第1回の続き。
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◆第二章 ブッシュ大統領の「あたらしい戦争」◆
1 「戦争」ってなんだろう?
2001年9月11日のアメリカの同時多発テロ事件以後、世界が変わりました。ブッシュ大統領は、同時多発テロへの仕返しのために行なった、アフガニスタンに対する武力行使を、「あたらしい戦争」と主張しました。「21世紀はあたらしい戦争の時代になった」と公言し、イラクとの戦争を始めました。
ブッシュ大統領の言う、「あたらしい戦争」とは、どのような意味をもつのでしょうか?
そのことを理解するために、まず、20世紀以前の「戦争」について、基本的なことをふまえておきましょう。
「戦争」は、「国と国のケンカ」とよくいわれます。
辞書によって多少のちがいがありますが、「戦争」という言葉はふつう「国家と国家が、自国の意思を相手国に強制するために、武力によって争うこと」として使われます。
つまり、「戦争」とは、国家間の状態を表す言葉なのです。個人や特定の団体どうしの争いごとは、「戦争」とはいいません。国家とテロ組織の戦いも、本来は「戦争」ではありません。
私たちは自分の周囲の人たちといろいろなつきあい方をしています。顔を合わせればあいさつをする人、顔は知っていてもあいさつもしない人、何でも相談できる親友、いっしょに遊ぶと楽しい人、会えば必ずケンカになる人、性格は大きらいだが、仕事の上でどうしてもつきあわなくてはならない人……。といった具合に、自分の必要や好みや事情に応じていろいろなつきあい方をしています。
国家と国家のつきあい方も、私たちと周囲の人たちとのつきあい方と似たところがあります。親友のような関係もあれば、険しい顔つきをゆるめない関係もあります。実際にケンカしている関係もあるわけです。
このような国家間の状態は、平和状態と、準戦時状態と、戦争状態分けることができます。
地球上には191(2003年6月現在)の独立国家があります。独立国家は[領土・人民・独立した統治体(中央政府)]の三要素を備えていなければなりません。
領土が広い国・せまい国、経済的にめぐまれた国・貧困に苦しむ国・資源にめぐまれた国・資源にとぼしい国、人口が多い国・少ない国、社会主義国家・共産主義国家・資本主義国家、大統領がいる国、王様がいる国など、世界にはさまざまな国家があります。
アメリカ合衆国のように大統領を国家元首にする議会制民主主義の国もあれば、イラクのように大統領独裁の国、イギリスや日本のように議会制民主主義で首相を決める国もあります。
私たちは個人的な事情や好みでだれとどういうつきあいをするかを決めますが、国家と国家は、好ききらいだけでつきあい方を決めるわけではありません。ふつうは自国の国家的利益(国益)を最優先にして、他の国家とのつきあい方を決めます。例えば、資源の貧しい国であれば、資源の豊富な国と友好的な関係を結ぶことは、国益になるといえるでしょう。
国家と国家がどのようなつきあい方をするかは、国家間で条約を締結(結ぶこと)して決めておきます。
日本国も、外交や通商や安全保障等に関して、世界中のいろいろな国と条約を結んでいます。
「平和」とは、国家間で友好的な条約を結び、武力攻撃しないという約束をしている状態です。
しかし、国家と国家のあいだにはさまざまな利害の対立があります。経済的な利害の対立、領土問題、資源の争奪(うばいあい)、国家の安全保障に関する問題などをめぐって国家間に紛争(もめごと)が生じることがあります。
その紛争は、「平和」な国家間であれば、できるかぎり話し合いによる解決をめざします。しかし、話し合いでは解決できない紛争になってしまったとき、国家は「戦争」という手段を行使することができる権利を持っているのです。独立国家だけが、この交戦権を使って、「戦争」をすることができるのです。
2 アメリカは「交戦権」を無理やりに行使した
交戦権とは、国家が戦争をすることができる権利ということです。独立国家はすべて、この権利を持っています。
ですから、この交戦権というものがあるかぎり、戦争は起こるものなのです。
交戦権は、国家が戦争を行う意思があると表示して、初めて発動されます。その意思表示は当事国両方が行わなくても、一方が交戦の意思を表示すれば、それでよいとされています。このばあい、戦争をしかけられた相手国(戦う相手となる国)は、たとえ戦争をやりたくなくても、断ることはできません。
戦争は約束事や条約ではありませんから、当事国両方の合意は必要なく、一方だけの交戦の意思とその意思の表示さえあれば、相手国の意思とは関係なく、戦争が成立するのです。
さて、このたびのイラク戦争は、アメリカが世界中の反対をおしきって、この「交戦権」を行使した戦争でした。
ブッシュ大統領が主張する「あたらしい戦争」とは、これまで見てきたような「国と国の戦い」ではなく、「国籍のないテロ組織との戦い」へと、戦争の解釈を広げるものでもありました。同時多発テロ直後のアフガニスタン攻撃は、このテロ事件をひきおこしたと見られる組織アルカイダの壊滅が目的でした。
このたびのイラク戦争も、もともとはその延長線上にあるものでした。テロ組織は、一国だけでなく多くの国々にまたがっているといわれます。イラクはこのようなテロリストたちをかくまい、支援する国の一つとして、アメリカの攻撃対象になったのです。
しかし、このイラク攻撃には世界中から反対の声が上がりました。アフガニスタン攻撃の際には賛成した国々の中からも、今回は反対する国がたくさん出てきました。
それは、アメリカがイラクを攻撃するために必要な、理由づけが不十分だったからです。
フランス、ドイツ、ロシア、中国などが、イラクへの武力攻撃に反対したため、国連の承認はありませんでした。
さらに、世界中で反戦運動が起きました。アメリカ国内でも反戦をうったえる声は数多くありました。
しかし、アメリカの上・下院議会は大統領に「交戦権」を発動する権限をあたえたので、ブッシュ大統領は多くの反対をおしきって、戦争を始めました。ブッシュ大統領が「戦争をやる」と決めたことに対して、だれも止めることはできなかったのです。
一度決めた独立国家の交戦の意思を、他の国々や、その国の国民個人がはばむことはできません。国家が「交戦権」を持っているかぎり、戦争は止められないのです。
とはいえ、世界中の人々が望まない戦争をする国は、国際社会から孤立してしまうでしょう。国内の人々が望まない戦争をする大統領は、次の選挙で落選してしまうかもしれません。
アメリカにしても、イラクを攻撃するためには、世界中の人々を納得させるような理由づけが必要でした。ブッシュ大統領は、イラク戦争の正当性を、国際世論にアピールしなければなりませんでした。そこで、「大量破壊兵器とテロの脅威から世界を守るための戦争だ」とか、「独裁的な政権からイラク国民を解放するための戦争だ」など、いろいろな説明をしました。
しかし、フセイン政権が大量破壊兵器をかくし持っているという確かな証拠を示すことができないまま、戦争を始めることになってしまいました。
そこで、アメリカはしだいに「イラクの解放戦争」をより強くアピールすることになりました。フセイン大統領の独裁下で苦しい生活をしているイラク国民を解放して自由と平和をあたえるというのです。
けれどもイラクが戦争に敗れて、フセイン政権がたおれると、その時点でイラクは主権を失い、独立国ではなくなります。
そして、アメリカ・イギリス軍の統治下に置かれることになります。そのとき、イラク国民がどう考えるかが問題です。
A・アメリカに侵略されて征服された。
B・アメリカのおかげでフセイン政権から解放された。
AとBでは、戦争の意味が正反対になります。
開戦前にアメリカは、「戦争が始まれば、多くのイラク国民は解放と自由を求めてアメリカ・イギリス軍に協力して、フセイン政権を打倒するために立ち上がるだろう」と予想していました。実際、開戦直後には、アメリカ・イギリス軍を歓迎しているイラク国民の映像が流されました。
しかし、この映像はイラク国内のすべての雰囲気を伝えるものではありませんし、戦争をしかけたアメリカにとって都合の良い場面だけが放送されたのではないかと疑問視する人もいます。
戦争のほんとうの姿をメディアが伝えるのは難しいことです。まして、メディアというフィルターを通して視聴者が戦争のほんとうの姿を知るのはもっと難しいことでしょう。
いずれにせよ、このたびの戦争を、イラク国民が実際のところどのように受け止めたかが問題です。Aならば、イラク国民にとって「悪い戦争」、Bならば、「良い戦争」ということになるわけですが、そもそも戦争に「良い」も「悪い」もあるのでしょうか?
テロとの戦いにせよ、イラク国民の解放にせよ、戦争を始めるからには、少なくともその正当性を国際社会がきちんと納得できることが必要です。それが民主的な国際社会のルールです。しかしアメリカは、その正当性を十分の説明できないまま、かなり強硬に「交戦権」を発動しました。
そして、ひとたび始まった戦争では、多くの人々が殺されたり、傷つけられたり、家を失ったりしたのです。
3 戦争を起こさないために
「戦争は政治の手段だ」というクラウゼヴィッツ(『戦争論』の著者)の言葉は有名です。
19世紀には、戦争は国家と国家の間に生じた紛争を解決するための有効な手段だという考え方が色こくありました。
自国の意思をつらぬくために、相手国に、兵力の動員をかけ、武力をちらつかせておどすことが有効だと考えられていたのです。戦争をしかけ、それに勝てば相手国を思いどおりにすることができます。
しかし、戦争は結果として、当事国はもちろん周辺の国々も巻きこんで、大きな被害をもたらします。近代以降の戦争は、それまでになく多くの国々を巻きこみ、計り知れない死傷者を出すようになりました。
そのため、このような戦争を反省する空気が生まれました。戦争を起こさない、あるいは、戦争が起きても被害を最小限に食い止めるために、国際的な努力が必要だと考えるようになってきたのです。
国家の上に立って、すべての国家に命令できる国家はありません。戦争を禁止できる、世界政府のような組織もありません。ですから、独立国家が「交戦権」を行使しようとするとき、それを止めることは難しいのです。
しかし、「交戦権」の行使は止められないからあきらめようということになると、世界の歴史はどのような歩みとなるのでしょうか。戦争は政治の一手段であり、国家の目的を達成するために戦争をやるのは当然の権利で、人類社会から戦争を根絶するのは不可能で、人類は果てしなく戦争をくり返すしかない、ということになってしまいます。
しかし、一九世紀末から20世紀にかけて、人道的な立場から、戦争のルールを作り、戦争の被害をなるべく少なくしようという気運が高まりました。
ロシア皇帝ニコライ二世は子どものころ、ロシア帝国とオスマン帝国(トルコ)の戦争(クリミア戦争)を経験しました。この戦争で多くの兵士が戦死し、ケガをしました。兵士や遺族が悲しみ苦しむのを見たニコライ二世は、できることなら軍備の拡大競争をやめ、国家間の武力衝突をさけたいと考えるようになりました。
戦争を完全になくすことはできないとしても、各国の「交戦権」の行使に制約を設けたり、大きな被害をもたらす兵器の使用を禁じることで、やりたい放題好き勝手に戦うことを防ごうと考えました。
そこで、世界各国に提案し、オランダのハーグで、第一回万国平和会議(1899年5月18日~7月29日)を開き、数回の会議を重ねました。
そして、参加国は、次のような「万国平和会議最終決議書」に署名しました。
第一 国際紛争平和的処理条約
第二 陸戦の法規慣例に関する条約
第三 1864年8月22日「(赤十字)ジュネーブ条約」の原則を海戦に応用する条約
第四 空中よりの爆弾投下を禁止する宣言
毒ガス禁止宣言
ダムダム弾禁止宣言
(*=体内で破裂して人体を損傷させる弾丸)
参加国は一応決議をしました。しかし、これらの条約の効力を十分発揮させることはできませんでした。実はこのとき、参加国の多くが国内外に複雑な諸問題をかかえていて、軍備縮小を本気で望まなかったからです。
皮肉なことに、この決議から間もなく、万国平和会議開催を呼びかけたニコライ二世のロシア帝国と大日本帝国は戦争を始めてしまいました。日露戦争(1904年2月10日~1905年9月1日)です。両国は中立国アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の講和(戦争を終了させ、平和を回復させる合意)の仲介(とりもち)を受け入れ、ポーツマス条約を締結して終了させました。日本は優勢のうちに講和を結びましたが、死傷者は約12万人をこえ、戦費は17億円の巨額に達しました。
日露戦争終了から2年後の1907年6月15日、アメリカ大統領の提案、ロシア皇帝の招き、オランダ皇帝からの呼び出しという形で、ハーグで第二回万国平和会議を開きました。
参加国は第一回万国平和会議で決めた人道博愛主義を基本として、会議を重ねました。そして、開戦、陸戦、海戦、中立など戦争に関する重要な条約を作りました。これらの条約を締結した国家のあいだで戦争をするばあいは、この条約に従って戦争をやることに決めたのです。これらの条約を戦時国際法といいます。
こうして「戦争のルール」づくりが進んでいったのです。
第二回万国平和会議最終決議書
第1条 国際紛争平和的処理条約
第2条 契約上の債務回収のためにする兵力使用の制限に関する条約
第3条 海戦に関する条約
第4条 陸戦の法規慣例に関する条約
第5条 陸戦における中立国および中立国人民の権利・義務に関する条約
第6条 開戦の際における敵の商戦の取扱いに関する条約
第7条 商戦を軍艦に変更することに関する条約
第8条 自動触発海底水雷の敷設に関する条約
第9条 戦時において海軍力をもってする砲撃に関する条約
第10条 赤十字条約の原則を海戦に応用する条約
第11条 海戦における捕獲権行使の制限に関する条約
第13条 海戦の場合における中立国および中立人の権利・義務に関する条約―以下略
これらの条約をハーグ条約、ハーグ平和条約と呼びます。戦争法、戦時国際法として現在でも効力をもっており、重要な役割を果たしています。
しかしながら、20世紀に人類は、さらに被害の大きな戦争をくり返してしまいます。
そして、そのたびに、どのようにしたら戦争を起こさないための国際的な体制づくりができるかを、いろいろと試みることになり、第一次世界大戦後の国際連盟、第二次世界大戦後の国際連合(国連)が生まれました。ここにもハーグ条約、ハーグ平和条約に始まる国際協調の精神が生かされているのです。
20世紀になってから、人類は国際紛争を平和的に処理するための努力を始めたという事実を、私たちはよく記憶しておく必要があります。
今回のアメリカ・イギリス軍によるイラク攻撃が、国連決議を得ないままで進められたのは、この国際協調の精神をないも同然にする行為といえるでしょう。
この戦争の結果の善し悪しについて、現段階で論じるのは難しいことです。しかし、少なくともこのように一国の強引な主張だけで、戦争が始まってしまうことは、危険なことといえるでしょう。「あたらしい戦争」の名のもとで、このような戦争が、これからもくり返されるとすれば、21世紀はふたたび戦争の時代となってしまいます。そのような状況に、何らかの歯止めかけることはできないのでしょうか?今後の国際社会には大きな課題が残されています。
(第3回に続く)
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山中恒・山中典子著『あたらしい戦争ってなんだろう?』 第三章「兵器が戦争を変える」(IWJウィークリー32号より)
■山中恒・山中典子著『あたらしい戦争ってなんだろう?』
- 山中恒・山中典子著『あたらしい戦争ってなんだろう?』 第一章「同時多発テロからイラク戦争まで」(IWJウィークリー第30号より) 2015.2.13
- 山中恒・山中典子著『あたらしい戦争ってなんだろう?』 第二章「ブッシュ大統領の『あたらしい戦争』」(IWJウィークリー31号より) 2015.2.14
- 山中恒・山中典子著『あたらしい戦争ってなんだろう?』 第三章「兵器が戦争を変える」(IWJウィークリー32号より) 2015.2.15
- 山中恒・山中典子著『あたらしい戦争ってなんだろう?』第四章「イラクの石油問題の始まり」(IWJウィークリー33号より) 2015.2.17
- 山中恒・山中典子著『あたらしい戦争ってなんだろう?』第五章「第一次世界大戦と石油」(IWJウィークリー34号より) 2015.2.19
- 山中恒・山中典子著『あたらしい戦争ってなんだろう?』第六章「イラク戦争は侵略戦争か?」(IWJウィークリー35号より) 2015.2.20
- 山中恒・山中典子著『あたらしい戦争ってなんだろう?』第七章「『自衛のための戦争』とは何か?」(IWJウィークリー36号より) 2015.2.21