「憲法9条は日本人が作った」 作家・半藤一利氏、安易な改憲論に反論 ~「立憲フォーラム」 第4回勉強会 2013.6.5

記事公開日:2013.6.5取材地: テキスト動画
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特集 憲法改正
※全文文字起こしを会員ページに掲載しました(2013年8月21日)

 「押し付け憲法だから改憲、という論を聞くが、憲法9条は日本人が作った」――。2013年6月5日、参議院議員会館で開かれた「第4回立憲フォーラム勉強会」に講師として登壇した作家・半藤一利氏はこのように話し、当時の幣原喜重郎首相が、GHQ最高司令官であるダグラス・マッカーサー氏と会談した際に、憲法9条案を進んで提案したと説明した。

 著書『日本国憲法の二〇〇日』(プレジデント社)を出版した際は、マッカーサー氏側から提案があったと認識していた半藤氏だが、その後、勉強しなおし、先述の通りに結論を変えたという。

 曰く、幣原氏とマッカーサー氏の会談は通訳を介さずに行われ、録音なども残っていないため、証拠はない。しかし、マッカーサー氏は「幣原が提案した」と語っており、幣原氏は「自分が作った」と語っていないものの、否定はしていない。

■ハイライト

 幣原氏が9条案を持ちだした背景には、1928年(昭和3年)8月27日フランス・パリで、日本を含む当時の列強諸国15カ国間で締結された「パリ不戦条約」がある、と半藤氏は語る。不戦条約は、第一条において、国際紛争解決のための戦争の否定と国家の政策の手段としての戦争の放棄を宣言しており、調印に関わった幣原氏は、同条項の影響を強く受けていたというのだ。

 ところが、昭和6年の満州事変。半藤氏は言う。

 「これが陸軍総ぐるみの謀略であることは間違いない。侵略戦争を『自衛』と称し、不戦条約違反にはあたらないとした日本に、世界各国は不信感を持った。国際的信用を失った日本はその後、太平洋戦争への道を突っ走った。せっかくの不戦条約を、日本自らが先に破ったのだ」

 「もう一度この精神を取り戻す」。幣原氏のこの提案に、マッカーサー氏は感動し、同意したという。

 新憲法制定に向けた議論を行う「衆議院憲法改正案小委員会」では、当時、憲法担当大臣だった金森徳次郎議員が1365回もの答弁に応じ、新憲法に関する議論は何重にも重ねられた。

 「昭和21年4月10日、選挙法が変わり、婦人参政権も入った。戦後日本は、新しい議員たちが、選挙で選ばれ、新しい議会を形成した。そこに、政府が決めた憲法草案が提出された。新しい日本が始まった」。半藤氏は、こうした時代背景を語った上で、「決して憲法は押し付けでなく、戦後、新しく選ばれた議員による討議を経て、やっと作られたものだ。こうした事実をみろ、と言いたい」と、「押し付け憲法論」に何度も釘を差すように語った。

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「「憲法9条は日本人が作った」 作家・半藤一利氏、安易な改憲論に反論 ~「立憲フォーラム」 第4回勉強会」への2件のフィードバック

  1. 西遠寺 透 より:

    半藤一利さんのご講演を視聴しました。みずからの著書にかかれたことを改めるのは勇気の要ることと思います。
    半藤さんのご著書『日本国憲法の二〇〇日』(文春文庫、2008年)を読み返し、ご講演で指摘のあった該当箇所「一五-昭和二十一年一月(3)-戦争放棄の章」にあたりました。当時の東京は「新橋から靖国神社の鳥居が見える」ほどの焼け野原のうえに、大雪だったようです。少しまとめてみます。
    (1)一月二十四日の幣原喜重郎首相とマッカーサーとの会談は、新憲法制定の最重要規定とされる「戦争放棄」について3時間提議された
    (2)幣原首相が昭和三年のパリ不戦条約の精神を新憲法にくみいれたという人はかなりいる
    (3)ご著書の中では「戦争放棄は軍人マッカーサーの発案であることに疑いをいれない」と論じられていますが、それを半藤さんは講演の中であらためられます。
    (4)このなかで、幣原首相は、世界中が戦力をもたないという理想論を始め、そのためには戦争を放棄すること以外にないと述べ、これにマッカーサーは感動と賛意を示した。
    (5)幣原首相の、世界中が戦争をしない理想論は、新憲法の「日本が」一方的かつ片務的に戦争を放棄するといっているわけではない。。
    (5)半藤さんは、幣原首相の理想論が、『マッカーサー三原則』指示のきっかけになった可能性を記されています。『三原則』は新憲法制定まで貫かれました。天皇性存続と戦争放棄についてです。
     確かに、マッカーサー三原則には「日本はその防衛と保護を、いまや世界を動かしつつある崇高な理想にゆだねる。」という文章があり、それだけで読んでも、なんのことか定かではなかったのですが、半藤さんのご著書、そしてご講演により、三原則のうちの2つ目の原則は、幣原の理想論がもとになっていること、それがその後、わが国において戦争放棄の条項が新憲法に記され、制定にいたったということで、ようやく腑に落ちました。
    引用:半藤一利:日本国憲法の二〇〇日,文春文庫,2008.
    参考資料:衆議院憲法調査会事務局 日本国憲法の制定過程における各種草案の要点
    http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kenpou.nsf/html/kenpou/chosa/shukenshi001.pdf/$File/shukenshi001.pdf

  2. 清沢満之 より:

    広瀬隆氏の講演動画の中で言っていた、鈴木安蔵や植木枝盛の話も重要なので、この際言うべきなんじゃないの?
    2013/09/21 【広瀬隆氏講演会「福島・原発・憲法 今、私たちが知るべきこと」】
    http://iwj.co.jp/wj/open/archives/102508
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    2014/11/22 【「現行憲法はGHQによる押しつけ」に反証】 映画『日本の青空』上映会で中里見博・徳島大学准教授が人権条項の「先進性」をアピール!!
    「日本はGHQの介入が始まる前に、” 2種類の憲法草案 “を自主的に作っていた。ひとつは戦前と変わらない保守的なもの。もうひとつは先進的なもの。GHQは先進的な方を高く評価し、現行憲法の下敷きにした。決して、アメリカに押し付けられたわけではない!」──。
    http://iwj.co.jp/wj/open/archives/208226

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