2013年9月7日、東京都千代田区のYMCAアジア青少年センターで「POWER TO THE PEOPLE ~住民投票のバトンをわたそう~」が開かれた。法政大教授の杉田敦氏は、冒頭で、この集会が「成功の秘訣」を伝授するものであることを宣言した。伝授の対象は、日々、さまざまな活動に尽力している市民団体だ。杉田氏が共同代表を務める「みんなで決めよう『原発』国民投票」もまた、「発足は一昨年だが、目標とする国民投票の実施には至っていない」とのことで、杉田氏は「自分たちの活動にも、ヒントを持ち帰りたい」と意欲を示した。
- 講演 笹口孝明氏(元「巻原発・住民投票を実行する会」代表、元巻町長)
- 講演 村上稔氏(元「第十堰住民投票の会」事務局、元徳島市議)
- 講演 水口和恵氏(「小平都市計画道路に住民の意思を反映させる会」共同代表)
- パネルディスカッション「原発再稼働を直前に、住民投票のパワーと展望を検証」
パネリスト 笹口孝明氏、村上稔氏、水口和恵氏、宮台真司氏(社会学者・首都大学東京教授、主催共同代表)、杉田敦氏(政治学者・法政大学教授、主催共同代表)
コーディネーター 稲田素子氏(みんなで決めよう「原発」国民投票)
- 進行 金子あい氏(俳優・アーティスト)
住民投票を成功させた実例を語ったのは、一番手に登場した笹口孝明氏(元巻町長)。新潟県巻町での原発建設阻止の立役者として「巻原発・住民投票を実行する会」で代表を務め、全国初となる住民投票を実現させた手腕を持つ。
巻原発の建設が現実味を帯びたのは1994年のこと。原発建設への賛成を表明した佐藤莞爾氏が巻町長に三選した時期だ。「原発建設反対派と慎重派の候補の得票数を合計すると、佐藤氏のそれを上回っていた。当時の巻町民は、原発建設については、佐藤氏の考えに賛成していなかった公算が大きい」。笹口氏は、住民投票の実施を軸にした町民主権の原発行政を実現させる必要があると痛感し、市民団体を立ち上げた。
投票率「約9割」を達成するには
町当局が、笹口氏らによる住民投票実施の求めに応じなかったため、1995年に町民の自主管理で投票が行われた。笹口氏は「住民投票の公正さを徹底的にアピールした」という。選挙人名簿を入手した笹口氏らは、地元有権者に送ったハガキが投票所入場券となる、公職選挙と同じ方法を採用。投開票時の立会人の人選や、投票箱を管理する業者選びにも細心の注意が払われた。
「投票率は45パーセントで、当時の状況下では高い数字だった」と笹口氏。原発建設に反対する票数は約9800で、佐藤氏が三選した時の約9000を上回った。ただ、当時の佐藤町長は、この結果を「行政のルールが反映されていない」と一蹴した。
その後の町議会で住民投票条例が制定されたことや、町長リコールの署名が集まったことを受け、佐藤氏は1995年12月に町長を辞職。翌年1月には笹口氏が町長選で当選を果たした。笹口氏は早速、東北電力の、地元での原発用地購入の是非を問う住民投票の実施を決め、町民に対し「主権者の町民が、十分な判断力で示した結果は効力を持つ。賛成多数なら原発建設へ、反対多数なら建設は不可能になる」との中立なメッセージを送った。
1996年8月に投票が行われた結果、投票率は実に88パーセント、用地購入に反対する票が約6割を占めた。「私は記者会見で『町有地は東北電力に売却しない。巻原発の建設は不可能だ』と宣言した」。そして1998年8月、笹口氏は町長として、町有地を原発建設反対派に売却。止めを刺された形の東北電力は、2003年12月に巻原発建設計画の撤回を発表した。
中立重視で住民の叡智を信じる
続いてマイクを握った村上稔氏(元徳島市議)は、徳島県吉野川への新たな可動堰建設の是非を問う住民投票を実現させた「第十堰住民投票の会」の事務局長であった。当時、先頭に立って活動した村上氏は、「チラシ戦略」の重要性を訴えた。