「被害の実相に照らして被爆者に光を当てて欲しい」と救済を要求!「黒い雨」訴訟で広島県と広島市は上告しない方針である一方、厚労省は態度を明らかにせず~7.19厚生労働省への「黒い雨」訴訟最高裁上告断念の申入れ 2021.7.19

記事公開日:2021.7.22取材地: テキスト動画

 2021年7月19日(月)11時より、東京都千代田区の衆議院第2議員会館で、原発事故被害者団体連絡会(ひだんれん)、伊方原発広島裁判原告団による、広島県、広島市、厚生労働省への「黒い雨」訴訟最高裁上告断念の申入れが行われた。


コロナ感染者が急増する東京周辺への緊急事態宣言拡大は? そして広島高裁で原告84人全員が被爆者と認定された「黒い雨」訴訟で政府は上告するのか?~7.20 田村憲久 厚生労働大臣 定例会見 2021.7.20

記事公開日:2021.7.20取材地: テキスト動画

 7月20日(火)、田村憲久・厚生労働大臣の定例会見が行われた。

 質疑応答で、産経新聞記者は、神奈川、埼玉、千葉など首都周辺3県でも感染者数が増大し、特に神奈川での増加が顕著になっていることについて、「東京と沖縄で発出されている緊急事態宣言の対象地域を拡大する可能性はあるのか?」と田村厚労大臣に質問した。


8・6ヒロシマ平和の夕べ 2020 ―ヒロシマの継承と連帯を考える― 2020.8.6

記事公開日:2020.8.6取材地: 動画

 2020年8月6日(木)14時より広島県広島市の広島RCC文化センター 大会議室にて、8・6ヒロシマ平和の夕べ 2020 ―ヒロシマの継承と連帯を考える―が開かれた。


2020年 平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式) 2020.8.6

記事公開日:2020.8.6取材地: 動画

 2020年8月 6日(木)8時より広島県広島市の平和記念公園にて2020年 平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)が行われた。


8・6ヒロシマ平和の夕べ 2018 ―ヒロシマの継承と連帯を考える― 2018.8.6

記事公開日:2018.8.12取材地: 動画

 2018年8月6日(月)12時45分より広島県広島市のYMCA国際文化センターにて、8・6ヒロシマ平和の夕べ 2018 ―ヒロシマの継承と連帯を考える―が開催された。


平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式) 2018.8.6

記事公開日:2018.8.12取材地: 動画

 2018年8月6日(月)8時より広島県広島市の平和記念公園にて、平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)が行われた。


被爆体験記朗読会 ―知ってください 伝えてください ヒロシマの願いを… 2018.8.6

記事公開日:2018.8.11取材地: 動画

 2018年8月6日(月)9時半より、広島県広島市の国立広島原爆死没者追悼平和祈念館にて、被爆者やその家族などが記した被爆体験記の朗読会が開催された。


「ノーモア・ヒバクシャ・ノーモア・原発」記者会見~肥田舜太郎氏(医師)、大石又七氏(元第五福竜丸船員)、 梅田隆亮氏(元原発労働者) 2011.11.15

記事公開日:2011.11.15取材地: テキスト動画

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 2011年11月15日(火)、日本外国特派員協会で行われた、「ノーモア・ヒバクシャ・ノーモア・原発」記者会見の模様。


自らの体験をもとに欧米三十数カ国で被爆の実相を語り、核兵器廃絶を訴える~岩上安身によるインタビュー 第160回 ゲスト 被爆医師・肥田舜太郎氏 2011.10.6

記事公開日:2011.10.6 テキスト動画独自

 2011年10月6日(木)、岩上安身は、被爆者であり医師の肥田舜太郎氏にインタビューを行った。

 肥田氏は、1917年生まれの医師。1943年日本大学専門部医学科卒業、1944年陸軍軍医学校卒業、広島陸軍病院に赴任中の1945年8月6日原爆に被爆、直後から被爆者救援・治療にあたった。全日本民医連理事、日本原水爆被害者団体協議会原爆被爆者中央相談所理事長などを歴任。1975年~被爆医師として欧米三十数カ国で被爆の実相を語り、核兵器廃絶を訴えている。主な著書に、『広島の消えた日:被爆軍医の証言』、『ヒロシマ・ナガサキを世界へ』、『ヒロシマを生きのびて』、訳書『放射線の衝撃 : 低線量放射線の人間への影響(被曝者医療の手引き) 』など多数ある。


岩上安身によるインタビュー 第132回 ゲスト 今中哲二氏 2011.5.29

記事公開日:2011.5.29取材地: テキスト動画独自

 2011年5月29日(日)、京都大学原子炉実験所にて、京都大学原子炉実験所今中哲二助教のインタビューを行った今中氏は、日本の原子力開発に疑念を抱き、今の研究に取り組み始めたと話し、チェルノブイリや福島の状況を後世に正確に伝えていくことの必要性を語った。