マスメディアの“終焉”と報道―権力と向き合う『リーク』と調査報道を考える ~ジャーナリズムフェスタ2013 2013.10.6

記事公開日:2013.10.6取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・久保元)

 2013年10月6日(日)13時半、大阪市中央区のエル・おおさか(大阪府労働会館)において、「ジャーナリズムフェスタ2013」と題するシンポジウムが開かれた。このシンポジウムは、2009年の初開催以来、2010年の第2回開催を経て、今回で3回目の開催。今回は、「マスメディアの“終焉”と報道―権力と向き合う『リーク』と調査報道を考える―」をテーマに、青木理氏(ジャーナリスト)、高田昌幸氏(高知新聞記者)、今西憲之氏(ジャーナリスト)、石丸次郎氏(アジアプレス)がパネリストとして登壇し、モデレータを務める合田創氏 (自由ジャーナリストクラブ)の進行により、活発に意見を交換した。

 今回のシンポジウムでは、聴講者に配布した用紙に質問事項を記入(回答者指定可能)してもらい、それを係員が随時回収し、質問内容をパネリストに問いかけるという形式が採られた。これにより、フリートーク形式の質疑応答にありがちな、聴講者からの質問の主旨が曖昧な冗長な質問や「自論演説」を回避し、現役記者を含めた120名を超す聴講者らが多様な意見を表明することが可能となり、メディアの今後を占う忌憚のない意見が集約できたほか、パネリストの発言を効率的かつ円滑に引き出すシンポジウムとなった。<以下、シンポジウムでのやり取りの一部を抜粋>

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  • メディアの現状を俯瞰する
  • 「リーク(内部告発)」とジャーナリズムのあり方について
  • 新しい調査報道の可能性について
  • パネリスト
    青木理氏(ジャーナリスト、元共同通信記者)/高田昌幸氏(新聞記者、元北海道新聞記者)/今西憲之氏(ジャーナリスト)/石丸次郎氏(ビデオジャーナリスト、アジアプレス共同代表)
  • モデレーター 合田創氏(自由ジャーナリストクラブ)

「発表もの」を疑って取材するのは基本中の基本

◎質問「警察発表内容を一度は疑ってみること、裏付け取材をすることを原則とすべきとする意見について、どう思うか?」

高田氏「警察に限らず、発表ものを疑って書く、取材するというのは、基本中の基本。何十年も前から言われてきたことがきちんと実践できていないから、『ジャーナリズムは問題だ』となる。ただ、もう少し分解して言うと、私が記者になった30年前には、警察担当記者であれば、警察署の中の捜査員がいる部屋(俗に言う刑事部屋)や当直の部屋に、最初は『出て行け』といわれたが、何度も通っていると入っていくことができた。入っていくことができると、部屋の中でどんなことが行われているのか、ある程度分かる。しかし、今はそういう細かい情報にアクセスすることが難しくなっている。きちんとした人(広報)が出てきて対応し、部屋や建物の中には一歩も入れないという状況になっている。発表を疑って取材するというのは当然のことだが、現場としては何十年かの間に、当局側に寄り切られそうになってきている。そういう難しさは現実の問題としてある」

今西氏「けれども、今は、警察の広報の人と話をすると、だいたい『発表通りに書くのが正しい記事だ』と言っておられる人が結構いる。それが当たり前だと」

青木氏「警察の発表を疑うのは当たり前だが、現実的に、『疑っている暇がない』というのが正直なところ。例えば、新聞社で夕刊の締め切りがあって、午前11時に警察の広報が『こんな事件があった』と(リリースを)持ってきたときに、社によっても異なるが、どんなに遅くても締め切りは午後1時。11時に持ってこられたら、現場に行く暇がない、せいぜい電話で取材するしかできない。もちろん、『取材していない記事を出すな』というのが理想論としてはあるのだろうが、夕刊に各社(他社)が(記事を)入れてくるのであれば、(自分たちも)入れざるを得ない。電話取材をして最低限分かったことを、あくまでも『警察の調べによると』という形で書くというのは、現実的には仕方がない状況。ただ、全部は無理だが、あとになって少しでも疑問がわいたら、もう一回きちんと取材し直してみるという作業が必要だ」

◎質問「毎日放送の『たね蒔きジャーナル』の放送終了について。終了の核心の理由が、スポンサー料などをちらつかせた、電力業界からの圧力がかなり大きいのではないか?」

石丸氏「私の理解では、(リスナー数や広告伸び悩みなどが顕著な)ラジオの現状の中で、報道はお金が掛かるので、縮小する中でターゲットになってしまったのが一番大きな理由ではないかと思う。関西電力からの圧力が直接的な原因にあったのかどうか・・・(は疑問)」

客席の関係者「正直、スタッフの中でも分かっていないことが多いが、電力会社からの圧力があったのかというと、そんな大きな圧力はなかったのではないかと思う。社内での自己規制であるとか、報道は人手が掛かるといったことで、『次の番組に新しいステップを踏み出すんだ』ということで、番組が終わると言われて、次の番組に関わってきた。電力会社からの跳ね返せないような大きな圧力はなかったのだけれど、それを受け止める側の、会社のほうの問題ではないかなと思う」

◎質問「このところ、北朝鮮が、日本メディアの取材規制を緩和し、寛容になっていることについて、どう思うか?」

石丸氏「メディアの選別を強めている。朝鮮総連が窓口になって、北朝鮮現地の取材可否を出すが、普段厳しいことを書くメディアは入れないとか、『あんたのところ、こないだ良く書いてくれたから、今回は入れてあげる』といった選別をする。北朝鮮に入って取材するということは、今でも統制下にあるが、『希少価値がある』とテレビ局が判断する。希少価値をエサに、手心を加えてくれることを頼んだり、脅しの材料に使ったりということが、残念ながら以前よりも強くなったような気がする」

ネットに載っていないから報道されていないと思うのは短絡的

◎質問「高知県といえば、ビキニ水爆実験で第五福竜丸が被爆し、多くの人が外部・内部被曝で亡くなられた。ネットで調べる中で、1000隻近くの船が被爆し、漁師が被爆して亡くなった事実を知った。メディアや漁業者による隠蔽が行われてきたことについてどう思うか?」

高田氏「少なくとも、地元の高知新聞は、過去ずっとこの件は報道している。最近、『隠蔽されてきたのではないか』という議論のときに、(微妙だなと)感じるのは、インターネットに載っていないからといって、報道されていないと思うのはあまりに短絡的ではないか、ということ。紙に印刷された記事が、必ずしもネットに載っているわけではない。高知新聞は、ネットにはほとんど載っていない。けしからんという意見もあるだろうが、コストの掛かっている記事をタダで見せるわけにはいかないというのも、営業政策としてはありうることだと思う」

◎質問「新聞を読まない、テレビを見ない、雑誌を買わない、そういった受け手側の変化をどう見ているか?」

青木氏「私は、取材力が低下することに危惧の念を持っている。取材力は、一種の公共財。僕は16年間共同通信で仕事をして、心から感謝している。僕は、取材のノウハウを、明らかに通信社で学ばせてもらったと思っている。雑誌の世界は、いきなりフリーランスで、最初から『立派なことを取材しまっせ』なんていう記者はいない。たいていは週刊誌、あるいは、月刊誌の現場で契約して、編集者と一緒になって取材のノウハウを教えてもらって、今西さんのような立場になった人が、今度は若い人に対して、『取材って、こうやるんだよ』というのを教えるというサイクルができていた。ところが、今は週刊誌、雑誌の現場では、雑誌が売れない、どんどん雑誌がなくなっていくという中で、ほぼそのサイクルが壊滅状態になっている。ということは、取材のノウハウ、取材力を伝統継承するという作業ができなくなっている。まだかろうじて残っているのが新聞だが、新聞の中でも取材力が劣化していくと、取材をしてものを書くという作業が途切れてしまうのではないかと思う。とはいえ、じゃぁ、『新聞社の皆さん、テレビ局の皆さん、出版社の皆さん、いったい給料はナンボもらっているの』という気もする。一回、こんな体制は崩れたほうがいいんじゃないか、崩れる中で、もしかすると、希望だったり、新しいものが出てくるんじゃないかとも思う」

◎質問「若い記者の取材力が劣化していると言われているが、指示をするデスクの劣化も原因ではないのか?」

高田氏「まったくその通りだと思う。『何だか、メディアが変だ』という感覚は、2000年頃から顕著になってきた。だいたい20~30年でデスクになる。2000年にデスクだった人は、1970~1980年の入社。1970年頃にデスクだった人は、終戦から間もない頃の入社。あの悲惨だった頃を知る人と、高度成長が定着し、バブルに入ろうかという時代に社会人となり、そのままデスクになった人とでは、世の中の見方が大きく異なる。それだけが原因ではないが、新聞社の仕事が忙しくなる、振り返る時間が少なくなる。取材力の劣化は現場だけの話ではなく、報道する側の総体として、パワーが落ちているのだろうと思う」

何のネタがなくても、とにかく橋下市長だけを毎日撮っておけ

 シンポジウムの中盤、大阪市長を務める橋下徹氏との対決姿勢を明確にしている弁護士の阪口徳雄氏が登壇した。阪口氏は、「橋下氏に対するマスコミの対応がひどい。(真相を)何も報道しない。彼が言っていることばかりを垂れ流している」と批判した上で、橋下氏周辺の政治と金の問題を独自に調査していることについて、具体例を挙げて説明した。その上で、報道関係者が来場している客席に対し、「ぜひ調べてみてほしい」と呼び掛け、調べ方のポイントを解説した。これに関連し、今西氏が、以下のように発言した。

今西氏「半年ぐらい前、あるテレビ局の記者が、このように私にぼやいた。『何のネタがなくてもいいので、とにかく橋下市長だけを毎日撮っておけと会社から言われている。仕事していて全然面白くない』と。その社は、毎日、大阪市役所の周りにカメラクルーを3つくらい張り付けて、橋下市長が動くたびにひたすらカメラで追っかけていた。気がつけば、警察とか司法を担当する記者の数も減らしたと。別のテレビ局は、警察担当と司法担当はキャップ(ニュースをまとめる立場の人)が別々だったのに、今は一人で兼任している。橋下市長、維新の会が、これだけ大きく、一時は支持をされた理由(原因)というのが、やはりマスコミにもあると私は思う。『打ち上げ花火政治』で、毎日毎日、面白いトピックスをこれでもかとあちらこちらから上げる、そうすると、それを追いかけるのに必死になる。そのトピックス(の内容)がどうなのかという検証する暇がない。けれども、ニュースは常に橋下市長なり維新の会で埋まっているというのが、かなり大きな支持の根底にあったのではないかという気がする。しかし、さすがに『打ち上げ花火』もどこかで限界がくる。私が感じるところでは、大阪都構想なり、対教育委員会とのあり方について、かなりしっかりした検証記事が出るようになったのかなと思う。そういう中、他のことともあいまって、以前ほど支持を得ることができなくなったのではないか」

今、一番大事なことは、「いかに多様性を担保するか」だ

 シンポジウムの中盤、青木氏は、質問外の発言として、「これだけは言っておきたいことがある」と強調した上で、以下の主旨を発言した。

高田氏「メディアの凋落について。確かに総体としては、日本の新聞の部数は減っているが、通常の日刊紙で言えば、まだ5000万部ぐらい出ている。私の記憶では、日本新聞協会加盟93社の中で、記者職・編集職にいる人は2万3000人ぐらい。そのうち3分の1から半分近くが内勤職兼管理ポストなので、おそらく1万人ちょっとが外勤記者。総体として部数は減っているのは、個々の家庭も新聞をやめているのもあるが、企業が、これまで朝日・毎日・読売を取っていたのをひとつにしようとか、それが大きいのではないか。もうひとつ。価格競争の中で部数が減っているのではないということ。今は、日本の新聞は再販売価格維持制度のもとで、価格統一をしているが、おそらく近いうちに、どこか大きいところが、『再販売価格維持制度をやめた』と言い出すのではないか。ここで本当の価格競争が始まるんだろうと思う。そうすると、今は総体で減っているが、ガリバー(巨大な勝ち組メディア)が生まれる第一歩なんだろうなという気がする。みんなが等しく没落するのではなく、どこかが勝ち組になってしまう。8月末に茨城の常陽新聞が倒産した。おそらくそういった形で、これからは最終的には、縦系列の統合が進むのではないか。たとえば、読売ホールディングスの下に、(あくまで、例え話として)京都新聞がぶら下がっているとか、どうもそういうイメージがあって、最終的にはいくつかのホールディングスの下に、地方紙の看板、タイトルは残っているけども、いくつかのグループになって、総体としては部数が減るけども、いくつかの勝ち組が生まれてくるのではないか。巨大な勝ち組がいくつか生まれるということは、基本的に多様化が失われることなので、非常にヤバいなと思っている。今、一番大事なことは、いかに多様性を担保するかだと思っている」

 これに関連し、立岩洋一郎氏(NHK国際放送局記者)が登壇し、アメリカで起きている実例として、1991年にCBS勤務の記者が独立し、一般市民などから寄付を募るスタイルの「非営利ジャーナリズム」を開始したことや、企業に寄付を義務づけることで、その一部がメディアを育てる役割を果たしていること、さらに、メディア横断型のジャーナリスト養成制度が敷かれていること、非営利ジャーナリズムとの共同雇用や協業が行われている実例などを紹介した。

 一方、石丸氏は、報道を取り巻く環境の変化に対応するため、「iASIA」(アイ・アジア)という名称の非営利ジャーナリズム組織を立ち上げたことを発表した。また、自身がCSテレビ放送向けにビデオカメラ(Hi8)で番組制作を手掛けるようになった20年前を振り返り、「昔は、映像の世界は参入そのものが難しかった」と述べた。そして、撮影機材の高画質化と低価格化が著しいことを特筆すべき好材料として挙げ、「何で撮ったかではなく、何が写っているのかが大事になっている」とした上で、「若い方々に申し上げたい。今は、10万円と志(こころざし)さえあれば、誰でも映像表現者になれるという、『革命的な時代』にある」と語り、若手ジャーナリストの「新規参入」を促した。

8勝7敗でいい。9勝6敗でいい。少しずつ前にいっていればいい

 シンポジウムでは、聴講者からの質問に答えるのみならず、パネリスト同士でも活発なやり取りがあった。

石丸氏「高田さんは、(北海道新聞の記者時代に)北海道警察の裏金問題の追及をずっとやられていて、その後、道警の反撃を受けて、北海道新聞が全面屈服するという過程におられた。(権力との)対決は脇が甘いと返り血を浴びる。しかし、今のジャーナリズムは、なぜ(権力対決の)報道をしないのか、意見をお聞きしたい」

高田氏「基本的には、(権力とは)対決しないほうが楽だから。身も蓋もない感じだが。私だってそうだが、人間は易き(やすき)に流れる。相手が言っていることをそのまま書く、これが一番楽。しんどいのは、相手が言ったことを上回って、独自に調べて書くこと。あるいは、関連の書類を読む、違う人から話しを聞く。通常のデイリーワークよりもさらに忙しくなる。それと、記者クラブ。今は『壮大な建前』になっているが、記者クラブは本来、『権力を監視するため』にある。だったら、警察なり県庁なり、そこにいる記者は、基本的に自分が担当している分野をチェックすべき。そこにいる本人がやればいい。北海道警察(裏金問題追及)の場合も、警察担当記者が通常の事件事故の取材をしながらやった。なぜなら、『そこにいるのはチェックのためだから』と。だけど、そういうことをやっていると、通常の取材はしにくくなるし、バカヤロウとか出て行けとかアホとか面罵されるし、色々としんどい思いをする。それでも、やっていると、何か違うステージが出てくる。答えは一つ。『やるか・やらないか』どっちかだ。やれば、無限大の可能性がある。もちろん、失敗もたくさんするが。あとは、中間管理職が腹をくくる。逆の意味で言うと、日本のメディアで、権力べったりで腹をくくっている人は、そうはいないと思う。『俺は電力業界から金をもらっているから、絶対にそれ(電力業界批判記事)は通さないぞ』という人はいなくて、ちゃんとした取材をやっていて裏付けもバッチリで、文章もカチッとしていて、しかも、ある程度長期的な戦略も練ることができている、そういう記事を出し始めたら、『俺は政権と親しいからダメだ』と言う腹をくくった人(管理職)はいないと思う。社内の壁を越えられない?だったら努力をして越えればいい。開かない壁はないのではないかという気がする」

青木氏「でも、高田さんに突っ込みたくなるが、最終的には潰された・・・」

高田氏「いや、僕は、自分の人生の生き方として、世の中、15勝0敗、全勝で千秋楽というのは、そうそうない。8勝7敗でいい。9勝6敗でいい。少しずつ前にいっていればいい。全部うまくいくなんてことは、そもそも考えていない」

青木氏「僕が何を言いたいか。この報道で、北海道新聞は新聞協会賞を受賞した。しかし、北海道新聞が北海道警に反撃を喰らって、崩れ落ちそうになっていたときに、他の新聞社、あるいは、労働組合がほとんど声を上げなかったし、新聞協会からも声が出なかったのはなぜなんだろうか。すごく不思議で仕方がない。新聞協会賞を与えた新聞協会から、北海道新聞を多少でも擁護する声が上がらなかった。今でも絶望的な気分になる」

メディアが、特権をもらえることで、喜んでいてどうするんだ

 会場からは、安倍政権が成立をもくろむ、特定秘密保全法について、危惧する発言が多数上がった。

高田氏「そもそも、『国家にプライバシーがある』という言い方が、なぜ成り立つのか。『国家のプライバシーって何だよ』と私は思う。そもそも、税金とか法律とか、いろんな行政の、半ば強制的に集めた情報が、なぜ市民に公開できないのか。特定秘密という枠を作ること自体が、まったくもっておかしい。特定秘密保全法の論点は、今明らかになっている法案の中で、私が非常に嫌だなと危惧するのは、『独立教唆』と『未遂』を両方罰すると言っていること。独立教唆は、たとえば、青木さんが特定秘密を扱う防衛省の高級官僚だったとして、私がこれこれ教えてほしいと言いに行く。でも、私は何が特定秘密か分かっていない。当然、特定秘密に指定されているものが何なのか分からないので。その状態で、『青木さん、教えてほしい』と言いに行く。青木さんがまったく何のアクションを起こさなくても、これで、高田に教えてやろうかと思って、コップに入った情報を渡せば情報は漏れる。しかし、情報の入ったコップを持ってきても、渡さなければ未遂。青木さんがそれすらしなかったら、何の効力もない。私が『見せて、見せて』と言っていても。でも、それすら罪に問われる可能性がある。報道か報道でないかは別にして、『物事を知ろうとする行為そのものが法律違反になる』かもしれない。しかも、最高刑が10年。逮捕令状なしの緊急逮捕あり。その場で身体だけ先に押さえちゃうということができる。これは恐ろしいと思う。それと、現行法でも『秘密を守れ』という法律は存在する。国家公務員法、地方公務員法、日米相互防衛協力に伴う秘密協定保護に関する法律(MDA法)、自衛隊法もある。要するに、現行法でカバーされていない公務員というのは一人もいない。では、なぜこの法律を作りたいのか。厳罰化。国家公務員法は最長で懲役1年。それじゃ足りないと。だから10年にすると。多分、そこしか論点が出てこないだろうと思う、先日、自民党のある幹部にポイントは何かを聞いたら『厳罰化だ。10年にする』と答えた。法律はいったんできれば、簡単に改正されてしまう。10年のものはやがて15年になり、無期になるかもしれない。戦前の治安維持法も、最初にできたときに死刑はなかった。改正されて死刑がくっついた。だから、そういったものに必要性を求めること自体が違う。この法律はまったく要らないもの。条件闘争などするべきではない。

石丸氏「秘密保全法の問題点を、たくさんのメディアが連載を始めている。しかし、私はこのままの状態が続くと、メディアの中で、譲歩する、賛成する空気が生まれてくるのではないかと思う。1985年に中曽根内閣でスパイ防止法案が提出されたときと、状況が似ていると思う。あのとき、報道の自由、つまり『メディアは処罰しない』という譲歩案を政権が提示し、結局廃案になったが、メディアは腰砕けになってしまった。それを当時、共同通信の原寿雄(としお)さんが厳しく批判し、『メディアが、特権をもらえることで、喜んでいてどうするんだ』『メディアが報道する権利というのは、国民が知る権利があってこそ担保されるものだ』という、そういう厳しい批判をされたが、同じような状況になりつつあるのではないかと危惧の念を強く持っている。当初の法案には、報道の自由とか、国民の知る権利という言葉が入ってなくて、メディアは非常に反発したが、政府の提案は最初に『ドーン』と、とんでもない部分を強調しておいて、そのあと譲歩して、譲歩するようなフリ、ポーズを取るという作戦なのではないか。今回も、報道の自由を明確に条文に入れることで、というか、『メディアは処罰しない』という条文を入れることで、メディアに特権を享受させるということで、メディアの反対のトーンを和らげようというもくろみがあるのではないか」

「メディアの仕事は、『リークをさせること』だ」

 シンポジウムでは、調査報道の要となる「リーク」についても意見が出た。

高田氏「メディアの仕事は、『リークをさせること』だと思っている。どんどんリークをさせなければならない。良いも悪いも、内部告発も、その他も含めて、捜査情報であろうが、外交機密であろうが、どんどんリークさせること。リークさせる中で、当局は自分たちにとって都合の良い情報というのは、日常的に、今だって、毎日、毎晩、今日だって東京の霞ヶ関のどこかではリークが行われている。それは、メディアを都合よくコントロールしようとするためのリーク。それらも含めて、リーク情報、すべての情報を手にして、リークを右から左に書くのはアホだが、情報をたくさん集めることは仕事。だから、基本的には、リークはどんどんさせないといけない」

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「マスメディアの“終焉”と報道―権力と向き合う『リーク』と調査報道を考える ~ジャーナリズムフェスタ2013」への1件のフィードバック

  1. mayo より:

    岩上安身さんはなぜこのパネリストの中にいらっしゃらないのですか。

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