【岩上安身よりみなさまへ】お詫びと、ひとまずの復帰のご報告 ~2週間で3回の救急搬送を乗り越えて 2015.3.16

記事公開日:2015.3.16 テキスト
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 いつもご支援いただき、誠にありがとうございます。IWJ代表の岩上安身です。

 既にIWJのサイトや、私のTwitter日刊IWJガイドでもお伝えしています通り、3月10日(火)のテレビ朝日「モーニングバード!」出演を皮切りに、仕事に部分的に復帰いたしました。

【岩上安身よりみなさまへ】ひとまずの復帰のご挨拶 〜突然の「攣縮(れんしゅく)」からのサバイバル、そしてニトロ片手のタイトロープウォークへ

 その「ひとまずの復帰のご挨拶」として本メールを書き始めたのですが、その前に、まずみなさまに、至急お詫び申し上げなければならない事態が発覚しました。

 みなさまから頂戴している、会費の支払いやご視聴方法などのお問い合わせに対して、スタッフからのご返信が遅延していることが、昨日、発覚しました。

 ご返信が遅延してしまっている主な原因は、会員新システムを導入したため、旧システムから、新システムへ、データの移行作業が発生し、一時的に、作業量が増えていること、移行前には、予期していなかった、不具合の対処に追われていること、などです。

 また新システム移行に伴う作業の増大に対して、会員管理担当の人手が少ないことも原因の一つです。

 ご返信をお待ちいただいている皆さまには、多大な御迷惑をおかけしてしまいました。この度は、誠に申し訳ございませんでした。深くお詫び申し上げます。

 本来ならば、そのようなことが起きた時点で、私が、すみやかに事態を把握し、対処の指示をするべきでした。非常に申し訳なく思っております。

 事態の把握ができなかったのは、私が、2月21日(土)夜、心臓発作を起こし、帰京後も、発作に見舞われ、緊急搬送されるなどして、マネジメントの実務を、この3週間、完全にはこなせなかったためです。

 そのため、IWJ事務所では、司令塔が不在の状態が続き、事務所内は、これまでずっと混乱が続いておりました。お問い合わせも、その時期から今まで、約3週間、ご回答できていなかった次第です。

 皆様から「岩上、休め! 」とお叱りを受けながらも、毎日のように事務所に出社して、可能な限り、IWJの組織運営の陣頭指揮を執っていたのですが、力およばず、目の行き届かないところが出てしまいました。本当に申し訳ありません。

 会社を立ち上げて、トップとしてのマネジメントの責務を果たすべく全力を傾けてきたつもりですが、私を補佐するミドルマネジメントを担う人間がいなかったこと、育てられなかったこと、そのリスクをあらためて痛感している次第です。

 今回のスタッフからの報告を受け、私自身、驚愕するとともに、すぐに緊急対処するよう指示をいたしました。皆様からの、お問い合わせに対するご連絡は、対応するスタッフの人数を増員し、必ず、ご返信させていただきます。

 まずは、お詫びのご連絡とともに、ご報告をさせていただきました。

 こうした混乱の収束までに、あと数日の猶予をいただければと存じます。

 御迷惑をおかけしていますこと、心よりお詫び申し上げます。よろしくお願いいたします。

あらためて、「ひとまずの」復帰のご挨拶

 2月21日(土)に、出張先の北海道・帯広で突然の発作に見舞われて以降、ほぼ半月の間、仕事を完全にお休みし、静養していました。ドクターストップがかかっていたため、メールやTwitter、Facebookを開くことも控えていました。お見舞いの声をお寄せいただいた方には、お返事が遅れましたことを、お詫び申し上げます。

 「復帰」といいましても、まだ100%の状態で仕事ができているわけではありません。日々、自らの体調と相談しながら、経営面での仕事や、書きかけになっていた原稿の執筆などを行っています。

 取材先の北海道・帯広で突然の心臓発作に見舞われたのが、2月21日(土)夜のことでした。まったく予期せぬ出来事でした。胸の上部、鎖骨の内側あたりから、肩、首のつけ根のあたりが、ぎゅーっと締めつけられるように痛み、息苦しくてたまりませんでした。息を吸っても酸素が身の内に入ってこない感覚です。首を締め付けられているようでした。突然のことで、何が起きたのか、自分でも何も分かりませんでした。

 助けを呼び、急遽、市内の救急病院に搬送されました。

 苦しかった。本当に苦しかった。
 つらい体験でした。

 自分の身に何が起きているのかわからないという恐さも重なりました。

 私はこれまで、心臓病と診断されたことがなく、今回見舞われた狭心症の発作は、私にとっては突然の不意打ちでした。心臓病に関する何の予備知識もないまま、救急搬送されたあげく、あれよあれよという間に、カテーテル検査まで一気に進むことになりました。

 カテーテルとは、細い管を血管に通し、造影剤を流して、レントゲン撮影をするものです。その検査の過程で心筋を傷つけ、死亡する人が0.02%の確率で存在する、ということを承知してくださいとインフォームド・コンセントを受けました。そして「ご家族に連絡を」と言われ、私はベッドであおむけになり、心電図や点滴につながれたまま、携帯で娘に連絡をとりました。

 夜更けでしたので、2人の子どもがいる長女にはつながらず、次女にのみつながり、万が一の時のために、遺言めいたことを口にし、次女から叱られました。

 カテーテル検査の結果、「冠攣縮性狭心症(かんれんしゅくせいきょうしんしょう)」と診断されました。心臓の動脈が痙攣を起こしたのだそうです。痙攣の発作を起こしているその時期には、動脈が収縮し、血流が送れなくなってしまう。そんな危険な状態だったそうです。投薬によって、痙攣を鎮静し、病状はひとまず落ち着きました。

 医師からは、心臓の動脈につまりや狭くなっているところが発見された場合は、金属製のステントを入れて、血管内で広げる処置をただちに行う、と告げられていました。あらかじめ心の準備ができていたわけではないので、非常に緊張しましたが、ひたすら深呼吸を心がけ、パニックに陥らないように心がけました。

 幸い、動脈がつまっている箇所はありませんでした。

 医師からは、心臓の動脈の攣縮を招いたのは、仕事のしすぎであり、複合的なストレスのためだ、と診断されました。仕事やIWJの運営のことがいっときも頭から離れず、なかなか寝付くことができない、過剰な交感神経優位の状態が続いてきたということは、自他ともに否定のできない話です。

 しかし、常に緊張を強いられる状態から、急にリラックスできるようになれるわけではありません。北海道から帰京したのち、どうしてもIWJの経営者として出席しなければならない打合せの場で、またも血圧と心拍数が急上昇し、帰宅後に二度目の救急にかかることになってしまいました。2月25日(水)のことです。

※これまでの経緯はこちら

 ここまでは皆様にもご報告した通りですが、実は、まだ皆様にご報告しなければないないことがあります。

 翌週、テレビ出演もお休みし、医師に強く勧められて、東京から離れて静養したことは、皆様にもお伝えしました。過労、ストレスを軽減するため、医師に「転地療養」を強く勧められたため、3月3日(火)から6日(金)まで、湯河原で湯治を試してきました。

 しかし静養の初日、夜になると心拍数が急上昇。鎖骨の下が痛み、首でも絞められているように、呼吸が苦しくなりました。再び、帯広で心臓発作を起こしたときと同じ症状に見舞われたのです。持っていたニトログリセリンのスプレーを舌の下に噴霧し横になりましたが、苦しさは楽になりませんでした。

 すでにスタッフが帰京の途についていたため、部屋では一人。旅館の人に救急車を呼んでもらいました。約30〜40分かけて、旅館から20キロ以上離れた小田原市の救急病院に搬送されました。

 この搬送の間は、時間が長く感じられ、本当に苦しい思いをしました。

 搬送された救急の処置室の、私のすぐ隣のベッドには、真っ黄色の顔をした若い男性が運ばれてきました。心臓マッサージをすぐ横で始め、ご臨終に。黄疸の出ていたその男性は、肝硬変で自宅で吐血して、救急搬送の時点で心肺停止だったそうです。

 そんな人を、横目で間近に見ながら、私は私で、息が苦しくて、足をバタバタさせてもがいていました。

 発作から時間が経っていたためか、自分でニトロを使用したためか、発作が心臓の攣縮によるものかどうかの確定診断は下されませんでした。

 夜中の2時、症状が落ち着くと、帰宅するように言われ、「今夜また症状が悪化したら再び救急で来てください。その時は即刻、入院となります」と告げられました。湯河原では、結局、残り三日間、ひたすら寝込んでいました。

 帯広で倒れてからわずか2週間の間に、合計3度も救急搬送されたことになります。これは、私自身にとっては本当にこたえました。一回目は、何が起きているのかわからず、突然の嵐が去った後は、こんな事態に陥るのはこれきりのことのように思え、今後のことに関しては、ある意味では楽観的でもありました。

 二回目も、もちろん不安になりましたが、静養が足りないからだという理由が見当たりました。しかし、三回目は、発作時の苦しさが一回目に匹敵するものだったこと、静養先で倒れてしまったこと、連続して起こったことで、これはやはり一回性の出来事ではなく、今後も継続的に見舞われる可能性が高いのだと思い知らされ、落ち込まざるをえませんでした。

 「攣縮は厄介だ。一度起きたらまた起こる。2度起きたら、三度起こる」とは、北海道がんセンターの西尾正道名誉院長から言われた言葉です。3度起きたのだから、4度目もあるかもしれない。その時は入院も覚悟しないといけません。湯河原から戻り、その準備をひそかにしつつ、3月10日(火)のモーニングバードに出演しました。

 幸い、帯広で一回目の発作に襲われてから3週目のこの一週間(3月9日月曜日〜3月15日日曜日)は、大きな発作に見舞われることなく、無事に過ごすことができました。薬の調節がうまくいき、安静の効果が出てきたのだと思います。

 このたびの、ひとまずの仕事の復帰に際しても、これまでと同じようなハードワークの状態に戻ったら、同じ結末が待っているだけであると、医師からも念を押されました。そうなって、次は生還できるという保証はありません。復帰と言っても、仕事量を4分の1程度に落とすことを目標とし、最低限、週に一回は、出社しない日を作るなど(それでは休んでいるうちに入らないというご心配の声が聞こえるような気がします)、働きづめだったこれまでの姿勢を改めたいと思います。

 今後ずっと、狭心症の薬であるニトログリセリンは手放すことができません。ニトロの錠剤を入れたペンダントを胸から下げ、片手にニトロのスプレーを握りしめて、血圧計をにらみながら、そろりそろりと綱渡りではありますが、慎重に仕事を始めていきたいと思います。

 冒頭でお詫び申し上げた通り、マネジメント面での懸念事項は溜まりに溜まっています。まずは、みなさまへの諸々の対応への改善に集中し、傾きかけたIWJの収支を改善し、そのうえで、発作が出ないように気をつけながら、ジャーナリストとしての仕事に注力しようと思います。

 すでにお伝えしているとおり、会員数の減少により、IWJの財政は厳しいものとなっています。私個人の乏しい財産をつぎ込んで支えてきたのも、もはや限界です。近いうちに、前期の決算と、私とIWJの間の貸借の数字もきちんとお知らせいたします。

 規模を縮小するなどしても、IWJの活動はなんとしても継続させていきたいと思っています。皆様には、今後とも、IWJの活動をご支援いただければと存じます。どうぞ、よろしくお願いいたします。

岩上安身 拝

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「【岩上安身よりみなさまへ】お詫びと、ひとまずの復帰のご報告 ~2週間で3回の救急搬送を乗り越えて」への1件のフィードバック

  1. Junia@serenahrm より:

    先日初めてIWJにアクセスして、志位和夫と、長島昭久へのインタビュー観ました。伊大学で哲学、国際政治学など必死で勉強してきて15年、このところ急に日本の政治の先行きが心配になり、Web上で日本の新聞、大好きなWikipediaなどで情報集めしていたところでした。岩上さんのインタビューで日本政治の現状、問題点がとても良くわかってきました。ついでに、Wikipediaの岩上さんについてのページのリンクで、「自由法同協会」の存在について知り、「記者クラブ」など日本の報道の問題点などについて読みました。イタリアではIl fatto quotidianoという新聞が、Marco Travaglioという有名なジャーナリストを編集長として(有名な故インドロ・モンタネッリの秘蔵っ子)、やはり独立系で頑張っています。他新聞社の様に国の資金援助を受けず、特定団体からの出資も受けず、個人からの寄付を募って。大病から半年、岩上さんビデオにも登場していますが、もう回復しましたか。健康には十二分注意して、独立系ジャーナリストとしての活動続けてくれること期待しています。私としては、国民暫定連合政府実現させ、ぜひ選挙法改正してほしいのですが:1)供託金制度廃止(=金権政治廃止)、2)小選挙区比例代表「併用制」(ドイツ式)などで投票率と議席率を一致させ、民意を反映させてほしい。そして、憲法改正で3)司法独立(=三権分立)、4)Abrogative Referendum、イタリアの様に国民投票により出来上がってしまtった法律を無効にできるようにする、というのが夢なのですが。

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