【第322-332号】岩上安身のIWJ特報!「長州レジーム」から日本を取り戻せ! 歴史の闇に葬られた幕末の思想家・赤松小三郎の夢と明治維新の闇 岩上安身による関良基氏インタビュー(その1) 2017.8.10

記事公開日:2017.8.10 テキスト独自
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特集 平成から令和へ天皇と日本の歴史を考える

※9月2日、テキストを追加しました!

 「民主主義国家」としての日本が、危機に瀕している。

 安倍晋三総理の「お友達」に便宜を図ったのではないかと疑われている森友学園問題、加計学園問題に加えて、安倍総理が自ら改憲の期日を提示するなど、国家の私物化が著しい。

 安倍総理は、こうした国家の私物化が国会で追及されることを避けるため、野党が強く反対していた共謀罪法案を、委員会採決を省略する「中間報告」という異例の手段を用いて、6月15日に強行成立させ、国会の延長を避けた。

 国会を強引に閉会させたものの、安倍総理に対する疑惑は深まるばかりで、国民の声に真摯に向き合おうとしない安倍総理の姿勢に対して、批判の声が高まり、支持率が急激に下がりはじめたのはご存知の通りである。

 そうした中でおこなわれた東京都議選では、安倍総理は表立って応援に立つことすらできず、小学校の体育館で支持者を集めて開かれた小規模な集会で応援演説した他は、最終日に唯一、東京都千代田区秋葉原で街宣しただけだった。

 安倍総理はその最終日の演説で、強権をふるい、強引な政権運営に抗議する市民を指さし、「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と発言。国民を分断する発言だと物議をかもし、翌日の投開票の結果、自民党は過去最低の38議席を大きく下回る23議席という歴史的惨敗を喫した。

▲秋葉原の街頭演説で「こんな人たちに負けるわけにはいかない」と指差す安倍総理(画像URL:http://bit.ly/2ubY1LZ

 そして安倍総理の「自信の源」だった内閣支持率は急降下し、「危険水域」と言われる20%代に突入。「安倍一強」が大きく揺らいでいる。

 安倍総理は、「戦後レジームからの脱却」を訴え、日本を「戦争する国」に変えるための制度改変を進めてきた。現行の日本国憲法をGHQに押し付けられた「みっともない憲法」だと主張し、改憲に執念を燃やしている。

 それに対し、明治維新後の大日本帝国、そして岸信介や安倍総理につながる「長州レジーム」こそが、日本の伝統にそぐわない異質なものだと批判しているのが、『赤松小三郎ともう一つの明治維新 テロに葬られた立憲主義の夢』の著者、拓殖大学政経学部准教授の関良基氏(下写真)だ。

▲関良基 拓殖大学政経学部准教授(画像 URL:http://bit.ly/2tWyScZ

 関氏は、幕末の兵学者・政治思想家である赤松小三郎を「発掘」し、現行の日本国憲法につながる、そして現行憲法でも実現されていない先進的な憲法構想を提示していたことを著書の中で明らかにした。

 山口県に縁のある安倍総理が、長州藩士・吉田松陰を尊敬し、戦前の日本を取り戻そうとしていることは広く知られているが、日本の政治における長州の影響はそれだけではない。

 歴代の総理大臣経験者を概観すると、長州の人脈が、明治維新以後の日本の政治史において脈々と受け継がれていることが、改めて浮き彫りになる。

 安倍晋三総理のほか、戦後の総理大臣では、佐藤栄作、岸信介、さらに民主党政権で総理を務めた菅直人も山口県の出身だ。佐藤栄作と岸信介は兄弟で、岸信介の孫が安倍総理である。

 戦前、大日本帝国が国際連盟から脱退した1933年に外相を務めていた松岡洋右も、佐藤栄作の義伯父で、山口県の出身だ。さらに歴史を遡れば、初代総理大臣の伊藤博文をはじめ、山縣有朋、桂太郎、寺内正毅、田中義一が長州出身だ。

▲長州出身の歴代総理大臣(画像URL:http://bit.ly/2uN4Rv4

 長州出身者は、長期政権を築くことが多く、桂太郎の在職日数は歴代最長の2886日、佐藤栄作は2798日、伊藤博文は2720日、現職の安倍総理は2017年7月末時点で2045日となり、歴代5位となっている。

 長州出身者が政権を担った期間の合計は、36年超におよび、明治維新以後、長州の政治家たちが一貫して日本の政治の中枢にあったといえる。

 戦後の日本では、「司馬史観」で典型的に表れているように、明治維新が美化されている。さらに、来年2018年には明治150周年を迎えることから、政府主導の「明治礼賛」キャンペーンが計画されている。

 明治維新は「文明開化」ともてはやされているが、その実態は「武力クーデター」であり、明治維新で実現した憲法・議会制度は、赤松の構想に比べて遥かに劣った、上から押しつけの欽定憲法であった。

 赤松は幕末、徳川政権と薩長の内戦を回避し、平和的に開国し、議会制民主主義体制に移行するために奔走していたが、志半ばで薩長の手により暗殺されてしまった。そして、明治維新の「先進性」を際立たせるために、赤松は自身の憲法構想とともに、歴史の闇に葬り去られた。

 今回のインタビューでは、通常の明治維新神話では語られることのない「維新の志士」たちのテロ行為の数々や、国内では権威主義的・専制的にふるまう一方で、対外的には覇権国に従属しているにすぎない「長州レジーム」の実態といった、明治維新の「闇」を見つめるとともに、赤松の思想と生涯を一つの手がかりとして、過去から現在、そして未来へ至る日本のあり方を考えていく。

記事目次

  • 政府を挙げた「維新150年記念イベント」の正体!伊藤博文、西郷隆盛、維新の英傑…明治憲法はテロとクーデターで権力簒奪をした「テロリスト」が作った憲法だった!
  • 長州レジームの完結を狙い、明治維新を礼賛する安倍政権、「緊急事態条項」創設で目指すのは「議会制民主主義の完全空洞化」!
  • 「伊藤博文、山縣有朋あたりは天皇より偉かった」!? 日本史上、唯一京都御所に向かって「大砲」をぶっ放した長州!しかも長州出身の歴代総理の在任期間は合計30年超!?
  • 明治維新150年記念で「明治以降の歩を次世代に遺し、日本の強みを再認識する」!? 関氏は「第二次世界大戦の敗戦につながる道にまた戻る」と危機感!
  • 「幕府」は「差別語」で江戸時代の「首都」は京都ではなく「江戸」だった!? 諸外国への「無差別テロ」の後にイギリスの支援を受け政権を奪取した長州の「レジーム」
  • 外国に敵対し、外国人を差別する感性を「江戸人」は持っていなかった!?覇権国に従属しながら愛国心を煽る「スネ夫イズム」は明治の感性!
  • 不平等条約として知られる日米修好通商条約、実は不平等ではなかった!? 尊皇攘夷で排外主義だった一部のテロリストを歴史学者は英雄にしてしまった!
  • 攘夷という名の排外主義テロを繰り返した長州と水戸― 伊藤博文にとっては、殺人も焼き討ちも「朝飯前」!?
  • 長州がテロ行為により引き起こした下関戦争、その敗戦により関税率が引き下げられ、不平等条約に!
  • イギリスは薩長を支援することで、日本で内戦を起こそうとしていた!?
  • 幕末に芽吹いていた自由民権・民主主義の芽― その仲立ちとなったのが赤松小三郎!
  • 侵略戦争を反省し、内需主導の産業基盤を整備した徳川政権― 江戸時代に学べることはある!
  • 天皇の御座所に大砲をぶっ放す、江戸にテロリストを送り込む、禁じられていたさらし首を嬉々としておこなう、国民的英雄「維新三傑」の鬼畜の所業!
  • 「ふと呼び止められるような気がした」〜関氏と小三郎との出会い!その衝撃的な「先進的立憲思想」が「表の歴史書」に出てこないことに疑問を抱く!
  • 理で人を説得できると思う「信州人」の甘さ! まっすぐな考え方に徹した小三郎は殺されるべくして殺されたか!?
  • 上田から江戸、長崎で、数学、砲術、海軍、騎兵、銃論と、尽きることのない知識欲を発揮し、咀嚼した赤松だが、世渡り下手でうまく立ち回ることはできなかった
  • 赤松家の養子となり家督を継ぐも、勉学に秀でる才能を武器に京都で開塾し、「言論の自由、身分制度の開放」を体現
  • 百姓よりも貧しかった生い立ち、長じては、3つの糸に自由を阻まれた。誰よりも民主的で自由な考え方の持ち主が陥った窮屈な境遇
  • 百姓よりも貧しかった生い立ち――赤松が誰よりも民主的で自由な考え方を持つに至った背景とは?
  • 満を持して提出した『御改正口上書』――身分制度の撤廃と言論の自由を主張する、非常に革新的なものだった!
  • 教育者として各所から必要とされた赤松!私塾を開き、身分の区別なく教えを授けた――のちに自身を暗殺することになる薩摩藩へも……
  • 赤松小三郎は当時の開明的な人々と意気投合していた!薩土が中心となって議会政治を目指していたら、明治は違った明治になっていただろう
  • 野津道貫、東郷平八郎、樺山資紀…赤松の指導生には、明治時代の軍の重鎮が多数!
  • 「輿論政治」は移り変わりやすく流されやすい「世論」に迎合することではない!国民が、私欲に流されず道理をわきまえた議員を選出し、議会で議論して練り上げ、行政が執行していくこと
  • 「御改正口上書」で提示された赤松の憲法構想は、人類普遍の価値に立脚した日本最初の民主的憲法構想!
  • 赤松の議院内閣制構想は現行制度以上!最高機関は議政局(国会)であり、天朝(内閣)といえどもその決定を覆すことはできない!
  • 日本における立憲主義の源流――出石の加藤博之、公儀旗本の大久保忠寛など、立憲主義の発想は各藩から多数出ていたが、長州からの発案はなかった!坂本龍馬の「船中八策」は実在せず!
  • 坂本龍馬の「船中八策」は実在せず!龍馬英雄伝説の中でふくらませてできたフィクションだった
  • 尾張藩、広島藩、越前藩も支持した薩土盟約の建白書「約定書」――開明的な民主主義思想は広範な国民的合意になりつつあった!その元になった構想は赤松小三郎のもの
  • 「軍人勅諭」を作った西周――実は赤松と友人で、徳川政権を頂点とする憲法構想をもっていた!しかし長州が政権を取ると寝返り!
  • 後藤象二郎、小松帯刀、松平乗謨…議会政治を目指す開明的な人物は、赤松以外にも各地に存在していたが、赤松の構想ほど突出したものはほかにない!
  • 赤松の建白書は最初の憲法構想にして、現行の日本国憲法の精神にもっとも近い!
  • 普通選挙の国民議会は「狂気じみた考え」!? イギリスの外交官アーネスト・サトウは薩長に対し、武力クーデターするよう扇動!
  • 酷似した勝海舟の「三国連合艦隊構想」と鳩山政権の「東アジア共同体構想」!しかし勝と鳩山の構想は打ち砕かれ、英国、米国の分断作戦は成功!
  • 天皇陛下を「拉致」!? 薩長の衝撃的な「武力倒幕計画」とは!? 最後まで西郷の説得を試み、踏みにじられた赤松小三郎
  • 赤松暗殺に関与した長州藩士・品川弥二郎は後に内務大臣として自由党・民権派を「超法規的」に殺害した「ナチュラル・ボーン・テロリスト」

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