戦時中の旧日本軍による「プロパガンダ」といえば、「鬼畜米英」「一億火の玉」といったスローガンから、全国民に子供の頃から教育勅語をしみこませ、軍人には軍人勅諭の精神を叩き込むといった「洗脳」、大本営発表をそのままたれ流し、虚偽の戦果を大々的に宣伝するといった報道など、国民の戦意を無理やり高揚させようとする「いかめしい」ものを連想しがちである。
しかし日本軍は、そうした「いかめしいプロパガンダ」ばかりではなく、実はエンターテイメントに忍び込ませた「たのしいプロパガンダ」をも展開していた。そして、むしろそうした「たのしい」側面にこそ、知らず知らずのうちに、軍に協力させられてしまう、プロパガンダの本質があるのではないか――。そう指摘するのは、『たのしいプロパガンダ』の著者で、日本の近現代史を中心に研究する文筆家の辻田真佐憲氏だ。
ナチス・ドイツが映画をプロパガンダとして活用していたことは有名だが、辻田氏によれば、戦前の日本では、演劇や浪花節、落語、浪曲、講談、琵琶、ポップスなど、様々なエンターテイメントの中に戦意を高揚させるような要素がまぎれ込ませてあったという。こうした巧みなプロパガンダの手法を知ることは、今日においても、政府が行うプロパガンダの意図や手法を見抜くことにつながる。
2016年10月27日、岩上安身は辻田氏にインタビューを敢行。戦前・戦中における「たのしいプロパガンダ」の実態について話を聞いた。