【スピーチ全文掲載】「友人やそのまた友人が、戦地で傷つくことに私は耐えられません」渋谷ハチ公前の戦争立法反対集会で若い女性が訴え アフガニスタンで目の当たりにした「戦争の現実」 2015.6.27

記事公開日:2015.6.28取材地: テキスト動画
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 「戦争に参加するなら、武器を作って売るのなら、人を殺すという自覚と覚悟が必要です。私にはその責任はとても重く感じられます。だけど今、そのことについて本当によく考えられているでしょうか」

 こうスピーチしたのは、三年前に、アフガニスタンの子供たちと数か月を共に過ごした経験を持つミキさん。彼女は、2015年6月27日に渋谷ハチ公前で行われた「SEALDs(シールズ)」主催の「戦争立法」に反対する集会に登壇し、自身が目の当たりにした「戦争の悲惨な現実」について、痛切に訴えた。

 ミキさんはアフガニスタンでで垣間見た「戦争」の一端について触れ、日本国憲法について「今ある『普通の国』のその先へ行くことができる、先進的で素晴らしいもの」と語った。そして「憎悪の連鎖」を止め、平和と安全を達成するためには、「徹底して武力行使をしないこと」と真剣な面持ちでスピーチした。

 人であふれ返った渋谷ハチ公前では、彼女のスピーチに涙し、「そうだ!」の声をあげる多くの人の姿があった。ネット上でも大変な反響を呼び、拡散し続ている。以下、ミキさんのスピーチの動画と、全文書き起こしを掲載する。

■ミキさんのスピーチ(14分)

【渋谷ハチ公前集会の動画記事はこちら】

以下、ミキさんスピーチ全文書き起こし

 「こんにちは。ミキといいます。よろしくお願いします。

 いきなり戦争だなんて、大袈裟だとか、またか、とか思う人がいると思います。でも私は怒り狂ってるわけでも、バカの一つ覚えみたいに反戦を叫んでいるわけでもありません。たしかに私は怒っているけれど、どうにかそれをぐっとこらえて、怒りをこういう形に変えて、話を聞いてほしくてここにきています。少しだけ足を止めて話を聞いてください。

▲渋谷ハチ公前でスピーチしたミキさん

 日本は今年、戦後70年を迎えました。「戦争はいけない」そんな当たり前のことを訴えることが当たり前になりすぎて、いつしか日本人にとって戦争はどこか野蛮な国の人たちが行う、違う世界の出来事となっていったのかもしれません。そして、戦争は悲しい、泣ける、物語になっていきました。

 最近はよく志半ばで亡くなった人の、悲劇のストーリーが映画化されるけれど、あれは美談なんかではありません。日本人がかつて行った侵略戦争で、人々は憎んで殺し、殺される論理のなかにいました。それは、悲劇以外の何物でもありません。

 だけど、今の生活と、その物語とが、あまりにかけ離れすぎて、まさか日本人が戦争なんてしないだろうといつの間にか私たちは、思い込んでしまいます。だけど、戦争は70年前だから起こったんでしょうか。

 今の私たちだって、目の前に武装した兵士が現れたら怖いし、突然家族が殺されたら憎しみを抱きます。ISILの人質殺害事件の時のように、自らの安全や利益のために、自己責任論といって他人を切り捨てろという世論も生まれます。

 今、起こっている戦争は、決して「中東だから」「アフリカだから」という理由で起こっているわけではないんです。それぞれの信じる正しさが違っているだけで、大切な人や自らが攻撃されたとき、恐怖を覚え、憎しみを持つ気持ちにきっと変わりはないはずです。そうして人々は武器を持ち、自衛のために戦ってきたのでしょう。

 今の日本があるのは、別に日本人という種族が優秀だったわけではない。私たちの持つ人を憎んだり、恨んだり、そういう負の感情を放っておくと簡単に争いが起こるから、何百年もかけて世界の人々は、暴力的な感情との付き合い方や折り合いのつけ方を、繰り返し反省し、話し合って、ようやくいくつかの約束事としてかたちにしてきたのではないでしょうか。

 その積み重ねの最たるものの一つが、日本国憲法です。そうやって戦争の恐ろしさを受け継ぎ、平和な世の中を積み重ねていった人々がいたおかげで今、ちょうど戦争をしない日本に私たちは生まれてきました。だから、歴史上の今の日本だけを切り取って、武器を持ちながら戦争に絶対参加しないなんて、そんな理性的でいられるなんて、簡単に確信を持てません。一度戦地にいけば、いくらでも戦争のきっかけは生まれ、「やり返せ」と、私たちの感情に訴えてくるはずです。

 私たちがすべきことは、その積み重ねを「時代が変わったから」と言って簡単に捨ててしまうことなんでしょうか。捨てることは簡単かもしれないけれど、私は、先人たちの思考した歴史を蔑ろにしたくはありません。むしろそれを生かして、犠牲のない世界を作れると信じたいのです。馬鹿な理想主義者かもしれないけれど、その理想を掲げていたいと思うのです。

 戦争に参加するなら、武器を作って売るのなら、人を殺すという自覚と覚悟が必要です。私にはその責任はとても重く感じられます。だけど今、そのことについて本当によく考えられているでしょうか。

 日本だけが、イラク戦争について検証も反省もしていません。それは物資の支援だけで多くの民間人が犠牲になったことについて自分達には関係ないという、自覚のない参加をしたからじゃないでしょうか。今、安倍政権は「後方支援」といって、また覚悟のないまま、戦争に参加しようとしています。自分は本当に悪いところには手をつけていないと思って、その責任の重さに目を背けています。

 まずは、過去から振り返ってその責任に向き合うべきでしょう。

 テロリストたちはどうしてテロリストになったのでしょうか。彼らの多くは報復を目的としています。それは戦争が原因だったり、社会への不満があったりします。日本はそんな社会作りに加担していなかったでしょうか。協力したアメリカの政策に、落ち度はなかったでしょうか。本当に向き合うべきなのは、テロリストを生み出した今の世の中ではないでしょうか。

 テロリストは残酷で、武力に頼っていて、彼らもまた悲劇をもたらします。だから、私は彼らも許せません。自分たちの正しさを押し通すために武力を用いる彼らを私は許せません。だけど、だからこそ、何があってももう武器を持って戦争をしてはいけないはずなんです。

 9.11以来、対テロ政策として武力行使が正当化されてきたけれど、なにがあっても、どの国の人も、アメリカ人兵士の犠牲さえも、許されるべきではないはずです。なぜなら、戦争はまた憎しみを生み出し、武力の応酬は何の解決にもなりません。これ以上の連鎖をとめるために、私たちは自らその負のサイクルから降りるべきだったのです。

 聞き慣れた言葉かもしれないけれど聞いてください。

 戦争は人を傷つけます。子供や未来も傷つけます。戦争は町や人を破壊します。

 70年間言われ続けた、戦争の恐ろしさを伝える言葉たちに、新鮮さを感じなくなって蔑ろにするようになっていませんか。どうか想像してみてください。戦争の恐ろしさと過去の過ちから目をそらし、武力行使を正当化する私たちと、戦争の恐ろしさを反芻して学びながら過去を悔いて、武力行使を放棄する私たち。それぞれの道の先には何が待っているのかを。

 私たちはかつて後者にいたはずで、そしてこれからも、同じ選択をしていきたいのです。私は長い長い紛争で何が傷ついたのか、その一端をこの目で見て知っています。

 3年前、生きるために親元を離れて治療をするアフガニスタンの子供たちに出会い、数カ月を共に過ごしました。アフガニスタンでは、長い紛争によりインフラが破壊され、国内では簡単な治療も受けられない状況にあります。亡くなる子供も少なくなく、治療をしに来られる子はまだ幸運な方と言えます。怪我や病気があっても彼らはとても元気で、尊重されるべき命で、決してかわいそうな存在ではありません。

 手足がなくても、顔に火傷を負って差別されても、子供たちは助け合い、大抵のことは自分たちで出来るようになります。けれど時間はそうはいきません。もっと色々な経験ができたはずの時間が治療やリハビリに費やされています。そして、大切な成長期に親元にいられないことや、恐怖や憎悪の記憶は彼らの心にしっかりと刻みつけられているのです。怪我や病は確実に彼らの可能性を奪っています。これが、これこそが、報復戦争の結果で、戦争の現実にほかなりません。

 子供たちがあんな思いを今しているのは、「アフガニスタン人だから」ではなく、憎悪にかられた武力行使のせいでしょう。それさえなければ彼らがあんなに苦しむ必要はなかったでしょう。私が出会った子どもたちの人生は、物語でもないし美談でもありません。アフガニスタン人が傷つくことは普通じゃないし、そんなことはあってはならないんです。彼らがこれ以上傷つくことを私は許せないし、日本人がそれに加担し、私自身がその責任を背負いながら、彼らにまたどう向き合っていけばいいのか分かりません。

 だから、こういう現実を見たからこそ、なお、私は理想を掲げ続けたいのです。戦争はなくせるという理想を掲げ続けたいのです。その一歩を日本が、日本こそが踏み出せる、そう信じています。

 きっと、1人目の日本人犠牲者が出たらその憎悪が拡大していくのはあっという間でしょう。国の政策も国民の感情も歯止めがきかなくなります。今、もうすでに様々な犠牲の上に私自身生きているけれど、これ以上の犠牲の上に生きることを、ここでやめましょう。

 この法案が通って初めの自衛隊員が亡くなる前に、または、自衛隊員に人を殺させてしまう前に、こんなバカげた話し合いを終わりにしましょう。私がこの法案に反対するのは、日本に普通の国になって欲しくないからです。

 アフガニスタンには大切な小さな友人たちがいます。彼らやその家族を日本人が、日本人の作った武器が、傷つけることに私は耐えられません。この国の平和と国民の命を守るために、友人やそのまた友人が戦地で傷つくことに私は耐えられません。

 やられたらやり返す、やられる前にやる、そんな報復合戦に参加し、これから先も誰かの犠牲の上に自らの平和が成り立っていくことに、私は耐えられません。

 私たちの憲法は、今ある普通の国のその先へ行くことができる、先進的で素晴らしいものだと信じています。徹底して武力行使をしないことこそが、世界の平和と安全をかたち作るものだと信じています。

 今、実は反対しているのに、声を上げていない人が私の周りにはたくさんいます。そういう人たちに聞いてもらいたい。犠牲者が出てからでは遅いんです。福島の原発事故で、そのことを痛い程私たちは突きつけられました。法案が通って、人が亡くなった時、「だからそうだと思っていたんだ」と、「僕の、私の思っていた通りになった」と、優越感に浸るんですか。反原発を長年訴えてきた先生は、原発事故以降、間に合わなかったと肩を落としていました。そんなことを、また繰り返すんですか。

 声を上げるなら今です。

 SNSでいいね!が増えても、安倍さんに危機感を持たせることはできないでしょう。彼は彼の人生における大きな使命を今全うしようとしているのですから。

 私たちも、それに見合うだけのエネルギーを注がなくてはいけません。国会前に集まってください。デモで一緒に歩いてください。想像力の乏しい首相には、実態で反対の姿勢を見せなくては私たちの意志は伝わりません。忙しいのにわざわざ来るからこそ、意味があるのです。疲れてるけれど、行かなくては、と思うそのエネルギーに驚くのです。

 彼も私たちと同じ人間ならば、何万、何十万の人が集結したその事実に、向き合わずにはいられないでしょう。私たちが反対の意思表示にかけたそのエネルギーを目の当たりにして、無視してはいられないでしょう。

 憎悪の連鎖を私たち自身が止めましょう。過ちは繰り返さないと、70年前の犠牲者に私たちは誓ったはずです。

 私たちなら止められる。私たちが止めるんです。2015年6月27日、私は戦争法案に反対します」

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「【スピーチ全文掲載】「友人やそのまた友人が、戦地で傷つくことに私は耐えられません」渋谷ハチ公前の戦争立法反対集会で若い女性が訴え アフガニスタンで目の当たりにした「戦争の現実」」への9件のフィードバック

  1. @55kurosukeさん(ツイッターのご意見) より:

    【スピーチ全文掲載】「友人やそのまた友人が、戦地で傷つくことに私は耐えられません」渋谷ハチ公前の戦争立法反対集会で若い女性が訴え アフガニスタンで目の当たりにした「戦争の現実」 http://iwj.co.jp/wj/open/archives/251003 … @iwakamiyasumi
    僕も戦争法案に反対します。
    https://twitter.com/55kurosuke/status/615426267354042371

  2. 菅 二彌 より:

    はっとさせられるスピーチで嬉しくなりました。期待しています。

  3. 柴崎義雄 より:

    若い人たちが声をあげ始めたのは、うれしいです。戦場に行くのは、若い人たちです。頑張ってください。私も、子や孫たちに人殺しをさせたり、殺されるのは絶対にイヤです!

  4. 長屋孝夫 より:

    当日、PCのライブで聞いて感動してました。
    学生が立ち上がってくれたことに感謝。
    夏休みに入り、さらに若いパワーに期待したいです。
    POWER TO THE YOUNG, POWER TO THE PEOPLE.

  5. 深澤 克彦 より:

    安倍首相は60年安保闘争を押し切った当時の政府を賞賛するコメントをしています。つまり、当時のような反対運動が起こったとしても彼はへとも思わないって事です。ただ人が集まってデモしても関係ないって事です。そのような愚かな権力者を生み出してしまった国民の責任は大きいと思います。とにかくどうすれば変えられるのか、国民は真剣に考え自ら行動をしなければ何も変えられない。

  6. 渡邉克巳 より:

    無関心と無行動は権力者を益々凶暴にします。戦争は、静かに徐々に、「平和」を装いながら、やって来ます。安倍政権は、すでに、「やられる前に、出て行って、殺っつける」と公言している。相手側も、疑心暗鬼になり「殺られる前に、殺る」となる。(これは、アメリカ応援隊のイギリス、ドイツ、フランス、カナダなど「有志連合国」で起きている現実です)決して、「自分が行く」のではない。法律という強力な網を張り、前途ある若者を「殺し、殺される戦場」に追いやるのです。殺される我々には愛する家族、兄弟、友人がいる。同じように、殺そうとする相手にも、最愛の人、人々がいるのです。戦場に行けば、同じ立場の庶民同士が「殺し合い」をさせられる。明白な事は、庶民は「殺し合い」をさせられ、一方では、戦争により莫大な利権を享受する集団がいる。彼らは、安全な場所で、贅沢をしつつ、笑いながら「殺し合い」を見ている。それが現実、それが真実です。「関係ない」と決め込んでいる人も、今行動しなければ、「殺し合いの場」に押し込まれる。「自分の安全」を最優先にしている政治家は多い。確かな政治家、学者、仲間と連携し、「無知偏見を排し、自分が行動する」ことだと思います。

  7. 奈良の親父 より:

    北朝鮮がミサイルを発射してもただ対ミサイル砲で撃ち落とすだけでいいのでしょうか?
    我が国が攻撃された場合、同盟国が応戦してくれますが、それでも対岸の火事として傍観していいのでしょうか?
    今のままでは尖閣諸島も竹島も、北方領土同様になるのは目に見えてます。
    武力やそれを行使する準備があるから、仮想敵国に対する抑止力になることも考えてみてはいかがでしょうか?

    友人やそのまた友人が、戦地で傷つくことは私にも耐えられません。
    しかし、その人達や私達の子供が日本国内で傷つくことはもっと耐えられません。

  8. Momo より:

    すごい…
    こんなに若い人が、自分の言葉でここまで語れるのか…動画を見た後、しばらく感動で言葉が出なかった。
    私は彼女より一回りは年上だけど、できる限りデモにも参加しているけれど、彼女ほど深く、真剣に平和について考えていたとは言えないし、こんな風に人の心を動かす言葉は語れないと思う。
    今与党は「国民の平和と安全を守るために」と嘯いて安保法制を押し通そうとしているけど、その言葉の裏には「他国民の平和と安全はどうなっても構わない」という考えが隠れているのだと思う(実際には、「国民」である自衛隊員の安全もどうなっても構わないと言っているようなものだけど)。そこにどうしても同意できないし、生理的嫌悪を感じる。
    私は日本の子供たちにも、外国人の子供たちにも戦争を経験させたくない。私にとっては、子供たちは可能性であり、未来そのものだ。そこに自分の子も他人の子もない。日本人も外国人もない。
    私たち女が子を産み育てるのは、彼らに自由な未来を選択して、一生懸命生きて幸せになって欲しいからだ。
    決して、実体のない「国益」だの「国の体面」だののために他国や他民族の人々と憎しみ合い、殺し合わせるためではない。
    「平和のためなら戦争をしてもいい」と言うけど、戦争をしている時点でもう平和ではないはず。そして他国の人間の頭上に戦火をもたらし、彼らの犠牲の上に成り立つものを自らの平和と呼ぶのなら、その国はもう「平和国家」などではない。
    平和と安全というなら、何があっても戦争をしない・戦争に協力しない努力を貫くことこそが、そこに至る唯一の道だと信じる。
    似非ウヨはよく「きれいごとで国は守れない」「国際情勢の変化を勉強してからものを言え」と言うけれど、私はそうは思わない。
    日本国民には等しく思想と言論と表現の自由があるからだ。
    政治のことはよくわからないけど、何があっても、たとえ自分が殺されても戦争だけは嫌だから、参加も協力も傍観もしない。
    ただその一点で、私は安保法制に反対するし、家から一歩出て声を上げる。
    その自由と権利が保障されているのが今の日本国憲法であり、民主主義なのだから。

  9. たら より:

    全文読みましたが、結局何が言いたいのかわかりません。
    今の安保法案が何故このかたちになったのかを理解していないようですね。
    後方支援になったのは野党からの圧力と反対派の声を反映しての結果。
    その部分は今の解釈のままと何も変わっていない。
    今回変えたのは民主党政権時に民主党により提案された集団的自衛権を更に制限して法制化しようとしてるだけ。
    それと、現在の個別的自衛権でも侵略されたら犠牲は出ます。
    それらの事を安部総理一人に責任を押し付けようと言っているだけではないですか?
    スケープゴートを作って、逃げてるようにしか見えません。
    本当に考えてるのであれば、安部総理だけを槍玉に上げず、与党野党とわず、過去の提案や政策も元政治家も含めて考えなければならないのではないでしょうか?

    今行われているSEALDsの運動はスケープゴート作りにしか見えず、全く賛同出来ません。
    本当に政治に向き合ってるとは到底思えません。

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