(9)訪米6日目(前編):宜野湾市長選後の、「オール沖縄」;金秀グループ会長と連合沖縄会長を結んだ想い~違いを乗り越えた結託、その舞台裏で~AFL-CIO(米労組)本部訪問 2015.11.18

記事公開日:2016.1.29 テキスト動画独自
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(山本愛穂)

 「現職の強みは今回の選挙に限らず見られるもの。私の考えとしては、オール沖縄が高まりこそすれ、鎮まることはないと思っている」――。

 応援していた志村候補の敗北を受け、報道陣のマイクを向けられた翁長雄志沖縄県知事は、「オール沖縄」の今後についてこう述べました 2016年1月24日(日)沖縄県宜野湾市の志村恵一郎候補事務所で開票速報を見終わったあと、報道陣の質問に答えての発言です。

 辺野古新基地建設をめぐる中央政府と沖縄県の「代理戦争」とも称され、注目が集まった宜野湾市長選挙。その開票日の午後22時、落選が確定して、落胆の広がる志村恵一郎候補の事務所。

 辺野古の新基地建設に反対し、「オール沖縄」の推薦候補を応援していた島ぐるみ会議の面々は、さぞや落胆されたことでしょう。しかし、この結果を単純に「日本政府側の勝利」や「宜野湾市民による辺野古新基地建設への肯定」ととらえ、翁長知事や「オール沖縄」への支持の低下と見るのは、早計だと思います。

 訪米団に同行取材していた記者として、私は「否!」と申し上げたいと思います。「オール沖縄」は、非常に地道に、そして意外にダイナミックに、共感の輪を広げています。とても人間的で、ユーモアに満ちた歩みです。彼らの歩みが1回の選挙でそう簡単にくじけるとは思いません。

 IWJは志村候補事務所からの中継を行っていましたが、そこには、敗北の結果を知り、神妙な面持ちで椅子に座り込んだまま立とうとしない「島ぐるみ会議」の主要メンバーの姿も映し出されていました。前列で翁長知事と数席開けて座っていたのは、呉屋守将氏(金秀グループ会長)。後列にいたのは、大城紀夫氏(連合沖縄会長)でした。

 沖縄県内屈指の企業グループ会長と、労働団体会長。日頃は対立することもある労使それぞれの代表である2人が、実は島ぐるみ会議訪米団では「呉越同舟」していたのです。この取り合わせは、米国でも注目されました。

 2015年11月20日、米国ワシントン州ワシントンD.C.で開催された全米最大の労働団体、AFL-CIOの幹部との会談において、キャッシー・ファインゴールド国際部長も、「産業界と労働団体が手を組んで問題解決に取り組むのは素晴らしいこと」と、訪問した大城氏、呉屋氏を含めて、島ぐるみ会議訪米団を激励しました。
 
 連載8回目は、AFL-CIO(=American Federation of Labor and Congress of Industrial Organizations、アメリカ労働総同盟・産業別組合会議)本部訪問の様子をお伝えしながら、成熟した市民運動の歴史を持つ米国においても高く評価された「島ぐるみ会議」の、党派や各界の壁を乗り越えた活動の舞台裏に焦点をあて、「オール沖縄」の可能性と今後の展望を探ります。

【島ぐるみ会議訪米取材⑩ ~滞在6日目:AFL-CLO幹部との会談】
■ハイライト

  • 収録日時 2015年11月18日(水)10:00~
  • 配信日時 2016年1月23日(土)17:00~
  • 場所 ワシントンD.C.(アメリカ)

APALA創始者 ケント・ウォン氏が賛えた座り込み運動~「沖縄の人々の正義への取り組みに感銘を受けた」

▲歓迎のスピーチを行うケント・ウォン氏(右)とキャッシー・ファインゴールド氏(中央)

 現地時間11月20日、ワシントンD.C.での活動最終日、島ぐるみ会議訪米団は午前10時から開催されたAFL-CIOの幹部との会談に出席しました。

 AFL-CIO(=American Federation of Labor and Congress of Industrial Organizations 、アメリカ労働総同盟・産業別組合会議)は、 全米1250万人の組合員を擁する、全米最大の労働組織。オバマ大統領の支持母体でもあります。このように米国の政治にも影響力を持つ労働団体の幹部との会談に、島ぐるみ会議訪米団が出席したことにどのような経緯があったのでしょうか。

 幹部との会談が開催されたAFL-CIOの建物は、ホワイトハウスまで約100メートルほどの立地です。大きな会議場に案内された訪米団が着席すると、まずはAFL-CIOの下部組織である、APALA(Asian Pacific Labor Alliance、アジア系アメリカ人労働団体)の創始者で、現UCLA労働研究センター所長のケント・ウォン氏が歓迎の挨拶を行いました。

 ウォン氏は、辺野古新基地建設への反対運動との最初の接点について、2015年の10月30日に、ウォン氏が日本弁護士連合会主催の講演会に出席するために来日した際(注1)、滞在中に沖縄の辺野古と高江を視察に訪れたことを話しました。この視察は、島ぐるみ会議メンバーの吉川氏らと、東京の関係者が連絡を取り合ったことにより実現したそうです。

 ウォン氏は、実際に座り込みの現場を目撃したことを話しながら、「沖縄の人々の正義への取り組みに感銘を受けた」と感慨を述べました。

(注1)日弁連HP ケント・ウォン氏来日記念講演「アメリカにおける低賃金労働の現状と展望」

予想外だった、APALAによる沖縄への支援決議

▲幹部らとの会談の様子

 ウォン氏の沖縄県における視察が直接的な契機となり、島ぐるみ会議訪米団はAPALA(アジア系アメリカ人労働団体)とAFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産業別組合会議)という2つの労働組織の幹部との会談に参加することになりました。

 ウォン氏が創始者であるAPALAは、AFL-CIOの下部組織であり、全米でおよそ66万人の会員を持つ大きな組織です。APALAの幹部との会談は、訪米第1日目、現地時間11月15日の15時よりオークランド市で開催され、島ぐるみ会議からの参加者である大城紀夫氏(連合沖縄会長)、渡久地修氏、新田宜明氏(ともに、沖縄県議)、宮城恵美子氏、平良さとこ氏(ともに、那覇市議)らを含め、およそ30名が参加しました。

 この幹部との会談において、APALAは辺野古新基地建設に反対する沖縄を支援する決議を可決しました。決議の内容は、各政府関係者に対し、書簡で米軍基地反対を訴えるという具体的なものであり、バークレー市に続き、労働団体からも沖縄県を支援する決議が出されることとなりました。

 APALA幹部との会談での、沖縄を支援する決議案提出は、実際に沖縄の座り込み運動を目の当たりにして感銘を受けたウォン氏の裁量によるものが大きいと考えられます。決議案の提出は、出席していた訪米団メンバーには事前に伝えられておらず、予想外だったとのこと。英語が分からない島ぐるみ会議の一部のメンバーが、決議採択後に起立を促され、拍手を受けてから状況に気づき、歓喜するといった微笑ましいエピソードもありました。

ケント・ウォン氏~「顔を合わせた人とのつながりは、銃や爆弾よりも強い」

▲現地時間2015年11月15日のAPALA幹部会における沖縄への支援決議は、APALAのホームページでも紹介されている<※キャプチャーはAPALAのHPより>

▲現地時間2015年11月15日のAPALA幹部会における沖縄への支援決議は、APALAのホームページでも紹介されている<※キャプチャーはAPALAのHPより>

 ケント・ウォン氏は冒頭の挨拶で、APALAによる支援決議に触れ、「APALAの幹部との会談に出席していたのは、米国全土の代表者。その代表者たちが、沖縄の新基地建設反対を支持する決議を出したのです。これからAPALAでは、様々な労働団体・地域・選挙で選ばれた各界のリーダーたちに沖縄を支持するように呼び掛けていきます」と、新基地建設反対への連帯を改めて表明しました。

 また、前日の現地時間11月19日に開催されたAPI-Resistanceの交流会にも参加していたウォン氏は、「交流会の開催によって、参加した米国市民も自分たちが直面する人種主義などの問題と沖縄の問題を結びつけることができて有意義だったのではないか」と述べ、「人と人とが顔を合わせて連帯を気付くものに代わるものはありません」と、日米の市民が交流することの重要性について語りました。

 ウォン氏は、「沖縄の人々は世界でも最も強力な、日米政府を相手取って戦っている」と島ぐるみ会議を激励し、「皆さんを支えるのは人の力。それは銃や爆弾、ヘリコプターよりも強いものです。私たちがグローバルな連帯を築くことで勝利に向かえると思います」と、歓迎のスピーチを力強く結びました。

キャッシー・ファインゴールドAFL-CIO国際部長~「皆さんがここに来ていること自体が、解決策となり得える」

▲スピーチを行うキャッシー・ファインゴールド国際部長(左)

 AFL-CIOのキャッシー・ファインゴールド氏(AFL-CIO国際部長)がスピーチを行いました。日本の労働組合との交流を通じた連帯に取り組んでおり、2015年の4月にはAFL-CIOの代表とともに、東京を訪れています。また連合(日本労働組合総連合会)の神津里季生会長とも交流があるそうです。

 ファインゴールド氏は、「私たちは反基地、反核に重点を置いています。今回の訪米を聞いたとき、今ほどよいタイミングはないと思いました。ちょうどG20から帰ってきたばかりのときで、日米らG20のリーダーと話し合ったにもかかわらず、誰も解決策を持たないと分かったところだったからです」と述べ、テーブルの上で繰り広げられるG20における議論とは対照的な、島ぐるみ会議の行動力と草の根の運動をこう高く評価します。

 「島ぐるみ会議の皆さんとここで会えたこと、皆さんがここに来ているということ自体が、解決策となり得えます。皆さんが平和を求め、米軍基地に反対の声をあげていることこそ、今世界で起こっていることへの解決策と言えるのです。皆さんが毎日取り組んでいる仕事に感謝します」――。

 これ以上にない、最上級の評価の言葉だったと思います。

 ファインゴールド氏は歓迎のスピーチの中で現安倍政権を批判し、「アベノミクス等、安倍政権がやっていることは必ずしも労働者に優しくない。安倍政権は労働者に力を与える政策を行っていないからです。そう意味で、日米の労働者をつなぐ活動に参加している皆さんの戦いに感謝しています」と、現在の日本政府が労働組織が求めるものとは真逆の方向に進む中での、島ぐるみ会議の訪米に期待を込めました。

大城紀夫氏(連合沖縄会長)~「70年前の沖縄戦後の悲惨な状況の中で、米軍基地との関係の中で働かざるをえなかった労働者らにより沖縄の労組は結成された」

▲AFL-CIO幹部から歓迎された大城紀夫氏(連合沖縄会長)

 ケント氏、ファインゴールド氏の紹介を受けて、大城紀夫氏が訪米団を代表してスピーチを行いました。両氏ともに、AFL-CIOがこれまでも日米の労働組合の連帯を目指してきた経緯から、「連合沖縄の会長である大城紀夫氏の訪問は非常に光栄」と述べたことを受け、大城氏も今回のAPALAとAFL-CIO幹部との会談への招待について、「非常に感動しています」と述べました。

 安倍政権への批判は、大城氏も冒頭から言及し、「日本の連合全体もそうですが、連合沖縄は労働者を犠牲にして非正規を増やしていく安倍政権の政策に非常に怒りを覚えています」と述べました。

 大城氏は沖縄の労組結成の経緯に触れ、沖縄戦後に沖縄の労働者が置かれていた労働環境は、日本の他の地域や、同様に米軍基地が駐留しているフィリピンと比較しても、「階層的にいえば一番低い状況にあった」と述べながら、そのような過酷な環境の中で、米軍基地で働かざるをえなかった労働者が団結し、自分たちの雇用者である米軍と交渉することで労働人権を勝ち取ってきた歴史を説明しました。

 そして迎えた1972年の沖縄県の本土復帰について、大城氏はこう語りました。

 「沖縄の労働運動と県民大衆運動が結束し、1972年の本土復帰を勝ち取りました。27年間、米軍に対して無力だと感じ、日本に復帰することで変わると大きな希望を持っていたのです。しかし、結局は72年の復帰後も、県内に広大な基地が残る逆向きのスタートになってしまいました。だからこそ、私たちは復帰後も県民の権利、財産感がずっと脅かされ続けるこの状況を今、克服したいと考えているのです」――。

「日本のマスコミや自民党は、鳩山由紀夫氏を批判した。『パンドラの箱を開け、困難だけが飛び出した』と。しかしそれは違う。私たちにとって、一筋の希望の光だった」

 大城紀夫氏が述べたように、1972年の本土復帰後も沖縄県の重い米軍基地負担は続きました。大城氏は、日米地位協定の存在により、県内で米軍人が事件を起こしても身柄の拘束すらできない現実について語りました。

 「1995年の、県駐留海兵隊による悲惨な少女強姦事件後、日米の政府間でSACO合意があったが(注2)、結果的には普天間基地の県内移設という、私たちの想いとは真逆の方向に進みました」

 そう述べた大城氏は、「(普天間基地のある)宜野湾市民が安全であれば構わないという気持ちではなく、県内移設に大きな声を挙げて反対しています」と現在の辺野古新基地建設反対運動にいたるまでの経緯を説明しました。

 さらに、大城氏は2009年、当時の鳩山由紀夫首相が掲げた「県外移設」が、メディアや当時の野党であった自民党が批判していたような、「総選挙のためのとってつけたような公約」や突発的な鳩山氏の思いつきによるものではなく、連合など沖縄県の労働組合らが長い年月をかけて、ロビーイングや民主党との懇談会を行った結果であったのだと語りました。

 「2004年8月13日のことです。普天間基地のヘリコプターが沖縄国際大学に墜落し、炎上する事件がありました。その後、当時の野党関係者と会談を始め、2005年3月には、沖縄等米軍基地問題議員懇談会(注3)を開催しました」――。

 その議員懇談会の会長には鳩山由紀夫氏が就任し、当時の伊波洋一沖縄市長はその後、継続して鳩山氏に普天間基地問題を訴え、鳩山氏が民主党党首になってからも政策課題をともに作り上げてきたと大城氏は話します。

 「残念ながら、鳩山氏は2010年5月、県外移設の公約を翻すことになりました。日本のマスコミや自民党は、鳩山氏を批判しました。『パンドラの箱を開け、困難だけが飛び出した』と――。しかし、それは違います。私たちにとって当時の首相が県外移設を提示したことは、一筋の大きな希望の光でした。戦後70年に及ぶ沖縄の苦悩が、その希望により今、現在オール沖縄という流れを作ることになったのだと思います」

 そして、県内で結集した力が全国に広がり、国際的な連帯を目指すまでにいたった今この瞬間に繋がっているのだと、日米の労組によるさらなる連帯に期待を込めながらスピーチを結びました。

(注2) 事件後、10月に沖縄県民総決起大会が開催され、宜野湾と宮古・石垣において合計約8万8千人あまりが集結。日米両政府の間に「沖縄に関する特別行動委員会」が立ち上がる。普天間返還・北部訓練場半分の返還合意の一方、北部高江へのヘリパッド建設などの条件が付いた(SACO合意)。

(注3)民主党を中心に、社民党、無所属議員など当時の野党議員が参加した。(2005/3/31付、琉球新報

野党共闘も、「オール沖縄」に学べ~立場の違いを超えて、大人の態度で礼をつくし、話し合うこと

▲スピーチを行う 呉屋守将団長

 最後には、呉屋守将団長(金秀グループ会長)がスピーチを行いました。

 呉屋氏は、先述のキャッシー・ゴールドマン国際部長が、AFL-CIOを「労働者の家」と例えたことを受けながら、「経済界の私が、労働団体の『労働者の家』でスピーチするとは思いませんでした」と笑いを交えながら話し、「こういったまれな機会を与えていただいてありがとうございます」と謝辞を述べました。

 呉屋氏は、島ぐるみ会議を始めとする、「オール沖縄」の運動では、政治や産業界、市民運動家から学生まで、様々な人々が違いを乗り越えながら結託していることを説明しながら、「経済人の私が、このような運動を行えているのは、革新政党や連合の会長である大城紀夫氏の譲歩があったからだと思います」と、島ぐるみ会議のメンバーに改めて感謝の意を示しました。

 このように、支持政党や過去の対立を乗り越え、各界からの参加者で構成される「オール沖縄」の取り組みは、訪米2日目のエリックマー市議や、現地市民団体関係者から、「島ぐるみ会議の活動は、市民運動のモデルケース」と高い評価を受けていました。

 呉屋氏のような沖縄県内の経済界を代表する人物と、労働団体である大城紀夫氏がともに市民活動に取り組み、労働団体を訪問したことはAFL-CIO関係者も驚かせたようで、ファインゴールド氏も「ビジネス産業界と労働者が手を組み、取り組むことは素晴らしいことです。皆さんの活動から、女性や議員、ビジネスマン、全ての分野の人々が連帯することの重要性が分かります」と島ぐるみ会議を評価しました。

 労使の代表が、互いに対立した利害を抱えながらも、共通の目的に向かって挑むため、歩み寄るとき、やはり相手を賛えるようなこうしたマナーや礼儀が必要だと思います。

 民主党の幹部が、共産党との野党共闘を求める声を市民から差し出されたとき、必ず共産党への不満や、これまでの不愉快ないきさつの蒸し返し、あるいはそもそも相手を「共産党だから」という理由だけで尊重しない、という傲慢な態度が目立ちます。

 これは、主義主張以前に人としての礼儀がなっていない振る舞いではないかと言わざるをえません。共産党の議員よりも、イデオロギーで人を判断し、見下し、拒んでいるのは、民主党の議員の方ではないかと思われます。イデオロギー政党はどちらなのかと、びっくりします。「反共」というのも、確実にひとつのイデオロギーであることを、民主党関係者は理解すべきです。「オール沖縄」に、民主党が学んでいただきたいのは、まずはこうした立場の違いを超えて、大人の態度で礼をつくし、話し合う姿勢です。

「オール沖縄」の今後~傍観するのではなく、県外でも自分たち自身の手で、垣根を超えた共闘を!

▲島ぐるみ会議訪米団とAFL-CIO幹部ら

 島ぐるみ会議の柔軟さに対して、このような高い評価が米国の市民団体や市議らから飛び出すというのは、私には事前に予想がつきませんでした。

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