「人には、いろんな迷い、タブー、くやしさ、不条理がある。でも、行動そのものに、意味が宿ると信じている。意味は、今あるのではなく、これから起こすことに、意味が宿っていく」──。
2013年12月14日、京都市伏見区の龍谷大学深草キャンパスにおいて「東日本大震災・復興支援フォーラム─和合亮一講演会『福島に生きる、福島を生きる』」が行われた。福島県在住で被災した詩人の和合亮一氏は、震災後の状況をツイッターで『石の礫(つぶて)』として発信し続けたことで知られる。
「つながることを信じて、言葉を交わしあっている。また、自分たちの背中を見て、子どもたちも変わっていく。そして、将来、その子どもたちが変えていく。だから、自分たちは、後ろ姿を見せ続けなければいけない」と、詩人は言葉を紡いで語った。
放射能が降っています。静かな静かな夜です
冒頭、龍谷大学ボランティア・NPO活動センター長の筒井のり子氏が、「和合さんは、2011年3月16日、ツイッターに『放射能が降っています。静かな静かな夜です』と書き出したことで、世界的に知られている」と紹介した。
続いて、東日本大震災の被災地で龍谷大学が行ったボランティア活動について、募金、物産展企画・開催、石巻市でのがれき撤去作業、復興支援などをスライド上映をしながら説明した。学生有志が、クラシック演奏と和合氏の詩を朗読した後、和合氏本人が登壇した。
和合氏は、朗読への感謝と挨拶を述べたあと、震災後に出版した14冊目のエッセイ集『心に湯気をたてて』を取り上げた。その湯気について、考えや詩が生まれるには、十分な熟成期間が必要だと言い、その意味を説明した。
この時を伝えたいと思った瞬間、自分自身が180度変わった
そして、詩について、「20歳から、意味と意味をぶつけ合い生まれる無意味な世界に惹かれ、現代詩を書きはじめた。しかし、震災を境に、その心情が大きく変わり、3月16日から、自分の感じたことを、そのままツイッターに書くようになった」と述べた。
「いわき市は、以前、岩城市と書いたように、福島県は地盤が堅く、地震がない地域と言われていた。それが原発立地の誘因にもなったという。地震は、最初、ジェットコースターに乗ったような激しさだった」と、地震発生当時の様子を振り返った。
「3月11日夕方、福島第一原発に勤める教え子たちから『原発が爆発する、とにかく遠くに逃げろ』という逼迫した連絡がたくさん入った」。
その後、父母の安否を確認し、一夜を車の中で過ごしたという和合氏は、ラジオ福島の番組中にアナウンサーが号泣したことなどを語り、「自分たちは、災いに対する引き出しを持っていなかった。震災を経験して、『絶対』はないことに、やっと気づいた」と話した。
「妻と息子が疎開したとたん、孤独が襲ってきた。余震、原発に恐れながら、アイデンティティが失われそうになった時、そして、この時を伝えたいと思った瞬間、自分自身が180度変わった。それで、なぜかわからないが、4人のフォロワーしかいないツイッターに詩をアップしはじめた」。
自分のできることは、言葉しかない