「『平和への権利』はすべての人にとっての権利」「語るだけでなく、自分の行動で示すこと」──。
2013年10月13日(日)13時30分より、大阪府吹田市の関西大学千里山キャンパスで「9条国際会議」が行われた。第3分科会では「平和への権利」がテーマとなり、各国の代表者から自国での取り組みが報告された。その中では、国連の舞台において「平和への権利」の確立を阻んで来たのは、日本であることも明らかにされた。
(IWJテキストスタッフ・阿部玲/奥松)
「『平和への権利』はすべての人にとっての権利」「語るだけでなく、自分の行動で示すこと」──。
2013年10月13日(日)13時30分より、大阪府吹田市の関西大学千里山キャンパスで「9条国際会議」が行われた。第3分科会では「平和への権利」がテーマとなり、各国の代表者から自国での取り組みが報告された。その中では、国連の舞台において「平和への権利」の確立を阻んで来たのは、日本であることも明らかにされた。
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ミコル・サビア氏は、ジュネーブにある国際民主法律家協会(IADL)の代表を務めており、国連人権理事会で進んでいる「平和への権利」の法定化の動きを解説した。「『平和への権利』は、国連においてシステムとしては実現できる形になっているが、達成はできていない」と現状を打ち明け、その理由として、「アメリカや日本など、富める国が反対しているから」だと述べた。
続けて、「1978年の国連総会では『すべての人種が平和に暮らす権利を持っている』と宣言したが、アメリカとイスラエルは棄権、それ以外の国は賛成した。1984年の平和的生存権宣言では34か国が棄権し、そこには日本も含まれている。日本は、継続的に支持を表明しないという立場を取り、具体的な動きを阻んでいる。『平和というものは安保理で語られるもの』と主張している」などと報告した。
サビア氏は「イラク戦争で国連決議を無視したように、アメリカは基本的に国連憲章に無関心だ」と指摘し、「日本政府が9条を改正しようとしていることを念頭に置くと、国連の『平和への権利』採択の動きに反対していることは理解できる」と皮肉った。そして、「もし来年、『平和への権利』を成文化できなければ、さらに四半世紀は待たなければならない」と懸念を示し、「『平和への権利』がすべての人にとっての権利であるならば、『平和の文化』は、すべての人類にとっての責任だ」とメッセージを伝えた。
ロベルト・サモラ氏は「人権は、政府が市民に与えるものではなく、市民が闘って勝ち取らなくてはいけないもの」と述べ、コスタリカにおいて、どのように「平和への権利」が達成、醸成されてきたかについて報告した。
「コスタリカは軍隊を持たないことで知られているが、憲法第12条は平和を謳っているわけではなく、軍隊の破棄を宣言したもの。『平和への権利』を憲法に取り入れたのは、2008年のこと。1983年の中立宣言では、国際法を活用することによって戦争を防止しようとした。ニカラグアで戦争が起きた時は、アメリカに支持を要請されたが、『ごめんなさい、中立なので(通訳介さず、日本語で)』と断った」。
そして、サモラ氏自身が取り組んだ裁判で、特に大きな意義を持つものを2つ紹介した。ひとつは、最高裁判例9992-04。「イラク戦争の際、アメリカは周辺国に支援という名の圧力をかけた。国民の99%の反対を押し切り、コスタリカ政府は支持宣言を出した。これに対し、2003年に平和憲法違反として憲法訴訟を起こした。2004年9月8日、イラク戦争支持に対して違憲判決が言い渡された。国連はイラク戦争を認めたことはなく、『国連憲章が認めていないことを、加盟国が認めるわけにはいかない』として支持は無効になったのだ。『平和への権利』があるという判例は出さなかったが、『平和という土台がある』という判例を出した」。
もうひとつの最高裁判例14193-08は、「核燃料の製造を可能とする政令は、コスタリカの憲法上の平和の価値に違反し、違憲・無効である」と判断したもの。「ここで、最高裁は初めて『平和への権利』という文言を判決の中に入れた。国内だけでなく、国際的、すなわち『全人類の権利』という文言まで入れた」と、大きな前進であったことを強調した。
さらに、「平和というのは、戦争をしていない状態だけを指すものではない。ネガティブの要素、つまり、『何かをしない』ことによって責任を果たすことも含まれる」とし、「語るだけでなく、自分の行動でもって示すことが重要。具体的には、われわれは『兵器産業に関わってはいけない』ことの実践として、戦争において使われるもの、素材になるものを設計、製造、備蓄することを禁じた」と希有な取り組みを紹介した。そして、「コスタリカは12条に則って、こういったことを歴史の中で行ってきたが、日本の9条は、これより大きな影響力を持ち、大きな平和システムを構築できる。それはまた、日本国民に大きな力を与えるものだ」と語った。
イ・キョンジュ氏は、「平和の権利」に関して韓国の第一人者と言われており、『平和の権利への理解』という、韓国では初めてとなる「平和権に関する本」を執筆中である。
まず、キョンジュ氏は「済州島で、海軍基地の建設が進んでいる。『東北アジアにおいて領土紛争が盛んになっている』というのが大義名分だが、住民は、自分たちが真っ先に攻撃対象になるので反対している」と現状を報告した。続けて、軍事演習が平和的生存権を侵害するかどうかについての例として、韓国政府が2003年3月に行った、北朝鮮を仮想敵国とする先制攻撃訓練に関する判決を紹介した。ここでは、「平和的生存権は権利ではなく、理念に過ぎない」とされた。
しかし、キョンジュ氏らは「裁判所が認めてくれなくても、われわれが主張していこう」という決意のもとに、2006年から「安保国家に代わる平和国家を作ろう」というキャンペーンを展開。「国の安全保障ではなく、人間の安全保障のプログラム。北朝鮮との親しい関係や、アメリカとの軍事同盟を、より平和的なものに」という考えを提示した。
最後に、「韓国では『平和』という言葉を使った白書はあまりなかったが、今は平和白書というものを作っている。政府の反対だけでなく、市民の賛成を、意見書の形で出していきたい。そして、日本国憲法の平和の理念が、全世界の国に引用されるように運動していきたい」と抱負を語った。
伊藤真氏は、2006年のイラク戦争支援について、「『平和への権利』があれば、アメリカの軍事行動を制限できたのではないか」と問いを投げかけ、「日本の憲法には恒久平和主義が謳われているのに、韓国や日本が『平和への権利』に反対している、という事実は悲しい」と、最初に登壇したミコル氏の報告について感想を述べた。
日本国憲法については、「9条1項では、あらゆる戦争の放棄が謳われているが、これは世界の普遍的な価値であり、日本独自のものとはいえない。しかし、2項の『陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』は、かなり独自なもので、世界でも稀である。前文の『全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利』では、平和を単なる国の政策ではなく、人権と捉えていることを示す」と自らの解釈を語った。
立憲主義の観点からは、「前文第1項『政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないよう』は、戦争が政府によって起こされるもの、と認めたもの。始まってしまえば、市民は被害者にも加害者にもなるため、政府に対して憲法で縛りをかけ、基本的人権を保障するもの」とした。そして、「民主主義は多数の意志を反映しているが、われわれは時に過ちを犯す。情報や自分の利益に流され、判断を誤る。人間はそういう弱い、不完全な生き物だ」とデモクラシーの不完全性を説き、「多数決でも、やってはいけないことがあり、それを縛るのが立憲主義」と強調した。
また、伊藤氏は「日本は戦争中、アジア諸国に対してずっと加害者であった。最後の最後で被害者になり、初めて目覚めた」との歴史観を示すと、「明治憲法では、国民という言葉すらなく、臣民、つまり天皇の家来であった。戦後になり初めて、『国家が何よりも大事』から『国民一人ひとりが大事』という憲法に変わった」と振り返った。
飯島滋明氏は「日本国憲法は『避雷針憲法』と言われており、天皇が避雷針である。太平洋戦争は、天皇の名において行われたため、アメリカでは『天皇を処刑しろ』という声すらあった。7割近くの世論が、天皇制廃止を支持していた。しかし、連合国軍最高司令官のマッカーサーは、日本占領政策をうまく行うためには天皇制は残した方が良い、と判断した」と解説した。
「9条平和主義には『天皇制を守る』ということと、『沖縄に基地を残し、犠牲を強いる』という、裏の意義があったということを忘れてはいけない。1945年3月、沖縄戦が展開されることがわかると、政府は沖縄の人たちに『草木の一本まで戦え』と命令した。しかし、政府の要人は避難計画を練っていた。国民には死ねと言い、言ってる本人はトンズラ。それが、国というものだ」と、伊藤氏は歯に絹着せぬ表現で語り、「日本国憲法を遵守していくよう、働きかけが必要である」と訴えた。