安倍内閣による集団的自衛権行使の閣議決定に対し、7月17日、違憲訴訟と国家賠償請求を行うことを表明した、市民団体「ピースウイング」が発足の記者会見を行った。会見において、代表である三重県松阪市の山中光茂市長は「集団的自衛権の閣議決定は暴挙であり、憲法違反」と安倍政権を厳しく批判した。
8月23日に、松阪市役所で、岩上安身が山中光茂市長へインタビューを行った。台風のため延期となっていたこのインタビューだが、当日、松阪市ではまたも大雨警報が発令。災害対応の合間をぬって、インタビューが行われた。
今回のインタビューで、山中氏が繰り返し口にしたのは、「当たり前」というキーワードである。当たり前の市民が、当たり前の生活を送ることが、集団的自衛権行使容認で不可能となってしまう、つまり、「平和的生存権が侵害されている」。今回の運動は、そのことに対しての異議申立てであることを強調した。
- 日時 2014年8月23日(土)
- 場所 松阪市役所(三重県松阪市)
愚かな為政者による失政を挽回することの困難さ
医師免許をもつ山中氏は、アフリカで医療に従事した経験をもつ。集団的自衛権行使容認の閣議決定を「愚かな為政者の判断」と断じた山中氏は、今回の違憲訴訟の背景には、自身の目で見たアパルトヘイト終了後の南アフリカの現実があると振り返った。
表面上は平等となっても、一度政策の過ちが歴史の中で作られることで、現場や後の政治、行政において取り戻すことの難しさを感じたのだという。「ケニアとソマリアの難民キャンプでも、現代の戦争、民族紛争の跡地で愚かな為政者の失敗というものを見た」。そう山中氏は語った。
憲法の前に、権力機関は謙虚でなくてはいけない
法学士でもある山中氏は、「立憲主義」について「憲法を法律と同じように作れると勘違いされる方がいるが、1789年のフランス革命では王政を、以降も権力機関を憲法機能で抑えるものとして作られてきた歴史がある。1889年の大日本帝国憲法も同様」と説明。
憲法に基づいて、法律が作られ、行政が行われているのには、「権力というものは暴走する」から、憲法の前に権力機関は謙虚でなくてはいけない、という大前提があるのだという。
続けて、権力者によってではなく、国民意思によって解釈や改正の議論がなされる「硬性憲法」という手続きをとったのは、大日本帝国憲法秩序に基づく権力行使が行われてこなかった、第二次世界大戦の反省を踏まえたものであると解説した。
「怒られるかもしれないが」と前置きした上で、「集団的自衛権を認める国家にしたければ、憲法改正という国民意思をもって行なうならば、まだ許せる」と明かした山中氏は、その「国民意思」という最も重要なプロセスが欠落した今回の閣議決定は、「明確な憲法違反、権力の暴走」と指摘した。
「憲法違反の論拠」として、憲法9条に明記されている、「国際紛争を解決する手段として、武力の放棄、戦力の不保持」をあげ、集団的自衛権は「国際紛争を解決する手段でしかありえない」ため、行使容認の閣議決定という行政行為は、明確な憲法違反と断じた。
第二次世界大戦の加害者として、アジア諸国に説明するべき
山中氏は、「集団的自衛権が本当に世界の平和に資するというならば、まずは第二次世界大戦時に日本が加害者となったアジア諸国へ向けて、説明や協議を行うべき」と指摘。
閣議決定後の安倍首相が、オーストラリアなどの外遊先で集団的自衛権行使容認を歓迎されたことを、「集団的自衛権によって、自国に代わって日本が血を流してくれるというものだから、(歓迎は)当然のこと」と評するとともに、集団的自衛権で一部の国家や権力構造におもねるようなあり方は、日本にとって大きな損失になると警告を発した。
同時に「世界の暴力団」となっているアメリカの同盟国として、日本が実際に集団的自衛権の行使を迫られた時に、「永久に武力を放棄した」日本において、本当に可能なのかを国民で真摯に考えなくてはいけないとの見解を示した。
アジアの中では、日本に対し、世界の大国の軍事バランスから外れているという中立性への信頼感があったことを踏まえ、軍事的な「リバランス」(再均衡)の下での平和というのは、歴史の中で成功した事例はあり得ない、とも明言した。
「戦略的な徹底した平和主義が、日本国にとって大事だというのを理想主義だというが、現実的なプロセスを作る中で、徹底した平和主義の施策というのはあり得る」
「ピースウィング」~一般の人々や意見が異なる人の参加を