山中恒・山中典子著『あたらしい戦争ってなんだろう?』第六章「イラク戦争は侵略戦争か?」(IWJウィークリー35号より) 2015.2.20

記事公開日:2015.2.20 テキスト
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◆第六章 イラク戦争は侵略戦争か?◆

 前章までに述べてきた、
 「兵器」の開発競争
 「石油」の争奪戦

 この二つの争いは、20世紀の戦争を考えるうえでの大切なキーポイントです。もちろん、すべての戦争が「石油」だけに起因しているわけではありません。戦争の原因は、国と国のさまざまな利害の対立にあります。中でも経済的な利害関係のうえで、「石油」は国家間の大きな問題だといえるでしょう。

 20世紀が終わりに近づくにつれ、この二つの争いの頂点に立つ国は、だれの目にもはっきりしてきました。それはアメリカです。アメリカは、圧倒的な軍事力と、圧倒的な経済力を持つ、世界で唯一の超大国になったのです。

 そして、21世紀の初めに起こった、同時多発テロが、この超大国アメリカを「あたらしい戦争」へと目覚めさせました。

 ブッシュ大統領は、「正義と自由のための戦いだ」として、アフガニスタンのタリバン政権をたおし、続いてイラクのフセイン政権をたおす戦いを始めました。

 政権がたおされ、主権を失った国は、もはや独立国家ではありません。そこでアメリカは、「独裁制から民主制への移行をさせる」という理由で、軍を駐留させて統治下に置き、そこに親米的な政府の樹立をめざすわけです。

 しかし、このようなアメリカのやり方は、世界最強の軍事力にものいわせ、他国の政権をたおし、自分たちの思いのままになる国につくりかえようとする侵略的な行為のようにも考えられます。

 アメリカがしかける「あたらしい戦争」は、解放のための戦争なのでしょうか?それとも侵略のための戦争なのでしょうか?

 今回のイラク戦争が、国際法違反の「侵略」行為になるのではないかという批判があることは、先の章で述べました。

 「侵略」という言葉は、はじめ「不法な武力行動」という広い意味で使われていました。国際法や国際政治上で重要な問題として「侵略」が論議されるようになったのは、第一次世界大戦以後です。

 第一次世界大戦は、多くの国々を巻きこみました。戦争に参加した国々は、多大の戦費を使って国土を荒廃させ、大量の戦死者を出し、一般市民も大きな犠牲をおしつけられました。また、戦場とされた場所の復興にも多大の資金が必要でした。

 ですから戦後には、このような被害の大きな戦争を起こさないための国際的なルールづくりが必要だという意見が世界中で強まりました。

 そして、戦争を制限し平和を維持するために、戦勝国が中心となって国際連盟をつくりました。平和と安全をおびやかす「侵略」に対しては、連合して制裁を加え、戦争が起こらないように軍事行動を制限しようとしたのです。

 そこで、国際法上の「侵略」「侵略者」をどのように定義するかが問題になり、第一次世界大戦後、「侵略」という言葉は一種の流行語になりました。何度も会議を開いて「侵略国」とは何か、だれがどのように「侵略国」を判定するのかを議論しましたが、とても難しい問題でした。

 ともあれ、自国の利益のために他国を武力で攻撃するような戦争を、禁じることが重要です。そのための条約を国際間で締結し、その条約に違反して戦争を始めることを「侵略」とみなすことにしたのです。

 1923年の第四回国際連盟総会で次のような「相互援助条約案」が立案されました。

第1条 締結国は、侵略戦争が国際犯罪であることを確認し、他のいずれの国に対しても自らこの犯罪を犯さざるよう厳粛に約束する。

 ふつう、国家間の取り決めは条約を結んで決めます。そこで戦争をやらないことを決めた条約を無視し、違反を犯して戦争を始めることを、「侵略」とみなすことにしたのです。

 この定義の基になる条約ができました。それが「戦争放棄に関する条約」(不戦条約)(1928年)です。

第1条 (戦争放棄) 締結国は、国際紛争解決のため戦争に訴うることを非とし、かつその相互関係において国家の政策の手段としての戦争を放棄することをその各自の人民の名において厳粛に宣言す。

第2条 (紛争の平和的解決) 締結国は、相互間に起ることあるべき一切の紛争又は紛議は、その性質又は起因の如何を問わず、平和的手段に依るの外これが処理又は解決を求めざることを約す。

 要約すれば、この条約の締結国は、政治的な手段として戦争をすることを放棄し国と国のあいだの紛争は、平和的な手段で解決することを約束する、ということになります。

 戦争を制限するために生まれた条約を、歴史の順に見てみましょう。

1 ポーター条約(契約上の債務回収のためにする兵力使用の制限に関する条約)(1907年 ハーグ平和会議)

 日露戦争後、ロシア皇帝の提案により、ヨーロッパ諸国、ラテン、アメリカ諸国、アメリカ、日本、中国などが参加。

2 ブライアン条約(1913年―1914年)

 武力使用のモラトリアム(*=実行を延期すること)
 一定の期間、戦争に訴えるのをひかえ、事態の落ち着きをはかり、戦争をさけようとするもの。アメリカが欧米一九か国と締結。

3 国際連盟規約(1919年)戦争の手続き的制限

 第12条1項 連盟国は、連盟国間に国交断絶に至るおそれのある紛争が発生するときは、当該事件を仲裁裁判所もしくは司法的解決または連盟理事会に付すべし。

 第13条4項 連盟国は、一切の判決を誠実に履行すべく、かつ、判決に服する連盟国に対して戦争に訴えざることを約束する。

 第15条7項 連盟理事会において、紛争当事国の代表を除き、他の連盟理事会員全部の同意ある報告書を得るに至らざるときは、連盟国は、正義公道を維持するため必要と認める処置をとる権利を留保する。(戦争禁止の抜け道になり、正義公道のための戦争が可能となる)

4 相互援助条約案 (1923年・未発効)……前出

5 ジュネーブ議定書 (1924年・未発効)・戦争の放棄

 未発効に終わった相互援助条約を条約化。総会では満場一致の採択であったが、批准が一国のみで、これも未発効に終わる。イギリスが消極的であった。

6 ロカルノ条約 (1925年)攻撃の禁止・正当防衛の権利

 相次ぐ国際平和文書の未発効を反省し、ジュネーブ議定書などがめざした世界的集団安全保障ではなしに、個々の条約締結国を規制する地域安全保障にねらいを変更。イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、ベルギーが参加。

7 戦争放棄に関する条約 (1928年)……前出

a国家の政策の手段としての戦争の禁止

8 ラテンアメリカ不戦条約(不侵略および調停に関する条約)(1933年)

a侵略戦争の禁止
 アルゼンチンの提唱で、アルゼンチン、ブラジル、メキシコ、チリ、パラグアイ、ウルグアイのあいだで締結。同年12月、ラテンアメリカのほとんどの国が参加。

9 「侵略の定義に関する条約」(署名1933年7月3日・効力発生1934年2月17日)

第2条 [侵略の定義] よって次の行為の一を最初に行った国は、紛争当事国間に実施中の協定の留保の下に、国際紛争おける侵略国として認められる。
一、 他の一国に対する開戦の宣言
二、 開戦の宣言がなくても、右の国の兵力による他の一国の領域への侵入
三、 開戦の宣言がなくても、右の国の陸軍、海軍または空軍による他の一国の領域、船舶または航空機の攻撃
四、 他の一国の沿岸または港の海上封鎖
五、 各自の所属領域において編成されて他の一国の領域に侵入した武装部隊に対する支援の付与、または、被侵入国の要求があるにもかかわらず、右の武装部隊からすべての援助もしくは保護を奪うために、各自の領域においてなしうるすべての処置をとることの拒絶

10 「国の権利及び義務に関する条約」 (署名1933年12月26日、効力発生 1934年12月26日・当事国14)

 第8条[不干渉]いかなる国も、他国の内政または外政に干渉する権利がない。

 第10条[平和の維持]国の最大の関心は、平和の維持である。国の間に生ずるいかなる種類の紛争も、承認された平和的方法によって解決しなければならない。

 そして、第二次世界大戦後につくられた国際連合憲章(1945年)の中で、武力行使の原則的禁止が盛りこまれています。

国際連合憲章

第2条3 すべての加盟国は、その国際的紛争を平和的手段によって国際の平和および安全ならびに正義を危うくしないように解決しなければならない。

第2条4 すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇または武力の行使を、いかなる国の領土保全または政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。

 さらに一九七四年に、国連憲章の下で、「侵略」の定義が作成されました。これによって、侵略とは

 イ 兵力による他国の領域への侵入もしくは攻撃、その結果たる軍事占領または武力行使による他国の領域の併合
 ロ 兵力による他国の領域に対する爆撃その他武器の使用
 ハ 兵力による他国の港、沿岸の封鎖
 ニ 兵力による他国の陸海空軍また船隊、航空機隊の攻撃
 ホ 合意に基づき他国内にある兵力の駐留条件に反する使用または期間を超える駐留継続
 へ 第三国に対する侵略行為のための自国領域の使用承認
 ト 上記に該当する武力行為を実行する武装隊、集団、不正規兵または傭兵の派遣またはかかる行為への実質的関与

 これをまとめると、次のようになります。

 「侵略とは、武力を先制的に使用することによって、他国に侵入したり、国境を封鎖したりすることによって、事態の変更をしようとする意思をもってなされる行為」

 つまり侵略とは
1、武力の使用
2、先制攻撃
3、事態変更の意思

 この三つの要素をもった行為ということになります。

 この定義をふまえたうえで、イラク戦争を考えてみると、アメリカは1~3のすべてを世界に対して公言してきたことがわかります。

 ブッシュ大統領は、「アメリカは、イラクを先制攻撃することによって、フセイン政権をたおす」ことを主張しつづけ、国連の反対をおしきって、それを実行に移したのです。

 アメリカは、国連憲章の定義によれば、イラクを「侵略」したといえるのです。イラク戦争は、国際法上の「侵略戦争」にあたります。

 だから、「侵略戦争をやめろ」というプラカードを持って反戦デモに参加した人がいるわけです。

 にもかかわらずアメリカは、正義と自由のための戦争だという主張をゆずりません。

 そうなると、20世紀を通して、戦争を制限しようとする、国際的な努力はどうなるのでしょうか?第一次世界大戦、第二次世界大戦への反省の中から生まれた、国際連盟や、国際連合などの組織は、意味のないものになってしまうのでしょうか?

 「あたらしい戦争」は、いま多くの疑問を投げかけています。

(次号に続く)

■山中恒・山中典子著『あたらしい戦争ってなんだろう?』

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