2019年12月4日、アフガニスタン東部ジャララバードで殺害された、医師・中村哲さんの生前を偲んで、2020年2月1日、東京都練馬区、練馬文化センターで「中村先生を偲ぶ会」が催された。
会場にはおよそ1,500人が訪れたが、約600席の会場は満席となり、入場できなかった人が続出した。
しのぶ会の冒頭、中村哲医師の活動を紹介する映像が上映され、20年以上にも及ぶ現地でのハンセン病治療、1600以上も掘削した井戸、総延長25kmを超える用水路の開削など、中村医師の数々の業績が紹介され、中村さんが遺した言葉、「天、ともにあり」の朗読の後、全員で黙とうをささげた。
ゲストの講演では、多方面で活動していた中村さんらしく、様々なゆかりの人が登壇して、それぞれの思いを語った。
中村氏の活動を20年以上にわたって取材してきた日本電波ニュース社の谷津賢二氏は、中村さんは「仁と義の人」だったと話し、座右の書とみられる内村鑑三『後世への最大遺物』のなかから「勇ましい高尚なる生涯」の言葉を紹介。これは正に中村さんのことではなかったか、あらためてそう思ったと、故人への思いを語った。
歌手の加藤登紀子さんは谷川俊太郎作詞、武満徹作曲の「死んだ男の残したものは」を伴奏なしで熱唱。会場は静かな感動に包まれた。
中村医師との共著『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る―アフガンとの約束』の著書があるノンフクション作家の澤地久恵さんは、かつてこの会場で中村さんが講演した際、会場の青年が手を挙げ、「そのような困難な仕事を選ばれたのは何故なのですか」との質問に「それは運命、定めのようなもの」と答えられたと話し、中村先生はいつかこのようなことが起きるということを覚悟していたのではないか、と話した。
中村さんはかつて、アメリカの「有志連合」がアフガニスタンへの空爆を開始し、日本の協力が即されていた2001年当時、国会で証言し、現地を知る立場から「自衛隊派遣は有害無益」と断じ、「アメリカの行為もまたテロリズムと同じレベルの報復行為ではないか」と述べている。
中村哲さんは、日本の国際貢献のあり方に大いなる一石を投じた人でもある。
中村哲さん。辛くて動画を観る事が出来ません。