2016年4月14日21時26分、熊本県熊本地方で、マグニチュード6.5の地震が発生し、熊本県益城町では震度7を観測した。また16日の深夜1時25分には、同じく熊本県熊本地方を震源とする、マグニチュード7.3の地震が発生。熊本県西原村と益城町で震度7を観測している。気象庁は16日に発生した地震が「本震」であるとして、14日から16日にかけて発生した地震は「前震」であったと発表した。
IWJでは、「本震」とされた16日の地震の翌日、急遽、九州緊急特派チームが熊本市内に現地入りした。熊本県内は地震の影響が大きく、道路、鉄道、航空路といった交通インフラが麻痺に近い状態となっていたため、特派チームは、いったん佐賀空港から入り、レンタカーで支援物資を調達した後、熊本市内へ入ることとした。以下、佐賀駅前の大型スーパーで支援物資を購入している様子を中継している。
特派チームは、九州自動車道を南下し、熊本県内へ入ろうとしたが、植木IC~八代ICが通行止めとなっており、その影響で植木ICまでが15キロの渋滞となっていた。そのため、南関ICで降りて、一般道路で熊本へ向かうこととした。九州自動車道上から熊本県内へ入ったときの様子をレポートしている。
なお、熊本空港については、4月16日未明の地震で天井が崩落し、ターミナルビルが一時完全に閉鎖され、全便がストップした。その後、19日から便数を大幅に減らして運行再開するが、全線が再開するのは6月1日である。高速道路も大きなダメージを受け、最後に復旧したのは、大分自動車道の湯布院ICから日出JCT間で、5月9日の夜のことだ。また九州自動車道については、4月29日に植木ICから嘉島JCT間の一般開放をもって全線回復となっている。
熊本市内に入った特派チームが、最初に訪れたのは「熊本市立月出小学校」である。支援物資が不足し、深刻な状態だという情報を聞きつけたためだ。月出小学校に支援物資を届けたあと、現場で指揮を執っておられたPTA会長・牛島康晴氏にインタビューしている。以下、インタビューの模様を掲載する。
▲月島小学校 PTA会長・牛島康晴氏
- 日時 2016年4月17日(日)21:30頃~22:20頃
- 場所 熊本市立月出小学校(熊本県熊本市)
地元住民が続々と避難し、1200名が集まった月出小学校
――今何人くらいの方がこちらに?
牛島氏「今は1200名前後だと思います」
――この近辺に住んでらっしゃる方々ですか?
牛島氏「基本的にはそうですね。他から来てる方もいらっしゃいます」
――地震が起きてから何日目から、このような状態になってるんですか?
牛島氏「前震(14日)のときから集まって来てらっしゃったんですけど、いったん落ち着いたので帰った方が何割かいらっしゃって。そのあと本震(16日)が来ましたから、その直後に皆さん続々といらっしゃいました」
「今は足元しか見えないですよね。俯瞰ができない…」
――あらためて、前震、本震はどういう揺れだったんでしょうか?
牛島氏「本当にもう・・・余震もすごかったんですよね。本震は深夜1時半くらいでしたかね。車で仮眠をとっていたときに、ドンときましたから。(前震のあと)いろんな仕事をさせてもらったあとにですね、車で寝ていたんですけども。大変なことになったと。周りは真っ暗になりましたし。その直後から住民の方が続々と来られて。大変な混乱でした。
それから、もう今に至ってるんですけど・・・。本当に、なんて言うかな・・・、もう記憶がですね、朦朧として。現実か、嘘なのか分からないくらい、本当に意識が・・・。そんな感じでですね・・・、今日が何日の何曜日なのかとか、そんな感じです」
――顔色からもとても疲れてらっしゃるのが伝わってきます。
牛島氏「一応、前震のときに、ここの本部を立ち上げてですね、それだけで終わるんだろうと思ってたんですけどね、いきなり・・・阪神とかですね、前例の地震とか、たぶんそれ以上のことになっているのかなと、思うんですが。今は、足元しか見えないですよね。俯瞰ができないので・・・、なんとも分からない」
――一週間後とか、その先の見通しがまったく見えてないですか?
牛島氏「そうですね。どうなるのか・・・。」
「行政も混乱して、統制が取れてない」
――今一番困っていらっしゃることは何ですか?
牛島氏「やっぱり食事、水ですね」
――先ほどポンプ車が来ていたようですか?
牛島氏「はい、昨日まではひいひい言ってたんですよ。本当に飲料水が危機的で、少しずつしか提供できなくて。今日になって本当に、いっぺんに頂いてるので、ありがたい気持ちと、どうしようかなと。入れるものがないんですよ。水があってもそれを収めるものが足りないという状況です。
おそらく他の避難所もですね、同じだと思うんですけど。どこが足りてるのか、足りてないのか、そういう俯瞰ができないので、連絡もうまく外のところとできないし、行政の方も混乱してるしですね。そういう統制が取れてないというのが、うまくいってないところもあるのかなと思います」
――行政側から何も連絡がないということですか?
牛島氏「いやいや、ありますよ。ちゃんと担当の方も二人づつ、交代でいらっしゃってるんですけども。その担当の方も、なかなか困ってらっしゃるという状態です」
「続けていかなくちゃいけないんでね、無理しないようにとは思っています」
――市内は今どんな状況なんでしょうか?電気、水道、ガス、そのあたりの復旧状況などは?
牛島氏「幸い電気は、ここは一時停電しましたけど、すぐ付くようになりまして。ガスは止まってます、まだ。ガスがあればちょっと調理が楽になるんですけど。炊き出しだけでやってますから。その他は、水ですね。断水が続いてまして。まぁ電気があるのでなんとかなってるんだと思います」
トイレで使用する水を溜めたタンク
▲焚き火を囲む地元住民
この日の最低気温は15℃だ。夜になるとまだ冷える。
――ここに1200人集まってるということですが、皆さんの気持ちの状態はいかがですか?
牛島氏「幸いなことに・・・、でもまぁ一部どうしても苛つかれて、いろいろ言われる方もいらっしゃいますけど、でも、やっぱり、日本人だなぁと関心させていただく場面が多いですね」
▲グラウンド一面に車が止まっている。車中泊をしている方も多い
――睡眠時間はどうですか?
牛島氏「皆さん、どうだろう。2時間か3時間っていうところじゃないですかね」
――ご自身はいかがですか?
牛島氏「寝させてもらってる方だと思います。続けていかなくちゃいけないんでね、無理しないようにとは思っています」
「住み慣れた町が、変わってしまった。別世界になってしまった…」
――今、ネットを通じて全国に配信させて頂いています。改めて、今皆さんが必要とされているもの、教えて頂けますか?
牛島氏「うん・・・、本当にご援助をですね、いっぱい・・・、実際まだ来ていないものもあるんですけど、頂いているということに本当に感謝申し上げてですね。あと、そうですね・・・モノのケアは充実したものを頂けていると思うんですけど、あと心のケアというかな、僕も含めて、被災された皆さんのですね、ちょっとそこが心配なので。
そうですね、皆さんで乗り越えていかないといけないことだと思うんですけど、すいません、もう何を言っているのか分からなくなって・・・。
自分の気持ちとしてはですね、本当に住んでる町が変わってしまったっていうのが、ショックですけど・・・。現実感がないですね、やっぱりね。いつもここの学校にPTAとして関わらせていただいて、ほんの数日前まで、いろんな会議とか、新しい新年度のね、態勢を作って、これから子どもたちのために頑張ろうって役員みんなでね・・・そういうスタートをしたんですけど、いきなりこういう事が起こって・・・。
僕自身もなりゆきで、お世話させてもらってますけど、避難所のね・・・、もう数日しか経ってないですけど、なんか別な・・・いつも住んでる月出の町ではなくて、どこか他のところの、災害地のボランティアをやってるような感じで・・・。
うちもだいぶ壊れたんで、ときどき様子を見に行ったりしてるんですけど、通って帰ってくる道がですね、いつもの道と違うんですね。住み慣れた町が、なんか、変わってしまった・・・。見た目ももちろん変わりましたけど、気持ちが、なんか別世界になってしまったなっていう・・・。
わかりますかね・・・?すいません・・・、まぁ乗り切っていかなくちゃいけないんで。皆さん同じ気持ちだと思いますけど、今日はありがとうございました」
このインタビューの模様や、特派チームが支援物資を届けているときの様子、地元住民のコメントなどは、こちらの動画よりご覧頂くことができる。