任期満了にともなう新潟県知事選が2016年9月29日、告示された。
新人4人が立候補したが、原発再稼働推進派の県議から支援をうける森民夫・前長岡市長(自・公推薦)と、「泉田県政継承」を掲げる米山隆一氏(共産・生活・社民推進)の事実上の一騎打ちとみられている。
(取材:岩上安身・原佑介・横田一 文責:岩上安身)
任期満了にともなう新潟県知事選が2016年9月29日、告示された。
新人4人が立候補したが、原発再稼働推進派の県議から支援をうける森民夫・前長岡市長(自・公推薦)と、「泉田県政継承」を掲げる米山隆一氏(共産・生活・社民推進)の事実上の一騎打ちとみられている。
記事目次
泉田裕彦新潟県知事が、8月30日に突如として知事選から撤退を表明したことで、野党陣営は短期間での候補者選定を強いられ、調整は混迷した。
新潟県では7月の参院選において、無所属で立候補した森ゆうこ氏を支持することで野党が一本化し、僅差で当選を果たしている。原発問題が大きな争点となる新潟県知事選にも野党共闘で臨むものと思われていた。
民進党は当初、民進党新潟5区総支部長で次期衆院選の公認候補に内定していた米山氏を候補者として他党に提案した。他の野党陣営はあらゆる選択肢を模索したが、最終的には、市民団体とともに民進党の提案にのり、米山氏の出馬を了承することにした。ところが、ここからの経緯が不可解である。民進党の提案に対して他の野党が回答するまでのわずかな間に、民進党自身は常任幹事会で自主投票を決めた。そして他党の回答を待つことなく、特定の候補を応援しないと決定してしまった。
詳しい経緯は米山隆一候補本人が岩上安身によるインタビューの中で語っている。
——————インタビューより一部文字起こし————————-
岩上 「社民・共産・生活の党などは、9/20に民心党5区総支部長の米山隆一氏の擁立を目指す考えを表明した。ところが民進党の中からは出てこない。なんでなんですか?」
米山 「私自身は早いうちから党内では『やりますよ』と言ってたんですね。(中略)少なくとも民進党から一度、野党3党に対し『米山さんはどうですか?』と話を持っていった。その時に3党の方では『他の候補も考えているからちょっと待ってて』と言った。そうしたら、その「ちょっと」待っている間に…と言ったって、半日くらいですよ。半日くらいの間に、いきなり民進党が待たずにですね、『いや(候補は)もういない』と話をして、連合の(森民夫氏支持の)方が決まっちゃって。決まったあとに、今度は野党3党の方が『米山さんでいいです』と言ったら、民進党の方が『いや、決まったから絶対訂正できない』と」
岩上 「いったん言ってはみたものの、しかし(野党が)ちょっと戸惑っている間にまず、民新党じゃなくて連合が、自民党と公明党推薦の森氏の方に傾いていったということですね」
米山 「これも民進党が、『もう自分たちには(候補が)いません』と言っちゃったからそうなった、と、うかがっていますね」
岩上 「9月17日に市民連合@にいがたが、社民党などと連名で米山さんの擁立要請をしたけれど、民進党がこれを拒否。市民グループと野党3党から正式要請が行われたのは9月20日なんですけれど、民進党県連が米山氏擁立を拒むのは、『米山氏が旧民主ではなく旧維新系である』だの、『県連内に森派がいる』だの、『連合新潟が森氏支持を決めた』だのの理由が囁かれると。3党のアプローチが少し遅くなったことには、民進党が『何を今さら』などと冷淡なことを言って、『もともと米山氏について3党に打診したけれど、渋られていた』と(報道される)、そんなことがあったそうですね」
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新潟県知事選に関し、民進党の対応は冷淡だった。
2016年9月21日に行われた囲み取材(※)で、IWJとは協力提携関係にあるジャーナリストの横田一氏が「米山隆一さんという野党統一候補の提案を拒否して、このままでは不戦敗になる」と指摘したが、民進党の大串博志・新政調会長は、「地方選挙は地方独自の特性も事情もある。国会の中では安倍自民党と対峙しながら、各地方においては実情を踏まえながら対応したい」と回答するにとどまった。
馬淵澄夫・新選対委員長も、横田氏の質問に対し、「おっしゃっていることは『(党)本部がなぜ手を差し伸べないのか』、あるいは『口を挟まないのか』ということだと思いますが」と受け止めつつ、「現時点では、県連の判断を受け止めることだと思う」と語った。都知事選では執行部がイニシアティブをとって鳥越俊太郎氏を推していたが、これについても馬淵氏は、「それは前執行部の話だ」と一蹴した。
当初は「離党してまで出馬するつもりはない」と考えていた米山氏だったが、「県民の声に応えないのは政治家としてできない」と考え直し、一転して出馬を決断。告示まで1週間を切った22日、民進党に離党届を提出し、直後に県庁で会見に臨み、立候補を正式に表明した。
他方、民進党は告示の前々日である9月27日、民進党は常任幹事会を開催。次期衆院総選挙における米山隆一氏の次期衆院選の公認内定の取り消し、新潟県連第5区支部長の役職の解任を決定した。自ら離党し、役職も辞任したはずの米山氏をわざわざ「解任」する必要があるのか。ネットでは、「なぜ米山氏に対して、追い打ちをかけるのか」といった批判もとびかった。
新潟県知事選の告示日である9月29日、民進党本部では蓮舫・新代表の定例記者会見が開かれた。蓮舫代表は、新潟県知事選における候補者擁立を見送った理由について次のように語った。
「私は組織(県連)が機関決定したことは覆さない。(県連は)自主投票を決めている。国政を持ち込むより、県民の代表を選ぶ選挙なので、県民がどのような思いをもって投票行動に出るか注視したい」
IWJはこの会見で、原佑介記者が米山氏を解任した理由について蓮舫代表に直接、質問した。蓮舫代表の回答は以下のようなものだった。
「私たちは組織です。今までいろんな部分で組織の規律を守れず、国民の信頼を失ってきた、痛い経験を持っている。だからこそ組織の規律はしっかり守るという前提で、すべてを進めている。
米山さんは民進党の新潟5区の総支部長として、新潟県連の意思決定の場所にもしっかりと参加をして、ご自身の(立候補を)表明をせずに進めて、そして新潟県連の意思決定に賛成してきた。その部分で、その後、(立候補したいという)思いがあってご意向が変わったのだと思うが、それは我々の規約の中では、処分というよりも、そういった(解任という)かたちになるとご理解ください」
蓮舫代表の説明は要領を得ず、釈然としない。「自分たちがこれまで規律を守れなかった」組織であったと反省するのは御自由だが、だからといって、自らやめた米山氏に対して急に厳しくあたることで、組織の規律を守れるようになるというのだろうか。IWJは民進党本部の事務方に追加取材し、離党手続きの流れについて聞いた。事務方は解任手続きに「他意はない」と説明する。
「民進党に関しては、政党の支部を持つ人間は民進党の現職の国会議員、もしくは公認候補内定者で、それらの方々は全員党籍があります。離党を認めた方を役職につけておくわけにはいきませんから、そういう意味では、解任の手続きをしたというのはきちんとした段取りなのではないでしょうか。
こちらから辞めてもらうということであれば別ですが、今回は、ご本人からの離党の申請に基づいていることです。例えばご本人が離党届を出して、意地悪してそれを認めない、というのであれば話は別ですが、ご本人が出した離党届を受け止め、処理しているわけです。
本人は辞めたくて離党届を出しても、それ以上に処罰が必要だということがあれば除籍という判断もあります。今回は米山氏の離党をきちんと受け止めていますから、それ以上は懲罰も何もないのではないでしょうか」
実際に、離党届の申請を受理せず、除籍処分をくだした例としては、鈴木貴子議員のケースなどがある。鈴木議員は民主党比例代表で当選したにも関わらず、父・鈴木宗男氏のテコ入れもあり、野党共闘に反発。自民党入りを模索しているとみられている。
米山氏の解任手続きについて、蓮舫代表の説明では、「組織の規律が大事」などと、厳しく毅然と対処したかのような話しぶりであったが、民進党の見解としては懲罰的な意味合いはないということだった。
今回の解任手続きに関連して、私、岩上安身は9月29日、民進党による米山氏の解任手続きを受け、「なぜ無所属で出馬する者に『懲罰的』な解任処分を重ねて鞭打つのか。蓮舫代表や野田幹事長らはこの情なき冷酷な処分の理由を説明すべきである」とツイートした。
しかし、民進党に取材を重ねた結果、「解任」処分には、懲罰的な意味合いは込められていなかったようだ。「情なき冷酷な処分」という私の表現は勇み足だったと思われる。この場を借りて、お詫び・訂正させていただくとともに、当該ツイートは、削除することをご報告しておきたい。
とはいえ、民進党の米山氏出馬に対する冷淡な対応には大いに疑問が残る。年末年始の衆院解散もささやかれているが、蓮舫新体制で初となる国政選挙で、参院選のように野党共闘し、強大な安倍政権と対峙できるのか、このままでは強い懸念を抱かざるをえない。
米山氏は民進党を離党し、解任された当の米山氏は、低姿勢を貫いており、「民進党の方々に大変ご迷惑をおかけした」と頭を下げた上で、「自分自身の決断に恥じるところはありません」「一無所属候補として全力で戦い抜く所存です」と、決意を明確に表明している。IWJは東電・柏崎刈羽原発の再稼働がかかったこの重要選挙を可能な限り報じていく。