1月19日、米軍普天間飛行場の辺野古移転を主な争点とした名護市長選の幕が閉じた。最終の開票結果は、辺野古移転阻止を訴える現職の稲嶺進氏が19839票を得て、自民・公明推薦で移転推進派の末松文信氏の15684票を、4000票以上の大差で上回り、再選を果たした。IWJは、両陣営の選対事務所の模様を同時中継した。
(取材:原佑介/KEN子、文:原佑介、記事構成:佐々木隼也)
特集 名護市長選挙
1月19日、米軍普天間飛行場の辺野古移転を主な争点とした名護市長選の幕が閉じた。最終の開票結果は、辺野古移転阻止を訴える現職の稲嶺進氏が19839票を得て、自民・公明推薦で移転推進派の末松文信氏の15684票を、4000票以上の大差で上回り、再選を果たした。IWJは、両陣営の選対事務所の模様を同時中継した。
◯稲嶺進選対事務所の模様
■ハイライト
◯末松文信選対事務所の模様
■ハイライト
投票締め切り時刻の20時になってすぐ、琉球朝日放送が「稲嶺当確」を報じた。多くの支持・支援者が集まった稲嶺陣営は歓喜に包まれた。琉球朝日放送に遅れること約1時間半、ようやくNHKが稲嶺当確を報じ、支持者の前に稲嶺市長が登場。会場の熱気は最高潮に達した。
稲嶺陣営の後援会会長は、「もの凄い国や県の圧力を跳ね返せたのは、皆さまの応援や協力があったから」と述べた。稲嶺氏は、「本当に幸せです」と挨拶し、「名護市だけでなく、沖縄県内、日本全国、海外からも応援いただき本当にありがとうございました」と語った。さらに稲嶺氏は、「これからしっかり職務をまっとうし頑張りたい。私の後ろには、市民・県民・国民そして世界の人からの支援がある」と述べ、自身の主張への支持が結果につながったことに、自信を深めた様子をみせた。
稲嶺夫人は、「稲嶺が再選したからには、名護の子どもたちの未来は絶対に守ります。私は、これからも稲嶺市長を、縁の下でしっかり支えていきたいと思います」と話した。その後、勝利を祝う支援者らは、沖縄の伝統的な踊り「カチャーシー」で喜びを表現した。
一方、末松陣営はどうだったか。
「辺野古移転阻止か、名護の経済発展か」―。稲嶺市政はこの4年間で、名護の市民所得や法人税収を上げ、基地交付金なしで市の積立金も倍増させている。しかしIWJ記者が投票所で出口取材した限り、末松氏に投票した人からは「名護の振興を重視している」と答える声が多く、末松陣営は「経済発展=末松」という印象付けに一定の成果を上げたようにうかがえた。
稲嶺氏を推す声が6割強を占める中、「新しい名護市を作りたい」「名護市を発展させてもらいたい」、さらに「県外移設は無理。宜野湾のためにも、もうそろそろ決着をつけよう」と言った声が、末松候補に投票した市民からは上がった。
決起集会や打ち上げ式において、市民の数や熱気で稲嶺陣営に遅れをとった末松氏。「経済=末松」という市民の期待を背負い、どこまで票を伸ばせるかが注目された。山本一太沖縄担当大臣は投開票日前日(18日)、「大接戦だ」と語ったが、結果は投票終了と同時に敗北の報が出るという大差だった。
末松陣営も、琉球朝日放送の当確が出てからの約1時間半、重い空気の中テレビを見守り、勝利の可能性を捨てきらずにいた。しかし、NHKが当確を出した直後、末松氏が挨拶。「負けるとは思わなかった」とし、勝利を逃したことを支援者らに詫びた。
末松氏はその後、ぶら下がりの記者会見に応じた。「結果だから重く受け止めなければいけない。 選挙戦を通じて、基地を定着して、新しい名護市づくりを訴えていたが、十分浸透できなかったのかと思う」と末松氏は振り返った。
選挙結果は、名護市民が明確に「新基地はいらない」と示したものだった。IWJ記者は、「選挙結果を受け、政府は辺野古移転を断念すべきと思うか」と質問した。末松氏は、「私は、そうは思わない」と否定したうえで、「この案件は、一旦は受入れを表明したので。地元辺野古はまったく反対という雰囲気はなく、進めてほしいというのが大方の意見。地元ということと、沖縄全体をどう捉えるかです。政府には、移転を進める手立てがあれば、進めていただきたいと思う」と答えた。
この選挙結果を受けて、読売新聞によると「政府高官は19日夜、『移設作業は粛々と進めていく。市長選で末松氏が敗れた影響は全くない』」とのコメントを出している。
さらに、産経新聞によると、仲井真沖縄県知事は「有権者の意向は大きいが、もう承認したので今からどうこうできない」と、辺野古移転計画の継続を強調した。年末には県知事選が控えている。今後も、米軍基地をめぐる沖縄、辺野古の展開に注視が必要である。