【特別寄稿】球磨川の氾濫:これからの川と暮らし〜川辺川ダムを論じる時代は過ぎた 2020.7.27

記事公開日:2020.7.27 テキスト
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(文:ジャーナリスト・まさのあつこ)

 7月3日から4日午前にかけて降り続けた「令和2年7月豪雨」は、球磨川流域(熊本県)だけで死者65名、行方不明者2名(7月24日現在、消防庁発表)の被害を出した。しかし、孤立集落の被害実態も含め、被害の全容調査は終わっていない。豪雨から20日目の7月24日に、寸断された道路を迂回しながら取材した球磨川流域の複数地点について報告する。

全てを流されてなお~自宅の3階に「避難」して、水が階段あと4、5段に迫ったとき、緊急放水の報せが!

 「ああ!まだ残っていた土砂がなくなっとる!」

 そう叫んだのはラフティングガイドの溝口隼平さんだ。

 「残っていた土砂」とは2018年に荒瀬ダム(八代市坂本町)が撤去されてからも旧ダム湖周辺に堆積していた土砂のことだ。「令和2年7月豪雨」は1954年の発電開始後、昭和、平成を通して溜まり続け、撤去後も残っていた土砂を豪雨がついに押し流した。

 溝口さん宅はそこから約700メートル下流の球磨川左岸(下流方向に向いて左岸)で被災した。ラフティング上陸ベース兼自宅の3階屋の2階天井までが水没。復旧に全力を上げ、右岸から荒瀬ダム跡(写真1)を見るのは、筆者を案内したこの日が初めてだという。

▲【写真1】球磨川左岸から見た荒瀬ダム跡(2020年7月24日撮影)

 彼は、ダム撤去開始前の2010年に妻と共に移住、2人の子どもを授かり育て、球磨川の再生と共にラフティングガイドを生業にした。スタッフを雇用、10年で地域の暮らしを支える一員になっていた。

 7月4日朝、自宅にいた妻と2人の子どもが逃げ遅れて3階に垂直避難。3階床まで階段あと4、5段と水が迫った時、上流の市房ダムの緊急放流のニュースが流れた。溝口さんは出先で、携帯電話で妻を落ち着かせながら、内心は「ダム放流で流される」と直感し、妻子を失ったと思った。

 緊急放流が取りやめとなり、家族は全員助かった。

 それ以外の10年で積み上げた全てを失ったが、「ラッキー、ラッキー。嫁子が死んでいたら僕も海に浮かぶところだった」と恐怖と幸運をかみしめた。

山が川に流れる~浸水を経験して引っ越した高台の世帯もまた浸水した想定外の水位上昇!

 しかし、知人やお世話になった人を失い「キツイ」、「まさかここまで(浸水する)とは」との言葉が終始、口をついて出る。周囲は20軒ほどの集落だが、何度かの浸水を経験して引っ越した高台の世帯もまた浸水する想定外の水位上昇だった。

 球磨川上流各地の観測所では、4日10時までに1日雨量史上初の400〜500mmの雨が観測された。容赦なく沢や崖が削られ、集落には溢れた川が運んだ泥がねっとりと重く積もる。山が川に流れ込むような大洪水だった。

▲【写真2】流出した球磨川第一橋梁

 球磨川沿いの国道219号とJR肥薩線が川の破壊力と木石で寸断。荒瀬ダム跡から下流は1キロメートル(km)程度、上流は約5km程度しか進めない。

 上流5kmまでに3本の橋があるが、葉木(はぎ)橋を残し、肥薩線の球磨川第一橋梁(写真2)と鎌瀬(かませ)橋(写真3)が流出した。第一橋梁の残骸は右岸と川中にあるが、鎌瀬橋は、一部が右岸の土砂に埋もれて頭を出し、「残りはどこへ行ったやろう」(溝口さん)、見えなくなっていた。

 「川底に何があるかわからん。この夏のラフティングは無理だ」とつぶやいた。

▲【写真3】橋脚を残して流出した鎌瀬橋

川が川をせき止める~本流に流れ込むことができなかった支流の山田川は、逆流した水がコンクリート護岸を乗り越え、破壊!

 溝口さんに別れを告げ、荒瀬から上流へと向かった。川沿いなら30km程度の道のりを大きく迂回、山田川(人吉市)、小川(球磨村)、川辺川(相良村)の3支流と本流との合流点、人吉市で記録的な水位が観測された地点などを巡った。

 山田川は人吉市街地を流れる三面張の川だ。

 左岸・右岸ともパラペット(コンクリート壁)を乗り越え、一帯の家屋や商店が浸水した。球磨川本流との合流点近くの最下流の橋の欄干には、山田川上流からだけではなく(写真4)、合流地点からも川が逆流した跡があった(写真5)。山田川は、本流に流れ込むことができずに溢れたのだ。護岸も一部破壊され、すでに暫定的な修復工事が行われていた。

▲【写真4】山田川から球磨川への合流地点に向かって撮影。橋の欄干によって濾しとられた流下物が張り付いている。

▲【写真5】合流地点を背に山田川上流に向かって撮影。上流から下流側に流れる時にはつかない橋の氾濫の下流側に流下物が絡んでいる。

 小川(球磨村)は、球磨川との合流点から500mほど上流に立地する特別養護老人ホーム「千寿園」(写真6左奥のオレンジの壁の建物)で避難が間に合わず、14人が命を落とした支流だ。

 千寿園は山裾かつ川辺りにあり、土砂災害警戒区域と浸水想定区域に指定されている。球磨川は、人吉盆地を流れた後、球磨村から先数十kmは谷間を流れる。水の流れる道(河道)が絞られるため、その手前で支流の小川に逆流したと指摘されている。現地を見れば、小川に逆流した水は、千寿園の背後の山で阻まれ逃げ場を失ったであろうことが推測できる。向かう先は急激な水位上昇だったと考えられる。

 いったん小川に逆流した水が本流へ戻る通り道に、大木が立っていた(写真7)。その幹に、流されて激突、大破したと思われる家の残骸が、張り付いたままだった。

【写真6】小川最下流の新小川橋から撮影した千寿園(オレンジ色の壁の建物)

【写真7】大木に張り付いた家屋。

 川辺川は、川辺川ダム計画(五木村)が論議となり続けてきた支流だ。

 川辺川・球磨川の合流地点に近い権現橋(相良村)へ向かうと、広大な河川敷(写真8)と低い堤防を越えて、田畑と家々、そしてここでも介護施設「グループホームやすらぎの里さがら」(写真9)が浸水被害を受けていた。

▲【写真8】川辺川・球磨川の合流地点の河川敷。

▲【写真9】「グループホームやすらぎの里さがら」の1階のガラス窓が割れ、金網のフェンスに流下物がへばりついていた。

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