「あったものを、なかったことにはできない」と言ったのは、元文部科学事務次官の前川喜平氏だった。安倍晋三総理が「腹心の友」と呼ぶ加計孝太郎氏の加計学園獣医学部新設を巡って、当初はないとされていた「総理のご意向」と書かれた文書の存在を明言し、日本中に衝撃を与えた。
また、安倍総理に近いジャーナリストの山口敬之氏からレイプ被害を受け、警察に訴えた伊藤詩織さんの場合は、山口氏に出ていた逮捕状が、当時の警視庁刑事部長・中村格(いたる)氏によって逮捕直前に取り下げられ、「あったものが、なかったことにされる」という体験をしている。伊藤さんは、2017年10月24日の記者会見で、「警察や検察そのものにも、たくさんのブラックボックスが存在している」と話している。
「あったものを、なかったことにはできない」という前川氏の発言とよく似た「やってないことを、やったとは言えない」という言葉を口にし、また、その言葉を支えにして、検事の過酷な取り調べに耐えた人物がいる。身に覚えのない官製談合の嫌疑をかけられ、人権を蹂躙するような過酷な取り調べに耐えて、裁判で無罪を勝ち取った大阪府枚方市の元副市長、小堀隆恒氏だ。
▲元枚方副市長・小堀隆恒氏
枚方市が発注した清掃工場の建設工事は、2005年に一般競争入札を行い、大手ゼネコンの大林組を中心としたJV(ジョイント・ベンチャー)が落札した。この時、官製談合が行われたとして、2007年に大阪地検特捜部が鳴り物入りで捜査に乗り出し、大林組の顧問、大阪府警の警部補を逮捕。さらに、副市長の小堀氏と中司宏市長にまで捜査の手は及んだ。
2010年3月1日に行われた岩上安身によるインタビューの中で、小堀氏は、「(密室内の取り調べという)ブラックボックスの中で、その内容がなかなか表に出ていくことがない。誰かが事実を話していく事が必要だ」としている。期せずして、小堀氏も、前出の伊藤詩織さんのように「ブラックボックス」という比喩を用いていることに注意を向けよう。この国では権力が不当に行使される時、必ず密室、ブラックボックスの中で行われるのである。
学校法人森友学園への国有地売却をめぐって、2017年7月31日に元理事長である籠池泰典氏とその妻の諄子氏が「詐欺」の容疑で逮捕されて以来、半年以上にもわたり、いまだに不当な長期勾留と接見禁止が続いている。籠池氏と淳子氏の2人は、今や「国民の監視の目から切り離されたブラックボックスの中に閉じ込められているのだ。
「罪証隠滅のおそれがある」との理由で検察が保釈に反対し、裁判官がその主張に引きずられて保釈を認めず、自白しない被疑者を長く身柄拘束したあげく、検事の言いなりに調書を作成させられ、署名させられるという、日本の司法の悪弊、「人質司法」。
日本の刑事司法では基本的に否認をすると、初公判まで出られないというこの「人質司法」が半ば常態化しているため、容疑者は早く自由の身になりたいあまりに、虚偽の自白をし、真犯人は自分ではないのに、自分であると虚偽の記述がなされた検面調書(検事の面前取る調書、これは法定での証言よりも有効であると判断されがちである)に署名してしまうなど、冤罪事件の温床にもなっている。
そればかりか、大阪地裁は民事再生中の森友学園の元理事長である籠池夫妻の自宅を、2018年2月6日付けで強制競売にかける手続きを開始した。民事再生法とは何の関係もない「詐欺罪」での勾留中に、学園再生や自宅競売についての弁明や意思表示の機会すら与えられず、帰る場所さえ奪われるというのは、法的に瑕疵がないとはいえ、あまりに酷薄なやり口ではないのか。ブラックボックスに閉じ込められた、悲鳴を上げても外の世界に届かない籠池夫妻の「聞こえない悲鳴」を想像することができるだろうか。自宅を失う、というだけで、心はもう折れそうになっているはずである。
岩上安身はIWJの設立以前よりこの「人質司法」の問題点を追及し続けてきたが、今般、この籠池夫妻の長期勾留問題に際して、改めて世論を喚起するとともに、こうした残酷なブラックボックス刑事司法がいまだに用いられ、司法システムそのものが、人権を侵害している実態について、広く知らしめ、多くの人々に考えていただくために、ここにその原点ともなった2010年の小堀氏へのインタビューを再掲する。
小堀氏は、ブラックボックスの中で苦しめられ、侮辱され、生命の危機さえ感じながら、ついに真実を曲げずに生還できた、希有なサバイバーの1人であり、しかも体験した事実を語る勇気をもちあわせた例外的な証言者なのである。小堀氏の体験を聞けば、今、籠池夫妻がブラックボックスの中でどのような目にあっているのか、およそ想像がつく。
このインタビューの約1年後に東日本大震災と福島第一原発事故が起き、私たちは、自分たちの日常が何ともろい土台の上に成り立っているのか、驚かされたのだが、しかし、権力がいかにブラックボックスを必要としているかまでは見抜けなかった。
2012年12月、第二次安倍内閣を発足させてしまったのは国民である。しかしこの政権は、この国にさらなるブラックボックスを作り出すために、は特定秘密保護法や共謀罪を成立させ、さらに国民の目や耳をふさぎ、手足を縛るために、緊急事態条項をゴールとした改憲に向かってひた走っている。安倍政権こそは、究極のブラックボックス政権である。そのことを国民は理解していなかった、と言わざるをえない。
今、改めて、権力の横暴をリアルに体験した、ブラックボックスからのサバイバーである小堀氏の「冤罪をなくすために自分の経験を伝えたい」という熱意と、捜査機関での取り調べ過程をすべて録画・録音する「可視化」の訴えに耳を傾けてほしい。
公明正大に進めた清掃工場の建設事業で、まさかの「官製談合」疑惑! そして、自身も容疑者に!
岩上安身(以下、岩上)「よろしくお願いします。この度は本当に、無罪判決を勝ち取ることができて、本当によかったなと。そして、ご本人も周りの方々も大変安堵されていると思うんですけれども、そもそも、なぜですね、無罪ということは、つまり冤罪だったわけですけれども、そういう罪に問われてですね、強制捜査、逮捕、拘禁、起訴、そんな、ある意味強引な捜査の対象になってしまったのか。まず、この事件とその端緒についてお話うかがえますか」
小堀隆恒氏(以下、小堀氏)「私が実際その当事者になったということは、いまだに理解ができない部分もありますけれど、簡単に言いますと、枚方市で清掃工場の建設事業というのがありました。現在の施設が老朽化をして、どうしてもゴミを処理するのに支障をきたすということで、早く建設しなくちゃならん。もうひとつ、火葬所というのも同時にあったわけですれど、両施設とも、ま、言ってみりゃ、建設をされるその地域にとっては嫌悪施設というか、嫌われる施設です。ということから、昭和の50年代後半ぐらいから、早く計画を立てたということがありましたけど、地元から激しい反対運動が起こっておりました。で、歴代のトップには先送りをされてきた事業だったんです。その事業を平成7年に、新たな市長が誕生し……」
岩上「お名前は何といいますか」
小堀氏「中司(中司宏=なかつか ひろし氏)といいます。同じ事件の中で、高裁の訴訟を直前に控えているという状況にありますが、その市長が就任をして、やはり、いくら地元が厳しく反対されていたとしても、理解を得る努力を最大限にして、建設をしていく必要があるという判断をされて、長年の懸案事項であったのが、もうすでに喫緊の状況になっておりましたので決断をされた。それで、地元にずっと理解を求める努力を続けてきたんです。それで(平成)14年、15年頃から現実には、地元の少し耳を貸していただき、それまでは徹夜で話し合いをするようなことも何度もありましたですけれど、そういう状況の中で、予算取りも含めて、事業を組み立てていこうということになりました」
岩上「すいません、小堀さんはこの時、すでに副市長だったんですか」
小堀氏「15年の5月の22日に、当時の助役ということで、なりました。1年後に自治法の改正で副市長ということに名前が変更になるんですが、その時に、今清掃工場の両施設の、両施設の建設担当助役ということになったんです。2期目の19年の5月22日に、再度、副市長に再任をされて、その10日後に逮捕されたということなんです。そういう状況にあります。
ですから、非常に難航していた清掃工場の建設事業がやっと陽の目を見て、枚方市の事業として位置づける。しかし、当時の社会情勢から言うと、橋梁談合等、談合のニュースが新聞紙上の紙面を飾るような状況がありました。そういうことから、枚方市としても、これだけ大きな事業を何十年ぶりかでやるんだから、談合という、その忌まわしきことに関係するようなことが絶対ないように、公明正大な事業とするということを最前提に、契約制度の改革等を全国に先駆けて、いろんな手法を駆使をして談合防止に全力を挙げてきたという理解をしておりました。
その中で、事業は入札も済み、着々と進行している中で、19年の先ほど言いました、再任10日後の5月31日に、夕方、検察の5名ぐらいが部屋に、副市長室に入ってきまして、事情を聞きたいということで、地検に連れて行かれて……」
岩上「任意での事情聴取と言われたんですね」
小堀氏「そうです。事情を聞きたいということで。でしたら行きますよ、と言って行ったら、2時間あまり後の8時7分に逮捕状が執行されたということで、逮捕されたんです」
枚方市が「談合防止」の相談をしていた大阪府警「談合捜査のエキスパート」が業者と癒着、賄賂を受け取っていた!
岩上「ごめんなさい。いきなりの事情聴取、それから逮捕の、それまで、その当日までに何かしら兆候ってありました?」
小堀氏「そうですね、あの、今、申し上げている経過の中で、5月の29日、私が逮捕される2日前に、この事件に警察の捜査官、大阪府警の捜査二課の特捜のエースと言われた、エースというのは何のエース、談合捜査のエキスパートと言われた警部補に、先ほど言いました、公明正大な事業とするために、談合というような忌まわしき状況を起こらないように、警察の力を借りて、お力を借りてお知恵を借りて、指導していただきながら事業を進めていこうと、そういうひとつの前段の考えがあって、市長が府警のエース捜査官を紹介をしてくれた、ということです。それが、その彼が29日に逮捕されていた。
本当に驚きましたですし、談合防止のためにご指導いただいて事業を進める、それから、おかしなと言いますか、談合の噂等、そういうおかしな動きがあれば、彼が防波堤になってくれると、枚方のこの清掃工場という事業が、大阪府警のご指導を仰いで進めていくことで盤石になるという思いでおりました。その矢先に、談合罪で逮捕されたと」
岩上「この人は、その29日にお会いした時点では、ようするに普通に……」
小堀氏「それまでに、紹介されたのは、平成16年の1月16日なんです。それ以後、6回か7回、2年間で。30分、小一時間、私の副市長室で立ち寄られて……」
岩上「こういう点に気をつけてくださいとか……」
小堀氏「今の雰囲気がどういう状況かとか、それから、業者の状況はこんなことになっているとか、そういうような情報をいただいて、再度、身を引き締めて事業に取りかかるというようなことにしてきてた人でして、それが、すべて入札も終わり、事業がもう進んでいる中で、私の方も、もう一段落がついて安心をして、現場の事業進捗をみつめてたという状況の中で、急遽逮捕された、その2日間、私、私が逮捕されるまでの2日間は、マスコミ対応が、私の2日間の主な仕事といったら、そういうことになります。
それで、誠心誠意、こういうような談合に一切関わるような職務も含めて、事実はないと。警察の警部補ともあろう人が、業者と関わりをもって、ましてや賄賂をもらってたということは思いもしなかったということの弁明というか、事情説明をマスコミに対して行ってた。その2日経った、31日の夕方に、部屋から事情聴取で連れて行かれたところで逮捕された、という状況です」
岩上「これは、事件はそうすると、この前に始まってますよね」
小堀氏「かなり古い話のようです。私の全然知らないところで、裁判の中での、私の知り得たことで言うと、平成11年当時から、名前を出していいんですか、大林組の幹部とその警部補と、それから議員。一度だけ中司市長が、前市長が全然予告なしの中で同席をさせられたというような」
岩上「この警部補のお名前も」
小堀氏「平原といいます。今、服役していると思いますが」
岩上「この人が逮捕に来て、かつ談合にも関わっていたということですか」
小堀氏「はい、そうです」(*)
*注:大阪府警の平原氏は小堀氏を逮捕に来たのではなく、先に大阪地検によって逮捕されている。
岩上「非常に複雑ですよね、そういう意味では。びっくりしますよね」
小堀氏「ですから、私どもは……」
岩上「つまり、相談に乗る、ま、言ってみれば防犯ですよね。間違って法律の線を越えてもいけないから、いわば防犯的な意味もあって相談役として、ご相談のってた。ある日突然、今度は逮捕する側に回ってきた。そして、今度は裁判が始まったら、その人本人が、ずっと前から始まっていた事件の中の当事者として……」
小堀氏「あの、5月29日に、(私の逮捕の)2日前にすでに逮捕されたんですよ」
岩上「この人は、逮捕されたんですね」
小堀氏「逮捕されたんです。それで私どもが驚いたんです。なぜ警察の、私どもの相談に乗ってくれていた警察の方が、なぜ逮捕されるんだと」
岩上「平原さんが逮捕された。失礼しました」
小堀氏「それで、枚方市がどんな関わりがあるのかというような、マスコミ対応をしていた。先ほどのお話は言葉足らずでしたけど。そういうことで、青天の霹靂この上ないような話だったわけです」
「なぜ、私が!?」 発注側と受注側の間を巧妙に立ち回った警察官の逮捕、巻き込まれていく小堀氏
岩上「これは、一時停止的にちょっと申し上げますが、この事件はですね、関西ローカルではおそらく、いろいろ事件の経過は報じられたんだと思います。全国紙のレベルとか、全国の放送のレベルでは、これはあまり報じられていないんですね。だから、基本ラインと言いますか、事件の基本ラインを、まず、これインターネットで全国どこでも見れますから、全然知らない人が見るという前提で、申し訳ないんですけど、私もお聞きしますんで、事件のアウトラインをお話していただけるとありがたいんです。
途中になりましたが、もう一度戻りますが、編集しますから大丈夫なんですけど、とにかく、防犯のご相談に乗っていただいていた……」
小堀氏「防犯というか、この事業が公明正大な事業とするために、談合捜査のプロフェッショナルと言われていた大阪府警捜査二課の平原警部補にお力をいただく、ご相談をいただいて、ご指導いただいて、この事業をきちっと仕上げていきたいという思いの中で、依頼をした警察の方なんです。その方が、現実には大林組と結託をして、事業を大林組が取れるような談合画策をしていた、その張本人であったということがわかりまして、驚いたという、そういう経過なんです」
岩上「それが5月29日」
小堀氏「5月29日です」
岩上「で、マスコミ対応を……」
小堀氏「……していて、5月31日に夕方の5時過ぎだったと思いますけれど、検察官と思しき方が5名ほど私の部屋にドカドカッと入ってきて、今回の枚方の清掃工場に絡む事件について事情を聞きたい、事業経過等をいろいろ聞きたいということでしたので、『よろしいです。私、知る限りのことをお話ししましょう』ということでうかがいました。それで、大阪地検に着いたのが夕方6時少し過ぎていたと思います。それから、野口検事という方が、事業の経過、それから予算的なこと、それから入札の状況等についてご質問がありまして、私の知る限りのことをすべてお話しをした。
そしたら、忘れもしませんが、8時7分に急遽、逮捕状が執行されたというお話がありまして、逮捕するということです。私は何をおっしゃっているのか、ちょっと理解ができなくって、『なぜ、私が逮捕なのですか』ということで、何度もお聞きしました。で、彼らは、平原にペラペラしゃべったことが談合の共謀にあたるんだと、いうことでした。それ以外にキチッとした説明はいただけないままに終わったと思います。
それで、生まれて初めて、当然のことながら、手錠と腰縄をされて、その日は大阪拘置所に移動をさせられました。ちょうど、午後の10時前後だったと思います。その時には、もう時計からベルトからすべて外されてますので、時間的なことは定かではないですけれど。その程度の時間だったということだと思います。それからが21日間の、6月21日の起訴までの間、拘置所での調べが1日も休むことなく続いたということです」
「馬鹿野郎、クズ! 家族もどうなるか、わかってるやろな!」 椅子を蹴り飛ばし怒声を浴びせる検事
岩上「どうでしたか。その取り調べ、かなり過酷な厳しいものだったというふうにお聞きしていますけれども、具体的にどんな取り調べ状況だったのか教えていただけますか」
小堀氏「そうですね、どれだけ酷いかという、その物差しを現実に私自身が持っていませんので、わからないんですけど。自分が見聞きをしている状況とかで判断をする限り、もう想像を絶するようなものでした。