1月1日、安倍総理は年頭所感を発表し、2017年は日本国憲法70年の節目の年にあたることに触れ、「未来を生きる世代に希望の光を与えなければならない」「未来は、他人から与えられるものではありません。私たち日本人が、自らの手で、自らの未来を切り拓いていく。その気概が求められている」と憲法改正を示唆する発言をしている。
その安倍総理と自民党が掲げる改憲草案の実現を強力にバックアップする存在がある。日本最大の右翼組織「日本会議」や全国の神社の多くを包括する「神社本庁」といった機関だ。「神道政治連盟」とは「神社本庁」に付属する政治団体で、その国会議員懇談会には、安倍総理を筆頭に、(公明党の石井啓一国土交通大臣を除く)19人すべての現閣僚が所属しているという過去に例をみない事態となっている。
日本の政治は今や、「国家神道」の復活を声高に唱える神社界と、「平和と福祉の党」という看板をかなぐり捨てて、自民党につき従ってゆく創価学会という2つの宗教勢力によって、牛耳られているといっても過言ではない。
▲「日本会議」「神道政治連盟」に所属する第3次安倍再改造内閣の顔ぶれ
IWJ代表の岩上安身は2016年11月29日、戦史や紛争史研究が専門の山崎雅弘氏にインタビューし、1935年から45年の敗戦に至るまでの10年間、日本社会を覆っていた「国家神道」という政治システムがいかに日本を破滅の道へと導いたのか、その実態に迫った。
山崎氏は当時の思想を現代によみがえらせようとしている日本会議などがなぜ、安倍政権をこれほどまでに支持するのか、両者の深い関係性を分析。さらに、国家神道が封印された1945年の敗戦から現代までをふり返り、安倍総理がなぜ日本国憲法を忌み嫌い、憲法改正を悲願とするのか、その狙いに潜む危険性を浮き彫りにした。
▲インタビュー終了後に握手を交わすIWJ代表・岩上安身(左)と『日本会議 戦前回帰への情念』著者の山崎雅弘氏
- 日時 2016年11月29日(火) 16:00~
- 場所 IWJ事務所(東京都港区)
自民党の改憲草案は戦後70年間機能してきた「国家神道」の封印を一つ一つ解くものである
戦史と紛争史研究が専門の山崎氏がなぜ日本会議に興味を持つようになったのか――。
それは、山崎氏が戦史研究家として太平洋戦争まっただ中の1935年から45年までの限られた10年間、日本軍が極端な人命軽視戦略・戦術をとることに気づいたことに始まる。兵士の命を軽んじ、天皇を守るためという大義名分をもとに、若者に「特攻」や「玉砕」を強いて不必要に命を失わせたあの10年間だ。他国に例がなく、それ以前の日本軍にも見られない極端な人命軽視の思想は、いったいどこから生じてきたのか。
同じ大日本帝国下にありながらも、日露戦争においては日本軍でも個人が尊重され、兵士は国のための駒ではないという独立した思考があったと山崎氏は指摘。その時代には、捕虜となり死なずに帰ってくることができた兵士がいた一方、1941年に開戦した太平洋戦争中の日本軍は、兵士の生還を前提としない作戦を立案、命令し、降伏や捕虜になることを許さず、大戦末期には神風特攻隊として兵士に自爆を強要した。その違いを生み出した決定的な要因はなんだったのか。山崎氏は、天皇を神格化する観念と権力構造が一致する「国家神道」の存在だったと分析した。
戦前・戦中の日本人を精神的に支配したこの思想と政治システムを、敗戦直後、マッカーサーを最高司令官とするGHQはいったんは封印した。日本の民主化の障害になると考えたのがその理由だ。1945年12月15日に「神道司令」を発し、国家神道の廃止と政治と宗教の分離を日本政府に指示し、日本国憲法第20条と89条では「信教自由・政教分離」を柱とする宗教規定を掲げ、国家神道の復活を抑止している。
「ここが日本会議や安倍政権が憲法改正を望む原点」と山崎氏は指摘し、次のように続けた。
「国家神道を否定し封印した日本国憲法を一度排除しなければ、元の国には戻れないという考え方です。安倍首相のいう『日本を取り戻す』というのは、総合的に判断すると戦前・戦中の国家体制であり、それ以外の解釈は難しい」
▲日本会議が誕生するまでの組織系譜を説明する山崎氏(右)
日本の政治は今や「国家神道」の復活を声高に唱える神社界と、「平和と福祉の党」という看板をかなぐり捨てて、自民党につき従ってゆく創価学会という2つの宗教勢力によって、牛耳られているといっても過言ではない。
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