【岩上安身のニュースのトリセツ】「慰安婦は合法」の詭弁!安倍内閣閣僚の歴史認識を問う 2014.8.14

記事公開日:2014.8.14 テキスト独自
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特集 戦争の代償と歴史認識

※本稿は、6月6日発行のメルマガ「IWJウィークリー第5号」の「ニュースのトリセツ」の一部に加筆したものです。

橋下発言以降一変した、安倍内閣閣僚の歴史認識

 橋下市長の慰安婦をめぐる発言に対し、大阪を中心に、各地で市民団体による抗議行動が行われています。5月27日に行われた外国人特派員協会での会見をもって幕引きをはかろうとした橋下氏ですが、同氏への批判は下火になる気配がありません。IWJはその模様を報じ続けてきました。

 橋下氏が、米軍司令官に対して、「合法な風俗」の「活用」をすすめたこと、「合法性」を強調していた橋下氏自身が、大阪府長になる前に、「違法な売春」の横行が常態化している大阪市西成区の飛田新地の飲食業組合の顧問弁護士であったことなどについて、橋下氏は有権者に対して十分な説明をしていません。

 謝罪を表明したのは、米国と米軍に対してであって、日本の有権者に対してではありません。これは批判されてしかるべきであり、橋下市長への抗議の声がやまないのは、当然のことだと思います。

 また、「違法な売春」が横行している飛田新地の飲食業組合の顧問を引き受け、弁護士として何を助言していたのか、弁護士としても、市民としても、政治家としても明らかにする説明責任があります。

 しかし、責められるべきは、橋下氏ひとりだけではないはず、という点も急ぎ指摘しておかなくてはなりません。

 橋下市長の慰安婦に関する発言の骨格は、安倍政権の歴史修正主義的な姿勢とうりふたつです。両者の「歴史認識」に、ほとんど相違はありません。橋下市長の「歴史認識」が問われるのであれば、安倍総理やその閣僚たちの「歴史認識」も問われるべきです。

 安倍氏は総理に就任直後の昨年12月31日、産経新聞のインタビューで、過去の植民地支配と侵略を認めた村山富市元首相の「村山談話」について、これをそのまま継承するのではなく、新たな「未来志向」の「安倍談話」を出し、歴史問題について安倍政権の立場を「明確」にする方針を表明。総理に就任後も、こうした発言を繰り返したことで、「植民地支配と侵略の責任を認め、謝罪する」というこれまでの日本政府の立場を訂正するのではないか、という疑心暗鬼が国内外に一気に広がりました。

 安倍氏は、同じインタビューのなかで、従軍慰安婦に対する日本軍の関与を認め、「謝罪とお詫び」を表明した「河野談話」に対しても、2007年3月16日に第一次安倍内閣が閣議決定した「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という答弁書にもとづき、「この内容も加味して内閣の方針は官房長官が外に対して示していくことになると語りました。

※2012年12月31日 安倍首相インタビュー「詳報 TPP、集団的自衛権、村山談話、憲法改正…」(msn産経2012年12月31日)記事リンク切れ

 今年に入り、安倍政権の閣僚からは、麻生太郎副総理、新藤義孝総務相、古屋圭司国家公安委員会・拉致問題担当相、稲田朋美行革担当相が相次いで靖国神社に参拝。4月23日には、安倍総理自身が参議院予算委員会で「『侵略』の定義は学会的にも国際的にも定まっていない」などと発言しました。

 橋下氏の発言が飛び出す以前は、こうした安倍政権の一連の発言や行動に対し、海外メディアから批判が集まっていたことは、前々号の「ニュースのトリセツ」などで論じた通りです。

 ところが、5月13日に橋下市長の慰安婦をめぐる発言が飛び出して以降、政府・自民党の態度は一変しました。参院選を控え、支持率の低下が顕著な日本維新の会とは一線を画すべく、橋下氏の発言を批判し始めたのです。

 稲田朋美行革担当大臣は、5月14日の定例会見で「慰安婦制度は大変な女性の人権に対する侵害だ」と語り、橋下氏を批判しました(内閣府HP会見議事録

 しかし、稲田朋美行革担当相は、昨年8月31日に産経新聞に寄稿した論説文の中で、「慰安婦問題については、強制連行した事実はない」「当時は慰安婦業は合法だった」と記していました(msn産経新聞2012年8月31日 記事リンク切れ)。

稲田行革担当相の発言は、明らかに一貫性を欠いています。

IWJは、5月24日の稲田大臣の定例会見で、慰安婦に関する認識を質問しました。稲田大臣は「戦時中は、慰安婦制度が、悲しいことではあるけれども合法であったということも、また事実であると思います」と語り、慰安婦制度が戦時中は合法であったと発言しました。


【稲田大臣発言音声ファイル(慰安婦発言部分)】

 稲田大臣のこの発言に対し、韓国外務省はすぐさま非難声明を発表。「女性の尊厳と人権に対する冒涜で、反人道的犯罪を擁護する常識以下の発言だ」とし、発言の即時撤回を求めています(msn産経新聞5月24日 記事リンク切れ)。

 その後、稲田大臣は、閣議後の定例会見を国会内で開催するようになりました。IWJは、国会に入る記者章を発行されていないため、国会内での会見に参加することができません。内閣府の議事録を確認する限り、大手記者クラブメディアが、韓国外務省から非難声明が出ている件に関し、稲田大臣に質問した様子は皆無です。

 記者クラブメディアの足並みをそろえた「沈黙」の理由は、「慰安婦は合法」という発言が根本的に間違っていると理解できない無知によるものか、または、政権与党の閣僚に対する政治的なおもねりか、どちらかでしょう。あるいは、その両方かもしれません。

 ここで、稲田大臣が発言した「戦時中、慰安婦は合法だった」という発言のどこが問題で、何が間違っているか、あらためて整理しておきたいと思います。

「慰安婦は合法」の詭弁! 安倍内閣閣僚の歴史認識を問う

 従軍慰安婦が「合法」であるという主張は、国外の戦地において、従軍慰安婦に対し、日本国内の公娼制度の法的枠組みが適用されていたという「理屈」にもとづいています。しかし、「従軍慰安婦制度」と「公娼制度」はイコールではありません。

 従軍慰安婦の「合法性」を論じる文脈とはまったく無関係に、「公娼制度はかつて合法だった」というならばともかく、「慰安婦」と「公娼」を意図的にか混同させ、「公娼制度のもと、慰安婦も合法だったのだ」と主張するのは、たいへんな詭弁です。稲田氏は、橋下氏と同様、政治家であるとともに弁護士でもあります。法律家がこんな虚偽を公然と口にして許されるものではありません。

 日本国内では、1900年(明治33年)10月2日、内務省により、娼妓取締規則が発令されました。娼妓稼業に従事する者は、警察署が管理する娼妓名簿に登録しなければならず、官庁が許可した、「貸座敷」「芸者置屋」「引手茶屋」という「三業地」でしか娼妓業を営むことができませんでした。

 戦前、日本国内において、娼妓は、厳格に管理されていたのです。これが、戦前の日本国内で「合法」とされた、「公娼制度」の法的な枠組みであり、場所が限定され、鑑札を持った登録業者だけに営業が限定され、娼妓も登録された者だけに限られました。

 娼妓取締規則では、第1条において、「18歳未満の者は娼妓になれない」と定められています。

第一条 十八歳未満ノ者ハ娼妓タルコトヲ得ス

(意解)本条ハ娼妓タルヲ得サル年齢ノ規定ナリ
(中略)自己ノ権利ヲ狂屈シ恥辱ヲ忍ヒ之ヲ為スモノナレハ年齢ニ制限ヲ設ケサレハ思量ナキノ女子ニシテ他人ノ誘惑若クハ誘拐セラレテ娼妓トナリ一生ヲ誤ル者アルヲ以テナリ

 「年齢制限を設ける理由は、18歳未満の少女の場合、幼くて考えが足りず、他人に騙されたり、誘拐されて一生を棒にふる者があるから、年齢に制限を設けなくてはならない」としているのです。即ち、女性を騙して連れ去ったり、誘拐したりして売春を強要する犯罪は、常に起こり得たのであり、それを警戒して、娼妓取締規則は定められているわけです。当然「公娼制度」のもとで、「かどわかし」が「合法」だったわけではありません。

第ニ条 娼妓名簿ニ登録セラレサル者ハ娼妓稼ヲ為スコトヲ得ス
(中略)娼妓名簿ニ登録セラレタル者ハ取締上警察官署ノ監督ヲ受クルモノトス
(意解)本条ハ娼妓稼ヲナサントスルトキハ娼妓名簿ニ登録スヘキコト、娼妓名簿ハ娼妓所在地(即チ貸座敷)所轄スル警察署ニ備置セリ、娼妓名簿ニ登録セラレタル者ハ警察官署ノ監督ヲ受クヘキコトヲ規定セリ

 第2条では、警察に監督義務があることが明記されています。国外の戦地を転戦する軍隊にくっついて、慰安婦を伴いながら移動し、臨時の慰安所をその場その場で開設する業者を、どこの警察署が監督しうるのでしょうか。そんな事は不可能です。

第三条 娼妓名簿ノ登録ハ娼妓タラントスル者自ラ警察官署ニ出頭シ左ノ事項ヲ具シタル書面ヲ以テ申請スヘシ

 第3条には、娼妓は管轄の警察署へ自ら出向いて、登録を行わなくてはならないとされています。戦地における慰安婦に、そんなことが可能であったはずがありません。これにも抵触します。戦地で事実上、監禁状態にあったという数多の証言が事実なら、これは当時であっても違法です。

第六条 娼妓名簿削除申請ニ関シテハ何人ト雖妨害ヲ為スコトヲ得ス
(意解)(前略)娼妓稼ノ廃止自由ナリ何人ト雖妨害スヘカラス(中略)娼妓稼業ノ廃止ヲ自由ナラシメ正業復帰セシメントノ趣旨ニ外ナラス

 これは重要です。娼妓は本人が廃業したいと思ったら、誰も妨害はできない、ということです。その意志は尊重されなくてはならないと当時の法令に定められていたのです。

第八条 娼妓稼ハ官庁ノ許可シタル貸座敷内ニ非サレハ之ヲ為スコトヲ得ス
(意解)(前略)稼業ヲ為ス場所ハ官許ヲ得タル貸座敷内ニ限レリ之レ本条ノ規定アル所以ニシテ若シ以外ノ場所ニ於テ娼妓稼業ヲ為シタル者及ヒ為サシメタル者ハ本則第十三条第三項ニ依リ罰セラルルモノナリ

第十ニ条 何人ト雖娼妓ノ通信、面接、文書ノ閲読、物件ノ所持、購買其ノ他ノ自由ヲ妨害スルコトヲ得ス
(意解)本条ハ娼妓ノ権利ヲ拘束スヘカラサルコトヲ規定セリ
娼妓ハ醜猥ナル稼業ナリト雖本則及ヒ娼妓稼業ニ関スル庁府県令ノ制限取締ヲ受クルノ外等シク人権ヲ有スルコトハ言ヲ待タス

 第12条も、娼妓に「人権を有することは言を待たず」とあります。通信や面接、すなわち外部との連絡ができなければなりません。外界との連絡が遮断された状態にあったという証言が事実なら、これも違法です。

第十三条 左ノ事項ニ該当スル者ハ二十五円以下ノ罰金又ハ二十五日以下ノ重禁錮ニ処ス

 さらに、娼妓取締規則第13条には「左の事項に該当する者は二十五万円以下の罰金又は二十五日以下の重禁錮に処す」とし、「虚偽の事項を具し娼妓名簿登録を申請したる者」「官庁の許可したる貸座敷外に於いて娼妓業を為さしめたる者」「稼業に就くことを得ざる者をして強て稼業に就かしめたる者」「本人の意に反して強て娼妓名簿の登録申請又は登録削除申請を為さしめたる者」をあげています。

 すなわち、所定の場所以外で娼妓稼業を行うことも違法であり、行政が許可しない貸座敷以外での営業も違法であり、女性の意に反して稼業につかせる、すなわち売春を強要するなどはもってのほかだったのです。

「公娼制度」の存在した当時にあっても、女性に売春を行わせるために、仕事があるからなどと、騙して連れ去れば、略取・誘拐の罪に問われます。旧刑法第225条には、「営利、猥褻又ハ結婚ノ目的ヲ以テ人ヲ略取又ハ誘拐シタル者ハ一年以上十年以下の懲役ニ処ス」とあります。

 女性に合意なく性交を強要すれば強姦です。力づくで、暴力と脅迫によって従わせた場合には、暴行、脅迫の罪にも問われるでしょう。騙されたことを知って、帰りたいと言う女性の行動の自由を奪い、外部と連絡をとらせず、閉じ込めておけば、監禁の罪に問われます。これらの行為は当時でも違法であり、犯罪です。

 言うまでもなく、大日本帝国にも刑法はあり、法治国家であって、「無法国家」ではありませんでした。「戦時中だったからやむをえなかった」というのは、大日本帝国がまるごと無法の許された国家だったというようなものです。事実ではありませんし、敗戦までの日本という国家への侮辱です。

 ひるがえって、戦地に目を転じて見れば、すべての女性が合意のうえで従軍慰安婦になったわけではありませんでした。保守派の歴史家の秦郁彦氏は、『慰安婦と戦場の性』(新潮選書、1999.06)の中で、「私が信頼性が高いと判断して選んだもの」として、次のような事例をあげています。

<B榎本正代伍長(済南駐屯の第五十九師団)の証言――
一九四一年年のある日、国防婦人会による「大陸慰問団」という日本女性二百人がやってきた…(慰問品を届け)カッポウ着姿も軽やかに、部隊の炊事手伝いなどをして帰るのだといわれたが…皇軍相手の売春婦にさせられた。”目的はちがったけど、こんなに遠くに来てしまったからには仕方ないわ”が彼女らのよくこぼすグチであった。将校クラブにも、九州の女学校を出たばかりで、事務員の募集に応じたら慰安婦にさせられたと泣く女性がいた。 >[382ページ]

 また、長尾和郎『関東軍軍隊日記』(経済往来社、1968.11)には、次のような記述があります。

<朝鮮女性は「従軍看護婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で営業するとは思ってもいなかったという。それが満州各地に送りこまれて、いわば兵士達の排泄処理の道具に身を落とす運命になった。私は甘い感傷家であったかもしれないが、戦争に挑む人間という動物の排泄処理には、心底から幻滅感を覚えた。>[71ページ]

 このように、従軍慰安婦は、日本人女性や朝鮮人女性が、そうと知らされず、騙され、略取・誘拐されたケースが数多くありました。こうした証言は枚挙にいとまがありません。これは、娼妓取締規則により厳格に規定された、当時の「公娼制度」に照らしても、明らかに違法です。軍が進軍していく先々の戦地は「三業地」ではなく、慰安婦とさせられた女性すべてが「娼妓」として登録されていたわけではありません。当人の合意も、合法の手続きも欠けています。

 さらに、後者のケースでは、朝鮮人女性が、「満州各地」つまり中国東北部へ輸送されています。これは、大日本帝国における旧刑法226条「国外移送、国外誘拐罪」に違反してると考えられます(226条「日本国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ略取又ハ誘拐シタル者ハ二年以上に処ス (2)日本国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ売買シ又ハ被拐取者若クハ被売者ヲ日本国外ニ移送シタル者同ジ」)。

 「慰安婦こそは戦場の花」と書いた伊藤桂一氏は、1938年から終戦の45年にかけて断続的に招集され、戦地に赴いた経験を持つ人物で、直木賞と吉川英治文学賞を受賞した作家でもあります。

 伊藤氏が著した「兵隊たちの陸軍史」(文春文庫)は、「後の世代に戦争の実態をきちんと伝えたい」と執筆した貴重な記録です。

 この中に「戦場と性」という項目に一章が割かれ、慰安婦制度と軍の関与について詳述されており、麻生敏男軍医の記録として、「上海軍工路近くの楊家宅に、軍直轄の慰安所が整然としたアパートの形式で完成した」と記されています。

 基本的には、この本は「あの戦争が終わって二十年間ほどは、米国的民主主義に悪影響され、兵士が行ったことを露悪的に伝える戦史などの氾濫が続き…」などと前書きに書かれている通り、戦後民主主義には否定的で、旧軍には肯定的な筆づかいで書かれています。そうでありながら、慰安婦制度に軍の関与はなかった、などという白々しい嘘は、一行も書かれていません。

 今日の目からみれば、日本軍に都合のいい視点からの筆致なのですが、それでも伊藤氏は、「慰安婦がいちばん兵隊の役に立っていることは事実だが、慰安婦も多くは、欺されて連れてこられたのである」と、当たり前のごとく書いています。あっけらかんとしたものです。当時でも「略取・誘拐」は間違いなく犯罪だったはずです。

 「兵隊たちの陸軍史」には、従軍慰安婦どころか、軍が強姦を認めた、という話も登場します。

 「これはビルマでの話だが、某兵団で、どうしても強姦が絶えないとみて、内々に強姦を認めた」というのです。なんという部隊だろうか、と呆れるばかりですが、話はそこで終わりません。

 「ビルマは親日国で、かつ民衆は熱心な仏教徒であり、強姦など行えない。残された方法は証拠の隠滅――つまり、犯した相手をその場で殺してしまうことであった。これによって事故は起こらなかった。

 何というおぞましさ。ところが話はまだ続きます。

 「一婦人が暴行された、と軍へ訴え出てきた。やむなく調査をしたら、兵長以下三人の犯人が出てきた。かれらは顔を覚えられているし、三人で輪姦したと白状した。准尉が『なぜ殺さなかった』ときくと、三人は『情においてどうしても殺せなかった』と言った。よって軍法会議にかけられ、内地に送還された。一方では強姦したら殺せ、といい、一方では発覚すると厳罰がくる。奇妙な軍隊の規律である」

 強姦した女性を殺せと命じていたその軍で、殺せずに強姦した将兵を軍法会議で裁くのも軍であるという異常さが、ここにははっきりと記されています。

 これほどひどい犯罪的なケースは、まれであったかもしれませんが、女性たちが騙されて連れてこられ、慰安婦にさせられ、売春を強要されていたことは、常態化していたとみて間違いなさそうです。

 これらは明白な犯罪行為なのですから、官憲には、当然、悪質な業者を取り締まり、犯罪被害にあった女性たちを救出する義務が生じます。旧日本軍にも警察権を持つ憲兵が存在しました。しかし、旧日本軍も警察も、こうした違法行為の横行を、見て見ぬふりを決め込むか、手をこまぬいていました。

 つまり、従軍慰安婦の問題は、何よりもまず、「公娼制度」が認められていた当時であっても決して許されない略取・誘拐、暴行、監禁、国外移送などの違法な行為が横行し、それらの違法を、旧日本軍や警察が拱手傍観していたという、不作為の罪にあります。

「従軍慰安婦制度は、合法だった」という稲田朋美行政改革担当相の発言が、過ったものであることは明らかです。しかし、大急ぎでつけ加えなければならないのは、公娼制度が存在したことをもって、「慰安婦制度は合法だった」と開き直る論法を用いるのは、稲田行革相一人だけではないことです。

 日本維新の会代表代行の平沼赳夫議員は、5月22日の講演会で、「昔は公娼制度があった」と発言し、「従軍慰安婦と言われている人たちは、戦時売春婦だと思っている」と語りました。これは、従軍慰安婦は公娼であり、戦場で合法な商行為を行なっていた、という趣旨の発言です。

 また、同党の共同代表である石原慎太郎議員も、5月14日、橋下氏の発言について「軍と売春はつきものだ。それが歴史の原理だ。橋下氏の発言は好ましくないが、間違ったことは言っていない」と語り、橋下氏を擁護しました。 また、6月6日のJR渋谷駅前での街頭演説では「連行したのは商売人。国家の権力でするわけがない」語り、 軍の関与を認めた河野談話についても「国が(連行を)やったことにした。日本全体がひんしゅくを買った」と批判しました。

 2012年11月、ニュージャージー州の地元紙「スターレッジャー」に、「女性がその意思に反して日本軍に売春を強要されていたとする歴史的文書は発見されていない」「慰安婦は性的奴隷ではない。彼女らは公娼制度の下で働いていた」という意見広告が掲載されました。
しんぶん赤旗1月6日

 この意見広告の賛同者として名前を連ねていたのが、安倍晋三総理、稲田朋美行革担当大臣、平沼赳夫日本維新の会代表代行。他にも、第2次安倍内閣の閣僚から、下村博文文部科学大臣、新藤義孝総務大臣、古屋圭司国家公安委員長の各氏が名前を連ねています。

 彼らは、一様に、従軍慰安婦が「合法」な「公娼」であったという認識を有しているということです。

 しかし、先述したように、従軍慰安婦を集め、戦地に送り、慰安所を管理・運営して女性に売春を行わせるにあたっては、「公娼制度」を成り立たせていた娼妓取締規則や、さらには大日本帝国下の旧刑法でも禁じていた、略取、暴行、監禁などの明白に違法な行為が横行していました。

 その違法の横行を、旧日本軍や警察や行政が見て見ぬふりをし、取り締まりや被害女性の保護や救済を怠っていた、不作為の罪こそが、まずは第一の問題なのです。国家として従軍慰安婦の制度に積極的に加担した証拠はない、と日本政府は弁明し続けていますが、どう言い逃れしても、「黙認というかたちでの国家の消極的な関与はまぬがれません。

 それでもなお、稲田大臣のように軍や警察の不作為の罪を認めず、「従軍慰安婦は合法だった」とあくまで強弁するならば、戦地において「合法」的に、国家の管理のもと、すなわち国家が積極的に関与して、女性を騙して現地へ連れてきて、売春を行わせ、それを大日本帝国は「合法」としていたという話になります。すなわち、従軍慰安婦制度を、国家が積極的に関与して成り立たせていたということにならざるをえなくなります。

 論理的に考えれば、「従軍慰安婦は合法」とする政治家の主張の帰結は、このような結論に達することになります。

 そこで、安倍総理らが強調するのが、「狭義の強制性」です。

 旧日本軍が民家に押し入り、朝鮮人女性を人さらいのように強制連行し、慰安所に収容したとする説を「狭義の強制性」と呼び、この問題が最大の問題であるとフレームアップした上で、その事実はなかったと強調してみせるのです。その間に、他の問題が問題でなかったかのように忘れさられるという仕組みです。

 安倍総理はこれまで、一貫して、この「狭義の強制性」がなかったことを強調してきました。

 2007年3月16日、第一次安倍内閣は「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」という答弁書を閣議決定しました。

 安倍総理は2月7日の衆院予算委員会で「(慰安婦の)強制連行を示す証拠はなかった」と答弁しています。他方、5月22日、衆議院内閣委員会で、共産党の赤嶺政賢議員に、慰安婦に対する旧日本軍と政府の関与、および強制連行の有無について聞かれた菅義偉官房長官は、「心が痛むという点で歴代内閣と変わらない」とだけ述べ、軍の関与と強制連行に関する言及を避けました。(しんぶん赤旗5月23日【URL】 http://bit.ly/18jzuVp)

 安倍総理が否定している「強制連行」とは、「旧日本軍が朝鮮人の民家などに押し入り、人狩りのように強制連行したあげく、慰安所に収用した」という「狭義の強制性」です。こうした「狭義の強制性」を証明する文書が見つからないことをもって、従軍慰安婦問題全体が、一部の人間やメディアによって創作された神話であるかのように抗弁するのです。

 安倍総理は、昨年の衆院選の直前、日本記者クラブで開かれた党首討論会で、「慰安婦問題は吉田清治という詐欺師が作った」と発言しています(動画URL:削除)。

 吉田清治氏は、1983年に『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』(三一書房、1983.07)を上梓。その中で、旧日本軍が朝鮮の女性を強制連行し、慰安婦にしたと論じました。

 その後、先述した歴史家の秦郁彦氏の現地調査により、吉田氏の主張は創作であったことが判明します(前掲書『慰安婦と戦場の性』229ページ)。吉田氏自身も「創作を交えた」と認めました。

 しかし、従軍慰安婦をめぐる問題の最も重要なポイントは、吉田氏が「創作を交えて」論じたような、「旧日本軍が朝鮮人の民家に押し入り、人狩りのように力づくで女性を連れ去って慰安所に収容した」という、「狭義の強制性」ではありません。広範に行われていたのは、「いい仕事があるから」などと騙して女性を戦地へ連れて行った「略取・誘拐」です。こうした行為が行われていたことを示す証言は膨大にあります。

 吉田清治氏という人物がフィクションをまじえたという一事をもってして、従軍慰安婦に関する一連の犯罪がねつ造であるかのように主張するのは、明らかに問題のすりかえであり、それ自体、詐術的なロジックです。

 稲田大臣や平沼議員、ひいては安倍総理は、この点を隠蔽するために、慰安婦問題を「狭義の強制性」へと、議論を矮少化していると言わざるをえません。

(中略)

 橋下市長の発言を、大手既存メディアは連日大きく報じています。しかし、現役の閣僚である稲田大臣の発言を問題にするメディアはほとんど見当たりません。

 安倍内閣は、橋下騒動の影に隠れるようにして、5月24日に、ひっそりと、辻元清美議員の質問主意書に答えるかたちで、「河野談話を継承する」と閣議決定しました。
政府答弁書辻元清美事務所発表報道資料

 安倍総理が、就任直後のインタビューから態度を変化させたという、この重要な閣議決定について、驚くべきことに、時事通信が小さく報じた以外、どこのメディアも報じていません。(「河野談話を継承=第1次内閣と『立場同じ』―政府答弁書」時事通信5月24日 記事削除)

 IWJは、この慰安婦問題、そして歴史認識の問題について、引き続き取材を継続します。「記者クラブに所属していない」などという、理不尽な理由のため、出席できる記者会見には制限がかけられていますが、粘り強く、この問題を取材したいと思います。

 その結果は、メルマガ「IWJ特報!」「IWJウィークリー」などでもお伝えします。IWJの応援、ご支援をよろしくお願いします(本稿は6月6日発行の「IWJウィークリー第5号」に掲載した「ニュースtのトリセツ」の一部に加筆したものです)。

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