お盆は、先祖の御魂を迎える季節とされています。
母が亡くなり、老いた父が最晩年を迎え、法事も長男として引き継がなくてはならなくなった40代、先祖供養について考えるようになりました。それが高じて、父方の(つまり岩上家)のルーツをたどって調べる試みをしました。
様々な曲折を経て、四代以上前の墓にたどりつき、先祖が住んでいた土地に供養塔を建てて供養をしたのですが、その折に、ふと、自分の直系の先祖の数を数えてみようと思いつきました。電卓を叩いて驚いたのは、自分に直結する先祖の数の多さでした。
(文:岩上安身)
※本ブログは、2013年9月19日にアップされたものを再掲したものです。
お盆は、先祖の御魂を迎える季節とされています。
母が亡くなり、老いた父が最晩年を迎え、法事も長男として引き継がなくてはならなくなった40代、先祖供養について考えるようになりました。それが高じて、父方の(つまり岩上家)のルーツをたどって調べる試みをしました。
様々な曲折を経て、四代以上前の墓にたどりつき、先祖が住んでいた土地に供養塔を建てて供養をしたのですが、その折に、ふと、自分の直系の先祖の数を数えてみようと思いつきました。電卓を叩いて驚いたのは、自分に直結する先祖の数の多さでした。
父母が2人、祖父母が4人、曾祖父母は8人、その上の代は16人、その上は32人…と増えてゆき、6代前は64人、7代前は128人、8代前は256人、9代前は512人となります。
このくらいまでは、まだイメージできますが、10代前は1024人と千人を超え、11代前は2048人、12代前は4096人、13代前は8192人、14代前は1万6384人と1万人を超えてしまいます。
15代前は3万2768人、16代前は6万5536人、17代前は13万1072人と、10万人を突破、18代前は26万2144人、19代前は52万4288人、そして20代前になると、なんと104万8576人になるのです。これを続けてゆくと28代目で1億人を突破します。
この人たちはすべて僕にとって直系の先祖であり、どこかで1人欠けていても、子をなさなかったとしても、今の僕は存在していないわけです。この事実に気づいたときには、圧倒されました。自分の家の先祖供養をするというのは、そのうちの一系だけをたどって手を合わせるにすぎないのです。
供養ということの意味が、自分につながる先祖を想い、敬い、感謝することであるなら、100万、1億、それ以上の数の先人に感謝をしなくてはならないということになります。子孫の立場で先祖の連なりを「一系」だけ拾い上げて祀るというのも、おかしな話です。
20代さかのぼっただけで100万の生命のリレーがあって、今の自分がいる。そう考えると受け継いできた生命は粗末にできないのだ、と改めて思わざるをえませんでした。
言うまでもないことですが、僕だけ特別に先祖の数が多いわけではない。世界中の誰であれ、20代さかのぼれば100万人、28代さかのぼれば1億人以上の先祖をもつのです。
そして、各代に兄弟姉妹もいて、それぞれに結婚したり、子供を産んだりして、各代ごとに従兄弟がいる。血縁のある、つまり遺伝子の一部を分かちあう「親戚」の数は、いったいどれほどになるのだろうと思うと、くらくらとめまいを覚えざるをえません。
現在、生きている人は皆、気が遠くなるほど心細い、奇跡的な生命のリレーの果てに存在している。ということは、誰もがすべて、かけがえのない、尊重されるべき存在ということでもあります。そして人間は皆、血縁をたどっていけばどこかでつながりあう親戚同士ということになります。実際、篠田先生のお話にあったように、すべての人類は、たどれば6万年前にアフリカから世界へひろがっていった共通の祖先にたどりつくのです。
血を分けた兄弟や親戚だからこそ、対立したり、感情がこじれたりすると、小憎らしいと思う気持ちも強く、こじれもしますが、何者かが、何者かよりも、生まれながらにして優越するということはありえない。高貴な血族や賤しい血族というものもない――。
何も特別高邁なことを考えたり、理想を唱えようとしているのではなく、素朴な理屈を組み立てていけば、そういう帰結になります。
近隣の民族や諸国に対して、敵意をつのらせ、排他主義や戦意すら煽り立てて政治権力を結集しようという動きが目立ちます。
憂うべきことであると思います。
現代日本人の多くが、弥生人の遺伝子を受け継いでいますが、その弥生人は銅と稲をもって主に朝鮮半島から渡来してきたのであり、その遺伝的ルーツをたどってゆくと、中国南部の揚子江下流地域にたどりつきます。中国人、韓国・朝鮮人と、私たちは間違いなく遺伝子を分かちあった「兄弟姉妹」なのです。先住民である縄文人も、我々のの祖先であり、その遺伝的な特徴をより濃く受け継ぐアイヌの人々も「兄弟姉妹」です。
よその国の元軍人に、「日本は一流でいたいのか、二流になってもかまわないのか」などと脅し半分の問いを突きつけられ、「今までも、これからも一流であり続けます! 二流にはなりません!」などと軽率に応えてしまう、実に実に残念な総理大臣を抱えている現状は、深刻に憂い、かつ恥じ入らざるをえません。
一流の国や民族とは何か!? 二流の国や民族とは誰のことか!? その基準は何か!? それは正しいのか!? リチャード・アーミテージ氏に対して安倍晋三総理は、そう突き返し、問い直すべきだったはずです。
中身のない「一流でありたい」という願望、自分たちは過去において「一流であった」はずだ、という根拠のない思い込み、たったそれだけのことが、どれほどの悲劇をもたらすか、私たちは何度も歴史をかみしめ直す必要があるでしょう。
以下、2013年8月15日に行われた、国立科学博物館人類史研究グループ長・篠田謙一氏インタビューの実況ツイートを、リライトして掲載します。
元記事はこちら
岩上安身(以下、岩上)「多くの日本人が、どのくらい人類学とか歴史とかの知識があるのか心許ない。昔は縄文人と弥生人が同じものだと考えられていたが、それも変わってきた。人類の起源からお話いただきたい」
篠田謙一氏(以下、篠田氏)「まずは人類の歴史から。初期の猿人は700万年〜200万年前までは、アフリカにしかいなかった。猿から初期猿人がどう枝分かれしたか、現在でも実はよく分かっていない。
初期猿人から原人というグループができ、原人はアフリカの外へ進出した。出アフリカは一度きりではなく、何度も行われている。猿人と原人の違いは、猿人は脳の容積が500cc、原人は500〜1200ccくらい。
猿人に関しては骨しか手がかりがないが、原人からは石器を使い始めるため、考古学的な調査ができる。原人からさらにネアンデルタール人のような旧人というグループが出てくる。能力的にはもう今の人類と同等。
原人段階で出アフリカをし、世界各地に散らばった。以前は彼らが100万年以上かけて黒人や白人などの人種を形成していった…と言われていた。しかし、90年代にこの学説は覆される。
10万年より古い時代のホモ・サピエンスの化石は、アフリカか中東からしか出土しないことが分かってきた。もし100万年前に各地に散らばったのだとしたら、各地から古いホモ・サピエンスの化石が出土するはず。
最新の研究では、ヒト細胞の中のミトコンドリアDNAを分析して起源を探る。ミトコンドリアは母からしか遺伝しない。世界の3000人のミトコンドリアの母系を辿っていくと、アフリカ人のある一人の女性に行き着いた。
起源のアフリカ人女性(ミトコンドリア・イヴ)が生まれたのが15〜20万年前に生まれた。そこからアフリカを出たのが6万年前と判明した。ミトコンドリアのタイプは『ハプログループ』という集団に分類される。
イヴから枝分かれしていったアプログループはL0,L1,L2,L3に分かれる、このうちL3のみが出アフリカし、アジア人やヨーロッパ人の祖先となった。
6万年前から始まる出アフリカの歴史。アラビア半島を経由して4万年前に中国などのアジア地域に進出。その後6000年前位にメラネシアを経由して太平洋地域に進出し、ハワイに入ったのが1000年前位。
面白いのは、出アフリカしてすぐにオーストラリアに進出した人類は、すぐ横のニュージーランド、太平洋地域には進出しなかった。ニュージーランドに入ったのは長い年月をかけてアジアを経由してきた人々の方。
人類がアジア方面とヨーロッパ方面に分岐したのが4万年前。その後アジア地域を経由してアメリカ大陸に進出し、先住民となった人々と、ヨーロッパ方面に進出した人々が、16世紀にコロンブスの入植によって邂逅する。
では、ホモ・サピエンスより先に出アフリカした人々はどうなったか。今の人類にも、先に出アフリカした原人達のDNAが2%程度含まれている。
一番言いたいのは、世界中に広がる人類の歴史は、それほど長くない。人類は皆アフリカから出発し、その時には今の私たちと同じ体格・能力を持っていた。同じ能力を持った人々世界に広がった、という概念」
岩上「人種で優劣を決めたり、一方を野蛮だと決めつけたり、帝国主義的な考え方が、いかに非科学的でくだらないか」
篠田氏「アマゾンの原住民などの奇異と見える格好も、劣っているからでなく、その環境に適しているから。
そして、日本人はどこから来たのか、という話に入りたい。大事なのは、日本人の起源というのは日本から見るのではなく、出アフリカ後に東アジアへ進出した、人類の拡散の歴史から見ること。
以前はこの分野の権威である、東大の鈴木尚教授の説が定説だった。万世一系の単一種族という考え方。しかし研究が進むにつれてこの説は覆された。
色んな研究をして分かってきたことは、時代によって骨の形質に違いがあり、縄文人と弥生人で顕著な違いがある。東大の鈴木教授は、『これは文化が変わったからだ』と説明した。
しかし80年代になり、文化の違いだけでは説明できない形質の違いが明らかになってきた。最新の日本列島集団の成立のシナリオ(二重構造説)では、弥生人は朝鮮半島から、農耕と金属器を携えてやってきた渡来系。
この二重構造説を提唱したのは人類学者の埴原(はにはら)氏。この説では、本州は弥生人、北海道と沖縄には縄文人の形質が色濃く残った。この説をDNA的に検証すると、確かに日本人はAとBの二つの集団に分かれた。
日本人をミトコンドリアで調べると、4つの大きなハプログループに分かれる。東南アジアルーツ、北方アジアルーツ、中国周辺ルーツ、そして日本人にしかないミトコンドリアの4つ。
日本人にしかないミトコンドリアは、日本以外のどこかの場所がルーツだか、日本に来た集団しか残らなかったと推察されている。構成を見てみると、日本人に一番多いのは『D4』と言われるグループ。
D4は、日本の他に中国東か北部や韓国に多い。日本にしかないミトコンドリアである『M7a』『M9b』は、ほんの韓国に僅かながら残っている。この2つのDNAは沖縄とアイヌに多い。つまりこの2つが縄文人のDNA。
弥生人のDNAを分析すると、日本人に一番多い『D4』が多く含まれ、縄文人には『M9b』が多く含まれている。縄文人は、他の地域と隔絶された、かなり特殊なDNAを持っていたと言える。
つまり縄文人と弥生人が混血し、弥生人の影響が大きいのが今の我々、というのが今の学説。ミトコンドリアから分析すると弥生人は5000年前に爆発的に人口が増加した。しかし、これは考古学的な事実とは反する。
考古学的には5000年前に日本列島の人口は急減している。ということは日本列島とは別の場所で、弥生人の人口が増えた、と推測できる。考古学的には、5500年前に中国南東部の揚子江流域で稲作農耕が始まった。
つまり、我々のルーツは5500年前に中国南東部で稲作農耕を始めた人々、ということが分かる。そして3000年前に稲作が日本列島に伝搬し、ベトナムでも文化が変わった。
揚子江流域で稲作を始めた人々が、日本に渡って弥生人となり、南に渡った人々がベトナムの文化を変えた。
次に縄文人のDNAを見てみる。沖縄とアイヌは『M9b』が共通しているが、アイヌ民族には『Y』という独自のDNAがある。この『Y』はオホーツク北方民族に多く含まれる。つまり沖縄と北海道は均一ではない。
アイヌのDNAは、縄文時代には『M9b』がほとんどだが、5〜10世紀のオホーツク文化の流入の際に『Y』が圧倒的に増えた。つまり、縄文人とオホーツクの『二重構造』。
次に沖縄のDNA。琉球列島は、貝塚文化と先島先史文化に分かれる。10世紀以降のグスク(城)時代になると統一される。このグスク時代に農耕が始まり、人口が急増した。
ポイントは、縄文時代の貝塚文化と先島先史文化(基層集団)の由来はどこか、また、グスグ時代に農耕を持ち込んだ集団の由来はとこか、という2つ。基層集団の由来については、まだ研究段階で何とも言えない。
次に、グスグ時代に農耕を持ち込んだ集団の由来。DNAを調べると、南方(台湾)系の先住民が既に狩猟採集をしていて、そこに弥生系の人々がちょろちょろきて稲作を伝えた。渡来系の大集団がやってきたわけではない。
我々は、『日本列島』というくくりで考えがちだが、南では南方系との関係があり、北には北方系との関係があって、日本列島以外の東アジア周辺地域を含めて、民族的な多様性が生まれている」
岩上「大和時代の『蝦夷(えみし)』と呼ばれる関東から東北にかけての大集団。彼らはアイヌ民族ではなく倭人。倭人でありながら大和朝廷にまつろわぬ者たち。他にも隼人や熊野など、日本には様々な集団があった。
日本の記紀にある『天孫降臨』『神武東征』などの神話も、こうしたDNAの研究が進めば、何かしらの事実に基づいた話かがわかるかもしれない。欧米の『聖書考古学』のように日本でも記紀の科学的研究が進んで欲しい」
篠田氏「岩上さんに話したい話が一つ。南米の先端、人類の初期拡散の先端であるナバリーノ島に行って来た。ここに住むヤーガンと呼ばれる裸族の先住民の、最後の一人、クリスティーナ・カルデロンに会って聞きたいことがあった。
これには深い背景がある。ヤーガンには『酒』が元々無かった。ナバリーノ島は寒くて菌が繁殖できず、酒を作る文化がそもそもなかった。そこに酒だけがポンと入ってきて、様々な悪影響を与えた。
文化ではなく『モノ』だけがいきなり入ってくることのインパクト。これを実感した。文化が変わるというのは、とても大変なこと。便利なものだからといって、何でもかんでも取り入れると大変なことになる、という教訓。
ヤーガンがなぜ裸なのかと言うと、海に潜って魚を取り、陸に上がってすぐ焚き火で体を温めるため。これを野蛮だからと服を着せた。すると『服を洗う』という文化がなかったので、汚い服で病気になり皆死んでしまった。
『服』というのは『服を洗う』とセットだし、さらにもっと多くの文化的背景とセットのはず。『服』を着るに至った環境的な必然性もあった。しかし『服』という文化の一部だけを押し付けることの危険性」
岩上「ミトコンドリアで女系が辿れるということは分かりました。では男系、『Y染色体』と言われるものでも辿れるんでしょうか?」
篠田氏「先ほど朝鮮半島との類似性の話をしましたが、男系で辿ると日本と朝鮮半島では大分違う」
岩上「最近、右翼の方々が天皇家の女系を反対する際に、『日本は万世一系で、貴重なY染色体を引き継いでいくのは男だけだから』という理由を話すが、これは科学的に無理がある?」
篠田氏「かなり無理がある。どんなに天皇家が貴重なY染色体を持っていたとして、同じY染色体を持つ人が日本に10万人はいる。また、Y染色体は突然変異しやすいので、次の世代はそのY染色体とは別物になる可能性もある、まったくおかしな話」
岩上「疑似科学?」
篠田氏「そうですね…」
岩上「しかし大まじめに『高貴なY染色体を伝えているのが天皇家』と言う人がいる。結局はナチスにも通じる、『血統の優位性』を言いたいのだろう。時に政治が科学を蔑ろにする」
(了)
日本にしかないミトコンドリア『M7a』『M9b』。2つのDNAは沖縄とアイヌに多い。つまりこの2つが縄文人のDNA。
縄文人のDNA。沖縄とアイヌは『M9b』が共通しているが均一ではない。アイヌ民族は縄文人とオホーツクの『二重構造』
日本人をミトコンドリアで調べると4つの大きなハプログループが存在。東南アジアルーツ、北方アジア、中国周辺、そして日本人にしかないミトコンドリア。
日本人に一番多いのは『D4』グループ。 D4は、日本の他に中国東か北部や韓国に多い。弥生人のDNAには日本人に一番多い『D4』が多く…
我々のルーツは5500年前に中国南東部で稲作農耕を始めた人々。そして3000年前に…揚子江流域で稲作を始めた人々が日本に渡って弥生人に
沖縄:縄文時代の貝塚文化と先島先史文化(基層集団)の由来はどこか、グスグ時代に農耕を持ち込んだ集団の由来は?基層集団の由来は研究段階
要するに私らはみんな猿。
半分ほやと同じww
↑猿ではないよ。黄色いサルにされちゃってるのさ(怒)
>、「今までも、これからも一流であり続けます! 二流にはなりません!」などと軽率に応えてしまう、実に実に残念な総理大臣を抱えている現状
いや、残念ながら日本はず~っと二等国に押し込められてきた国ですから(笑)
ロンドン軍縮会議以来ね、、。
それを何とか解きほぐそうとしたら、太平洋戦争でフルボッコに合ちゃったんだな。
何故って?黄色いサルが世界で一等国なんて成るのは、白人にとっては許し難い行為だからさ。
ところが外務省や防衛省のお偉いさんや日本会議の連中とそこに付属する安倍を筆頭にする議員連盟の連中にとっては、この二等国という言葉は由々しき問題なんだな。だからこそアーミテージ達の言葉に敏感に反応しちゃった訳だ。
しかし篠田先生に云わせれば、それこそバカらしい事と解明されちゃってる、ということなんだなああ(笑)
さてココで問題が発生してきている。何故中国人(漢民族)は白人と伍して覇権を始められる地位になれているのか?
一つ言える事は華僑の力だね。金儲けの上手い奴には手を出しきれないんだな。シンガポール見れば明らかだよね。おっそ分け欲しい白人共は、そういう組織を壊さないんだな。次は文明発祥の一つというのも影響しているのかねぇ??
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http://iwj.co.jp/wj/open/archives/tag/福沢諭吉
>これを続けてゆくと28代目で1億人を突破します。
朝方の夢に ご先祖様の数字が出てきて カーニバル状態に(数字弱い)。
計算としては、×2でかけただけダケド
これだけの延べの人がいたとは
あらためて 勇気もらえるのな。