、まさにその定義を根拠として、他の「自然人」の権利や利益を害する行為を罰することが正当化される。

 ここで保護されるべき「人」の利益(「保護法益」という)とは「生命」、罰則が適用される行為の主体は「人」、その対象も「人」である(ただし、このふたつの「人」は同一人物ではない)。また、主体である「人」に明確な殺人の意図があること(「故意犯」)が適用の条件である。

 日本法は原則的に、犯罪が行われた場所が日本国内・日本籍の船内・航空機内に適用されるとする「属地主義」を採用しているが、人命は極めて貴重なものであるがゆえに、殺人罪に関しては広い範囲で適用されると規定されている。とはいえ、近年のテクノロジーの発達は「人」の「始期」(出生前の「生」、すなわち胎児のどの段階をもって「人」のはじまりとするか)および「終期」(脳死は「死」かなど「生」のどの段階をもって「人」の終わりとするか)を曖昧化させていることもたしかであり『人』の定義は議論を深めてゆかねばならない課題となっている(参照:自然人:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bmNhVg)。

(※102)神様の思し召しでできた国、と「国家」の成り立ちを説明するものもありましたでしょ:たとえば古代イスラエル王国がそうである。旧約聖書によれば、ユダヤ民族の祖とされるアブラム(のちのアブラハム)は「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地へ行きなさい。/わたしはあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高める」(『創世記』12:1-2)という神ヤハウェの啓示を受けて、妻サライ(のちのサラ)や甥のロトらとともに約束の地カナン(パレスチナ)へ旅立った。その地に移り住んだアブラムは、次のような神の言葉を聞く。

 「さあ、目を上げて、あなたがいる場所から東西南北を見渡しなさい。見えるかぎりの土地をすべて、わたしは永久にあなたとあなたの子孫に与える。あなたの子孫を大地の砂粒のようにする。大地の砂粒が数えきれないように、あなたの子孫も数えきれないであろう」(『創世記』13:14-16)

 アブラム夫妻は子どものないまますでに老人となっていたが、全能の神は妻サライに一子イサクを授ける。このイサクから生まれるヤコブ(のちにイスラエルと改名)が一族をまとめ、さらにその子ヨセフの時代にエジプト王の厚遇を得てエジプトに移り住み、栄えることになる。

 だが、王朝が代わり迫害されるようになったイスラエルの民は、神の啓示を受けたモーセに導かれてエジプトを脱出(『出エジプト』)。40年間荒野を彷徨い続けて約束の地カナンに帰り着き、そこで神と契約を結んで、以後、「士師」と呼ばれる指導者らのもとでカナンの地を獲得してゆく。そして最後の士師サムエルの時代、民から王を望む声が高まり、サムエルは神の指示にしたがって最初の王サウルを選出。こうしてイスラエル王国が誕生した。

 王国はサウルの後継者ダビデと、その子ソロモンの時代に黄金時代を迎えるが、その後、王も民も神から離れ、不正と堕落に身を任せるようになったことから神の怒りを買い、王国は瓦解し、イスラエル民族は散り散りとなるのである(参照:新共同訳『旧約聖書』日本聖書協会)。

(※103)トマス・ホッブズ(Thomas Hobbes、1588-1679):イングランドの哲学者。デカルトなどとともに機械論的世界観の先駆者のひとりであるとともに、スピノザなどとともに唯物論的思索を行った人物として知られる。だが、何よりも有名なのは政治哲学者として、それも社会契約説により新たな政治秩序を確立することを目指した哲学者としての側面であり、その理念は「リヴァイアサン」(1651年)に結実している。

 理想的な国家モデルを導き出すにあたり、ホッブズは、まずはその構成員たる個々人の本性に関する分析から出発する。そこでは、人間の自然状態は闘争状態であると定義される――人間には自己保存の本能と固有の能力としての理性がひとしく与えられている。

 そして、自己保存のために、理性は資源を獲得することを命ずる。だが資源は有限であるため、その獲得をめぐって敵対者と争わねばならない。

 すなわち、人はその敵対者に対して先制攻撃を加え、殺害し排除するか、もしくは服従させるかを選択することになるのである。これは自己保存を最重要価値とする自然権の行使であり、自由であらねばならない。

 しかし、そうした天賦の自然権を自由に行使しあえば、人間社会は混乱に陥り、自己の保存も脅かされる。取引による経済発展も不可能となり、人間の生はこうして孤独で残忍なものとなるだろう、と。有名な『万人は万人に対して狼』『万人の万人に対する闘争』のテーゼである。

 では、自然状態でのこのような絶望を回避するにはどうするべきか。ホッブズは次のような仕組みを提唱しながら、共生・平和・正義による各自の自己保存を説く。

 人々が自然権を共通権力に対して放棄・譲渡する契約を互いに結び、自然状態で生まれる闘争を停止する。また、契約の参加者は代理人を立て、その代理人に共通権力を与えて契約の履行を監視させる。そうして複数の人間から構成されつつも人格の単一性を有するまとまり=国家(コモンウェルス)を形成し、そのような人格の単一性を代表する者=主権者に、それ以外の成員である臣民の自己保存を保障させる、というものである。

 このようにイメージされた国家を、ホッブズは、旧約聖書・ヨブ記に登場する海の怪物レヴィアタンになぞらえ「リヴァイアサン」と呼ぶ。

 「リヴァイアサン」が執筆された時期のイングランドは、立憲政治が確立する過渡期にあった――テューダー朝の成立(1485年)以来、イングランドは行政権の拡大と国王大権の強化を推進。

 さらに、1603年にスチュアート朝が成立すると、国王ジェームズ1世は「王権神授説」によって国王の絶対的権力を正当化し、これに抗議する議会と国王との対立が深刻化していった。

 スコットランドの反乱を機に1642年には内戦に突入、クロムウェルら議会派によって共和制が樹立される(ピューリタン革命)ものの、反動勢力との闘争が続く。社会構成員による相互「契約」に基づくホッブズの国家モデルは、こうしたイギリス市民革命における混乱の時代にあってあたためられた。

 理性主義に基づく平等思想、アトム的人間観から構成的に人工の国家を導き出す手法など、近代的・民主主義的な国家理論であると評価されている。一方、社会契約を服従とみなすこと、主権者が一者であり主権を国家理性と措定すること、主権者に絶対的権限を付与することから、絶対王政を正当化するものと評されることもある(参照:トマス・ホッブズ:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1JZnmsO

(※104)ジョン・ロック(John Locke、1632-1704):イギリスの哲学者。『人間悟性論』において経験論的認識論を体系化し、「イギリス経験論の父」と呼ばれる。政治哲学者としても知られ、「統治二論」(1689年)で展開した政治理念はとりわけ有名である。

 ロックは政治権力の源泉を「王権神授」ではなく、社会の構成員による「社会契約」に求めるべきとした。

 このとき、ホッブズと同様に構成員の自然本性が問題になるが、ホッブズが人間の自然状態を自己保存という目的性に基づく「闘争状態」としたのに対し、ロックは、自然法に従う範囲内において完全に自由であり、原則的に服従関係のない平等な状態「牧歌的・平和的状態」としたのであった。

 そこでは、各々が生命、健康、自由、労働の対価としての財産所有の諸権利を平等に有するが、逆に他者の諸権利に干渉する権限もない。ひいては、権利の侵害が生じたさいも、その侵害者に制裁を加える権限もない。

 つまり「確立され安定した公知の法」「公知の公平な裁判官」「判決を適切に執行する権力」が、自然状態には欠けているのである。

 こうしてロックは、社会の混沌は自己保存のための闘争に起因するのではなく、そうした自然状態の不都合に起因するとした。

 ここからロックは、自然状態の不都合から自身の諸権利を守るものとしての『政府』を構想する。

 社会を構成する人々による相互の同意によって、自然法の解釈権(立法権)、執行権(司法権・行政権)を委譲された、理解ある一部の人間たちによって運営される統治機関、安定的な自然法の秩序をもたらすための政治的統一体としての「政府」である。立法権と執行権は、同一人の手中にあると利己的に用いられる恐れがあるため、分離されるべきとされる。

 また、これらの権限を行使するのは社会構成員の「信託」によるものであるがゆえに、もし政府がその「信託」に反して構成員の生命、健康、自由、財産を奪うなどといった行為に及ぶなら、構成員はそれを背信行為として断罪し、政府を変更する権利がある(抵抗権)――スチュアート朝における「王権神授説」に基づく王権の強化、これに対する議会と国王の抗争、ピューリタン革命と内戦という一連の革命期にあって練り上げられ、名誉革命直後に発表されたこの政治理念は、その後のイギリスの体制の理論的支柱となったのみならず、モンテスキューやルソーにも引き継がれるとともにアメリカ独立宣言やフランス人権宣言に大きな影響を与え、近代政治学・法学の基礎を構築することになる(参照:ジョン・ロック:Wikipedia【URL】http://bit.ly/23KJ14B)。

(※105)ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau、1712-1778):ジュネーヴ共和国に生まれ、主にフランスで活躍した思想家。文明論(『学問芸術論』『言語起源論』『人間不平等起源論』など)や教育論(『エミール』)が有名であるほか、作曲家・音楽理論家、植物学者としても知られる。だが、その名を最も世に知らしめているのは、トマス・ホッブズやジョン・ロックと並び、社会契約論を提唱した政治哲学者としてのルソーである。

 ルソーは、国家はすべての人間の自由と平等をこそ保障する仕組みであらねばならないとの理念のもと「社会契約」と「一般意志」による政治社会の理想を説いた(『社会契約論』(1762年))。自然状態にある人間が被る様々な危険や障害を取り除き、なおかつ、生存や自由、所有といった自然状態における各自の諸権利を確保するために、各人が合意によってその力を結集させる方法として、ルソーは先駆者たちの『社会契約論』を踏襲する。だが、ロック的な選挙を伴う議会政治およびその多数決では、国家を構成する「すべての」人間の意志が反映されるわけではない。そこでルソーは「一般意志」に絶対的に服従する国家というものを構想したのである。

 国民の意志とは何か、それは自由討論の過程で発見することができる。まず個々人の意志(個別的事情や利害)、つまり「特殊意志」が出され、その総和としての「全体意志」が形成される。そこから、相殺しあう過不足を除いてゆくことによって、全ての人にとって自分の問題でありなおかつ全員の問題でもある事項が抽出されよう。それが「一般意志」であり「公の利益」にほかならない。

 そして、この共通の意志たる「一般意志」にこそ主権の力はみとめられるのであり、また政治社会が従う唯一の規範でなければならない。ルソーはこうして、個人・社会・主権の完全な一致を目指したのであった。この理念は、こんにちの国民主権論の原型となったほか、近代的な「法の支配」のあり方――立法者や政府が『一般意志』に基づいて法律を制定し政治を行う。一方、政治社会の形成に関与した国民はその法律に従う義務がある――を規定することになる(参照:ジャン=ジャック・ルソー:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1O7jX2j)。

改憲草案前文に出現した「郷土」「和」「家族の助け合い」等のキーワード~改憲推進派が掲げる「日本の長い歴史と固有の文化」において、これらの言葉がどんな役割を担ってきたか、法的な観点からいえばそれこそ大事

岩上「そのことに関連して、ちょっと質問したいことがあります。自民党の改憲草案の前文についてです」

c3fbd523cb79584e5c4d5a8c1b84ca43253d9e4d

111590ea92e92103ab8a8f623b61b62f5bb144ab

樋口「はい。これは重要ですね」

岩上「冒頭に『日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴ある天皇を戴く国家であって』とありますが、こんなふうに(国家を)歴史的存在であるということを強調しますよね、自民党の改憲を推し進めようとする議員とかイデオローグの人たちは。

 要するに『人間はただの個人ではない。歴史を背負った存在なんだ』というわでけですよね。たとえば、西部邁(※106)さんなんかの主張はまさにそういうことでしたし、また(西部氏の影響下にある)自民党の西田昌司議員は『そもそも国民に主権があることなんかがおかしい』などと発言しています(※107)」

▲西部邁氏

▲西田昌司参議院議員

岩上「『ある時代の国民が決定的なんじゃないんだ、ずっと歴史的存在だから、過去を全部背負ってやっていかなきゃいけないんだ』と。だったら、未来の人たちのことも考えるべきじゃないのかという議論が出てしかるべきだと思うんですけど、この人たち、過去のことばっかりです。

 彼らのその『長い歴史と固有の文化を背負った歴史的存在としての人』という考えと、先生がいまお話し下さった『個人』という概念とは、ずばり対立するのではないかと思われるのですが」

樋口「それは、改憲草案の続きの部分を読むとはっきりしてきます」

岩上「はい。『日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する』」

樋口「『郷土』が出てくるでしょ、『和』というのが出てくるでしょ、それから、『家族』とか『互いに助け合って』と。人によっては、そんなに目くじら立てることもないじゃないかと思われるかもしれませんが」

岩上「そうですね」

樋口「ところが、最近の政治は『和』を尊ばないじゃないですか。敵と味方を作って敵を徹底的にやりこめる。あれは日本的じゃないですね、現政権のやり方は」

岩上「そうですね。『和』を全く尊んでない。『礼』もないですしね」

樋口「それから、『家族』も普通の家では大事なものでしょう。しかし、人によっては、もう家族だけは勘弁してくれとか、色んなつらい体験をしている人もいるってことを忘れちゃいけないですよ」

岩上「DVとかですね」

樋口「はい。それから『助け合い』というのも結構ですが、私の世代にとっては、それは『隣組』を連想させる言葉です。『隣組』による相互監視(※108)、というようなことを。

 このように、『郷土』とか『和』とか『家族』『助け合い』とかいったものを、おおむね結構なんじゃない? ぐらいの意識で草案に使っているんでしょうが、それだけで勘弁してくれという人もいることを忘れちゃいけませんし、それこそ『日本の長い歴史と固有の文化のなかで』これらの言葉がどんな役割を持って使われてきたか、法的な観点からそれこそが大事なんです。

 たとえば、『和』といえば『議論しちゃいけない』とか『長いものには巻かれろ』とか『長者様の言うことは聞け』とか」

岩上「お上の言うことを聞けってことですね」

樋口「『大家と言えば親も同然店子と言えば子も同然』もそうですね(※109)。『和』はそういったことがらを喚起する言葉です。『家族』についてはもっと深刻です。1945年までの日本の家制度が、女性にとって、いったいどんな意味を持ってきたか」

岩上「先生、その点に関して、最近気づいたことなんですけど、若い世代の人たち――若いっていっても中年から若者たちなんですが、戦前の家制度はどんなものか、びっくりするぐらい全く知らないんですよ。

 現実感を持って知っているのは70年安保の世代ぐらいまでで『戸主ってなんですか?』といった具合で、うちの若いスタッフもほぼ全員知りません。僕がひとつひとつ言ってきかせているんですけど・・・。戦前の家制度がどのようなものか、戸主とは何か、女性の人権や権利は当時どのぐらい制約されていたのか、ちょっとお話し願えると有り難いんですが」

樋口「それは、民法の親族相続法(※110)の領域です。財産法は基本的に戦争をまたいでそのまま維持されましたけど、親族相続法は根本的に差し替わった」

岩上「書き改められたんですね」

樋口「そこに、まさに『個人』の概念が適用されたわけです。かつての家制度のもとでは、『家の中の人』だったのであり、『個人』じゃなかった(※111)」

岩上「『家の人』であって『個人』じゃない・・・なるほど」

樋口「一口に言えば、そういうことです。ただ、このことは、明治の初めに近代法を移入する際、すでに問題にした小野梓という法学者がいました(※112)。法学者というよりは行政官僚、それも有能な行政官僚で、政府の方針が変わってくる中で官僚を辞め、在野の論客としておおいに活躍する人物です。若死にしてしまいますが、家単位でできた社会では良くないということを、すでに法律学の教科書の中でちゃんと書いているんです」

岩上「なるほど、なるほど」

▲小野梓(出典・WikimediaCommons)

▲早稲田大学キャンパス内にある小野記念講堂

樋口「『独立一個の個人』という言い方をしています。『独立一個の個人』をもって作られる社会でなくてはならないと。しかし、できあがった明治の法制度はそうではなかった。具体的には条文がいま手元にありませんので説明いたしませんが、『家族』はそうした意味におけるそれだったわけです」

岩上「戸主が非常に強い権利を持ち、それに従属する形で他のお年寄りや子供がいる」

樋口「もちろん婚姻の際は、その人が一定の年齢以下の場合には、戸主の許可が必要でした(※113)。男性もです。戸主の許可がいりました。成人年齢に達するまでは」

岩上「安倍政権の支持団体の『日本会議』(※114)とか、ああした『草の根保守』(※115)と言われる在野の団体はいくつもあるんですけど、その中のひとつは、さらに24条改正しろとか戸主制度を復活させて戸主が認可しない結婚は認められないというのを入れろとか(※116)、本当にもう具体的段階に入ってます。もしかすると、それは戦前よりキツイものになるかもしれない」

▲「日本会議」会長の杏林大学名誉教授・田久保忠衛氏

樋口「居場所をあえて『住所』とは言わず、『居所』を指定する『居所指定権』というのもありましたよね(※117)」

岩上「戸主がそんな権限持つんですね。これは権利というんですか」

樋口「権利というか、こうなると『権限』といったほうがいい制度です。これ一つをとってもわかるとおり、この改憲草案の起草者の人々、起草者ないしそれに賛同する自民党の会議体の人々、ほとんど重要メンバーは入っていますよね。その重要メンバーの面々が考えた『長い歴史と固有のなかでの日本的なるもの』がこれか、と・・・。

 しかし、その『長い歴史と固有の文化の中での日本的なるもの』とは何かというのは本当にとても難しい問題です。たとえば日本文学の伝統ひとつ取り上げても、源氏物語は戦時中、不敬をもって攻撃されたわけですし(※118)」

▲『源氏物語絵巻』第38帖「鈴虫」(出典・WikimediaCommons)

岩上「あ、不敬なんて言われたんですか、戦争中に? やっぱりそこは、天皇が浮気したり、ときにはそれを、女性の目線でおちょくったりしていますしね」

樋口「そういう源氏物語もあれば、井原西鶴の『好色一代女』(※119)のような作品もあるわけですし、決してハラキリだけが・・・」

岩上「文化ではない・・・」

▲井原西鶴『好色一代女』(出典・WikimediaCommons)

樋口「そう、それだけが文化ではないんです。つまり、何が『日本的なるもの』かというのはそんなにたやすいことではない。一方、この改憲草案を作った人たちの考える『日本的なるもの』といえば、それをシンボライズする言葉がいくつか出てくる。その典型が『家族』です」

岩上「彼ら草の根保守はそう言いつつも、選択的別姓制度にはことさら反対(※120)し、どうあっても一つの制度を強制しますよね。でも実際のところはどうかといえば、明治以前は地域や階級や、そこそこのしきたりに応じて、あるいは当事者の都合で同性であったりなかったり。それは支配階級でも別姓を名乗っていたり、あるいは途中で姓を変えたり、かなり自由ですよね」

樋口「圧倒的多数の農民には姓はないんですよ」

岩上「そう考えるとおかしいですよね。明治だけの話じゃないかって」

樋口「この点に関する限りは、明治法制度を念頭においてのことでしょうね」

岩上「そうすると『長い歴史』なんかないじゃないですか。たった五十何年ですよ、明治憲法下っていうのは。そういうのもじつにご都合主義的ですよね」

樋口「戦前の家制度を知る人がほとんどいなくなってきているということですが、そういう人たちは、日本の近現代の文学をちょっと見たらいいと思うんですね。

 私小説というものが、日本の文学における非常に大きな分野だったでしょ。それは単に身辺些事を語っているだけのものもありますけれど、多くはそうではない。家制度のがんじがらめの中での当時の日常、国家権力よりも家権力というものが個人に直接の強制力を及ぼした、そんな日常を描き出すものです(※121)」

▲日本における私小説の嚆矢となった田山花袋『蒲団』

岩上「確かに。人生をゆがめるとか、桎梏になっているわけですよね」

樋口「なっていたんです」

岩上「そう言われると、あのとき近代文学を読む意味があったんだと思えます。戦後生まれ戦後育ちの僕は、一応の教養と思って読み、今の現実とずいぶんかけ離れているなと感じたんですけど、その時代に戻そうというわけですね。それも、国家権力のあり方と結びついて、あの昔の話と思われるものが今…いやいやいや、これ、参照しないとちょっとまずいよというものになるかもしれないですね、近代文学は」


(※106)西部邁:元東京大学教養学部教授、評論家。経済学を始めとする社会科学の細分化に対する批判から出発し、1980年代からは大衆社会批判を主軸とした保守論者として活動するようになった。

 エドマンド・バーク流の保守主義者を自認し、人間は知的・道徳的に不完全な存在であり、歴史的に蓄積された慣習・規範を尊重することなしに社会的安定はありえないとする。「真正保守」を掲げる論壇誌『表現者』の顧問も務め、戦後日本を「歴史破壊的時代」として懐疑するという立場を表明している。

 従来の歴史教科書が「自虐史観」にもとづくとし、従軍慰安婦や南京大虐殺の記述を削除した新しい教科書の発行・採用を目指す「新しい歴史教科書をつくる会」にも一時参加していた他、改憲論者でもあり、国防に関しては国家の自立と自尊を確保するために日本の核武装、徴兵制導入、防衛費拡大、尖閣諸島の実効支配強化が必要などと主張している(参照:西部邁:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bUHAAq)。

(※107)西田昌司:自民党所属の参議院議員(2期)。自民党副幹事長、自民党京都府連会長、きょうと青年政治大学校事務総長、自民党税制調査会会長などを兼任。右派勢力からは「日本再生」のための最も優れた人材のひとりとして評価されている。一方、「国会の大砲」「国会の爆弾男」とあだ名されるほど、野次や爆弾発言で有名であり、これに眉をひそめる自民党ベテラン議員も少なくない。

 改憲問題についてもラジカルな主張で知られ、現行憲法をGHQによる「占領基本法」として破棄し明治憲法を復活させるべしとする「廃憲論」を主張。テレビ朝日の討論番組(『朝まで生テレビ』<激論! 護憲・改憲・新憲法>2012年7月27日)では「今の憲法は憲法の資格さえない」「主権は国民にはない」「そもそも国民に主権があることがおかしい」「主権は日本が長年培った伝統と歴史にこそある」等と発言。

 「国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう」という片山さつき議員の発言とともに「自民党は国民主権と基本的人権を否定するのか」と人々を驚愕させている(参照:西田昌司:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2b7gvdd

(※108)隣組:昭和期の戦時体制における官主導の隣保体制。日中戦争の拡大・長期化にともない,国家のすべての人的・物的資源を統制・運用して総力戦に備えることを画策した第一次近衛内閣は、1937年には「国民精神総動員法」を、1938年には「国家総動員法」を発令。1940年9月11日には内務省が「部落会町内会等整備要領」(隣組強化法)を出し、江戸時代の五人組・十人組という慣習を制度化して住民の動員や物資の供出,統制物の配給,空襲における防空活動などを行わせた。また,思想統制や住民同士の相互監視というねらいもあった。敗戦後の1947年,GHQにより制度としての隣組は解体された(隣組:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2buwIsp

(※109)「大家と言えば親も同然店子と言えば子も同然」:「大家(おおや)」(「家守(やもり)」ともいう)とは、江戸時代、土地・家屋所有者に代わってこれを管理し地代・家賃徴収を代行した人のことであり、「店子(たなこ)」は借家人のことである。

 江戸時代では、社会的に正規の「町人」とされていたのは家屋敷を所有し、その規模に応じて町奉行所や町政運営の諸費用を負担する「家持」に限られており「店子」たちは「町人」として認められていなかった。

 よって彼らは、公的な権利・義務を有さず、準町人としてあった大家がその身元保証や責任を請け負ったほか、公私にわたりなにかと店子に関係・干渉した。「大家と言えば親も同然店子と言えば子も同然」の慣用句は、このように大家が店子を支配する擬制的な家長としての地位にあったことから生まれた表現である(参照:コトバンク【URL】https://kotobank.jp/word/店子-93867)。

(※110)相続法:相続に関する規定である民法第五編(882条~1044条)を指す。第四編「親族」とともに「身分法」または「家族法」と呼ばれ、家族(夫婦・親子・親族)の身分関係および財産関係について定める。

 1947年(昭和22)に大改正が行われ、旧民法のもとで行われていた「家督相続」制度から純然たる個人の財産の承継という制度へと一変した。すなわち、家の統率者である「戸主」が独占的に相続していた家の財産が、生まれの順も関係なく、子や配偶者であれば平等に相続されるようになったのであり、日本国憲法に基づく独立対等の人格者の集まりとしての家族観を反映するものである(家族法:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bDxwHw)。

(※111)1898年(明治31年)に制定された民法では、戸主権と長男単独相続の家督相続を支柱とする「家」の制度がとられていた。すなわち、親族関係を有する者のうち更に狭い範囲の者を「戸主」と「家族」として一つの「家」に属させ、戸主に家の統率権限を与えるという、江戸時代における武士階級の家父長制を基に作られた制度である。

 それは「家」の物的・人的資源の管理および運営の意思決定を戸主に集中させることによって構成員の結束と統率を強化し、あくまで「家」という集団単位における利益を追及するものであるがゆえに、個々の「家族」は自らの権利を犠牲にしても「戸主」の有する諸権限(「戸主権」)に服すことが求められた。

 婚姻や養子縁組、入籍・去家、居所等について「戸主」の同意や指示に従う義務があったほか、それに従わなければ「家」からの追放や排除といった罰則を課された(旧民法735条、737条、738条、749条、750条など)。

 「和」や「孝行」といった道徳価値にも裏打ちされて「家族」は「戸主」に服従することを余儀なくされていたのである。「嫁入り」する女子はとりわけそうであった。

 婚姻によって妻となった女は財産権のほとんどを収奪される(旧民法870条)だけでなく、原則的に相続権も認められず、夫が姦通しても離婚の成立要件にならない(旧民法813条)ばかりか、妻の姦通は刑法によって罰せられた(旧刑法353条)。つまり「いまだ嫁せずして父に従い、すでに嫁して夫に従い、夫死して子に従う」という「三従」の儒教的価値観のもとで、生涯を通じて従属的地位を強いられたのである。

 こうした「家制度」は「戸主」が権限を濫用する危険性をはらむため、すでに大正時代から法律上の家族制度を緩和すべきであるとの改正論が持ち上がっていた。第二次世界大戦によって一時改正作業が中断したのち、戦後、これが憲法24条等に反するとして、日本国憲法の施行(1947年5月3日)を以って廃止された(家制度:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bcZHxq)。

(※112)小野梓(1852-1886):明治時代の法学者・政治運動家。若くしてアメリカおよびイギリスに渡って英米法を学び、そこで深めた立憲主義に関する知識と理解を、近代国家としての模索期にあった日本に活かそうと努めた人物である。

 司法省の官吏時代、会計監査院の設立を通じて藩閥政治の旧弊を除去することに尽力したことをはじめ、辞職して野に下ったのちは、大隈重信とともに立憲改進党を結成(1882年)。

 また、学問の自由を唱え、大隈重信とともに東京専門学校(現・早稲田大学)を創立した(1882年)ほか、図書館・書店(「東洋館書店」)の経営を通じて良書の普及を推進した。同時に「国憲汎論」を著し(1885年)、そこで説いた理念は太政官の廃止および内閣十省の設置として実現した。

 その直後、すでに結核を患っていた小野は35歳の若さで逝去するが、「一団の家族を以て其基礎となす社会」ではなく「衆一箇人を以て基礎となす社会」を目指すという彼の理念は、夏目漱石の個人主義や中江兆民の個人精神の自立論とともに「個人」の尊重を厳かにうたう現行憲法の精神としていまなお息づいている(参照:宿毛歴史館HP【URL】http://bit.ly/2bLFj9o)。

 樋口氏は『いま「憲法改正」をどう考えるか』(岩波書店)の中で、小野梓について次のように記している。

 「小野の考える『衆一個を以て基礎をなす社会』を理念として掲げたのが、他ならぬ日本国憲法13条の文言である。――『すべて国民は、個人として尊重される』。加えて小野のいう『民人』相互の関係については、憲法24条2項が改めて、『個人の尊厳と両性の本質的平等』に言及して念を押す」[30]

(※113)旧民法(1898年(明治31年)制定)第750条は、次のように「家族」が結婚するためには「戸主」の同意が必要であることを定めていた。

 「第七百五十条 家族カ婚姻又ハ養子縁組ヲ為スニハ戸主ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス


 2 家族カ前項ノ規定ニ違反シテ婚姻又ハ養子縁組ヲ為シタルトキハ戸主ハ其婚姻又ハ養子縁組ノ日ヨリ一年内ニ離籍ヲ為シ又ハ復籍ヲ拒ムコトヲ得


 3 家族カ養子ヲ為シタル場合ニ於テ前項ノ規定ニ従ヒ離籍セラレタルトキハ其養子ハ養親ニ随ヒテ其家ニ入ル」

 さらに第772条では、その『家族』が男性ならば満30歳まで、女性なら満25歳まで、父母両者の同意が必要と規定されていた。

 「第七百七十二条 子カ婚姻ヲ為スニハ其家ニ在ル父母ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス但男カ満三十年女カ満二十五年ニ達シタル後ハ此限ニ在ラス


2 父母ノ一方カ知レサルトキ、死亡シタルトキ、家ヲ去リタルトキ又ハ其意思ヲ表示スルコト能ハサルトキハ他ノ一方ノ同意ノミヲ以テ足ル


3 父母共ニ知レサルトキ、死亡シタルトキ、家ヲ去リタルトキ又ハ其意思ヲ表示スルコト能ハサルトキハ未成年者ハ其後見人及ヒ親族会ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス」(参照:中野文庫【URL】http://bit.ly/2b87TBR

(※114)日本会議:反共・保守を掲げる神道・仏教系新宗教諸団体が1974年に結成した「日本を守る会」と、改憲を主張する保守系文化人・各種団体・旧日本軍関係者らで作っていた「日本を守る国民会議」(1981年発足)とを統合し、1997年に結成された民間保守団体。

 「美しい日本の再建と誇りある国づくり」をスローガンに、政策提言と国民運動を行うことを目的とし、いまや約38000人の会員と全国都道府県の本部、241の市町村支部を擁する、日本最大の右派団体である。

 男系による皇位の安定的継承のための皇室典範改正「押し付け憲法論」の観点から「わが国の歴史、伝統に基づいた、かつ新しい時代にふさわしい」新憲法の制定、教科書における「自虐史観」に基づく記述の削除および「公共心」「愛国心」教育を盛り込んだ新しい教育基本法の制定、自衛隊法の改正等を通じての「有事法制」の整備、靖国神社公式参拝実現、男女平等政策への反対などを主張。

 事案ごとに分科会的な別働団体を多数擁し、それら各種別働団体が各々有する地方組織を通じて各自治体に影響力を及ぼすという運動スタイルが特徴的である。

 役員の三分の一以上が新興宗教関係者で占められているほか、政財界人も多数会員として名を連ね、近年の日本の急速な右傾化に大きく関与している。とりわけ現安倍政権は、主要メンバーのほとんどが「日本会議」の支持団体である「日本会議国会議員懇談会」に所属(参照:日本会議:Wikipedia【URL】https://ja.wikipedia.org/wiki/日本会議)

(※115)草の根保守:1990年代後半以来、日本国内では、旧来型保守運動や右翼運動とは異なる新しいタイプの保守運動が急速に活発化するようになった。

 「押し付け憲法」としての日本国憲法の否定、靖国参拝、愛国教育、自衛隊海外派遣、「古き良き日本」への回帰、「日本を不当に批判する自虐史観」に対する批判およびそれに基づく歴史修正主義など、主義主張こそ昔ながらの街宣右翼の思想とさしたる違いはみられない。

 しかし、既存政党と距離を置く「普通の市民」を自称する参加者たちが、役職・上下関係のない自由参加型の「ゆるやかな結合」によってネットワーク型の運動体を形成し、地元でビラの配布や署名、シンポジウムの開催、ネット上での主張といった地道な活動を通じて、地域から賛同者の輪を広げていくという新しいスタイルの保守運動である。そして、こうした「民間」の「地道な」活動団体を「草の根保守」と呼ぶ。

 「新しい歴史教科書をつくる会」(1997年結成)による、歴史修正主義の立場からの中学校歴史・公民の制作と採択運動や、男女賛同参画の「行き過ぎた家族観」に反対して各地方に組織された諸団体などがその先駆であるが、これらの団体の背後には自民党政権の支持団体である「日本会議」の存在があり、この「日本会議」の別働団体とも認識されている(参照:鈴木彩加『草の根保守の男女共同参画反対運動―愛媛県におけるジェンダー・フリーをめぐる攻防』【URL】http://bit.ly/2bUIpcj)。

(※116)戸主が認可しない結婚は認められないというのを入れろとか:日本国憲法 第3章第24条は、家庭生活における個人の尊厳と両性の本質的平等を定めた条文である。

 「第24条 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」

 旧来の家制度を否定し、家族関係形成の自由・男女平等の理念を家族モデルに取り入れることを目的としているこの憲法24条が、自民党による改憲草案では次のように変更されている。

 自民党が「日本国憲法改正草案Q&A」の中で説明するところによれば、家族は社会の極めて重要な存在だが、昨今、家族の絆が薄くなってきていると言われる。こうした状況に鑑みて、24条1項に家族の規定を新設し、社会において家族が尊重されること、その成員は相互に助け合うべきであるという規定を盛り込んだ。その際、世界人権宣言16条3項も参考にしたとのことである。

 「第24条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。

 2 婚姻は、両性の合意に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 3 家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない」

 こうした変更に対し、ただちにさまざまな観点から批判が巻き起こった。真っ先に異議が出たのは、ほかならぬ自民党内部からだった。2013年6月13日、衆院憲法審査会において、河野太郎衆院議員が「家族が助け合うというのは道徳の範疇に属することであり、強制力のある憲法の中に持ち込むべきではない」と反対を表明。河野議員のこの発言に、多くの賛同の声が国民から寄せられた。家族のあり方は様々であり、ひとつの型に規定されるものでも国家の干渉を受けるものでもない、と。

 家族の「助け合い」規定については、「家族の問題は家族だけで解決せよ。国は保護しない」と述べられているようにも解釈できる。というのも、自民党が参照したという世界人権宣言16条3項には「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位であり、社会及び国による保護を受ける権利を有する」とあるが、その後半部を構成する「社会及び国による保護を受ける権利」がすっぱり切り捨てられているからである。ここにおいて、生活保護や年金、介護保険など、社会福祉が大幅に縮小されるとともに、家族による肩代わりを強制されるのではないか危惧される。

 さらに注目すべきは、第2項の変更点――一見何も変更されていないかのように見えるが、現行憲法における「婚姻は両性の合意のみに基づいて」の「のみ」が削除されている点である。つまり、配偶者の選択に当事者ではない他の誰かの干渉が排除されないことになるのであり、それは戦前の家長制度を容易に想起させる(参照:深澤真紀「憲法24条を『女だけの問題』にしてはいけない」ポリタス【URL】http://bit.ly/29sZQxC)。

(※117)居所指定権:旧民法(1898年(明治31年)制定)第749条は、次のように『戸主』が『家族』の居所を指定する権限を有すること、これに反した『家族』に対して扶養義務の停止、離籍といった制裁を課すことができることを定めていた。

 「第七百四十九条 家族ハ戸主ノ意ニ反シテ其居所ヲ定ムルコトヲ得ス

 2 家族カ前項ノ規定ニ違反シテ戸主ノ指定シタル居所ニ在ラサル間ハ戸主ハ之ニ対シテ扶養ノ義務ヲ免ル


 3 前項ノ場合ニ於テ戸主ハ相当ノ期間ヲ定メ其指定シタル場所ニ居所ヲ転スヘキ旨ヲ催告スルコトヲ得若シ家族カ正当ノ理由ナクシテ其催告ニ応セサルトキハ戸主ハ裁判所ノ許可ヲ得テ之ヲ離籍スルコトヲ得但其家族カ未成年者ナルトキハ此限ニ在ラス」(参照:中野文庫【URL】http://bit.ly/2b87TBR

(※118)「源氏物語」は平安時代中期、一条天皇中宮・藤原彰子に女房として使えた紫式部の手になるとされる、54帖からなる長編物語である。

 天皇の親王として出生し、才能・容姿ともに恵まれながらも臣籍降下して源氏姓となった主人公・光源氏の愛の遍歴と栄華、そして罪の意識に苛まれる苦悩の晩年、次いで、罪の子薫大将を中心とした子孫らの人生が描かれる。

 500名にも上る登場人物によって繰り広げられる70余りのエピソード、約800首の挿入和歌、約100万文字という規模もさることながら、その物語としての虚構の秀逸さ、心理描写の巧みさ、美しい文体、研ぎ澄まされた美意識からして、国内外において日本文学史上最高の傑作との評価も高い。

 作品の成立直後から写本・校訂によって読み継がれたほか、江戸時代には版本、明治時代に入ると活字による印刷本の発行によって庶民にも浸透し、本文の学問的研究および現代語訳の試みも進んだ。

 一方、江戸時代には儒学者・漢学者らから「姦淫の書」「不義の書」として批判されるようになった。作品のなかで、主人公らの数多の女性たちとの奔放な性的遍歴についてはもちろん、光源氏が父である桐壺帝の妃・藤壷と密通したうえ、その子(表向きは桐壺帝の皇子である)が冷泉帝として即位するエピソードが描かれるからである。

 国学者の安藤為章をはじめ賀茂真淵や萩原広道らは、文学研究的観点から「源氏物語」を擁護しつつ、そうした批判に対抗したが、王政復古により日本を「万世一系の天皇」によって統治される国家と意味付けた明治政府のもとで、この作品はますます敵視されるようになった。

 さらに、昭和に入り国粋主義的風潮が高まると、それは言語統制というかたちで表れるようになった。当局は、光源氏による皇后との不義密通、不義の子の天皇即位、臣籍降下した光源氏が上皇の待遇を得たことの3点をとりわけ問題視。この作品を「大不敬の書」と断罪し、教科書への掲載をやめさせる、劇の上演をやめさせるなど圧力をかけた。

 また、現代語訳の出版にあたっては、該当箇所を伏せ字にする(与謝野晶子訳)、全面的に削除する(谷崎潤一郎訳)、現代語訳を行わず原文を記載する(吉澤義則訳)といった対応をとることを余儀なくされた(参照:源氏物語:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bsujw3)。

(※119)「好色一代女」:井原西鶴(1642-1693)は江戸前期の俳諧師。41歳のときに発表し大人気を博した「好色一代男」(主人公世之介の女色男色あわせての好色遍歴を、「源氏物語」54帖になぞらえてつづった官能小説)は、その後『浮世草子』という文学ジャンルを切り拓くことになった。

 『好色一代女』(1686年)は、この『好色一代男』を始めとする西鶴の一連の『好色もの』のひとつであり、生活苦と情欲に身を持ち崩すひとりの女の生涯を、老女の懺悔話という形式で描き出す、全6巻24章からなる作品である。女の視点からの官能小説であるにとどまらず、転変する運命のなかで人生の暗黒面を経験した人間心理の分析・描写によって、近世風俗小説の傑作と呼ばれるにふさわしい(参照:井原西鶴:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bstmnc)。

(※120)1898年(明治31年)に施行された民法の規定(旧民法788条「妻ハ婚姻ニ因リテ夫ノ家ニ入ル」)およびこれを踏襲した現行民法の規定(750条「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」)により、日本は夫婦同氏を原則とするようになった。

 近年、「性差別を撤廃し、個人の多様な生き方を認めあう男女共同参画社会形成」の一環として、結婚した夫婦が別姓を選ぶことができる「選択的夫婦別姓制度」導入の機運が高まった。

 これに対し、伝統的家族観を標榜する「日本会議」をはじめ、保守諸団体が反対キャンペーンを展開。2010年にはフロント団体として「夫婦別姓に反対し家族の絆を守る国民委員会」が結成された。

 櫻井よしこ氏、長谷川三千子氏、工藤美代子氏といった「おなじみの顔ぶれ」を発起人に、夫婦別姓阻止をネット上で訴える、文書を配布したりするといった「草の根」的運動を展開しながら、大会に全国から5000人以上の参加者を集める、200万筆の一般署名を獲得するなど、短期間でめざましい運動成果を上げた。

 それによれば、夫婦別姓制度の最大の問題点は、家族よりも個人を優先して考える結果、「家族の絆(きずな)」を破壊し「共同体としての家族」まで崩壊させかねないことである。「夫婦別姓」は必然的に「親子別姓」をもたらし、それによって子どもたちが受ける精神的悪影響ははかり知れない。

 子どもの心の荒廃が社会問題となり、家族の絆や家庭の教育力の回復の必要性が求められている昨今、「夫婦別姓」制度の導入は、全くの逆方向の政策である。そもそも、夫婦別姓によって親子が別姓になることによって、先祖からつながる「タテの流れ」から子どもたちが遮断されてしまうことになろう。

 国が『共同体としての家族』を保護すべきことは、世界人権宣言も認めている。従来の良き意味の家族制度(親子、夫婦、兄弟が互いに助け合って良き家庭をつくること)はどこまでも尊重して行かなければならない、と。

 このように、夫婦同姓を家族の絆を守るための「伝統的」制度であるとしきりと意義づけるわけだが、そもそも平民に氏使用が許可されたのは1870年(明治3年)、1876年(明治9年)には妻は実家の氏を用いるとする夫婦別氏の太政官指令が発令されており、少なくとも制度としての夫婦同姓は1898年(明治31年)の民法制定以来ということになる(参照:百地章「夫婦別姓は家族崩壊をもたらす」産経新聞、2010年3月19日)

(※120)明治末から大正時代にかけて、フランス文学の影響のもと、日本の文学界は自然主義文学の隆盛をみた。それは美化された空想世界を楽しむロマン主義の否定として起こり、事実の客観的観察・描写を通じて「真実」を描き出すことを目指す文学運動であった。

 島崎藤村の『破戒』(1906年)や田山花袋の『蒲団』(1907年)のほか、島村抱月や徳田秋声といった作家たちが、自然主義文学の可能性を開拓するべく活躍した。

 この運動のひとつの極致が『私小説』と呼ばれる一連の作品群である。「私小説」は現実を、それも作家の身辺や経験を赤裸々に描き出す。自らの「家」をモデルに伝統的因習に縛られる旧家の没落とそこから逃れられない人間たちの生き様を描いた島崎藤村の「家」や、姪と関係を持った藤村自身の体験に基づいて書かれた「新生」、自分の愛欲を活写した近松秋江の「別れたる妻に送る手紙」「黒髪」、自ら体験した電車事故に取材した志賀直哉の「城の崎にて」などはその代表である(参照:私小説:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bx3Yy5)。

「美しい自然」と、これを破壊するベクトルを有する「活力ある経済活動」とを憲法前文に並べることの矛盾!!「経済活動の自由」を規定する条文には「公共の福祉に反しない限り」の文言を削除し、制限をなくす!――どこの国でも軋みを生んでいる新自由主義、日本はそれを憲法で規範化しようとしている

樋口「それで話を戻しますと、改憲草案は現行憲法第13条の『個人』を消して『人』にし、さらに前文では、必ずしも客観的とは言えない『日本的なるの』への回帰を言う。ところが、この前文をよく見ると・・・」

a811a398ad0a9e88b3f435d6506884ba98ccb320

岩上「はい。『我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる』。」

樋口「ここまで、古き良き時代を懐かしむ単語が並んでいましたのに、急におや?って思わせる言葉が出てきますでしょ。『活力ある経済活動』、『成長』と。

 その『活力ある経済活動』による『成長』は、古き良き時代の、かつての良き村の『和』とか、そういう牧歌的な過去を温存するどころか、それを壊していくものに他ならない。要するに、岩盤をドリルで砕くように砕かれていくんです、この古き良き日本は。自民党案はこうやって、片方で古き良き日本を掲げつつ、他方で」

岩上「やっていることは新自由主義(※121)である、と」

▲新自由主義について詳述したデヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義~その歴史的展開と現在』(作品社)

樋口「しかもその新自由主義を憲法の条文に書く。条文に書くだけではありません。自民党案の22条を出してください」

847e1b077385905c696d070f679325fe81aae1b1

岩上「はい。これですね。『第二十二条 何人も、居住、移転及び職業選択の自由を有する。2 全て国民は、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を有する』」

樋口「これを今の憲法と比べてみましょう」

岩上「はい、現行憲法。『第二十二条 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。2 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない』」

樋口「現行憲法には『移転及び職業選択の自由』に『公共の福祉に反しない限り』という限定がついていますね。ところで、『移転及び職業選択の自由』という言葉は、明治憲法の時代から、共通の了解として経済活動の自由を示します」

岩上「なるほど。経済活動の自由なんですね」

樋口「もちろん一方では、財産権(※122)というものがありますけど、もちろんそういった財産権を前提にしつつ、経済活動の自由を示す条文になっているわけです」

岩上「なるほど。そうすると、自分の財産を持って職業を変えるだけではなく、財産を移転させるということも非常に大事になってくる」

樋口「移転はもちろん人ですよ」

岩上「もちろん人なんですけど、財産も持ち出していけるとか、そういうことも当然・・・」

樋口「含みますね。だからこそ、それは公共の福祉に服さなくちゃいけない。そうすることによって、社会的なジャスティス、たとえば労働基本権(※123)とか憲法25条の生存権(※124)とかを裏づけることになるんです。なぜなら、経済活動が絶対的に自由ならば、労働運動ができないじゃないですか」

岩上「そうですね」

樋口「それは確かに企業を経営する自由を損なうものですが」

岩上「企業の利益は損ないますね」

樋口「絶対的に自由になっては社会的公正は損なわれることになる。だから『公共の福祉に反しない限り』と制限をつけているんです。これは第二次世界大戦後の『価値を共有する諸国』に共通の、アメリカは古いですから条文ありませんけど、ヨーロッパのドイツやフランスに似たような共通の文言があります(※125)。ところが、自民の改正草案では、この『公共の福祉に反しない限り』がばっさりと・・・」

岩上「切られている」

樋口「そして、『何人も居住移転及び職業選択の自由を有する』というだけに・・・」

岩上「すごく自由になっちゃうんですね」

樋口「一方、ほかの条文、たとえば言論表現の自由とか、労働基本権とかには」

岩上「集会結社の自由のことですね」

樋口「そういう条文には、周到にも、制限を可能にするような文言を新たにつけているわけです(※126)」

岩上「そうですね。『公の秩序に反しない限り』とかね」

樋口「そう。制限をつけているんですよ、この改正案は。同じ改正、同じテキストのなかで、経済活動の自由についてだけはその制限を取り払うことの意味を示してくれるのが、先ほどの前文の『活力ある経済活動と成長』というくだりというわけです」

岩上「『成長』って、これ、国の成長に奉仕させられるというふうにしか見えないですが」

樋口「ですから、『美しい国土』とか『自然環境』とか、前文でうたわれているものは、まさにその『活力ある経済活動』によって次々と破壊されているわけじゃないですか。そういう矛盾した二つの柱が前文に立てられて、しかもそれが条文にも反映しているというわけですよ。

 明らかにこれは矛盾なのですけど、しかし、実際に期待されているのは『活力ある経済活動』のほうです。経済成長によって岩盤を破壊されるけれども、リップサービスで癒やしを提供しているということじゃありませんか。そこのところは、きちんと見据える必要がありますね」

岩上「なるほど。ということは、資本を持っている人間、それも地場の小さなお店とか工場とか商店とかを経営するドメスティックで小さな資本ではなく、もっと大胆な移転ができるような大きな資本を持っている人は、『公共の福祉に反しない限り』という言葉を取っ払ったから、そういうこともかなり無条件にやっていいよ、というわけですか。

 私がさっき、この『移転』というのが気になるな、財産を移転させるってことも入るだろうなと思ったのは、それに続く部分もまた少し変えてあるからなんです。現行憲法では『何人も、外国に移住し、または国籍を離脱する自由を侵されない』ってありますけど、改憲草案では『全て国民は、外国に移住し、または国籍を離脱する自由を有する』と。自由だって言うんだったら、なんかこのグローバル時代、けっこうなことじゃないっていうふうに、ちょっとすらーっと・・・」

樋口「現にそういう自由を実際に行使している人たちが、それこそいわゆる先進国にたくさんいるじゃないですか。フランスの有名な俳優で、税負担が多いからという理由でロシア人になった人がいますよね(※127)。

▲2013年1月3日にロシア国籍を取得したフランスの俳優ジェラール・ドパルデュ―(出典・WikimediaCommons)

岩上「ロシアのほうが税負担が軽いんだってことですね」

樋口「いや、あの国ですから、プーチンさんが一言おまえまけるよと言えば、それで」

岩上「ああ、そういうことですか。じゃあ、大富豪なんですね。プーチンにまけろよと交渉できるほどの」

樋口「プーチンと並んで食事したりしているのがテレビに出るような人ですよ。それは消極的な規模の話であって、もっと大規模な、つまり、タックス・ヘイヴン(※128)の話も無数に出てきてるじゃないですか」

▲世界有数のタックス・ヘイヴンである英国領ケイマン諸島

岩上「そうですね」

樋口「グローバリゼーションという客観的な状況が進行するなかで、この現象も押しとどめ難く進行していますよね。しかし、どの国でもそれはけしからんと、それに歯止めをかける運動が、それこそ、特にギリシャとかイタリアとかスペインなんかで現実に起こっていますよね(※129)。

 つまり、どこの国でも新自由主義が軋みを生んでいるわけですよ。日本は、それを憲法のランクにまでレベルアップしようとしている。新自由主義というフィロソフィー(哲学)を、憲法前文の形で。要するに、憲法規範化しようとしているということです。それこそ、『価値観を共有する国』で、これを憲法にまで書いているっていうのは、私の知る限りありませんね」


(※121)新自由主義:デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義―その歴史的展開と現在』(作品社、2007)によれば、新自由主義(ネオリベラリズム)思想の端緒は、1947年のハイエクらによるモンペルラン協会設立に求められる。彼らは戦後資本主義諸国の財政金融政策を主導したケインズ主義(完全雇用、経済成長、市民の福祉を目的とする国家による市場経済への介入)に対立し、新古典派経済学の自由主義原理を信奉した。

 ブレトンウッズ体制の崩壊、OPECによる原油価格大幅値上げという国際経済の混乱を経た1979年に、アメリカとイギリスで「新自由主義が、先進資本主義世界の国家レベルの公的政策を規制する新しい経済的正当原理として根本的な確立を見る」ことになる。

 サッチャー、次いでレーガンは、福祉国家の解体、民営化、労働組合の無力化、規制緩和、生産の海外移転、法人税の減税といった施策を押し進め、ここに「社会的不平等の拡大に向けた画期的な転換」が始まった。

 1990年代には金融自由化が加速し、こうして作られた国際金融市場が、富を調達し蓄積する重要な手段となった。また石油ショック以後、産油国の剰余資金はニューヨークの投資銀行に預けられ、投資銀行がこれを世界中に貸し出すことで、オイルマネーの還流と世界循環が進む。貸し付けがドル建てであるため、アメリカの金利上昇により債務国は財政危機に陥ることになった。

 そうした国々に提供する政策パッケージに関しての、IMF、世界銀行およびアメリカ政府の間の合意である「ワシントン・コンセンサス」は、(1)財政規律の回復と緊縮政策、(2)税制改革と補助金削減、(3)価格・貿易・金利の自由化、(4)規制緩和と民営化の推進などを骨子としている。まさに新自由主義の輸出といえるこうしたプログラムは、債務危機に際した銀行のリスクを借り手である国家の住民の負担に付け替える仕組みとなっている。

 以上のような新自由主義化の過程をハーヴェイは「資本蓄積のための条件を再構築し経済エリートの権力を回復するための政治的プロジェクト」ととらえ、その本質は従来型の「搾取」に代わる「略奪による蓄積」であるとしている(参照:office-ebara.org『ハーヴェイ著『新自由主義』を読む(上)【URL】http://bit.ly/2b9qWao

(※122)財産権:財産的な価値を有する権利のこと。所有権・抵当権等の物権、金銭債権・貸借権等の債権、産業財産権・著作権等の知的財産権などがこれにあたり、フランス人権宣言(1789年)において自由・安全・圧政への抵抗とならぶ不可侵の自然権として位置づけられて以来、近代憲法における基本的人権のひとつとなった。日本国憲法では第29条にその規定を置く。

 「第29条 財産権は、これを侵してはならない。

 2 財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。

 3 私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる」

 ここで、財産権の保障(第1項)とともに、その制限(第2項)および正当な補償をともなう公的収用(第3項)が定められていることにも表れているように、20世紀の憲法では、所有権の行使は公共の福祉に適合する必要があることが明文化されるようになった。「所有権は憲法によって保障される。その内容及び限界は、法律によって定められる」「所有権は義務を伴う。その行使は、同時に公共の福祉に役立つべきである」と定めたワイマール憲法第153条をはじめ、ドイツ基本法(第15条)、イタリア共和国憲法(第43条)、フランス第四共和国憲法(前文)も同様の規定を置いている。このような制限を設けることによって、資本主義体制諸国は、財産権の不可侵の原則の弊害――これはたしかに資本主義経済の発展に寄与した原則だが、その限りなき追及は私的独占や不正な取引を引き起こし、ひいては他者の生命や財産を侵害することになろう――を未然に防ぐことを目指す(参照:財産権:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2buxmGi)。

(※123)労働基本権:憲法に保障された生存権を実現するための手段として労働者に保障される、勤労権(労働能力と労働意欲を有する労働者に対して就労する機会を与えられる権利)、団結権(労働条件の維持・改善について使用者と対等な立場で交渉するために労働組合を結成する権利)、団体交渉権(労働者が団結して使用者と団体交渉をする権利)、争議権(労働条件の改善などについて使用者に要求を認めさせるため、団体して就労を放棄する(ストライキを行う)権利)の総称。日本国憲法27条・28条にその規定が置かれる。

 「第27条 すべて国民は、勤労の権利を有志、義務を負う。

 2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。

 3 児童は、これを酷使してはならない」

 「第28条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」

 労働者の団体行動は、かつては刑法などで禁止され、弾圧の対象になっていた。また、損害賠償請求の対象となったり解雇等の不利益を招いていた。公権力あるいは私人間によるこうした人権侵害から労働者を自由にすること、つまり、刑事免責および民事免責を確立するため、長年にわたって闘争が繰り広げられてきた。そうした労働運動の成果として、第二次大戦後国際的に定着した権利が、この労働基本権なのである(参照:労働基本権Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bUIrB3)。

(※124)生存権:一定の社会関係のなかで、人間が健康で文化的な生活を営む権利、つまり、人間らしく生きる権利のこと。人間が生きることそれ自体の権利である生命権とは区別され、人間が勤労・教育の機会を与えられ、各種の社会保障を通じ、健全な環境の中で心身ともに健康に生きる権利をいう。

 また国家は、そのような生活を国民に保障する義務を負う。近世自然法思想やフランス革命期からみられるようになった思想で、社会国家の理念――国家の使命は、社会内部における不当な差別をなくし、すべての国民に人間に価する生存と生活水準とを確保することであるとする理念――の確立にともない、第1次大戦以後基本的人権のひとつとして明文化されるようになった。

 「経済生活の秩序は、すべての者に人間たるに値する生活を保障する目的をもつ正義の原則に適合しなければならない」と規定した1919年のワイマール憲法第151条第1項をはじめ、1946年のフランス第四共和国憲法や1947年のイタリア共和国憲法など、西欧諸国を中心とする多くの国々で、生存権をはじめとする各種の社会権が憲法にうたわれるようになったのである。日本国憲法は第25条にその規定を置く。

 「第25条  すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」(生存権:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2b87HCx)。

(※125)ドイツやフランスに似たような共通の文言があります:「公共の福祉」は自由や利益の相互的衝突を調節し、その共存を可能とする公平の原理であり、日本国憲法では「この憲法が国民に保障する自由及び権利は〔…〕常に公共の福祉のためにこれを利用する」(第12条)「国民の権利については、公共の福祉に反しない限り〔…〕最大の尊重を必要とする」(第13条)「公共の福祉に反しない限り、住居、移転及び職業選択の自由を有する」(第22条)「財産権は、これを侵してはならない。〔…〕公共の福祉に適合するように」(第29条)のように、人権の唯一の制約原理として規定されている。

 この理念はまず、フランス共和国憲法に引き継がれる「フランス人権宣言」Déclaration des Droits de l’Homme et du Citoyen (1789) において、次のような表現を通じて表れている

・Article Premier : Les hommes naissent et demeurent libres et égaux en droits. Les distinctions sociales ne peuvent être fondées que sur l’utilité commune.(第1条:人間は法において自由で平等に生まれ、かつそのようにあり続ける。社会的差別は、公共の利益に基づくのでなければ存在することはできない)

・Quatrième Article : La liberté consiste à pouvoir faire tout ce qui ne nuit pas à autrui : ainsi l’exercice des droits naturels de chaque homme n’a de bornes que celles qui assurent aux autres Membres de la Société, la jouissance de ces mêmes droits.(第4条:自由は他者を害せぬすべてのことをなし得ることに存在する。すなわち、すべての者が有する自然権の行使は、社会の他の構成員に同じ権利の享有を保証すること以外の限界を持たない)

・Douzième Article : La garantie des droits de l’Homme et du Citoyen nécessite une force public : cette force est donc instituée pour l’avantage de tous, et non pour l’utilité particulière de ceux auxquels elle est confiée.(第12条:人および市民の諸権利の保障は公の力を必要とする。したがって、この力は全体の利益のために確立されるのであって、それが委ねられるところの人々の個人的利益のためではない)

 旧西ドイツの憲法として1949年に制定され、1990年における東西ドイツ統一後もドイツ連邦共和国の憲法として効力を有している「ドイツ連邦共和国基本法」においてもまた、次のように、人権の唯一の制限原理としての「公共の福祉」が「公共の善」「道徳律」「憲法的秩序」といった表現でうたわれている。

・Artikel 2 : Jeder hat das Recht auf fir freie Entfaltung seiner Persönlichkeit, soweit er nicht die Rechte anderer verletzt und nicht gegen die verfassungsmäßige Ordnung oder das Sittengesetz verstößt.(第2条:何人も、他人の権利を侵害せず、かつ憲法的秩序または道徳律に違反しない限り、自らの人格の自由な発展を求める権利を有する)

・Artikel 14 : Eigentum verpflichtet. Sein Gebrauch soll zugleich dem Wohle der Allgemeinheit dienen.(第14条:所有権は義務をともなう。その行使は、同時に公共の福祉に役立つべきものでなければならない)(参照:フランス人権宣言条文(フランス語)【URL】http://bit.ly/2bmQi87、ドイツ連邦共和国基本法条文(独日英対訳)【URL】http://bit.ly/1f976Jz

(※126)そういう条文には、周到にも、制限を可能にするような文言を新たにつけているわけです:日本国憲法において、個人の自由と権利を制約する条件は「公共の福祉」――自由や利益の相互的衝突を調節し、その共存を可能とする実質的公平の原理――のみである。ところが自民党改憲草案は、それを定めた第12条の「公共の福祉」の文言を削除したうえ、「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」という文言を新たに付け加えた。「責任・義務」の名のもと、個人の権利が公=権力体制の利益のために制限を加えられることを許容するこの規定は、具体的権利を定めた条文のなかに、ライトモチーフのごとくちりばめられている。

 たとえば「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する」としている日本国憲法第21条に次のような条文を「第2項」として新設し「公益」(その具体的内容は体制によって恣意的に解釈される可能性をはらむ)のために表現の自由や思想・信条の自由が制限されることを明文化している。

 「2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」

 また、勤労者の団結権は、大日本帝国憲法にはなかった規定であり、労使関係において立場の弱い労働者が団結することで自分たちに有利な労働条件を確保するためのこの権利を定めた日本国憲法第28条(『勤労者の団結する権利及び団体交渉、その他の団体行動をする権利は、これを保障する』)にも、改憲草案は次のような条文を新設。『全体』=『公益及び公の秩序』の利益の前に、公務員の個人としての権利は犠牲にすると、はっきり規定されている。

 「2 公務員については、全体の奉仕者であることに鑑み、法律の定めるところにより、前項に規定する権利の全部又は一部を制限することができる」

 このように、自民党改憲案では「日本国憲法が『侵すことの出来ない永久の権利』として保障する基本的人権が、明治憲法下での公共の安寧秩序や法律の範囲内での『人権保障』のような統治機構の定める秩序や法益の下位のものと位置づけられ、その許容範囲でしか存在できないものに貶められ」ている。そこで尊重されるのは、自立した「個人」ではなく「『公益及び公の秩序』の内側の従順な国民」にほかならない(参照:社民党『自民党『日本国憲法改正草案』前文批判(案)』【URL】http://bit.ly/1hOli0J

(※127)フランスの俳優ジェラール・ドパルデュー(Gérard Depardieu, 1948-)のこと。16歳の時からパリの国立民衆劇場で演技を学び、TVや舞台の端役を経て、74年の「バルズーズ」以来、フランスで最も人気のある男優のひとりとなった。

 「カミーユ・クローデル」(1988年)のロダン役、「シラノ・ド・ベルジュラック」(1990年)のシラノ役、「1492コロンブス」(1992年)のコロンブス役など、日本の映画ファンにとっても馴染み深い。

 俳優としてだけでなく、映画・舞台のプロデューサーや実業家としても活躍するほか、政治にも積極的にコミットしてきたことで知られる。これまで社会党や共産党、緑の党といった左派政党に支持を表明してきたが、とりわけミッテラン大統領の熱烈な支持者であり、再選の折には大統領からレジオンドヌール勲章を授与された。

« Je n’ai malheureusement plus rien à faire ici.〔…c〕Je pars parce que vous considérez que le succès, la création, le talent, en fait, la différence, doivent être sanctionnés. »

(『残念だがここにはもう何も用はない〔…〕私は立ち去る。なぜならあなたが、人の成功、創意、才能、そして他に抜きん出ることは罰せられるべきと考えているからだ』)

 その直後、ロシアのメドヴェージェフに招かれてロシアへ赴いたドパルデューは、かねてより親交のあったプーチン大統領から「テレビ映画でラスプーチン役を務めた功績により」ロシア国籍を授与された。居を構えるための土地と、文化大臣のポストとともに。

 この事件は祖国を裏切るものと非難される一方、一定の理解を示す者も少なからず出現し、とりわけオランド政権に不満を持つ同業者(女優ブリジット・バルドーもそのひとりである)の中から、ドパルデューにならって海外移住を希望する著名人が続々現れた(参照:

Gérard Depardieu :Wikipedia【URL】http://bit.ly/2b89lV0

(※128)タックス・ヘイヴン(tax haven):税制上の優遇措置を外部の企業に対してみとめている国や地域のこと。日本では「租税回避地」と訳されることが多い。「オフショア」とも呼ばれる。

 代表的なものとしては、モナコ公国やサンマリノ共和国、カリブ海地域のバミューダ諸島、バハマ、ケイマン諸島、バージン諸島(イギリス領)。税率の極めて低い香港やマカオ、シンガポールなども、事実上タックス・ヘイブンにあたる。これら自前の産業を持たない極めて小さな国々は、税金を著しく軽減するというやり方で海外の大企業や大富豪たちの資産流入を誘導し、自由化の進む世界経済に取り残されまいとする。

 一方企業側は、国際的競争力を維持するため、しばしばダミーの子会社を設けてまでも、そのようなサービスを提供してくれる国や地域に利益や資産を移し、租税負担を軽減しようとする。マフィアなどが不法な資金のマネーロンダリング(資金洗浄)に用いることもある。

 要するに、過度の市場主義経済に圧迫された者たちの利害関係が生み出した、闇の租税回避回路というべきものが「タックス・ヘイヴン」なのであり、その存在および実態が2015年に『パナマ文書』によって明らかになって以来、各国における富の流出および世界規模での経済格差の拡大をもたらすとして大問題になった(参照:タックス・ヘイヴン:Wikipedia【URL】http://bit.ly/1PQM17c)。

 岩上安身は、この『パナマ文書』によって明らかとなった「タックス・ヘイヴン」の実態について、政治経済研究所主任研究員の合田寛氏と中央大学名誉教授の富岡幸雄氏にインタビューを行った。

(※129)ギリシャとかイタリアとかスペインなんかで現実に起こっていますよね:弱肉強食の市場原理を掲げるアメリカ流の新自由主義が、冷戦終結後、世界規模で展開された結果、各国の社会や経済、文化、環境は蹂躙され、瞬く間に荒廃していった。多国籍企業やヘッジファンドが迅速かつ最大限の利潤を求めて世界中を駆け巡り、使い捨ての非正規労働者および失業者を大量に生み出しつつ、富を収奪して回ったからである。

 さらに、アメリカの主導で作られたWTOやIMFといった国際組織が、多国籍企業に有利なルールを各国に強要するがゆえに、水道、医療、福祉、教育といった公共サービスまでもが民間企業に売り渡され、人々は生存権すら踏みにじられる――こうした不幸をもたらしたグローバル資本主義に対し、ヨーロッパでははやくも1990年代後半から、デモやグローバル企業の商品の不買運動、社会運動団体の結成といったさまざまなかたちで「反グローバリスム」運動が噴出した。

 たとえばフランスでは、1998年、ATTAC(Association pour la Taxation des Transactions pour l’Aide aux Citoyen)が結成される。前年にル・モンド・ディプロマティックの編集長イグナシオ・ラモネが書いた記事に触発され、トービン税(投機目的の短期的な取引を抑制するため、国際通貨取引に低率の課税をするという、経済学者ジェームズ・トービンのアイデア)の実現およびその税収を発展途上国の債務解消や融資、疫病、環境問題の解決のための資金に当てることを目指す運動を展開している。

 さらに、グローバル化そのものは否定しないが、新自由主義のグローバリゼーションとは異なる人権・民主主義・平和・社会的公正のグローバリゼーションを模索・推進する「アルテルモンディアリスト」(イグナシオ・ラモネの論評「もうひとつの世界は可能だ」(1998年)から生まれた言葉である)たちの運動も展開されるようになった。

 2000年に入ってからは反グローバリズムを掲げる政党が各国で誕生し、近年急速に国民の支持を広げている。たとえば、フランスの反グローバリスム運動に影響を受けたイタリアでは、2001年のジェノバ・サミットのさい20万人もの人々が集まり、グローバル資本主義に対する大抗議を行ったほか、2009年にはポピュリズムの観点からEU離脱や反資本主義を掲げる政党『五つ星運動』が誕生。2012年の統一地方選挙および2013年の総選挙で次々と議席を伸ばした。2016年におけるヴィルジニア・ラッジのローマ市長当選は記憶に新しい。

 一方、2007年のサブプライムローン問題に端を発したアメリカの経済危機(リーマン・ショック)の煽りを受けて債務危機に陥ったことで話題になったギリシャでは、財政支援と引き換えに公共部門の大幅な民営化とリストラ、教育・福祉関連の予算削減、増税といった緊縮政策を強要するIMFやEUの介入を拒否する急進左翼連合シリザが第一党になった(2015年1月)。

 ギリシャと同様、アメリカの大銀行がつくり出した経済危機によって緊縮政策を強いられていたスペインでも「スペインを金融大国の植民地にするな」と訴える左派政党ポデモスが大躍進。第2党までのぼりつめた――2011年の経済危機のさなか、新自由主義と既存政党に抗議する数千人の市民たちが、マドリードのプエルタ・デル・ソル広場を占拠した市民運動(『インディグナードス=怒れる者たち』)、アメリカにおける『ウォール街を占拠せよ』運動を刺激したこの運動が母体となった政党である。このように、新自由主義・グローバル資本主義による蹂躙を体験したヨーロッパの世論は社会的利益を求め、その動きはいまや世界的な流れとなっている(参照:グローバル資本主義:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bG9zzL)。

近代社会の核心たる「個人」といえどもやってはいけないことがある――「人間の尊厳」を人類普遍の原理とする現行憲法~いまこそ手を取り合って、改憲阻止を!!

岩上「グローバリズムの徹底。一部の富裕層、あるいはドメスティックな産業資本とは別の、グローバルな資本の優位性。そのグローバル資本の自由化。資産の移転・離脱もできてしまうけど、商売はするよというような。つまり、納税の義務も果たさないし、公共の福祉にも貢献しない。そういう義務を負わなくていいよと、もはや言っているも同然。すごいですね」

樋口「そういう全体的な構造のなかで、話を最初に戻しますと、日本では今後『緊急事態条項』の問題が出てくることになるでしょう。そのとき『何か起こったら心配だからその手当を作っておく』という類の話では決してないということを、真っ当に考えなくてはいけません」

岩上「いけませんね。『緊急事態条項』に関連してもうちょっと触れておきたいことがあるんですが、自民党の片山さつきさんが、国会で茶番的な質問をして、世界の成文憲法を持つ多くの国の中ではほとんど緊急条項があるという話にもっていったことがありました(※130)。先ほども話題になった議論ですね。

 そうやって、国家の安全を守るためとか、国家そして国民自らがどのような役割を果たすべきかとか、そういう議論になっていったわけですけれども、この片山さんというのは『天賦人権説は取らない』と、ツイッターで堂々発言した人(※131)です」

5fa6fd583f0aad4596131541ee063eb1550ef099

▲片山さつき議員の2012年12月6日付けのツイート

樋口「同時に出されたQ&Aには、なぜ彼らがこういう憲法案を作ったのか、その理由が述べられていますが、現行憲法の天賦人権は気に入らない、その一言に尽きますね。それがいみじくも、『個人』ではなくて『人』という、あの変更そのものなのです。

 天賦人権というのは西洋だけの思想だなんて彼らは勘違いしているのでしょうけど、他ならぬ日本で、『天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず』と福沢諭吉が本当の日本語として表現できたのは、直接的にはアメリカ合衆国憲法などが頭にあったのかもしれないにせよ、ああいうこなれた日本語で表現できたということは、日本にもそういう思想があったからです」

岩上「それを受け入れる素地があった、と」

樋口「それは一言で言えば、お天道様ということです。お天道様がいるよと」

岩上「いつも見ているよと」

樋口「それは、中国の古い思想であれば、革命思想(※132)でしょうね。天が見放せば、世の中は改まるという思想。先ほどから私は『個人』が近代社会の一番の核心、ケルン(独:Kern)をなすことだと繰り返していますけれども、その『個人』といえども、やってはいけないことがあるんだよという。つまり人間の尊厳ですね。これが日本流に言えばお天道様じゃないですか」

岩上「なるほど。抽象化された・・・。これ、神の観念と言っていいんですか?お天道様。なんて言うんでしょう、自然の摂理と言ったほうがいいんですかね」

樋口「神と言いますと、どうしても既成の宗教を念頭に置きますから、神という言葉は使わないほうがいいでしょうね」

岩上「自然の摂理とか、自然の法則とか、仏教のダーマ(※133)みたいな」

樋口「現行憲法はこれを人類普遍の原理、ユニバーサルな原理としようと。もちろん、本当に普遍的に行き渡っているかというと、地球上の大部分ではそれどころではない状態ですけれども、一つの価値として、それは普遍的なものなのです。国によって違っていいようなものではない。それぞれの国独自の歴史はあるだろうけれども、にも関わらず、普遍的なものでつながっていくんだと。

 それが、具体的なレベルでは価値観を共有するいくつかの国では、前提にされているはずだと。自民党改正案は、そこから離れようとするものと見なさざるを得ないですね」

岩上「この片山さんの発言について、もう一言だけお聞きしておきたいのですが、彼女の言う天賦人権説、あるいはQ&Aにも書いてある天賦人権説って、王権神授説との対立のなかで出てきた概念ですよね。

 では、彼女たちは王権神授説を持ち出したいのかと思いきや、自民党の憲法草案を見ると、天皇を元首にすると言いつつも、緊急事態条項にしても、天皇大権としてやるのではなくて、権力を首相に集めちゃうわけですよね。ということは、これはヒトラー型のファシズムだろうと。天皇制ファシズムではなく、安倍のファシズムになっていくんだろうと思うのですが」

樋口「もちろん、天皇制ファシズムではないですね。天皇の問題は、取り上げ始めると、もう一議論が必要ですから、この件に関しては今日の話からはちょっと外しておきます」

岩上「わかりました。でも、彼女たちが考えているのは、王権神授に戻したいというたぐいの尊皇とか復古主義とかではなく、現代型の首相に強権を集めて国民を従わせようということだと理解して間違いはないでしょうか?」

樋口「はい」

岩上「なるほど。

 では最後にちょっとまとめを。7月の参院選を控えて、いままさに、国家緊急権どころか国民にとって緊急事態だと私は思うんですけれども、間違った報道も多くてですね。改憲勢力を自公の議席だけ足して、あと何十議席もまだ必要だというような、ミスリードの報道も多いんです。

 でも実際には、おおさか維新であるとか、いろんなローカル政党をひっくり返していって、もはや改憲勢力は、あと10議席か15議席程度。これだけひっくり返せば、衆議院三分の二、参院三分の二を取る。

 先生が去年の夏、SEALDsなんかが国会前で集会しているところにいらっしゃって、この政権にだけは9条はいじらせてはならないと発言された(※134)のを、私、雨の降る中だったと思いますけど、すぐ目の前で聞いていました。大変感動しました。ゆっくりとした口調で、集まったみなさんや若い人たちに諭されて。

 樋口先生がおっしゃることというのは、大きな影響力を持つと思うんですけれども、危機が目前に迫ったいま、やはりここは改憲させてはならないと。そのためにみんながもう一度、一般の市民の人たちも、あるいは野党も手を結び合うというような姿勢が必要なんではないかなと思うんですけど、最後にそこのところを、現実の政治問題として一言いただけないでしょうか?」

樋口「はい。まったくその通りです。そのことに尽きます」

岩上「三分の二を取らせちゃいけないということですね」

樋口「はい」

岩上「ひっくり返せないですもんね、そう簡単に」

樋口「はい」

岩上「わかりました。ということで、思いがけず長時間のインタビューをさせていただきまして、本当にありがとうございました。もし機会があれば、またお話をうかがうことができればありがたいなと思っております。どうも、ありがとうございました」


(※130)2016年1月15日の参議院予算委員会にて、自民党の片山さつき参議院議員は質問に立ち、次のように緊急事態条項を設ける必要性について安倍首相の答弁をうながした。

 「憲法の緊急事態条項でございます。えー、私は24年に自民党が発表した憲法改正草案の23人の起草員のひとりでございますが、なかんずく特にこの緊急事態条項を重要と思い、参院での憲法審査会でも発言させていただきました。それにはひとつエピソードがございます。

 えー、二重ローンの問題で私は被災地に合計7、80回入っておりますが、いろんなことを見聞きするなかで、こういう驚愕的な話をうかがいました。あの、福島なんですけれども、二日間で5千人から6千人の方を20キロ圏内から出さなければならないということがあったときにですね、実際にこれで動いたのは民間のバス事業者とそこからお願いされた民間のガソリンスタンド網だったんですよ。で、災害対策法などの一連の緊急情報も結局発動されず、輸送命令もないので、すべてリスクを民間が負って、ドライバーもですよ、ご自分も放射能かぶるかもしれないのに、たまたま全部うまくいって5千人から6千人が20キロ圏内から出れたんですよ。

 それは憲法上の財産権の問題があるから、それはどうしても怖いというのは、我々が与党でもそういうふうに思うかもしれません。ですから、この問題は与野党なく、たとえば参議院なら参議院の院としてですね、考えなければいけないことではないかと思うんです。仮に国政選挙の直前に大規模災害が発生したら、憲法に根拠がないと選挙の延期とかできないので、大事な被災地からの国会議員はいないということが生じうるわけでございます。

 今申し上げたような、たとえば南海トラフであったり、まあ、富士山が噴火するとは思いませんけれども、そういった大噴火とか、首都直下型地震、私も立法に関与させていただいておりますが、こういったことがリスクとしては高いわが国で、しかも『世界津波の日』を提唱して世界中に防災に備えよと呼び掛けているわが国が、世界の成文憲法を持つ多くの国のなかではほとんど緊急条項があるわけで、まあそれがないというのは政局の問題とは何の関係もない分野で、やはり院としてもプラン何とかしていくべきではないかと思うんですが、ま、総理は、あのこの自民党の草案づくりの時の最高顧問でもいらっしゃったんで、緊急事態条項についていかにお考えかをお聞かせ願いたいと思います』

 要するに、福島20キロ圏内からの避難の問題を、憲法に緊急事態条項がないことと強引にからめ、さらに世界の成文憲法にはみんな緊急事態条項があるのに日本にはないという俗説を展開しつつ、緊急事態条項の新設がいかに必要か首相に訴えるという装いをまとわせたのである。安倍晋三総理も「大規模な災害が発生したような緊急時に国民の安全を守るため、国家、国民がどのような役割を果たすか、それを憲法にどう位置づけるか、極めて重く大切な課題だ」と、片山議員の訴えにさも納得したような答えを与えながら『国会質問/答弁』という名を借りたこの茶番劇にひと役買った(参照:YouTube 【URL】http://bit.ly/2bsBfZJ)。

(※131)「天賦人権説」とは、人間はすべて生まれながらに自由かつ平等であり、幸福を追及する権利を有するという思想である。17、18世紀に提唱され、その後近代国家の基本理念となった社会契約説――人類が普遍的に有する生命、自由、財産といった自己保存のための権利=自然権を保有する個人が互いに契約を結び、国家を形成するという理論――に、儒教的な天の理念を結びつけた訳語であり、福沢諭吉や植木枝盛、加藤弘之ら、封建的身分制の打破を唱えた明治初期の思想家・運動家たちによって唱えられた。

 だが、「日本にふさわしい憲法改正草案」をうたう自民党は、その「日本国憲法改正草案Q&A」の中で「権利は、共同体の歴史、伝統、文化の中で徐々に生成されてきたものです。したがって、人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だと考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました」(Q14)と述べつつ「天賦人権説」をあたかも日本の歴史や思想とは全く異質のものであるかのごとく提示し、それを改憲の正当化に用いている。

 さらに、改憲草案の起草委員のひとりである自民党・片山さつき議員は、2012年12月6日、自らのツイッターで次のように発言。そこでは、基本的人権が義務を果たしたその報酬として与えられるべきものであるかのように言われている。

 「片山さつき@taiyonokokoro50 国民が権利は天から付与される、義務は果たさなくていいと思ってしまうような天賦人権論をとるのは止めよう、というのが私たちの基本的考え方です。国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるか、を皆が考えるような前文にしました!」(参照:天賦人権論:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bsCvw4)。

(※132)革命思想:「天は己に代わって王朝に地上を治めさせるが、徳を失った現在の王朝に天が見切りをつけたとき革命(=天命を革める)が起きる」とする、王朝の交代を説明した古代中国の理論。「易姓革命」とも呼ばれ、孟子(紀元前372年?-289年)の天命説をその原型とする。孟子によれば、すべての人は四つの心、すなわち、他者を見ていたたまれなく思う心である「惻隠」、不正や悪を憎む心である「羞悪」、謙る心である「辞譲」、物事の善悪を判断する力である「是非」が具わっているがゆえに、その本性は善である。

 この四つの心をそれぞれ「仁」「義」「礼」「智」の徳にまで高めた者こそ、指導者としての資格を備えた者であり「天」の意志によって国の統治者=「天子」となる。

 そして「天」の意志=「天命」とは、民の意思を通じて示されるものにほかならない。したがって、天下を得ることは民の心を得ることに等しい――民の求めるもの(安心した暮らし)を求め、民の嫌がるもの(殺し合い)は押し付けずに。つまり、人の有する善性が普遍的な価値として「天」の名で定義され、まさにこの「天」の声=天命に基づいて政治を行うことを理想とするのである(参照:易姓革命:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bsChFq

・孟子:Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bd1tPa)。

(※133)ダーマ(ダルマ):サンスクリット語で「保つ」を意味する動詞dhRから作られた「法」を表す名詞。

 ヴェーダ時代においては、天地運行の秩序を司る「リタ」や「ヴラタ」に対して人間関係を秩序づける人倫道徳を、ウパニシャッド時代には「真理」を、それぞれ指し示していたが、仏教の時代に入ると一切の「存在」と「真理」、およびその実践として、非常に高い価値を有する言葉となった。

 釈迦の悟りはまさに「法」の自覚であり、その伝道も「法」の伝道であったため、「法」をよりどころとしての生活が理想とされたからである。

 釈迦の悟ったその「法」とは、因果律としての「世界の真理」であり「苦」の源泉である「煩悩」(心身を悩ませ知恵の働きを妨げる心の汚れ)を把握・克服する道である(法_(仏教):Wikipedia【URL】http://bit.ly/2bUKBRg)。

(※134)この政権にだけは9条はいじらせてはならないと発言された:2015年6月19日、3回目をむかえた「戦争法案」阻止の金曜行動には、2500人の若者らが集結。前回の参加者数1000人を大幅に上回り、報道陣も多く詰めかけるなか、若者が一人ひとりスピーチした。

 抗議は学生を中心とした有志からなる『SEALDs(シールズ)』主催で行われ、樋口陽一氏も参加、「今権力を持っている人たちに9条に手を付けさせてはいけない」と若者たちに語りかけた。

IWJの取材活動は、皆さまのご支援により直接支えられています。ぜひ会員にご登録ください。

新規会員登録 カンパでご支援

関連記事