2016年5月27日、戦後初めて、米国の現職大統領が広島を訪問した。「歴史的」と形容されるその瞬間が、何をどう意味するものなのか、今なおはかりかねている。
セレモニー自体は感動的に演出された。広島市の平和記念公園を訪れたオバマ大統領は、原爆死没者慰霊碑に献花し、黙祷を捧げた。高齢の被爆者と握手し、泣き出した被爆者を抱きしめたシーンなど、多くの方の涙腺をゆるめたことだろう。
広島訪問の所感を述べた18分間のスピーチでは、死者たちを追悼し「核兵器のない世界を追求する勇気を持たねばならない」と高らかに訴えた。しかし、理念が高らかであればあるほど、現実との乖離がはなはだしくなり、聞く者に大きな混乱をもたらす。核兵器廃絶はいまだ理念にすぎないという現実を突きつけたものでもあった。
2009年4月、オバマ大統領はプラハで、「(アメリカは)核兵器を持つ国の中で、唯一使用した道義的責任がある」と演説し、核兵器廃絶を主張。大統領に就任したばかりで、まだ何の外交実績も示していないというのに、同年11月、ノーベル平和賞が授与されている。期待の大きさのあらわれではあるのだろうが、この授与には、賛否が分かれた。
しかし、それから7年経過した現在も、オバマのリーダーシップのもとにあるはずのアメリカは「核なき世界」を目指す方向とは、正反対の方向を向いて進み続けている。アメリカは包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准しておらず、核兵器禁止に向けたオープンエンド作業部会にも不参加だ。
それどころか、1兆ドル(約100兆円)かけて、アメリカのもつ核兵器の近代化を行うことがオバマのもとで承認された。より小型化し、「使える兵器」に近づけようとしているのだ。
オバマは詩人ではない。現実の政治に責任をもつ地上最大の権力者である。美しい言葉と、現実の政治との、この気の遠くなるような隔たりを、どう考えたらいいのだろう?
現職の米国大統領の広島訪問が初めて実現することをうけて、5月19日、 東京都千代田区の日本外国特派員協会で、「オバマ大統領へのメッセージ」と題した記者会見が開かれた。日本原水爆被害者団体協議会・事務局長の田中煕巳(たなか・てるみ)氏)と、同協議会・事務局次長の藤森俊希氏が参加し、被爆者としての思いを語るとともに、オバマ大統領の広島訪問に際して、同協議会としての要求を掲げた。
その内容は、オバマ大統領が、原爆投下は人道にも国際法にも反すると認めて、「核兵器なき世界」を作るリーダーとなってほしい、というもの。さらに、プラハ演説で言及したCTBT(包括的核実験禁止条約)の批准と、広島での被爆者との面会を希望し、「核兵器のない世界を作ると約束してほしい」と求めている。
田中氏と藤森氏は、これらの要求の拠りどころは、オバマ大統領のプラハ演説(2009年4月5日)での、「20世紀は、人々は自由になるために立ち上がった。21世紀は、核兵器廃絶のために立ち上がろう」、「核兵器を持つ国の中で、(アメリカには)唯一使用した道義的責任がある」という言葉だと語った。
記者会見に出席していた日本人から、「核のない世界は、現実的ではないのでは?」と問われると、田中氏は、「もし、私たちが体験した惨状が再び繰り返されるとしたら、それは人類の破滅だ。どんなに理想的だと言われても、人類は考え方を変えながら、理想に向かっていくべきだ」と強調した。
また、「被爆者にとって、オバマ大統領の広島訪問は、どういう意味があるのか」と質問されると、藤森氏は、「アメリカ大統領が訪問した、という記録が残るだけだろう」と淡々と応じた。過大な期待は抱いていない様子がうかがえた。田中氏は、オバマ大統領の広島訪問が、日米同盟の強化のために利用されることを懸念しつつも、「(広島を見ることで)オバマ大統領個人の気持ちに影響があれば、それは意味がある」とした。
田中氏と藤森氏が参加する日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は、1956年に被爆者たちが集まり、核兵器の廃絶と平和、被爆者への国の支援を訴える目的で設立された。被爆者たちが目の当たりにした、原爆投下という非人道的な行為を伝えることで、世界中の人々に核兵器廃絶を訴えている。