稲嶺名護市長、米国で沖縄の「理不尽」訴える ~「私たちを助けるために力を貸してほしい」(ニューヨーク) 2014.5.17

記事公開日:2014.5.17取材地: | | テキスト動画
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 「日米両政府は、沖縄の人たちに大きな罪を犯そうとしている。このことを、米国社会に暮らす皆さんに知ってほしいと願っている。沖縄と同じことが、米国で、ニューヨークで行われたら、皆さんは『許されることではない』と思うだろう。どうか、沖縄の現実を、名護の現実を、しっかりと受け止めてほしい」──。

 米国・ニューヨーク市のニューヨーク・コミュニティー教会で、2014年5月17日13時(現地時間)から、訪米中の沖縄県名護市長、稲嶺進氏を迎えて、ディスカッション・イベント「沖縄米軍基地と日米関係」が行われた。

 5月15日に始まった稲嶺氏の米国公式訪問の一環で、この日、稲嶺氏は集まった米国人らに向かって、「沖縄が抱えることになって久しい米軍基地問題は、県民の人権問題に通じる。安全で幸せに暮らしたいという権利や、選挙を通して『反基地』の願いを示す権利が、ことごとく無視されている」と熱弁をふるった。

 「今日は、沖縄の辺野古に建設されようとしている、米軍海兵隊の飛行基地の問題を中心に話してみようと思う」。稲嶺氏はこう宣言し、通訳の負担を配慮した、ゆっくりとしたテンポの日本語でスピーチを始めた。

 「第2次世界大戦が1945年8月15日に終わり、それからの約7年間、沖縄は米国の植民地に甘んじてきた。そして、1952年には、日本が独立を勝ち取るためのサンフランシスコ講和条約が締結されるも、その第3条により、奄美大島以南は条約の対象外にされてしまう」。

 稲嶺氏は、まず、沖縄への米軍基地の集中配備は、戦後の日本政府が米国からの「本土の独立」を果たすため、条件として呑んだものと強調した。


■全編動画(日本時間 02:28~ 14分間)

■全編動画(日本時間 02:50~ 20分間)

■全編動画(日本時間 03:11~ 51分間)

  • 日時 2014年5月17日(土)現地時間 13:00~15:00(日本時間 18日 2:00~4:00)
  • 場所 ニューヨーク・コミュニティー教会 (Community Church of New York)
  • 主催 新外交イニシアティブ

辺野古への「移設」ではなく「新設」だ

 「そこから、沖縄の苦難の歴史が始まった」。こう続けた稲嶺氏は、日本がサンフランシスコ条約とともに、日米安全保障条約を結んだことを指摘し、「その6条には、沖縄における米軍の特権を約束する『日米地位協定』がある」と訴えた。「今の沖縄にある米軍基地のすべてが、最初から沖縄に配備されていたわけではない。岐阜や山梨にあった海兵隊基地が、沖縄に移されてきたのだ」。

 そして、1972年の沖縄の本土復帰に言及。「その時、沖縄県民は『本土並みの米軍基地の配備率にしてほしい』と日本政府に要求したが、今なお、その要求は退けられており、在日米軍基地の7割超が沖縄に集められている」とした。その上で稲嶺氏は、在沖米軍人がらみの飛行機事故や婦女暴行事件などを矢継ぎ早に紹介し、「その件数は、累計で約12万件に達する」と強調した。

 その後、1996年に当時の橋本龍太郎首相とモンデール駐日大使が、普天間基地を7年以内に返還することで合意したことに話題が及ぶと、稲嶺氏は「これは、その前年に発生した、米兵3人による日本人少女への暴行事件を受けてのものだったが、この返還の話は、その後、沖縄県内で代替する施設を作る話へとすり変わってしまう」と指摘。この「変節」を受け、沖縄では市民の怒りが爆発し、米軍の新基地建設に反対する運動が、盛んに繰り広げられるようになったと述べた。「それから18年。結局、普天間基地はそのままだ」。

 稲嶺氏は、日本の全国紙などが用いる「米軍基地の辺野古への移設」という表現は正しくない、と口調を強める。「普天間飛行場の機能が、同水準で辺野古に移される計画ではない。弾薬搭載用のエリアが作られるなど、新機能を十分に備えた、新たな基地が誕生しようとしている」。

基地返還後の沖縄のポテンシャル

 質疑応答では、「新基地建設を巡って、名護市ではどういった権限を握っているか」との質問があり、これに対し稲嶺氏は、地方自治法の存在を示した上で、「基地建設のためには地元の漁港を使うことになるが、その使用や、埋め立てに伴う河川の方向転換、さらには、埋め立て作業を行うためのヤードづくりで、国は、名護市長から許可を得ねばならない」と応えた。

 そして、現在、これらの許可を求める書類が、国から提出されていることを伝え、「その書類が不備だらけなのだ。『これでは審査もできない』と突っ返したところだ」と述べた。

 「将来的には米軍基地が沖縄に存在しなくなればいいと思うが、そうすると、沖縄の経済はダメージを受けないのか」という、米軍基地を雇用源と見なす問いかけには、「将来的に、キャンプシュワブが返還されれば、一大リゾート地に生まれ変わる可能性があり、そうなれば、観光産業での雇用創出がなされる。キャンプシュワブに働く日本人の数は約250人だが、その10倍の雇用が生まれるとの予測がある。すでに基地が返還された再開発地域では、経済効果が100倍近い。これから観光立県として進んでいく沖縄で、基地の跡地が持つキャパシティは期待される」と話した。

「基地の押しつけ」という弱者いじめ

 そして、「沖縄の米軍基地は、米政府の要求で建設されるのか」と訊かれると、稲嶺氏はサンフランシスコ講和条約に再び触れて、「日本は、米国が希望するだけの軍隊を、米国が望む場所に、望む期間だけ、受け入れることを約束している」と述べ、「つまり、日本政府には、自腹で基地を建設して米軍に提供する義務があるということ。これが、今の日米関係のあり方なのだ」と続けた。その上で、海兵隊の新基地建設の場所を辺野古に決めたのは、あくまでも日本政府だと強調し、次のように語った。

 「軍事評論家の森本敏氏は、前の政権で防衛大臣だった時に、『辺野古への新基地建設は、政治的な意味合いでベターだから』とコメントしている。このコメントは、建設地は沖縄である必要はないが、沖縄であれば、政治の腕力で負荷を押しつけることが可能ということを、暗に示しているのだ。沖縄以外の自治体で、米軍基地を受け入れるところがないから、国は沖縄に基地を押しつけてくるのだ」。【IWJテキストスタッフ・富田/奥松】

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