2014年2月1日、名古屋の生協生活文化会館ホールで、日本新聞労働組合連合会副委員長で、琉球新報記者の米倉外昭氏をスピーカーに招いた講演会「戦争する国=暗黒社会づくりを止めるには」が開かれた。
米倉氏は、特定秘密保護法を成立させてしまったことは、新聞ジャーナリズムの敗北であると認め、その敗因を検証する議論をじっくりと展開した。
キーワードは「メディアの分断」。背景には、格差社会の進展と多メディア化を受けた「世論の分断」があるとした米倉氏は、安倍政権が仕掛けた、巧妙な「メディア対策」に、各社が嵌まってしまったことも大きいと訴えた。
スピーチ後半では、本土メディアの「沖縄報道」に違和感があることを力説。仲井眞弘多沖縄県知事が、昨年末に辺野古の埋め立て申請を承認した件に関する言及もなされた。
- 新聞労連副委員長として
新聞労連の秘密保護法反対の取り組み
新聞労働者の責任を果たせたか
ジャーナリズムの復権は可能か
- 琉球新報記者として
名護市長選が示したこと
福島 ― 沖縄 ― 国会を結んで見えること
「属国」が取り戻す「日本」とは
- シマナイチャーとして
私はシマナイチャー
4つの「琉球処分」
「差別」「自己決定権」を訴える沖縄
「沖縄」と連帯するということ
「日本人」は何をすべきか
米倉氏は、まず、昨年秋以降の、秘密保護法問題を巡る新聞労連の主だった活動を紹介した。
11月21日と12月6日には、日比谷野外音楽堂で大規模な反対集会を開き、11月26日の衆議院での法案可決直後には、首相官邸前で抗議行動を繰り広げた。12月3日には、同労連中央執行委員長の日比野敏陽氏が、参院国家安全保障に関する特別委員会で、野党側の推薦で参考人質疑も行い、「秘密保護法案には問題が多く、国民の『知る権利』に奉仕する取材・報道の自由を大きく損なう。廃案にするよう求めたい」と主張している──。
日比野委員長による参考人質疑について、米倉氏は「本来なら、NHKも加盟している『新聞協会』から、たとえば全国紙の論説委員が呼ばれて、ああいった場で話をすべきだ」と発言。その上で、地方紙(京都新聞)の記者である日比野氏に声がかかった理由を、大手メディアが秘密保護法案の廃止で一致していたわけではない、と説明した。米倉氏は後に「読売新聞と産経新聞は賛成派だ」と指摘している。
今後については、新聞労連が主催者側に加わっている、秘密保護法の廃止を求める市民運動の「6の日行動」が紹介された。これは、同法が成立した昨年12月6日を忘れないために、毎月6日に行動を続けていくもの。米倉氏は「2月6日も全国で一斉に、秘密保護法廃止を訴える。国会前でも行動を起こし、院内集会も開く」とし、次のように語った。
「昨秋に、秘密保護法問題を巡って、いくつも立ち上がったネットワーク型の反対運動は、同法の成立後も継続しており、今は法廃止を訴えている。ひとつの法問題を巡って、複数の市民運動が長く続くのは、実に珍しいことだと思う」。
安倍政権の「拙速」に追いつけなかった
「新聞による、秘密保護法問題に関する報道の本格的な立ち上がりは、法案が国会に提出された昨年10月に入ってからこのことで、遅きに失したと言わざるを得ない」。
続いて、こう指摘した米倉氏は、毎日新聞社がホームページ上に公開している、昨年12月13日に実施した紙面審査委員会の内容を紹介した。そこでは、1. 立ち上がりが遅かった、2. この法律が作られて困るのはメディアだけ、との受け止め方がなされた、3. メディアの対応が割れた──の、3つが問題点として列挙されている。
1. について毎日新聞社は、「法案を巡る自公の協議で『知る権利』が入るかどうかが焦点となり、そこに目を奪われたせいか、法案が抱える根本問題を伝えきれなかった」としている。米倉氏は「今の新聞は『政局報道』に流れすぎる傾向がある」とし、それが今回もアダとなり、読者ニーズとの間にずれを生む結果になった、との認識を示した。
一方で米倉氏は、法案提出から法成立までの、安倍政権のやり方は実に巧妙だった、とも。「メディアの中には、秘密保護法を危険視する記者は何人もいたが、法案が提出されない以上、本格的には動けないし、たとえ提出されても、簡単には通るまいという見方が、けっこう存在していた」。
政府与党は、そういう中で、外部に一切もれないように条文を検討し、昨年9月に入ってから、ようやく概要案を公表。通常であれば、1ヵ月程度は設けるパブリックコメントの募集期間も、15日間に短縮された。
米倉氏は「メディアが、そのスピードに追いつけなかった点は否めない」としつつ、メディアが秘密保護法成立を阻止できなかった最大の要因は、「各社が分断されたことにある」と力を込めた。
96条改憲が止まったことで「気の緩み」も
毎日新聞は先の紙面委員会で、「今回は、メディアの存立に関わる『取材の自由』『知る権利』が問われたのに、社によって法案への対応が割れ、同一歩調をとれなかった」としている。米倉氏は「読売と産経が、基本的に秘密保護法案に賛成の立場で、多少の注文をつける程度の報道をした。それに連動する形で、テレビも、一部の番組を除けば、秘密保護法の問題を掘り下げるような報道はしていない」とし、「(スパイ防止法案が廃止になった)1980年代までは、新聞が一斉に騒げば、世の中が動いたが、今はテレビが動かなければ、警鐘が大衆に届かない面がある」と述べた。
そして、安倍政権の「メディア戦略」の影響も大きかった、と言葉を重ね、「新聞社やテレビ局の経営者たちが、安倍首相と1対1で会食をすることが、今でも続いている」と明かした。「単独会見の実施も、安倍首相ならではのやり方だ。最初に産経のインタビューに応じ、次に読売のそれに応じるといった形で、そうなると、その際の安倍首相の発言が特ダネとして取り上げられやすくなる」。
さらにまた、米倉氏は、安倍政権の「多面型展開」にメディアの目がくらんだふしもあるのでは、という。「安倍首相がぶち上げた、例の96条の先行改憲の一件では、メディアの意識はそこに集中し、批判的な報道を重ねた。大勢の学者もまた、立憲主義の立場から先行改憲に反対した。安倍首相は、それを受けたかのように、96条の改憲を当面断念することを表明するのだが、これは改憲反対派にとっては一定の勝利であった。それだけに、そこでメディア各社の気が緩んでしまったように思える」。
地方紙の頑張りに期待
では、秘密保護法の成立を許してしまい、安倍政権に「敗北」を喫した新聞ジャーナリズムに復権はあるのか。同法施行までには、まだ時間があり、ここで白旗を掲げるわけにはいかないと思われる。
すばらしい講演会でしたね。ありがとうございました。これからも国民の手で止めましょう、憲法改正。転載させていただきたいのですが。