(前号の続き)
今、明治維新を問い直さなければならない理由は何か? 目まぐるしく動く政治状況を前に、直接的に私たちに関係してくる話ではないように思われるかもしれないが、決してそうではない。
来年2018年を「明治150年」の節目として、安倍政権はしきりに「明治礼賛」を展開している。内閣官房の「明治150年」関連施策推進室は、2016年11月4日付で、「『明治150年』に向けた関連施策の推進について」と題して、以下のように発表した。
「明治150年をきっかけとして、明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なことです」
- 「『明治150年』に向けた関連施策の推進について」(内閣官房「明治150年」関連施策推進室、2016年11月4日)
「維新三傑」(木戸孝允、西郷隆盛、大久保利通)や坂本龍馬に代表される「ヒーロー物語」としての明治維新を伝える日本の教育やマスコミ報道だけを信じてきた人は、政府のこの発表に違和感を持つことさえないかもしれない。
しかし、幕末~明治初期の実態をきちんと見つめれば、これまでに信じられてきた「明治維新」がほとんどフィクションに近いものであるとわかってくる。それどころか、「明治の精神に学び、日本の強みを再認識する」という政府の発表が、どれほど恐ろしいことを意味するのか、わかった瞬間にぞっとするだろう。
その「明治維新」の最大の闇の一つが、忘れられた幕末の思想家・赤松小三郎の存在である。現代の日本国憲法をもしのぐと言われる近代的で民主的な憲法思想を展開した赤松は、明治維新を主導した「ヒーローたち」によって、歴史から消され、忘れ去られた。
赤松が消された後の明治維新以降の歴史とは、言うまでもなく、対外侵略戦争とその帰結としての第二次世界大戦における無惨きわまりない壊滅的な敗戦である。拓殖大学准教授の関良基氏は、この歴史を導いた体制を「長州レジーム」と呼ぶ。
史実を直視せず、明治礼賛を展開する安倍政権は、まさにこの「長州レジーム」を取り戻そうとしているのである。
赤松小三郎の生涯と思想を追うことによって、明治維新を問い直し、現代日本の危機に迫る関良基氏のインタビュー、いよいよ後編!