20年間、選挙が行なわれなかった村がある。
有権者数約1500人の沖縄県国頭郡東村。最後に選挙が行なわれた1995年以来、対立候補が現れず、無投票状態が続いてきた。村民の民意が改めて問われることがなかったという、その「異常な20年」から脱却しようと、2015年4月21日、元村役場職員の當山全伸(とうやままさのぶ)氏が村長選に立候補を決めた。
選挙の争点のひとつとなった、米軍訓練場の一部返還に伴う高江へのヘリパッド移設。選挙戦は、これを容認する現職の伊集盛久(いじゅせいきゅう)氏との一騎打ちとなった。5日間の選挙期間中、當山氏は「ヘリパット移設反対」と「村民参加型」の2点を強調。伊集氏との違いをアピールした。
「20年間も選挙がなかったのは異常だと、村民も『新しい村長を』ということで立ち上がっている。風はこちらに吹いている。相手陣営はこれまで箱もの行政をやってきたが、もう箱もの行政は終わりだというのが當山さんの主張。村民の気持ちを掴みたい」
當山陣営出発式の4月21日、東村の村議であり、高江ヘリパッド移設の反対運動では先頭に立ってきた伊佐真次(いさまさつぐ)氏はIWJのインタビューに応じ、20年ぶりに行なわれる選挙の意義を語り、期待に胸を膨らませた。
そして、5日間の選挙戦を終えた4月26日、村民は20年ぶりとなった選挙の投開票日を迎えた。
有権者数1528人。投票率89.1%。
結果は、伊集盛久氏、742票。當山全伸氏、609票。133票でもう一歩及ばず、當山氏は3期目の当選を果たした伊集氏に破れた。
「溢れ出した村民の思い」4年後の村長選挙に再出馬!?
「一人一人が東村を変える。東村の流れを変えたいと闘ってきたが、村民は審判を下した。結果を真摯に受け止めたい。しかし、(村民)の半数近くが私が掲げた公約を支持してくれたということ。相手候補には、村民の意見を反映した運営をしていただきたい。
伊集氏は、北部訓練場を段階的に縮小すると言っているが、現状を見ればそれはできないのではないか。これからも命を守る闘いをしていきたい。私の政策は東村を新しくするためには必要なものだった。さらに4年後、村民参加の行政を作るためにがんばっていきたい」
落選が分かった直後のスピーチで、4年後の立候補を示唆した當山氏。133票差をつけられ負けたものの、村民が村の運営に参加できる機会を与えた意義は大きいと、伊佐氏もIWJのインタビューで選挙戦を振り返った。
「20年間、選挙が一度もなかったということは、一部の有権者だけで色々と決めてしまって、村民に是非が問われることがなかったということ。ほとんどの人が、それに不満を感じていた。今回の選挙で、村民の思いが溢れ出たのだと思います」
4年後の選挙を目指す上で、小さな村が政策の違いによって二分されることはないのか。伊佐氏に聞いた。
「それでも、問題をどんどん出して提起していった方が村の発展になります。賛成、反対どちらかではなく、二分しないように、村民が議論を交わしていければいい。これまで、村民の思いが吸い上げられることはなかったわけですから」
「小さな村が、国策という重さに耐えている」
東村は、総人口1904人(平成26年1月1日現在)という小さな村だ。しかし、東京ドーム1668個分に及ぶ広大な米軍の軍事演習場がまたがる地域に位置し、戦後、日米両政府の思惑に翻弄され続けてきた。
ベトナム戦争時は、米軍が周辺住民らをベトナム人に見立て、殺戮の演習を行なってきたという歴史もある。