【岩上安身のニュースのトリセツ】天皇陛下が「お気持ち」を表明、改憲で天皇の「元首」化を目指す安倍政権への牽制か~良識的な歴史認識を示す皇太子殿下に「ヘイトスピーチ」を向ける「ネトウヨ」たち(第1回) 2016.8.9

記事公開日:2016.8.9 テキスト
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(岩上安身)

 8月8日午後3時、宮内庁は、天皇陛下が「象徴としてのお務め」についての「お気持ち」を示したビデオメッセージを公表した。ビデオメッセージは、NHKをはじめ民放各社で放送されるとともに、宮内庁のホームページにもアップされた。

 ビデオメッセージの中で天皇陛下は以下のように述べ、直接的な表現を避けながらも、将来的に天皇の位を皇太子殿下に譲る「生前退位」の意向を強くにじませた。

 

天皇陛下ビデオメッセージ「お気持ち」全文

 「戦後70年という大きな節目を過ぎ、2年後には、平成30年を迎えます。

 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、2度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。

  はじめにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。 

 国民の理解を得られることを、切に願っています」

▲宮内庁ホームページより

天皇を「象徴」として規定した現在の日本国憲法そのものを、今までも、そして将来においても尊重し、護ることを重要視した「おことば」

 天皇陛下はこの「おことば」の中で、「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方」「象徴の務め」「象徴としての行為」と述べられるなど、「象徴」という言葉を繰り返し用いられた。これは、天皇陛下が、現在の日本国憲法に規定された「象徴」としての自らの役割を、「望ましい在り方」として、極めて重く受け止めていることを表わしており、「象徴天皇の務め」が「途切れることなく、安定的に続いていくことを念じている」とまで言いきっている。言いかえれば天皇を「象徴」として規定した現在の日本国憲法そのものを、今までも、そして将来においても尊重し、護ることを言外に望んだのだと考えられる。

 同時に、後に続く世代への負担と、深い慮(おもんぱか)りがにじみでていることも見逃せない。自分が退位したあとに天皇となるのは皇太子徳仁親王である。そのお名前を改めて出すことはなかったが、我が目の黒いうちに、現在の日本国憲法を尊重して、その憲法の定める象徴としての皇位の継承をしっかりと行い、その即位を見届けたいという思いが込められていたと思われる。

 天皇陛下の今回の「お気持ち」は、「生前退位」を望んだお言葉として人口に膾炙してゆくであろう。たしかに内容の半分はそうであるが、半分はそれだけではない。これは「生前退位」にとどまらず、「皇位の譲位(禅譲)」についての「おことば」なのである。「退位」と「譲位」はコインの裏表である。この「譲位」の持つ重い意味については、後述する。

 天皇陛下が今回、このような「生前退位」の意向を強くにじませる「お気持ち」を表明した背景には、自らの高齢化による体力の衰えにともない、「日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方」が今後もとどこおりなく継続することを望むことを明確に表明しつつ、その行方に対して、強い危機感を覚えていることがうかがえる。繰り返すが、天皇陛下が、自らの「象徴」としての役割、そしてそれを規定する日本国憲法をいかに重要視しているかということでもある。

安倍総理は「重く受け止める」というコメントを発表~皇室典範改正に向け、今後の日本政府の対応は

 しかし、現行の皇室典範には「生前退位」の規定がないため、天皇陛下がご意向通りに「生前退位」するためには、皇室典範の改正が必要となる。

 また、天皇陛下が「生前退位」し、皇太子徳仁親王が即位する場合、現行の皇室典範は皇太子を「皇嗣たる皇子」と規定しているため、男子ではない敬宮愛子内親王は「立太子」(皇太子となること)ができず、皇太子の位が空位となってしまう。

 以上のことから、日本政府は今後、今回の天皇陛下の「お気持ち」発表を受け、「生前退位」を可能とするような皇室典範の改正に向けた対応を開始することが予想される。

 天皇陛下の「お気持ち」発表後、安倍総理は首相官邸で記者団に対し、次のような短いコメントを発表した。

 「天皇陛下よりお言葉がありました。私としては天皇陛下が国民に向けてご発言されたことを重く受け止めております。天皇陛下のご公務のあり方などについては、天皇陛下のご年齢やご公務の負担の現状に鑑みるとき、天皇陛下のご心労に思いを致し、どのようなことができるのかしっかり考えていかなければならないと思います」

 「重く受け止める」「しっかり考えていかなければならない」。安倍総理はこのように述べ、今後、政府として対応していく考えを示唆した。今後、有識者会議などが首相官邸に設置され、皇室典範改正に向けた本格的な議論が開始されることが予想される。

 しかし、皇務の負担などについては「しっかり考える」とした安倍総理だが、天皇陛下がはっきりと「象徴としての天皇」というお言葉を述べた点にはまったく触れていない。

 自民党は改憲草案において、天皇を「象徴」から「元首」へと位置づけ直すことをもくろんでいる。しかし、天皇陛下自身は「象徴」であること、今後も「象徴天皇」が「途切れることなく」「安定的に」続いていくことを望んでいると明らかにした。この最も重要な核心を安倍総理は「完全スルー」したのである。

 一方、8月7日付けの読売新聞は、政府関係者の話として、「現在の天皇陛下に限って退位を可能にする特別法を制定する案が、政府内で浮上してきた」と報じた。皇室典範を改正し、天皇の「生前退位」を制度化するには、今後、長い時間をかけた議論が必要となることが予測される。特別法を制定すれば、天皇陛下がご存命のうちに、「生前退位」のご意向を成し遂げてさしあげることが可能となる、ということになる。

 皇室典範の改正か、特別法の制定か。いずれにしろ、政府は今後、対応を迫られることになるだろう。同時に「象徴としての天皇というあり方」を大切にしてきた天皇陛下の「お気持ち」を、誰も彼もが、安倍総理のように「完全スルー」し続けることがあってはならない。この点もよくよく重く受け止めるべきことである。

戦後民主主義社会の擁護者として、一貫して良識的な歴史認識を示してこられた天皇陛下と皇太子殿下

 今回の「おことば」からも明らかなように、天皇陛下は、アジア・太平洋戦争における国策の誤りに常に思いを致し、日本国憲法と戦後民主主義を極めて重く見る立場を貫いてこられた。戦後70年を迎えた2015年1月の「年頭の所感」では、次のように述べている。

 「本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡くなった人々、広島、長崎の原爆、東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています」

 この発言はきわめて重要である。1931年9月18日、関東軍が柳条湖で南満州鉄道を爆破するという「謀略」を期に、大日本帝国は中国東北部(満州)を侵略し、1932年3月1日には「傀儡国家」である満州国を建国した。

 天皇陛下は、1941年12月8日の真珠湾攻撃によって始まった太平洋戦争だけでなく、この満州事変、そしてその後の日中戦争まで含めて、「この戦争の歴史」と呼んでいるのである。満州への謀略を用いての侵略の開始、さらに続けて北部中国(北支)への侵攻、日中全面戦争、そして対米英開戦に至るまで、すべて一連の戦争の歴史ととらえているのだ。これは、歴史修正主義的な、歪んだ歴史認識発言を繰り返す現在の安倍政権の閣僚らと比べると、極めてまっとうで、良識的で、リベラルな歴史認識であると言えるだろう。

 現在の皇室において、同様に良識的な歴史認識を表明しているのは、天皇陛下だけではない。皇太子である浩宮徳仁親王もまた、折りに触れ、まっとうな歴史認識と平和の尊さについて、そして日本国憲法を尊重する旨を繰り返し表明されてきた。2015年2月20日、自らの誕生日に際して行われた記者会見で、皇太子殿下は次のように述べている。

 「私自身,戦後生まれであり,戦争を体験しておりませんが,戦争の記憶が薄れようとしている今日,謙虚に過去を振り返るとともに,戦争を体験した世代から戦争を知らない世代に,悲惨な体験や日本がたどった歴史が正しく伝えられていくことが大切であると考えています。両陛下からは,愛子も先の大戦について直接お話を聞かせていただいておりますし,私も両陛下からうかがったことや自分自身が知っていることについて愛子に話をしております」

 「我が国は,戦争の惨禍を経て,戦後,日本国憲法を基礎として築き上げられ,平和と繁栄を享受しています。戦後70年を迎える本年が,日本の発展の礎を築いた人々の労苦に深く思いを致し,平和の尊さを心に刻み,平和への思いを新たにする機会になればと思っています」

▲宮内庁ホームページより

皇太子さまに口汚い「ヘイトスピーチ」を向けるネトウヨたち

 何度もいう。天皇陛下や皇太子殿下によるこうした歴史認識は、極めてまっとうで、良識的で、リベラルなものである。何よりも歴史的事実に基づいている。

 私(岩上安身)は、昭和34年8月生まれ。昭和35年2月生まれの徳仁親王と同じ学年ということになる。同時代を生きてきた一人の国民として、国の象徴となるべき方が、このような穏やかな人格と聡明な知性を備え、良識的な歴史認識をもった方であることに、心から安堵の念を覚える。

 ところが、こうしたまっとうな発言をしてきた皇太子殿下に対し、インターネット上では、「ネトウヨ(ネット右翼)」から、心ない中傷が浴びせられている。雅子妃殿下との間に皇位継承の資格を持つ「皇嗣たる皇子」をもうけていないこともあいまって、その中傷は「ヘイトスピーチ」(憎悪表現)とも言えるものへとエスカレートしている。

 例えば、「ネトウヨ」が集まることで知られる「2ちゃんねる」のまとめブログ「保守速報」では、皇太子殿下の誕生日に際しての記者会見に対してスレッドが立てられているが、以下のようなコメントが書き込まれている。

 「この人が皇位を継承するのかと思うと、暗澹とした気分になる」

 「仕事しろよ。嫌なら退位せよ」

 「仕事を選び、祭祀をしない、失礼ながらふさわしくありません。どうされたのでしょう。愛する妻子と、皇籍離脱なさいませ。天皇陛下を煩わせないよう、ご決断を」

 「天皇陛下が『被災地の国民に心を寄せ・・・ 』と話されるときは、国民への本当に深い共感を感じるが、この人が、『被災地に・・・』と言うときは、とりあえず、不幸な人に共感するポーズをとっておけばよいという打算を感じる」

 「両陛下の支えにもならない皇太子の存在とは必要なのか?たまに観賞すれば大々的に報じてもらえ、皆それ見て有り難がる。秋篠宮のほうが何倍も公務に励み国民に寄り添っているのに」

 「こんなのが即位したら。日本は終わります」

 「頼む!秋篠宮と代わってくれ!」

 「秋篠宮殿下両殿下は地球の裏まで行って粛々と公務をしているのに、こちら夫婦は怠け三昧。もう誰の目にも明らか」

 これはほんの一部である。中にはもっと下劣で、口汚い、許しがたい罵詈雑言もある。こうした中傷は、戦前なら「不敬罪」ものであろう。戦後においても、これが一般人なら、人格を傷つける誹謗中傷として名誉毀損の対象となりうるはずだ。だが、皇室は反論しない。反論できない立場にある。それにつけこんで「ヘイトスピーチ」は増長するばかりである。

皇太子殿下には「象徴」の役割は荷が重い!?~宗教学者・山折哲雄氏の「皇太子退位論」とは

 皇太子殿下に対するバッシングを展開しているのは、「ネトウヨ」だけではない。2013年3月には、論壇誌『新潮45』で宗教学者の山折哲雄氏が「皇太子殿下、ご退位なさいませ」という実に僭越なタイトルの論説を発表し、大きな波紋を呼んだ。

 山折氏は同論説の中で、戦後の皇室は、「象徴家族」の性格と民主主義的な「近代家族」の性格という「二重性を背負い続けてきた」と説く。そのうえで、皇太子と皇太子妃は「近代家族の側にぶれ始めているのではないだろうか」と述べ、「象徴家族としての重荷から解放され、新たな近代家族への道を選択して歩まれる『第二の人間宣言』」をと、大胆に「提案」する。「提案」といっても、失礼きわまりない内容で、根拠も曖昧なまま、皇太子に「退位せよ」と迫る強引な文章である。

 「平成の時代における天皇・皇后の両陛下は、一見矛盾し対立するようにみえる象徴家族と近代家族の間に調和の関係を築き、みごとな均衡点を見出してきたように思う。ところがそれに対し、皇太子・同妃殿下のご家庭においては、その両者の調和の関係に揺れが生じ、したがって均衡点も定まらないような状況が、さきにも述べた通り、ときにきわ立つようになっている。そこに『天皇家の危機』が静かにしのびよっているのではないか。宮内庁の発表、メディアの報道がその懸念をひろめ、国民の関心を呼ぶようになっている」

 「近代家族」と「象徴家族」という山折氏の定義は、実に曖昧なものである。「近代家族」が、一般的な定義のように、一夫一婦制で仲良く睦み合う夫婦とその子供、という家族のあり方を指しているならば、皇太子一家はそのような家族像に近いだろうが、そのどこがどう問題だというのか。皇妃がお具合が悪く、男子の世継ぎをもてないことが皇統の継続上不都合だから、「近代家族」には限界があり、側室を囲って男子の世継ぎをもて、ということなのか。論文中にそんな具体的な言及があるわけでもない。「近代家族」の定義が曖昧であるように、「象徴家族」の定義も曖昧である。

 山折氏は、雅子妃の「適応障害」に触れつつ、病にあるその雅子妃のことを皇太子がかばって口にした、「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」という発言を取り上げて、「ご結婚以来、一貫している態度であり、立場でもあった。近代家族を維持し続けようとする一途な思い、といってもいいだろう」と断じる。

 そして皇太子の、この一貫している態度には、「いかなることがあっても一個の人間として愛をつらぬく決意がこめられている」と一方ではほめたたえつつも、冷ややかに、「象徴家族」としてのあり方にはふさわしくない、として、「皇太子さまと雅子さまは愛子さまとともに、いわば第二の人生を選ばれてもいい」と、「象徴家族としての重荷から解放」されるよう、「提案」するのだ。そして、皇位を弟の秋篠宮に譲るように迫るのである。秋篠宮家の家族像も、「近代家族」モデルから大きくはみ出したものではなく、東宮と秋篠宮家と大差はない。これは「提案」というより「言いがかり」というべきであろう。

▲『新潮45』2013年3月号に掲載された山折哲雄氏の論説「皇太子殿下、ご退位なさいませ」

▲『新潮45』2013年3月号に掲載された山折哲雄氏の論説「皇太子殿下、ご退位なさいませ」

 山折氏の文章は、文字面だけを見ていると、いかにも、皇太子一家のことをおもんぱかって、のように聞こえる。しかし、病を抱え、公務をなかなか果たせない妃を持ち、その妃をかばう皇太子は、皇室の伝統を引き受け、宮中祭祀を行う「象徴」としての資格に欠ける、といわんばかりである。これはもっともらしく聞こえるが、とんでもない暴論であり、重大な問題をはらんでいる、と私は思う。

 過去の天皇家の歴史をひもといても、天皇本人やその家族に病身の者がいたという記述はいくらでもある。病に倒れたら、その平癒を懸命に祈願するのがまず先決だろう。誰が、皇太子に対し、「妃が病気で」公務を果たせないなら退位せよ、などと迫るのか。世が世なら謀反を疑われる。

 兄の一家を退け、弟を天皇につけよなどという発言を1300年前に口にしていたら、間違いなく山折氏は討たれていただろう。兄の天智天皇の跡目を狙って弟の大海人皇子(おおあまのみこ。後の天武天皇)が挙兵し、古代日本史上最大の内乱が起きたのは672年のことだ。壬申の乱である。皇位をめぐるこれほどの悲劇はそうはない。天皇の息子である皇子同士の、兄弟間の離間を計ることがどれだけ問題の大きいことか。

 天武天皇元年6月24日 – 7月23日に起こった古代日本最大の内乱である。
 天智天皇の太子・大友皇子(弘文天皇の称号を追号)に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が地方豪族を味方に付けて反旗をひるがえしたものである。反乱者である大海人皇子が勝利するという、例の少ない内乱であった。
 名称の由来は、天武天皇元年が干支で壬申(じんしん、みずのえさる)にあたることによる。
 (ウィキペディアより)

 天武天皇(てんむてんのう、生年不明 – 朱鳥元年9月9日(686年10月1日))は、7世紀後半の日本の天皇である。在位は天武天皇2年2月27日(673年3月20日)から朱鳥元年9月9日(686年10月1日))。『皇統譜』が定める代数では第40代になる。
 (ウィキペディアより)

病に苦しむ者、障害を持つ者、心の苦しみを抱えて鬱になる者をいたわり、かばい、ともに生きようとする姿勢を見せることも、国民の象徴としてのありかたのひとつではないか

 病者をみて、早く良くなってくださいね、といたわりの言葉をかけるのは、相手が天皇だろうが、一般市民であろうが、人としての当たり前のあり方であろう。妃が病身ゆえに公務がつとまらない。だから「象徴家族」、つまり象徴天皇の座にふさわしくないので、皇太子から退位せよ、というのは、病気で働けない者はリストラされて当然だ、という論理と何ら変わらない。皇室とは健常者だけ可能なビジネスか何かなのか!?という話である。そもそものところで山折氏ははき違えている。

 大正天皇はよく知られている通り、病身だった。だから皇太子の時点で退位せよ、とあの時誰が迫ったか。迫ることが許されたか。時代が違うといえばそれまでだが、いつの時代であれ、病気だったらやめろ、と平然と言い放つことは、冷酷とのそしりはまぬかれない。病状を心配しつつ、快癒を祈るのが、人として当たり前のあり方だろう。

 皇室と言っても生身の人間なのだ。病気にもなるし、障害を持つこともあるだろうし、老いることもある。気鬱になって引きこもることだってありうるだろう。その何がいけないのか。なぜ、いたわれないのか。公務がつとまらないというが、そうであれば公務を減らせばいいだけではないか。だいたい宮中祭祀の多くが、古代から連綿と続いてきた伝統祭祀なのではない。近代になってから新たに創出された祭祀も数々ある。そうした祭祀に熱心な天皇もいたが、熱心ではない天皇もいた。「大帝」と称される明治天皇は、実は熱心ではなかったといわれる。あまりに多すぎる皇務や公務は必要に応じて簡略化したり、代理を立てることも許されるべきだ。これまでもそうしたことは度々あった。今上天皇夫妻が例外的にハードなおつとめをこなされてきたのであって、どの代にも同じように求められるというものではないだろう。

 病に苦しむ者も、障害を持つ者も、心の苦しみを抱えて鬱になる者も、すべて国民である。その国民の象徴である皇室に、同じ苦しみを持つ者がいて、徳仁親王殿下のようにそれをいたわり、かばい、ともに生きようとする姿勢を見せることも、間違いなく国民の象徴としてのありかたのひとつではないか。

 神話を例にとろう。アマテラスはスサノヲの乱暴が嫌になり、天の岩戸にひきこもった。これは元祖「引きこもり」である、と私は思う。アマテラスはこの時、病んでいたのだと言える。その引きこもりによってアマテラスは「公務」、でいうなれば「神務」を怠ったわけだ。

 おかげで天地が暗くなり、たいへん困った。困ったらアマテラスをリストラするのか。そんなことはできない。では引きこもっているのを外から非難ごうごう浴びせるのか?それではますますかたくなになるだろう。

 だからアメノウズメらは飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎをして、楽しい祝祭の空間をつくり出し、かたくなになったアマテラスの心をときほぐして、アマテラス自身が天の岩戸から顔をのぞかせるように仕向けたのだ。

 この「神話」(もちろんフィクションだ)にある、あたたかさが、なぜ心の病気に苦しむ雅子妃とその身をかばう皇太子に対して向けられないのか?

 山折氏は宗教学者であり、ご本人も禅を組む、などとおっしゃっているが、生涯かけて宗教を学んで、「慈悲」という二文字がわかっていない。実に残念である。

 なお、皇室の祭祀に関しては、村上重良著『天皇制国家と宗教』(講談社学術文庫)には、次のように記されている。

 「明治維新から明治10年代にいたる国家神道の形成期に、皇室祭祀は集中的に整備拡充された。皇室祭祀は、天皇が掌る最高の国家祭祀であり、天皇自身が親祭する『大祭』と、天皇の代理として宮中の神官である掌典が執行し天皇が拝礼する『小祭』とに分けられた」

 「大祭は一三祭、小祭は九祭にのぼったが、その大半は、古制の祭祀ではなく、明治一〇年代までに新たに創案された祭りである。大祭の一三祭では、天皇の宗教的権威の根源をなす伝統的な新嘗祭と、伊勢神宮の祭典を新たに皇室祭祀にとりいれた神嘗祭の二祭のみが、古制の祭りであった」

 このように、山折氏が重視する宮中祭祀のほとんどは、明治維新にともなって、新たに「創出」されたものであることが分かる。

日本国憲法に規定された「象徴」としてのお役目を果たされることを改めて表明した天皇陛下

 話を戻そう。今回の天皇陛下の「お気持ち」の中で繰り返された言葉こそ、「象徴」に他ならなかった。「象徴」とは、何も、伝統の継承者として皇室の宮中祭祀を行うことだけを意味しない。今回、天皇陛下が「お気持ち」の中で述べられたように、「伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていく」こと、例えば、被災地を慰問したり、激しい戦場となった南洋の島々を訪れて戦没者に祈りを捧げることもまた、「象徴」としてのお役目に他ならないだろう。

 憲法に規定された「象徴としての天皇」というあり方を大切にし、守るということは、日本国憲法を守ることにつながる。日本国憲法の擁護者としての立場を、改めて表明したのだと言える。

 自民党憲法改正草案では、天皇は「象徴」ではなく「元首」に変更されると書かれている。このような改憲案を掲げる自民党、そして現行憲法を「みっともない憲法」と侮辱し罵倒してはばからない安倍総理こそ、天皇陛下の意に反し、天皇や皇室をないがしろにして皇室の政治利用をはかる「君側の奸」に他ならないと思う。

 天皇を「現人神」としてあがめたてまつり、その天皇の威をかさにきて、軍部・官僚・財閥の支配層が事実上の権力を握り、侵略戦争を繰り返したあげく無惨に敗北し、国家として破滅に至ったのが「明治レジーム」である。

 「戦後レジーム」からの脱却を掲げて、そのさんざんに失敗した「明治レジーム」への回帰を志向する安倍総理は、今回、護憲の立場を改めて鮮明にした天皇陛下の「お気持ち」を、どのように聞いただろうか。

 極右の牙城になってしまった安倍政権の関係や自民党、公明党、おおさか維新らの改憲勢力、そして彼らを支えてきた日本会議のような復古主義的な反動右翼の面々は、どう心を入れ替えるか。それとも天皇の「大御心」に背いてでもあくまで失敗した「明治レジーム」の復活にひた走るのか。

 天皇が象徴にとどまり、決して元首にならないことは、国民主権とセットである。国民が主権者であり、基本的人権も平和主義も徹底して守られるべきである。皇族には基本的人権はない、という一部の暴論も改めるべきだ。皇族も我々と同じ人間である。人としての基本的人権は当然守られるべきである。皇太子夫妻へのヘイトスピーチも、断じて許されない。

 いうまでもなく国民の基本的人権を侵す自民党改憲草案など論外である。自民党改憲草案はこれを機にその第一条から最後まで、すべて廃棄すべきである。

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