2018年7月6日に死刑が執行された「オウム真理教教祖・麻原彰晃」こと松本智津夫元死刑囚に、殺人の余罪があったことが明らかになった。そして、その殺害現場には現在「ひかりの輪」の代表を務める、上祐史浩氏がいたことも上祐氏自身が認めている。
- 新たに「麻原彰晃」の女性信者殺害事件が発覚 隠し続けていた「上祐史浩」認める(デイリー新潮、2018年7月10日)
「ひかりの輪」広報担当によると、これまで隠されてきた殺人事件は1991年ごろ、静岡県富士宮市のオウム真理教施設・富士山総本部道場で、経理部のトップだった女性信者Y氏にスパイ容疑がかけられ、松本元死刑囚が命じて殺させたというもの。中川智正元死刑囚と新実智光死刑囚がY氏を取り押さえ、中川元死刑囚が何らかの薬物をY氏に注射して殺害した。
また、上祐氏がこれまでひた隠しに隠してきたのは、他の信者らから命を狙われる恐れがあったこと。また、上祐氏は松本元死刑囚の一日も早い死刑執行を望んでいたため、新たな殺人事件が明らかになれば、捜査が再開され、死刑執行が遅れるのではという心配があったため、としている。
「ひかりの輪」広報担当はまた、「麻原が絞殺した」など、「週刊新潮」2018年7月19日号の記事「『上祐』がひた隠し! 警察も知らない『麻原』の女性信者殺害」について、「週刊新潮」の記事は新実死刑囚の接見者からの伝聞情報で構成され、接見者が新実死刑囚を守ろうとして事実を捻じ曲げた可能性があると主張しています。
この件について、岩上安身は以下のようにツイートしている。
「なぜ、死刑を執行した?責任者は誰だ?麻原の余罪はまだあった。まだあるかもしれない。麻原は精神を病んでこれから先も何も話さなかったかもしれないが、他の死刑囚らは、どこかの時点で、真実を話し出したかもしれない。死刑を執行すべきではなかった。誰だ、責任者は?」
- 岩上安身のツイート(2018年7月12日)
IWJは上祐史浩氏が代表をつとめる「ひかりの輪」に取材を申し入れたところ、ひかりの輪」広報からの説明書面が届いた。その書面を以下に全文公開する。
2018 年7 月11 日
報道関係各位
ひかりの輪 広報担当
週刊新潮(2018 年7 月19 日号)の記事の件
お世話になっております。
お問い合わせの件ですが、当団体代表の上祐史浩によると、同誌に掲載された事件の概要等は、以下の通りです。
1,事件の概要
1991 年頃、麻原は、Yさん(当時「師」の称号を持っていた出家信者の幹部で、富士山総本部道場の経理部のトップ)がスパイ行為を働いたと疑い、Yさんを詰問しました。これに対して、Yさんは身に覚えがない様子で、麻原への帰依心からか、真っ向から否定せず、「思い出せない」などと、泣きながら言うなどしました。
その中で、ついに麻原は、白状しないならばポアするという趣旨のことを言いました。そこで同席していた中川智正と新実智光が、Yさんを取り押さえるなどしましたが、「師」という幹部であったYさんは、麻原への帰依心のためか、強い抵抗はしませんでした。その後、麻原と話した中川が、何かの薬物を持ってきて注射すると、すぐにYさんは動かなくなって、医師の中川が死亡を確認していました。
この当時、麻原を妄信していた上祐は、麻原の言動や形相によって、精神的に固まるとともに、本気かと思っている間にYさんが動かなくなったために、止められませんでした。Yさんが明確な反論や抵抗をせずに、麻原に帰依する姿勢を保ったことも、止める契機をつかめない理由だったかもしれないということです。
他に、その場で見ていた者は、女性の最高幹部ですが、同最高幹部も驚愕して固まっていたように見えたとのことです(なおYさんは、この女性最高幹部の部下で、Yさんのスパイ疑惑については、この女性最高幹部が最もよく知る立場であり、上祐は途中からこの話を聞きました)。
その後、遺体は村井が処理したと思われるとのことですが、最終的には、どうなったかはよくわかりません。
2,これまで上祐が話せなかった理由の概略
上祐は2007 年に麻原から離反し、アレフを脱会する前までは、麻原への信仰などのために、この事件を対外的に話せませんでした。
脱会前後以降については、麻原から離反したために、上祐(や目撃した他の女性最高幹部)の身に危険が及ぶのではという不安も生じており、上祐は、麻原の死刑が早く執行されることを望んでいました。上祐は、この事件は時効だとわかっていましたが、この件を話せば、捜査が再開されて死刑執行が遅れたり、自分の離反が麻原に知られたりするのではという心配がありました。
この背景には、麻原が裏切ったと見た信者を殺害することを上祐自身が目の前で見たこと、出家前の上祐の恋人で最高幹部の女性さえ麻原は殺害しようとしたことがあったこと、麻原を絶対視する麻原の家族が、出所後の上祐が麻原を否定していると批判した際に、家族派の最高幹部の男性N・K が、上祐に毒を盛ることを家族に提案した事実などがあったからです。
3,週刊新潮の記事の新実証言の問題
週刊新潮(以下、新潮と略)が新実証言とするものは、新潮が新実から直接聞いたものではなく、その接見者による伝聞情報で、新実本人または本人を守ろうとした接見者(例えば、新潮の記事にも出てくるアレフの信者で、最近有罪判決を受けている新実の妻の女性)が、何らかの理由で事実関係を曲げた可能性が推測されます。
新潮の記者によると、その情報は、①事件の場所が上九一色村の麻原の部屋であり、②時期は1990 年の可能性もあり、③麻原が絞殺したとして、④中川の注射の件が全くなく、⑤当局には供述していないということでした。
しかし、実際には、①場所は富士宮市の富士山総本部道場の第1サティアンの音楽室であり(当時はまだ上九一色村に麻原の部屋はなかった)、②時期が1990 年である可能性はなく(目撃した女性幹部は同年には別事件で勾留されていたため)、③中川が注射をしたのが致命傷となったことが事実だからです。
なお、新潮に対しては、新潮が得た情報源の情報は、①新実が当局にではなく接見者にだけ話した内容の伝聞情報であることと、②その内容からして、死刑の執行を回避する目的(事実に反して、麻原自身の実行行為によって致命傷を負わせたという面を強調し、新実・中川の関与を相対化していること)が感じられました。
身に危険が及ぶという心配に加えて、こうした事情があって、上祐は、死刑執行までは回答せずに、執行後に速やかに回答することにしました。なお、新潮自身はこの情報を昨年9 月にすでに得ていたにもかかわらず、当局には提供をしていないと思われます。というのは、新潮は、本件を独占報道できるように、上祐に対しても、当局や外部に情報を提供しないように、繰り返し要請してきたからです。これに対して、上祐は、こうした不正確な情報を提供するのではなく、当局に情報提供をしたり、他の女性幹部の供述を得たりして報道するように要請しました。
なお、当局に対しては、死刑執行の前、新潮からの情報を得次第、上祐がその場にいたという点以外の情報を提供しましたが、当方が確認する限りでは、新実がそのような供述を当局にしているとか、当局が本件で改めて捜査を開始したという話は聞きませんでした。これが事実であれば、新潮が新実の証言としているものは、もっぱら新実の妻などの新実の接見者のものだと思われます。
また、あらためて新実などを捜査したと思われない状況の背景としては、死刑執行が間近だったためかもしれませんし、仮に当局が知っていたとしても、一部では知られているように、麻原が無理な修行の指示をして信者が死亡した事案(同意殺人または自殺幇助とも思われる、麻原に帰依が深い男性幹部信者に係る事案)などが、他の重大事件を優先して立件されなかった事実などと関係しているかもしれません。
以上、お伝え申し上げます。
以上
重ねて問うが、死刑執行は強行すべきだったのか。麻原だけでなく、早川ノートを綴った早川紀代秀元死刑囚らも処刑されてしまったことにより、東京の都心にヘリで大量のサリンをまき、「戦争」を引き起こそうとしていたと早川ノートに記されていたオウムの真の闇がこれで明らかにできなくなってしまった。それでよかったのか?
残った6人の幹部に対して、死刑執行をカジノ実施法案の強行採決の日程に合わせることも検討されていると噂されている。
また、教団の後継団体「アレフ」は今年、地下鉄サリン事件当日にあたり、不気味なメッセージを発している。
「麻原尊師らの死刑執行を強行しようとしているのでしょうか。もしそうであるならば、取り返しのつかない重大な禍根となるでしょう」
- 3月20日に際して(Aleph広報部、2018年3月16日)
IWJは7月10日の法務大臣定例会見で、オウム幹部7人の死刑執行について上川陽子法相に問いただした。ぜひ以下の記事もご覧いただきたい。