2021年4月10日(土)、13時半より、沖縄県那覇市の琉球新報ホールで「中村哲さんを偲ぶ会」が中村哲医師を偲ぶ会実行委員会の主催で開かれた。
中村医師はアフガニスタンで人道支援に取り組んでいるNGO「ペシャワール会」の現地代表を務めていたが、2019年12月4日(水)アフガニスタン東部ナンガルハル州の州都ジャララバードで作業現場に向かう途中何者かに銃撃され、病院に移送された後、同乗していたドライバー、護衛4人と共に殉職した。
- アフガンで銃撃、中村哲医師が死亡 現地で人道支援(朝日新聞デジタル、2019年12月4日)
中村医師は国内病院勤務を経て、1984年パキスタンでハンセン病治療に携わり、その傍らで難民の一般治療にも関わった。1989年には活動地域をアフガニスタンに広げ、貧困層に多いハンセン病、結核の治療を開始。2001年からは医療事業と併行して、水資源確保事業などを行い、その後農業事業など幅広い分野で干ばつに苦しむアフガニスタンの人々を支援してきた。
「中村哲さんを偲ぶ会」では玉城デニー沖縄県知事、バシール・モハバット駐日アフガニスタン前特命全権大使、稲嶺恵一元沖縄県知事、作家の澤地久枝さんらが登壇し、中村医師のこれまでの活動を偲んだ。
会の冒頭で玉城知事は「中村先生は人の幸せを、3度のご飯が食べられ、家族が一緒に穏やかに暮らせることと説き、現地の人が生きるために河を引き、干からびた大地を緑に変え、武器を農具の持ち帰る喜びを身を持って示されました」と語り、中村医師の功績を称えた。続けて、「私達は中村先生の非暴力と無利の奉仕に共鳴し、その姿から人々が平和に生きることとは何かを学ばせて頂きました。」と述べ、平和の重要性を説いた。
澤地氏は挨拶で、「(中村)先生は日本の国会の参考人に呼ばれて、いろんなことを質問を受けているわけですね。その中で、自衛隊の海外派遣は有害無益ですとはっきり仰ったんですね。それで自民党の議員から『この言葉を取り消せ』と言われて、先生は取り消していらっしゃらないんですね。その次も最初は衆議院委員で、その次は参議院でも証人に立って先生は信ずるところをしっかりと述べていらっしゃる。話している内容はものすごく重たいものだったと思います」と語り、武力ではなにも解決しないという中村氏の思いを聴衆に伝えた。
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また、IWJがこれまでに取材した中村医師に関連する記事は以下です。この機会にぜひ御覧ください。