2010年、2012年に続く第3回目となる核安全保障サミットが、オランダのデン・ハーグで2014年3月24日、25日の2日間開催された。
IWJでは、オランダ在住の中継記者、鈴木樹里さんが、現地の会場に入りサミットの模様を取材した。本稿では、鈴木記者が3日間にわたって取材に奮闘した様子を、本人による報告ルポとしてご紹介する。
デン・ハーグ(Den Haag)は、短くハーグ(英語ではザ・ヘイグThe Hague)とも呼ばれ、オランダ王宮や国会、中央官庁などの政治機能を擁する。オランダ最大都市のアムステルダムからは、南西方向の場所に位置する。
人口50万人弱の中都市であるが、国際司法裁判所をはじめ150もの国際機関が存在し、数々の国際会議の中心地となっている。日本でこの4月に発効した、国際的な児童奪取の防止を定めた「ハーグ条約」など、重要な国際条約の締結都市として、よく知られている。
また、1899年と1907年に「万国平和会議」が開催されて以来、ハーグは「平和の国際都市」として、世界平和に大きな役割を果たしている。今回のサミットにこの場所が選ばれた背景には、核兵器の縮小や核非拡散を通じて、世界をより安全にするという意図が込められている。
——————————————————–
「何から手をつけたらいいのか」――。
私にとって初めてとなる、国際的なサミットの取材。しかも、53か国もの首脳や代表者が一同に会する、オランダでも史上最大規模の国際会議になるという。
日本大使館からは、早くから、「サミットの会期中は交通渋滞が予想されるため、デン・ハーグにはなるべく来ないように」という通達が出されていた。
サミットには、各国の首相、大統領が来蘭し、オランダ・スキポール空港からハーグの会場までは、厳戒態勢が引かれていた。また、デン・ハーグ中央駅には多くの警察の姿がみられた。
このような状況で、果たしてどのような取材ができるのか、当初はまったく分からなかった。
サミットの前日に、安倍総理がアンネ・フランク・ハウスに!
私の最初のサミット取材は、思わぬ形で始まった。
サミットの前日23日に、安倍総理がアムステルダムにある「アンネ・フランク・ハウス(アンネ・フランクの家)」を訪問するという情報を聞きつけたのである。
アンネ・フランク・ハウスに取材を依頼すると、「日本大使館に連絡するように」とのこと。そこで大使館に連絡をしてみたが、「もう取材する記者は決まっている」と言われ、IWJは取材をすることはできなかった。
しかし、「ともあれ現場に行けば、何か収穫が得られるかもしれない」と思い、現場に行ってみることにした。
「安倍総理は午後3時半頃に到着」という話を、アンネ・フランク・ハウスのスタッフから聞いていた私は、午後1時頃、現地に向かった。
現地に到着すると、いつも通りアンネ・フランク・ハウスの前には、館内を見学する観光客の長い列ができていた。アンネ・フランク・ハウスはそれほど大きくないため人数制限があり、一定の人数になると中の人が出るまで次の人は入ることが出来ない。アムステルダムでも人気の観光地なので、いつも長い行列ができている。
列の様子を見に行くと、そこには「2時半から4時15分まで『特別訪問者』が来るため、アンネ・フランク・ハウスを閉館します」との張り紙がしてあった。
観光客は「どうしてそんな時間に閉館するのか、せっかく見に来たのに」と、不満を訴える人が続出した。スタッフは「特別な訪問者が来るため、閉館しなければならない。サミットがあるから仕方ない」と説明していた。日本の総理が来ることは隠していたようだった。
安倍総理の取材許可が降りていなかったので、総理が 入館・退館する際の撮影のみが可能だった。私は、オランダ国営放送のNOS、ロイター、日本のテレビ局の人たちと並び、安倍総理を2時間近く待つことになった。ドイツのジャーナリストと、「どうして日本でアンネ・フランクの本が破られているのか」などと会話をしながら、総理の到着を待った。
安倍総理は3時40分に到着し、あっという間に館内に入ってしまった。それほど警備は厳重ではなかったように思う。総理の乗っていた車以外には、2・3台の車があるだけだった。後述するが、オバマ米大統領の警備は、オランダ市民の間でも話題になるほど、厳重なものだった。
30分程館内に滞在した後、外に出てきた安倍総理に向かって、外で待っていた日本人達は「総理! 総理!」「総理! お疲れ様です!」などと声を上げた。その声に安倍総理は手を振って答え、去っていった。
▲アンネ・フランク・ハウス視察後、手を振る安倍総理
報道の重要性を閣僚自らが訴えるオランダ
私の最初のサミット関連の取材は、こうしてあっという間に終わってしまったが、同時刻にサミット開催地であるハーグでは、オランダ閣僚によるサミット開会の記者会見が行われていた。
ルッテ首相、ティマーマンス外相、そしてアートセン・ハーグ市長が参列し、主催国として今回のサミットを迎えるにあたっての抱負を語った。
その模様は以下の動画でご覧いただけるが、これまで数々の重要な国際会議をホストしてきたという自信と余裕が伝わってくる。
※Opening press conference NSS 2014(英語)
会見で特に目を惹いたのは、ティマーマンス外相が、今回のサミットにおける報道機関の役割について触れたことだ。
外相は、「(核問題という)複雑な問題を国民に伝えようと努力する、国内外のプレスに感謝します」と記者団に語りかけた。
さらには、「このような(核安全保障協議の)プロセスは、国民の世論によって支えられてこそ成功するものです」と語り、報道機関によるオープンな取材が非常に重要な役割を果たすという考えを示した。
▲サミット開会記者会見で語るティマーマンス・オランダ外相
今の日本において、閣僚が記者会見の場で、報道機関の活動に対して謝意を述べたり、国民への情報提供こそが重要だと発言することを想像できるだろうか。
ジャーナリストによる非政府組織である「国境なき記者団」が発表している「世界の報道自由度ランキング」では、オランダはフィンランドに次ぐ第2位にランキングされている。一方、日本は59位で、前年の53位からさらに順位を下げている。
政府が報道の自由を尊重する姿勢という点において、日本は国際社会に大きく水を開けられているのが現実なのだ。
※ハフィントンポスト 2014年02月12日「報道の自由度ランキング、日本また順位下げる 特定秘密保護法などが原因」
サミット1日目:プルトニウム返還合意の歴史的会見を取材