『新潮45』に差別表現や痴漢煽動表現が掲載されていた問題で、書店からも「強い憤りと抗議の声」が上がる!新潮社の新刊の販売を停止した書店にIWJが直接取材! 2018.9.24

記事公開日:2018.9.24 テキスト
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(IWJ編集部)

 『新潮45』2018年10月号の「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という「特別企画」に、差別表現や痴漢煽動表現が掲載されていた問題で、新潮社の書籍の販売を自粛する動きが出始めている。和歌山県和歌山市の書店「本屋プラグ」は9月19日、当面の間、新潮社の新刊の販売を停止することを発表した。

 『新潮45』の記事の中には、『徹底検証「森友・加計事件」― 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』(月刊Hanada双書)などのトンデモ本を書いた小川榮太郎氏の寄稿記事もある。小川氏はその記事の中で、「LGBTはふざけた概念」などと断じていた。本屋プラグは、こうしたLGBTの人々に対する「言葉の暴力」は、到底、看過できないとして、「強い憤りと抗議の声をあげるため」に販売停止を決定したという。

 『新潮45』2018年10月号が発売されたのは9月18日であることを考えると、本屋プラグは、この問題がメディアで大きく取り上げられる前、『新潮45』の発売の翌日には、いち早く抗議の声を上げていたことがわかる。

 IWJは、本屋プラグの共同経営者の嶋田詔太氏に直接取材し、『新潮45』の差別・痴漢煽動表現問題に対してどのような思いで抗議の声を上げたのか、話を聞いた。質問に対する回答をそのまま記すことを条件に取材に応じていただいたので、以下にそのまま掲載する。

 ――『新潮45』2018年10月号の記事に、LGBTの方々に対する差別表現が掲載されていることを知ったとき、どのように感じましたか?

 「小川榮太郎氏の寄稿は、社会的マイノリティとされる方々を嘲笑することのみを目的としているとしか考えられない、逆に言えば、一考に値する見識が一切述べられていない稚拙で醜悪な雑言です。

 まず、そうした雑言が大手の出版社から、しかも社名を冠した雑誌に掲載されていることに愕然としました。同時に寄稿の内容はもちろん、醜悪であればあるほど話題になり、売り上げに繋がることを十分に想定したからこその、今回の出版だと思います。『新潮45』編集部の、そのあまりに俗悪な判断に対しても、強い憤りを感じました」

 ―― 新潮社の新刊書籍の販売自粛について、新潮社がどのような対応をとれば販売を再開しますか?また、今回の件で新潮社にはどのような対応をとってほしいと考えていますか?

 「もともと当店は、新潮社の新刊書籍の店頭在庫は、あったとしても常に少冊というレベルの小さな書店です。当店が新潮社の書籍を販売する/しないを話題にしていただくことが恐縮です。今後の再開のタイミングに関しては、それが新潮社の対応によるものなのか、もしくは当店のお客さまのご要望やご意見によるものなのかわかりません。現時点では未定です。

 また本屋プラグとして新潮社に、何か具体的な対応を望むということはありません。今後、新潮社がどのような対応を取るべきなのか、どういった対応が正しいのかは、私たちには正直、わかりません。ただ、『新潮45』が今後も継続されるのであるならば、次号がどのような紙面になるのかには注目します」

 ―― 今回の『新潮45』の問題を受けて、今後、出版業界はどうのようにあるべきか、もしくはどうあってほしいとお考えでしょうか?

 「繰り返しになりますが、本屋プラグは和歌山市の中でも規模の小さな書店です。出版業界全体に対して何か物を申すような立場ではありませんし、出版業界の内実や仕組みに関して、それを論ずるための知見も持ちあわせていません。

 本屋プラグの立場として言えることは、規模の大小を問わず、優れた書籍を出版され続けている出版社や個人の方々が日本全国に大勢いらっしゃいます。そうした方々の努力に対し、街の小さな本屋として微力ながらも応えられるよう努めてまいりたいと思います」

 ―― 問題となっている『新潮45』2018年10月号に掲載された小川榮太郎氏の記事の中には、「痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深かろう。再犯を重ねるのはそれが制御不可能な脳由来の症状だという事を意味する。彼らの触る権利を社会は保障すべきではないのか。触られる女のショックを思えというのか」という記述があります。LGBTの方々や痴漢被害者に対する誹謗・中傷にとどまらず、痴漢の煽動さえしている表現に対し、どのように感じましたか?

 「先にも書かせていただきましたが、小川榮太郎の寄稿自体に、良くも悪くも一考に値する、そうした見識が述べられているとは一切考えていません。全体として極めて稚拙な雑言であり、上記のようなレトリックも、痴漢被害者の方々を嘲笑する以外の意志を感じられません。その醜悪な態度に対し、憤りを感じます。

 もちろん、こうした表現が流布されることにより、痴漢という性犯罪の問題が矮小化され、結果として『扇動』となる結果を生む恐れがあることは否定できません。そうした意味において、許しがたいものであると思います」

 『新潮45』編集部や小川榮太郎氏は、「街の小さな本屋」の切実な声に真剣に耳を傾けるべきであろう。

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