11月4日に大阪府豊中市の大阪大学会館で開かれた、東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授と大阪大学法学研究科の福井康太教授による緊急対談では、山本太郎参院議員の天皇陛下への手紙に対する、文部科学省の下村博文大臣の発言を巡って激論が交わされた。
「現役の文科相の言葉として、いかがなものか」と懸念を示した安冨氏は、決して万能ではない民主主義を補うための機能を「皇室」が担う意義についても言及。福井氏は、山本議員が、心のどこかで天皇を自分にとっての「守り神」と見ていたフシがある、との見方を示した。
(IWJテキストスタッフ・富田/奥松)
特集山本太郎
11月4日に大阪府豊中市の大阪大学会館で開かれた、東京大学東洋文化研究所の安冨歩教授と大阪大学法学研究科の福井康太教授による緊急対談では、山本太郎参院議員の天皇陛下への手紙に対する、文部科学省の下村博文大臣の発言を巡って激論が交わされた。
「現役の文科相の言葉として、いかがなものか」と懸念を示した安冨氏は、決して万能ではない民主主義を補うための機能を「皇室」が担う意義についても言及。福井氏は、山本議員が、心のどこかで天皇を自分にとっての「守り神」と見ていたフシがある、との見方を示した。
■ハイライト
「われわれ国立大学で働く者にとっては上司にあたる、文科省の下村大臣が『山本議員の今回の行動が(足尾銅山鉱毒事件を告発し、明治天皇に直訴した)田中正造のそれに匹敵する』と発言した。私は最初、山本議員をほめるつもりなのかと思ったが、実はそうではなく、大変驚いた」。こう口火を切った安冨氏は、「今日は福井先生との議論を通じて、その『驚き』が何たるかを解明していきたいと思う」と表明した。
「山本議員が天皇陛下に手紙を渡したことそのものは、法律的には何ら問題はないはず」と続けた安冨氏は、憲法ですべての国民に認められている請願権で、その理由を説明した。「法律では、天皇に請願する場合は内閣に出しなさい、としているだけ。請願権は、国民による請願を阻止するのが目的ではなく、請願を可能にするための法律だ」。
これを受け、福井氏が「山本議員のあの行動が請願だったのか否は、手紙の内容がわからないので何とも言い難いし、単なる私信を手渡したのかもしれない。ただ、ルールが定まっていない盲点を突いた格好になったために、これだけの騒ぎが起こったことは確かだ」と述べると、安冨氏は「山本議員のあの行動は、法律の想定外だったということ。法解釈による正否判定がなじまない行動だったからこそ、議論している側も困ってしまうのだ」と言葉を継いだ。
「世間は山本議員のあの行動の、どこが気に入らなかったのか」──。安冨氏にこう水を向けられた福井氏は、「特に、復古主義の人たちの目には、身分が違いすぎる人と無理矢理コミュニケーションを図ろうとしたように映ったに違いない」と指摘。また、「一方で多数派は、天皇の活動は国事行為に限定されるもので、だからこそ、天皇は象徴的な存在であり続けると認識しており、『その枠組みを崩してもらっては困る』との観点から、山本氏を非常識としたとみられる」とも語った。
福井氏の見解に「戦前型の、非民主的な社会システムに逆戻りすることを恐れている人たちにとっては、山本議員のあの行動は、実に危険なものだったということになる」と理解を示した安冨氏は、タイやブータンの王室の機能を紹介し、民主主義ならではの不安定さを補って社会を安定させるには、国民(=弱者)にとっての守り神たる「王様」の存在が必要、との持論を展開。これに対し福井氏は、「山本議員には、天皇はそういう存在(=守り神)であるという、素朴な認識があったのかもしれない」と応え、次のように強調した。
「民主主義が万能ではない以上、弊害部分(=弱者へのしわ寄せ)の吸収機能を、裁判所が十分に担ってくれればいいのだが、実際はそうではない。多分、山本議員も(原発問題を巡って)司法の活用を考えたと思うが、裁判所はむしろ、彼を排除しようとしたのではないか。しかも国会では、原発問題に関してさほど発言の時間が与えられるわけではなく、思い余った山本氏は、天皇に手紙を渡してしまったのだろう。であれば、その気持ちはわからないでもない」。
(…会員ページにつづく)
みなさん、天皇が「何かできる」「何かする」ことを前提に議論されていたんですね。驚きました。
そもそも「何もできない」でしょうし、「何もなさらない」でしょう。私は最初からそう考えていました。
山本議員がどう考えておられたかは存じませんが、あの行為によってもたらされる効果は
「福島に問題がある事を世間に知らしめる」こと、オンリーでしょう。
だから、政府としては、黙殺した方が良かったのです。なのに騒いで問題を白日の下に曝して、
愚かだなあと嗤っています。私としては「作戦成功だね」と感じています。