日本外国特派員協会主催 狭山事件元被告ほか 記者会見 2013.6.13

記事公開日:2013.6.13取材地: テキスト動画
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(IWJテキストスタッフ・富田充)

 2013年6月13日(木)15時から、東京都千代田区の日本外国特派員協会で、狭山事件の石川一雄元被告と主任弁護士の中山武敏氏が記者会見を開いた。スリランカの人権活動家で、反差別国際運動(IMADR)理事長のニマルカ・フェルナンド氏が同席した。強盗殺人などの罪で無期懲役に処せられ、現在は仮釈放中の石川元被告は、「事件発生から50年が経つ今でも、捜査側は多くの証拠を隠したままだ」と強調し、「全国から支援の声を募って、証拠開示の圧力を強め、近いうちに無罪を勝ち取りたい」と表明した。

■ハイライト

  • 会見者
    石川一雄氏(狭山事件 元被告)、中山武敏氏(狭山事件 主任弁護人)、ニマルカ・フェルナンド氏(反差別国際運動(IMADR)理事長)

 狭山事件は、1963年5月1日に埼玉県狭山市で発生した。学校から帰宅しなかった女子高生が、3日後に遺体となって見つかり、被差別部落出身の石川元被告が逮捕された。石川元被告は、翌年に死刑判決を受けたあと、一転して冤罪を主張するも1977年に無期懲役が確定した。その後、数々の証拠が明らかになり、2回の再審請求を行なうが、いずれも棄却された。石川元被告は1994年に仮釈放され、現在、第3回目の再審請求中である。

 会見で、石川元被告は「私は被差別部落出身であることを理由に、別件で逮捕された。(狭山事件の犯行を)否認し続けたが、警察官から兄に容疑がかかっている旨を伝えられ、兄を守るために、軽い刑をちらつかせる警察官の指示に従い、嘘の自白をした」などと語り、改めて冤罪であることを主張した。

 その上で、冤罪による被害者をなくすには「取り調べの可視化はもとより、代用監獄(留置所)の廃止も欠かせない」と力を込めた。警察の留置所は拘置所とは対照的で、取り調べや食事の時間が、警察側の意図するままになる。石川元被告は「私のケースでは、取調官が夕方5時になると腕時計を外し、深夜になっても時間がわからないようにした。留置場に特有の、長時間に及ぶ取り調べがなければ、私は自白しなかったと思う」と訴えた。

 中山弁護士は「裁判所は、嘘の自白を見抜く力が劣っている」と指摘し、冤罪が生まれる普遍的背景として、裁判所の自白偏重主義を挙げた。狭山事件の冤罪性については、犯人が被害者宅に残したとされる脅迫状の文字と、石川元被告が警察で書かされた上申書の筆跡の違いを示して説明した。その上で、「石川元被告が逮捕当日に書いた上申書は、事件発生から47年経過して、ようやく開示された。このような重要な証拠を、47年間隠していたのだ」と、検察の証拠隠蔽体質を厳しく批判した。

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