戦時中に刊行された書籍や広告を大量に収集し、『「愛国」の技法』『神国日本のトンデモ決戦生活』『「日本スゴイ」のディストピア』などの著書で大日本帝国が展開した過激で珍妙な「戦争プロパガンダ」の実相を暴いてきた早川タダノリ氏。10月18日に行われたインタビュー(前編)では、戦中から現在まで脈々を受け継がれている「日本スゴイ」系のコンテンツについて、岩上安身が早川氏に話を聞いた。
早川氏が「戦争プロパガンダ」と同様に関心を寄せているのが、「原発プロパガンダ」の問題である。2014年1月には、原発ユートピア日本を刊行し、東京電力や電気事業連合会、そして日本への原発導入の旗振り役を担った読売新聞が、どのような広告戦略を行って「原発の安全神話」をでっち上げたのか、200点以上の図版を掲載してその実態に迫っている。
2016年11月5日、岩上安身は早川氏に2回目となるインタビューを敢行。戦後の日本社会において展開された「原発プロパガンダ」の実態について話を聞いた。
- インタビュイー 早川タダノリ氏(プロパガンダ資料研究者、編集者)
- タイトル 岩上安身による『神国日本のトンデモ決戦生活』著者・早川タダノリ氏インタビュー 後編
- 日時 2016年11月5日(土)19:00〜
- 場所 IWJ事務所(東京都港区)
「原子力の日」には原発見学会へ!? 広告だけにとどまらない「原発プロパガンダ」の実態とは
「乗り心地よい原子力機関車」「天然色オートスライド・わたしたちの原子力」「たとえば、原子力は鳥・・・」――。これらはいずれも、実際に雑誌や新聞に掲載された「原発プロパガンダ」の文言である。「原発プロパガンダ」は、時には「明るい未来」の象徴として、時には地球温暖化のイメージとともに、その時々の時事的なトピックと巧みに組み合わされて展開されてきた。
こうした「原発プロパガンダ」の生みの親であると言えるのが、元読売新聞社の正力松太郎である。1954年3月、第5福竜丸がビキニ環礁で米軍の水爆実験により被曝すると、日本国内で反核運動が拡大。こうした世論を抑えるべく、米国の意図に沿って読売新聞と日本テレビを使い「原子力の平和利用」を大々的に宣伝したのが正力だった。後に公開された米公文書によれば、正力はCIAから「Podam」というコードネームを与えられていたことが分かっている。
早川氏は他にも、「原子力の日」(10月26日)における「原発プロパガンダ」の実例として、「原発見学会」を紹介。「町内会や婦人会、PTAなど、地元のあらゆるグループがこの見学会に招待されていた。広告だけでなく、こうした見学会のかたちでもプロパガンダが行われていた」と語った。
このインタビューの「後編」は12月に行う予定。詳細な日程は、決まり次第お知らせする。
▲インタビューの様子――11月5日、IWJ事務所