昨年末に行われた安倍総理による真珠湾訪問、その意味するものとは何か
安倍総理の真珠湾訪問は、年末だったため、当日と翌日の報道はそれなりだったとはいえ、すっかり年末年始の他の(多くはあまり重要とは思えない)ニュースでかき消されてしまったように思える。訪問とスピーチ内容の重要さ(あるいは、おぞましさ)に比してのこの扱いの軽さは、ある意味で問題の本質を示しているように思える。
すなわち、歴史問題を重視しているようでありながら、むしろ過去のうち現在の自分の立場にとって都合のいい部分のみをつまみ食い的に用いることで、実際のところ歴史の軽視、ないし無視でしかないということである。この歴史への向き合い方、否、向き合わない態度は、首相に限らず、マスメディアと日本社会のマジョリティの態度であると言えよう。そして、それはかつて敵として戦った日米が軍事同盟の「絆」で強くつながっている(対米従属の果てに在日米軍に自衛隊が「直属」するまでに至ってしまった)、ということの正当化に結びついている。
▲真珠湾を訪れた安倍総理とオバマ大統領(首相官邸ホームページより)
歴史の軽視という傾向自体は今に始まったことではない。90年代から活発になった戦争の「記憶」をめぐる議論の中で既に指摘されてきたことであるようにも思える。あるいは、日本社会がずっとやってきたこととも言えるかもしれない。
だが、今回の真珠湾訪問において特筆すべき点として、その歴史の軽視の路線に(1)米政府もかなり乗っかっている(日米合作になりつつある)という点、(2)しかもそれが「パールハーバーの記憶」に対してなされた点が挙げられる。
「リメンバー・パール・ハーバー」と「ヒロシマ」が象徴するもの
今回の問題の土台となる (2)の点から先に考えておきたい。安倍総理はスピーチの終盤で、第二次世界大戦期のアメリカ合州国にとってシンボリックなことばであった「リメンバー・パール・ハーバー」の意味をひっくり返そうとしている。
「私たち日本人の子供たち、そしてオバマ大統領、皆さんアメリカ人の子供たちが、またその子供たち、孫たちが、そして世界中の人々が、パールハーバーを和解の象徴として記憶し続けてくれることを私は願います」(内閣府ウェブサイトの英訳、強調・下線は引用者:It is my wish that our Japanese children, and President Obama, your American children, and indeed their children and grandchildren, and people all around the world, will continue to remember Pearl Harbor as the symbol of reconciliation.)
奇襲をかけた日本軍に対する怒りを込めて、米国民の戦意を結集する言葉としての「リメンバー・パール・ハーバー」を、戦後の両国の歩みをふまえて、同盟の強固さを確かめあう「和解の象徴」に意味を転換しよう、ということである。これはヒロシマと真珠湾で、日米が互いの責任問題を問わない、という態度を前提としている。
▲1941年12月8日に行われた真珠湾攻撃の様子。炎上しているのは米戦艦「アリゾナ」(写真:Wikipedia)
ここで確認しておくべきは、シンボルとしての「リメンバー・パール・ハーバー」および「ヒロシマ」の持つ意味が、日米二国間だけの問題にできない広がりを持っていることと、「リメンバー・パール・ハーバー」についていえば、トランプ大統領の誕生を前にした2017年の今日、今までと違った角度から大きな意味を持ってくることだ。
「パールハーバー」が意味するものは、日本軍の真珠湾への奇襲の事実やそのもたらした被害にとどまらない。これは昨年5月、オバマ大統領が訪問した「ヒロシマ」というシンボルが持つ意味が、広島への原爆投下で亡くなった人や被爆した人の被害のみにとどまらず、「核」というものの恐ろしさと、それを手にしてしまった人類の責任全体を含む巨大なものであるのと似ている(もちろん同じではないが)。
▲オバマ大統領による広島訪問(首相官邸ホームページより)
「リメンバー・パール・ハーバー」が当時焚きつけたものの一つに、「卑怯なジャップ」、「黄色人種の猿」のような、日本人に対する人種偏見をあおるプロパガンダがあった。そしてそれに対応するものとして日本側には「鬼畜米英」という、同じく人種偏見を利用したプロパガンダが存在したわけである。このことはジョン・ダワー『容赦なき戦争』に詳しい。
オバマ大統領は今回のスピーチの中で、おそらくはトランプ氏を意識しつつ、「憎しみが最も激しく燃え上がる時、排他主義的な傾向が極まったとき、私たちは内向きに駆られる衝動に抵抗しなければならないのです。異なるものを悪者扱いする考えに立ち向かわなければならないのです」と触れている。
たかだか70数年前、両国はそのような憎悪の応酬をしていたという事実がある。むろんそこから現在の友好を美しい和解の物語と位置付けることもできるし、両首脳のスピーチも基本的にはその方向性であった。
しかしこの過去は、排他主義的な言論が世界で力を持つ現在、何らかの条件の変化で、簡単に他者、すなわち異なる文化や宗教、肌の色の違いや他の国籍の持ち主への憎しみが噴出しないとは限らないもろいものであることへの戒めにもなる。ヘイトスピーチや排除の言葉が表面化する昨今、私たちもまた同じ過ちを繰り返すかもしれないという危険を常にはらんでいる。
現在ヘイトスピーチが存在するというだけでなく、それに反対する側の人間も、何らかのきっかけで憎悪の持ち主に変わらないとは限らない、あるいは排外主義が過熱した時にそれに立ち向かうことの必要性と厳しさを考えるべきだ、ということでもある。
「集団自決」「一億玉砕」へと帰結した大本営発表などの「戦争プロパガンダ」
両国民の多くが互いに持っていた過去の偏見を直視する時に、日米それぞれにきちんと考えておくべき問題があるだろう。
日本の側は、「鬼畜米英」と戦意を煽って、日本の人々に植え付けられた米英への敵意はサイパン、グアム、沖縄・・・と、米軍と日本軍との地上戦に巻き込まれた大日本帝国の臣民の恐怖をかきたてた。それは「つかまったら女はレイプされ、男は股から引き裂かれる」といったような話を人々に信じ込ませた(実は中国で日本軍が中国人に対して行ったことを投影しているのだが)。そうした刷り込みの結果こそが、米兵につかまって殺されるくらいなら自分たちで死んだ方がましだ、と(強制)「集団自決」を人々に選ばせた主たる原因なのだ。
▲多くの日本人が投身自殺したサイパンの「バンザイ・クリフ」(写真・Wikipedia)
その最終地点は中国東北部(「満洲国」)での集団自決であり、さらにその先には「本土決戦」での一億玉砕がありえたのである(この問題については下嶋哲朗『非業の生者たち 集団自決 サイパンから満洲へ』に詳しい)。
もう一つ、「鬼畜米英」とセットになった偏見として、「物質文明におぼれたヤンキーは精神力がないから、日本が一気に攻めたてればすぐに降伏するだろう」という根拠に乏しい、自分たちの願望を投影した他者認識を踏まえて戦争を行った点があげられる。
そもそも、真珠湾への奇襲(さらには日米対立)の背後にある中国侵略においても、戦略性がない、行き当たりばったりの軍事行動が展開されてきた(そもそも中国侵略自体に合理性も正当性もないのだが)。
こうした場当たり的な侵略行動も中国という国や中国人を蔑視したために、“恐るるに足らず”という傲慢さが生じて呼び込んだものだ(※1)。さらには、戦意を下げないため日本に有利な虚偽報道、いわゆる大本営発表のみを垂れ流すことで“中国はたいしたことがない”と蔑視が強化される、といういわば悪循環の構造を生じ、そこから抜け出す道が閉ざされてしまった(※2)。
厳しい事実認識に基づいて状況を分析し、大局を見据えた行動のできる政治指導者をこの国は持ってこなかったし、今もなお、というところであろう。中国への侵略の過去を認めたがらない心性も、そことつながっているのではないか。
(注1)『学問のすすめ』などの著作で知られる明治最大の知識人・福沢諭吉は、中国や朝鮮に対し「奴隷の群衆」「牛馬豚犬」などといった「ヘイトスピーチ」とも呼べる記述を多数残していたことで知られる。
(注2)岩上安身は『大本営発表』(幻冬舎新書)が大きな話題を呼んだ近現代研究者の辻田真佐憲氏に2回にわたって単独インタビューを敢行。大日本帝国による「戦争プロパガンダ」の実態を聞いた。
大日本帝国に民主主義と基本的人権を求めた「ポツダム宣言第10項」
アメリカ合州国にとって、「卑怯なジャップ」への怒りは、バターン死の行進(注3)に典型的に表れる、連合国軍捕虜に対する日本軍の虐待によって、確固としたものになった。
虐待は互いの文化的ギャップがもたらした面もある。とはいえ、開戦にあたり、日本政府は批准をしていなかった俘虜虐待条約(注4)を「準用」するとしつつ、実際には欧米主導の(人権思想などを含む)国際秩序を打ち破るという思想的意図をもって捕虜の権利を無視あるいは軽視し、虐待につながった点は言い逃れできないだろう。
▲「バターン死の行進」で死亡したアメリカ兵捕虜(写真:Wikipedia)
そしてこれはポツダム宣言10項「吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ国民トシテ滅亡セシメントスルノ意図ヲ有スルモノニ非サルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰加ヘラルヘシ日本国政府ハ日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ対スル一切ノ障礙ヲ除去スヘシ言論、宗教及思想ノ自由並ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルヘシ」につながっているのである。
この第10項では、現場のレベルで起きた捕虜虐待などの戦時国際法違反(通常の戦争犯罪)に対して厳しく処罰することが明記されている。それを実際に行ったのが、日本軍が展開した各地で行われたBC級戦犯裁判であった。
第10項は、三つの文から成り立っている。第一文(前半)が戦争犯罪者の処罰であり、第二文、第三文(後半)で日本社会における民主主義の復活と基本的人権の確立が論じられている。前半と後半では、違う内容の話がなされているとも言えるが、それを一つの項の中で書いているのには、次のような理由があると考えられる。
日本軍による捕虜虐待や拷問などは、戦争を名目に、人間の尊厳を軽視し、あるいは積極的に傷つけたという問題である。これは人間の尊厳を他の目的よりも高いものとする人権的な考えに真っ向から対立する。
現実に行われてしまったその行為を処罰することは、第二次大戦後の世界において、二度とそうしたことを起こさないという姿勢の表明である。
それは日本軍の捕虜虐待の背景に、虐待する側の人間の人権が軽視された抑圧的な権力があることを見通している、ということでもあった。つまり自国の国民の人権が軽視されているから、他人の人権侵害にも無自覚であるということである。
だからこそ、日本人一般を罰するのではなく、日本社会の抑圧性を取り除き、民主主義と基本的人権を確立することによって、二度とこの事態を繰り返さないことを日本に要求しているのである。ちなみに国際社会において「二度とこの事態を繰り返さない」ための制度が国際連合である。
(注3)バターン死の行進:第二次世界大戦中の1942年、フィリピンのバターン半島において、日本軍に投降したアメリカ軍・フィリピン軍の捕虜を捕虜収容所に移動させる際に、食糧や飲料水をほとんど与えず、休みもほとんどなく歩かせ、多数死亡させた事件。生存捕虜や日本兵の証言から、行進の過程及びその後の収容先において、捕虜に対する過酷な虐待があったとされる。
(注4)俘虜の待遇に関する条約:戦争時の捕虜に対する人道的な扱いを定めた「ジュネーヴ4条約」のうちの一つ。1929年に締結された。
米国の欺瞞――戦後、米国は「国際人道法」を遵守してきたか?
すでに開戦時に確定していた戦争法規にもとづいた、戦犯への裁きそのものは当然のことである(日本はポツダム宣言を受け入れたのだから、言い逃れのしようはない)。その上で言えば、米国にも欺瞞がある。敗戦国の戦争犯罪人を裁いた戦争法規、主に今日言うところの国際人道法を、戦後の国際秩序の中で、具体的にはベトナム戦争やイラク戦争などにおいて、あたかも米国(だけ)は縛らないかのように振舞い続けている、ということである。
▲1968年3月18日に起きたソンミ村虐殺事件。ベトナム戦争時、米軍が無抵抗の村人504人を虐殺した(写真:Wikipedia)
9・11後の、イラクのアブグレイブやキューバのグアンタナモでの米国の行動は、対テロ「戦争」といいながら、「テロリストは捕虜でないから国際人道法の適用外である」という形で、アメリカのホンネをむき出しにしたものである。
▲アブグレイブ刑務所での米軍によるイラク人拘留者に対する虐待の様子。この人物は両手と性器にワイヤーをつけられ、箱から降りようとすると電気を流されたという(写真:Wikipedia)
それでもアメリカは、これまで対外的にはホンネでやりつつ、対内的には人権擁護、反差別のタテマエをギリギリ表明してきた。
ということはつまり、トランプ氏の路線は、対内的なタテマエを取っ払っただけ、と考えることもできる。もちろんその意味するところと影響は決して小さくはないだろう。結局これは国連が作り上げてきた秩序と密接につながる人権擁護や反差別を名実ともにかなぐり捨てる、ということなのだ。
「リメンバー・パール・ハーバー」と「アメリカ・ファースト」~「日米合作」による戦後レジームからの脱却?
フランス通信(Agence France-Presse)の記事(Abe’s Pearl Harbor pilgrimage underlines US-Japan tie)の中で興味深い指摘があった。
真珠湾を日本が攻撃する前、すでにヨーロッパで起きていた戦争に巻き込まれることを嫌う米国内の孤立派(isolationist。米国内では伝統的にかなりの力を持っていた)、のスローガンこそが、「アメリカ・ファースト」、まさにトランプが言っているものと同じであった(当時の米国内で参戦に反対していた組織が、America First Committeeであった)。
ところが、そこで真珠湾に対して日本軍による奇襲攻撃を受け、「リメンバー・パール・ハーバー」に変わったのである。同組織は真珠湾への攻撃を受けて解散を決めた。
この指摘をふまえて、想像力をはたらかせて考えてみよう。
「アメリカ・ファースト」から「リメンバー・パール・ハーバー」に変わった米国が主導し、第二次大戦後の国連の体制の基盤を作った。今回安倍総理が「リメンバー・パール・ハーバー」の意味をひっくり返した後に、トランプのアメリカが「アメリカ・ファースト」に戻ろうというのだ。これは何を意味するのか?
▲ドナルド・トランプ米次期大統領(写真:Wikipedia)
21世紀におけるトランプ氏の「アメリカ・ファースト」は、単純な孤立やモンロー主義への先祖返りでは、おそらくない。米国の国益を優先するために従ってくれる国家をわざわざ排除はしないだろう(ただしそれが相手国、ここでは日本にとってwin-winのような形になる保証はないが)(注5)。いずれにせよこの「アメリカ・ファースト」が、国連体制との齟齬を今まで以上に大きくすることは確かである。
オバマ氏は「憎しみが最も激しく燃え上がる時、排他主義的な傾向が極まったとき、私たちは内向きに駆られる衝動に抵抗しなければならないのです」とクギを刺したが、戦争だから仕方がないと理由をつけて他者の尊厳を踏みにじることを正当化したのが、15年戦争(1931-1945)における日本であり、第二次大戦後におけるアメリカであった。
今回のことはその両国が、そのホンネをむき出しにする契機となりかねない。むろん“勝者”の立場からアメリカは日本の閣僚の靖国参拝などへの批判やポツダム宣言の正当性を「カード」として持ち続けるだろう。
とはいえ、この真珠湾の「布石」は、トランプ就任前から、第二次大戦への反省を前提として作ってきた、国連を中心とした秩序を、日米同盟が壊す(同盟の都合よく作りかえる)というホンネ、とりわけ安倍総理にとって願ってもない方向に進んでいく可能性がある。まさに日米合作での「戦後レジームからの脱却」となりかねない。
オバマ氏自身は「クギを刺した」ように、積極的にそれに乗ってはいない。しかしトランプ氏にこの方向が受けつがれると、一気にそういった「日米合作」の方向に行く可能性がある。むろんトランプ外交は、指摘されているように未知数であるし、日本をどこまで重視するかもわからない。そういう点も含め、筆者の予想が外れればむしろいいのだが。
(注5)トランプ氏は1月12日に行われた記者会見で、「私は神が創造した最大の雇用創出者になる。中国や日本、メキシコなどすべての国との間で毎年、巨額の貿易赤字を出している。ロシアや中国、日本やメキシコなどすべての国は、これまでの政権よりはるかに大きな敬意を払うことになるだろう」と語った。