「女性を買う権利が公になっているオーストラリア。日本にも多くの共通点がある」──。
2014年5月8日、京都市上京区の同志社大学烏丸キャンパスにて、シリーズ「グローバル・ジャスティス」の第42回目となる「オーストラリアにおける売買春をめぐる議論とその歴史」の講演が行われた。ゲストスピーカーのキャロライン・ノーマ氏(ロイヤル・メルボルン工科大学講師)は、1980年代から1990年代にかけて、オーストラリアの主要な州で売買春が合法化され、それが社会にどのような影響を与えているのかを解説した。
ノーマ氏は売買春への許容度が高い日本社会を、「オーストラリアと似ている」とする一方で、売買春を人権問題と捉え、厳しく禁止しているスウェーデンの例を示して、「21世紀は、スウェーデン型の政策を取り入れる国が増えるのではないか」と語った。
- 講師 キャロライン・ノーマ氏(ロイヤル・メルボルン工科大学講師)
性産業の多様化で深刻化する人身売買問題
はじめにノーマ氏は、オーストラリアのほとんどの州において、売買春の合法化が進み、それが長期的に深刻な影響をもたらしていることを説明した。「合法化以降、性産業は多様化し、いわゆる『セックスワーカー移民』が激増した。売春従事者の50パーセントがアジア圏および非英語圏からの移民である」と述べて、それによって引き起こされる深刻な人身売買の問題を、多くのオーストラリア人は把握していない、と指摘した。
「オーストラリア人は、この問題に自覚がなく、合法化によって政府が性産業を監視していると思い込んでいる。しかし、政府は売春業者から登録料を徴収するだけで、適切な管理はしていない」。
ノーマ氏は、1984年にビクトリア州政府が性産業の準合法化に踏み切り、それが1994年の完全合法化によって、売買春合法化の波がオーストラリア各州に拡がっていった経緯を解説した。「80年代はエイズが大きな社会問題で、合法化により、セックスワーカーに性病検査を義務づけ管理することは進歩的な政策だった。この政策によって、売買春が『恥ずかしい行為』から『消費活動』に変わってしまった」。
売買春に甘い日本とオーストラリア