ウクライナ東部で再びウクライナ政府軍と反政府派の親ロシア派武装勢力による衝突が激化している。
昨年9月に結ばれた停戦合意も形骸化し、キエフ政権の公式見解では、すでに1200名の兵士と5400名の市民、合わせて合計6600名もの死者が出ているという。ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙は、「実際の死者数は約5万人だとドイツの情報機関は推定している」と報じている。
「停戦」とは程遠い状況だ。
特集 IWJが追う ウクライナ危機
2025-2026、年末年始限定フルオープン!
ウクライナ東部で再びウクライナ政府軍と反政府派の親ロシア派武装勢力による衝突が激化している。
昨年9月に結ばれた停戦合意も形骸化し、キエフ政権の公式見解では、すでに1200名の兵士と5400名の市民、合わせて合計6600名もの死者が出ているという。ドイツのフランクフルター・アルゲマイネ紙は、「実際の死者数は約5万人だとドイツの情報機関は推定している」と報じている。
「停戦」とは程遠い状況だ。
記事目次
事態を重くみたドイツとフランスが新たな調停に乗り出した。ロシア、ウクライナ、ドイツ、フランスの4カ国首脳は和平実現に向け、2月11日にベラルーシのミンスクで会談する。
ここで一刻も早く戦火を止めるため、事態を打開する道筋を模索していかなければならないが、主張は真っ向から対立している。政府側はロシアが親ロ派に軍事支援していると非難するが、ロシアはウクライナに戦火拡大の責任があるとのスタンスである。
こうした過酷なウクライナ情勢で、混乱が続き、各国の関係がこじれていたほうが好都合な国がある。米国だ。
「内戦」とは言いつつも、結局、これまでロシアは自国の軍隊を出しておらず、ウクライナ政府も、さまざまな国から武器供与されたりはしているものの、戦闘を本格化してはこなかった。
しかし2月2日付の米紙NYタイムズは、複数の米政府当局者の話として、オバマ政権がウクライナ東部情勢の悪化を受け、ウクライナ軍への武器供与を検討していると報道。5日にはケリー国務長官がキエフを訪れ、ウクライナへの支援策について「あらゆる選択肢を検討している。防衛のための武器の供与もその1つだ」と発言し、殺傷能力のある武器供与を検討する考えを明らかにした。
本格的な戦争を望む米国の思惑が滲んだ。
米国の武器供与の検討を受け、ウクライナと、ロシア、ドイツ、フランスの首脳は8日、電話会談し、11日にベラルーシで首脳会談を行うことで一致。オバマ米大統領は9日、訪米したドイツのメルケル首相と会談した後、共同記者会見を開き、改めて「武器供与」もあり得ると強調し、外交努力が実らなかった場合は「政治、経済両面でロシアの孤立が深まる」と警告。11日を「最後のチャンス」との見方を示した。
さらに米国オバマ大統領は10日、ロシアのプーチン大統領に電話し、親ロシア派への軍事支援を続けるなら「代償」は重くなると警告した。11日の4カ国首脳協議にも触れ、「この機会をとらえることが重要だ」と念押しした。
会談が失敗に終われば、それは欧露を分けた戦争に直結する。日本にいる限りでは実感が乏しいかもしれないが、世界は今、「第三次世界大戦前夜」のような緊迫した空気が張り詰めている。
ウクライナ政府が親ロシア派と停戦合意したのが昨年9月5日。
私は9月11日、ドイツ・エアランゲンにあるニュルンベルク大学で開かれた「カタストロフィー、デジタルの公共空間、民主主義の未来」と題するシンポジウムに招かれたため(※)、ドイツ訪問し、ドイツ各地で取材にあたった。停戦からちょうど1週間が経ち、一段落した頃だった。
ドイツで取材して回ると、欧州では、ウクライナ情勢について、「プーチン悪玉論」といった単純化した見方が根強いことがわかった。「プーチンがまるで悪魔のように描かれています」と語ったのは、ライプチヒ大学のリヒター・シュテフィ教授(東アジア研究所日本学科主任)だ(※)。
「東ウクライナは、ロシア系住民が多い。石炭を掘る工業が盛んで、ロシア人というよりロシアから移動したウクライナ人がいます。しかし、ドイツの報道では、『ロシアへのあこがれ対EUへのあこがれ』と単純化されています。ユーロマイダンの抗議は、ウクライナの『独裁化』へのプロテストだった。本当は、民族やナショナリズムの問題が、複雑に絡み合っているのに、そのことが全然報道されていない」
ドイツ左翼党本部で国際関係を担当するオリバー・シュレーダー氏も同様の見方を示した(※)。左翼党は旧東ドイツに本部を置き、国会では野党第一党の地位にある。
シュレーダー氏は、プーチン大統領やロシアの立場を支持してはいない、と断わりながらも、「ウクライナ危機におけるロシア連邦の役割が、一面的なイメージで語られている。あまりにも一方的に、すべての責任がプーチン大統領に転嫁されている」と指摘した。
一方的にプーチン大統領を悪魔化してきた、そんな鈍感な欧州各国も、「第三次世界大戦」がリアリティを増し、今になって本格的に危機感を持ち始めた。米国を外して4カ国で協議し、平和的解決の道を探ろうという姿勢からも、それは見てとれる。
そんな中、複雑化するウクライナ情勢をいち早く見極め、「プーチン悪玉論」という単純な見方では解決しないと指摘していた人物がいた。
元バイエルン州行政裁判所裁判官で、新裁判官協会の同盟代表者の元メンバーである、ペーター・フォンナーメ氏だ。そんなフォンナーメ氏がIWJに寄稿してくれた2本の論文を、【特別寄稿】としてここに掲載する。
========================================
TELEPOLIS
2014年3月15日
ウクライナ:ダブルスタンダードの好例…
…そして政治的解決能力の完全な不在
ペーター・フォンナーメ
かつてドイツ国民はミハイル・ゴルバチョフに、その結果ロシアに、きわめて友好的だった。ゴルバチョフなしにはドイツ再統一はありえなかっただろう。我々は感謝していた。第二次大戦の恐怖や心身の麻痺するような戦後時代を忘れることはなかったが、コール首相時代の末期、ドイツにとってロシアは尊重すべきパートナーとなった。しかしこの友好的な雰囲気は長続きしなかった。
アメリカの主導の下、ドイツ政府はふたたびロシアに対し何かとケチをつけるようになった。少なくとも、シュレーダー首相が新しい友人プーチンを完全無欠な民主主義者に列したときには、プーチンとロシアを批判するのが、かっこいいことになっていた。プーチンのほうも批判者の仕事をとくに難しくさせはしなかった。彼はひたすら自分の道を進んだ。そのやり方は民主主義的、模範的である西側諸国の価値観とはなかなか相いれないものがあった。
プーチンには、何をしようとすべからく悪の嫌疑がかかった。ロシアが介入したお蔭で、今にも始まりそうだった爆撃戦が回避された(シリア)ことも、きわめて危険だった紛争(イラン)が食い止められたことも、この見方をいささかも変えはしなかった。西側ではプーチンはいつまでも権威主義的な人非人とみなされた。
「プーチンの」オリンピック競技会については、始まる前から悪口を言われていた。ささいなことも意地の悪い見方をされた(オープニング・セレモニーの時にオリンピックの五輪が昇らなかった件を思い出してみよう!)。常ならばどこにでも顔を出すメルケル独首相は欠席することで、プーチンに「罰を与えた」。その他の面でも旧東独出身のメルケルやガウクにとっては、露独関係を良好に保つことは別に切実に心にかけるほどの問題でもないという印象を拭えない。
◇オバマとプーチン:誰がシェリフで、誰が悪党かは、いつもきまっていた
これに反し、世界的強国であるアメリカ合衆国の帝国主義的発現は、この国ではまず批判されないし、批判されるとしても、片目を瞑っているようなものだ。そうした発現の事実を正しい名で呼ばれたことはなかった。事実はなんだったのか、はなはだしい国際法違反だった。憤りの原因は戦争そのものにあるのではなく、戦費が多すぎるとか始めた戦争をきちんと終わらせる能力がないことだった。オバマとプーチン間で、万一、政治的な模範演技を行うことになっても、誰がシェリフで誰が悪党であるかは、いつもきまっていた。一方は民主主義と自由の側に立ち、他方は独裁と圧制の側に立っていた。
我々は長きにわたって、短絡思考、ダブルスタンダード、独善的偽善という文化の中で生きている。その利点は明白である。即ち、世界は単純なものだ、こちらは善、あちらは悪。ただし残念ながら、このような図式は単純すぎる。
◇権力の拡大戦略
実際には、西側陣営が1990年代(ソ連崩壊)以来、米国とNATOの指揮下、権力拡大戦略を強化し、その裏側でロシア撃退政策を執っていたのである。ここ数年の間に、EUは地政学的な地図の塗り替えに深く加担するようになった。
ドイツもまた経済力が増大するにつれ、慎重な態度をとる役割を忘れてしまった。最近、ある週末(!)の会談において、連邦大統領、外務相、国防相は、ドイツは再び世界の中で、以前よりも多くの責任を負わねばならないということで合意した。世界政策上の自国の重要性を感じる中で、ロシア人のさまざまな思いや歴史的にはよく理解できる危惧の念については、ほとんど考慮をしなかった。
旧東ドイツがNATOシステムの一部になったことは、ロシアにとって安全保障の構成を大きく変える深刻な問題だった。これは、ドイツの再統一についてのロシアの同意に関連して西側陣営が認めた確約とは相いれないものであった。ロシアにとってさらに好ましくないことに、旧東欧諸国のEU参入ばかりかNATOへの加盟までもが認められた。
旧ユーゴスラヴィアの一部も西側同盟のシステムに引き込まれた。シュレーダー元首相は最近、先に行われた爆撃は国際法に違反するものだったことを、自己批判的に認めた。ロシアの国境近く(チェコ、ポーランド)にはミサイル配備が計画されたが、むろん、事前の相談はなかった。ロシアの南方の隣国グルジアでは、西側陣営に旨いこと励まされたある冒険者が軍事的冒険の企てに誘われた(が、失敗に終わった)。
中近東諸国は、一部はありそうもない根拠によってアメリカの地政学的システムに一括りに束ねられた(アフガニスタン、イラク、リビア)。こうした措置の一歩一歩がロシアの首輪をきつく締めることになった。その上、ロシアに友好的なシリアでは凄惨な内乱が仕掛けられ、エジプトでは西側志向の軍事クーデターが再導入された。そのかたわら、アメリカの圧力にこれまでよく抵抗してきたイランに対しては宣伝色も濃厚に軍事的攻撃が準備された。
このような列挙の方法はおおざっぱで荒削りであるかもしれないが、過去四半世紀の間、グローバルな権力バランスがロシアを圧迫するように変化してきた様を概略で示すものだ。これを見れば、ロシア人の心を何年にもわたり極限まで苛立たせてきたことがわかるだろう。力を奪われたロシアの熊は、ソビエト帝国の崩壊後、ゴルバチョフ・イェリツィン時代の衰弱段階では、歯ぎしりしながら眺めているほかなかった。
◇ウクライナ:容認できない越境行為
<ここから特別公開中>
そこに持ち上がったのが、オバマ、ケリー、メルケル、シュタインマイアー&Co., に支援されたウクライナの「民衆蜂起」であり、ティモシェンコ、クリチュコといった看板民主主義者に率いられ、ドイツ国内で賛美されているオリガルヒ達やプーチンの敵ホドロコウスキーはこれを喜んで歓迎した。誰も、再び力を付けたロシアの愛国的な大統領の友人となり、彼にとっては、また多くの同国人にとっては、(まずは)ウクライナのEU編入(つぎにはNATOへ)という目標は容認できない越境行為であることを理解したりしてはならないのだ。
ドイツ連邦政府、EU委員会、米政府は幾年もかけ、ありとあらゆる経済的誘惑と政治的恐喝手段を用いて、ウクライナ人の目に西側陣営への編入を魅力的に見せるようにしている。クレムリンのどんな愚か者でも長い間にはこれに気づかないわけにはゆかなかった。プーチンは面目を保つつもりなら、行動にでなければならなかった。
ドイツ、アメリカ、ポーランドの政治家はマイダン広場で荒れ狂う反政府デモの群集に連帯を表明し、明白に政権転覆を煽動する演説を行い、その目的のため10億にも上る金額を出すと約束した。ウクライナを歴史的なロシアとのつながりから切り離そうというのがその明確な目標であった。これは実に厚かましいことだった。
試しに次の質問に答えてほしい:
もし今日、米国との国境近く(メキシコやカナダなど)で外国に煽られた民衆蜂起が勃発したら、それもモスクワや北京の著名な代理人がこうした隣国の首都にいて、反乱の大衆をたきつけたりしている場合には、米国ならどんな反応をするだろう?
ロシアが当時どれほど心配したかについて未だに何の理解も示さない者は、1962年ロシアがアメリカの裏庭キューバにミサイルを配備したときのアメリカの反応を思い出すがよい。あの時ほど世界が次の世界戦争に近づいたことはなかったのだ。
◇ウクライナ国家連合からの一方的なクリミア分離は違法…
言うまでもなく、一民族が自らの進む道を自ら決めるのは犯すべからざる権利である。これはウクライナ人にも、クリミア住民にも当てはまる。問題が複雑になるのは、変化の要望により民族的結びつきにも影響がおよび、現行の国境線が変えられるようになるときである。
その場合には、騒乱や暴動発生の怖れが迫ってくる。動員と制裁の時が始まる。オバマは、7月4日、5日と取り決められたソチのG8サミットを一方的に潰させると告知する。これは非生産的なやり方だ。むしろ期日を繰り上げるのは可能かどうか問うべきだろう。本来なら、外交、交渉、国際法上の手腕の見せ所だっただろう。
そもそも民衆蜂起と分離要求は国際法を無効にはしない。その逆である。そうした出来事こそ国際法の真価が試される。国際法はすべての国家に領土不可侵の尊重と他国の政治的独立の尊重を義務付けている。その上、国際紛争を平和的に調停することも義務付けている(国連憲章第2条)。
一方的な分離宣言は許されない。これは、まず軍事力を用いた再編成の場合に当てはまる。ゆえに、ウクライナ国家連合からの一方的なクリミア分離を目的としたあらゆる措置は違法であり、たとえクリミア住民の多数の了解を得たうえであっても、違法に変わりはない。
従って、ロシアへの併合はウクライナ国家の同意によってのみ合法となろう。しかし、それはない。また、ウクライナに住むロシア人を保護するため、止むを得なければ武装軍隊を出動させるというロシア議会の決議も国際法に違反する。
◇批判の二面性…
とはいえ、ロシアを国際法違反となじる西側の批判にも二面性がある。民主主義の西側陣営も潔白なわけではない。ボスニア、クロアチアは決して成功した分離の範例とは言えない。また、セルビアの自治州コソボの一方的な独立宣言も、セルビアの意志に反しておこなわれたものであり、それゆえ国際法違反である。他の例もある(CSSR=チェコスロヴァキア社会主義共和国のチェコとスロヴァキアへの分割)。
問題はそればかりではない。キエフの現権力者の正当性も危うい。まず彼らはファシスト集団の支持を受けている。また、彼らは投票によらず転覆によって権力を掌握した。この限りではクリミアの新政権と似たようなものである。
現ウクライナ首相ヤツェニュクがクリミアの権力者を、憲法違反のやり方で権力をもぎ取った犯罪者集団と罵るとき、その言葉は敵方よりも自分自身に当てはまる方が多いはずだ。鏡を覗いてみれば、同じような犯罪者の顔が見返したことだろう。
◇持続性のある解決策を求めて
とはいえ、国際法を唯一の判断基準と奉るのは、もの知らずにすぎない。実際には、事実上の力関係と政治の力の方が大きな役を占める。政治とは、理性を働かせること、そして持続性のある解決策を探ることである。これが意味するのは先ず、危機に臨んだ場合、ロシアの軍事力出動も米国ないしドイツのF16戦闘機やAWACS偵察機の投入も決定的に誤った解答であるということだ。必要なのは話し合いであり、武器の出る幕ではない。
さらにこれは、相手方を貶める目的の政治的宣伝活動は停止すべきだということを意味する。ウクライナ国内の紛争を西側志向(豊かな生活、民主主義、自由、人権)と東側志向(隷属、不自由、経済的困窮と同義)間の闘争と単純に図式化するのは、全く無意味である。大切なのは西だ、東だ、善だ、悪だ、ではなく、ただウクライナ、ロシア、その他の民族集団にとって最善の解決策を見出すことだけである。
残念ながら、紛争管理の点で我々は現在のところ全損状態にある。暴力、威嚇的な態度、空疎な会談、挑発、偽善以外ほとんど何もなかった。シュタインマイヤー御一行の旅の成果は?経費以外、何もない。
ヘンリー・キッシンジャーは最近次のように言った:ヴラジーミル・プーチンを悪魔化するのは政治ではない。それは政治の不在のアリバイにすぎないと述べた。
さらに:ウクライナ問題は余りにも頻繁に、対決の場としてみなされている。この国は西に付くのか、東に付くのか? しかしウクライナ自身が生き延び、発展するためには、どの国の前哨でもあってはならない。
キッシンジャーが正しいことを言うときは、彼は正しい。覇権争いの政治を超えて世界平和を樹立するような本物の政治家達を、世界は今や喫緊に必要としている。そのような政治家達がいないことの方が、クリミアの危機よりもはるかに気懸りである。
========================================
媒体名『Hintergrund』2014年8月15日
「信頼性の瓦解―封建的な政治と、従順なメディアのあいだで―」
ペーター・フォンナーメ
ウクライナ東部で起きたMH-17旅客機墜落事故の問題はいま、奇妙な静寂につつまれている。まるで「米国‐NATO‐EU‐キエフ・ウクライナ政府」vs.「ロシア‐ドンバス地方」、双方とも持ち弾を撃ちつくし、次なる心理戦攻撃のために新たな弾薬をかき集めているかのようだ。遅くとも国際査察団の報告書が公開される9月には、また再開されるだろう。休戦中であるいま、元バイエルン州行政裁判所裁判官ペーター・フォンナーメ氏は、政治家や彼らと手を結んだジャーナリズムがつかのま明け渡した報道の戦場を一望する。注目すべきは、氏が導き出したいくつかの結論だけではない。むしろ特別な意味を持つのは、(市民)社会の支柱ともいうべき高位の裁判官であった氏が、そのような結論に達したということだ。
~~~~~~~
著者:ペーター・フォンナーメ
元バイエルン州行政裁判所裁判官。ウクライナ東部で起きたマレーシア航空機MH17墜落事故以降、メディアと政治の果たす役割を批判的に考察している。
~~~~~~~
もしマレーシアの旅客機MH17墜落の責任はだれにあるのか?という問いに対する明確な答えを期待されるなら、これ以上この文章を読むのはやめて、「ビルト紙」を読まれた方がいい。「ビルト紙」は私と違い、何もかもよくご存じだから。しかし、政治的にゆがめられたイメージや中傷キャンペーンはあてにならぬ、政治とジャーナリズムを正確に見きわめたい、と思われるなら、つづきを読んでいただきたい。
この文章は、外部から操作される政治のメカニズムと、ドイツの報道をおおう精神的緊迫感を解明しようという試みだ。麦と、もみがらを選り分けたいのだ。しかし、戦(前)時には事実の報道さえイデオロギー的に色をつけられ、ゆがめられるため、それは容易なことではない。伝統的なメディアは急速に信頼性をうしなっている。それゆえ、報道を独自に評価する判断基準がことさら重要になる。よって、ここでは政治とジャーナリズムの発言の随意性、一面性を、司法における検証プロセスにのっとって可視化したい。まず、可能なかぎり多くの情報を集め、その信頼性を検証し、重要度を判定する必要がある。つづいて、大量の情報の中から、思想的・組織的に独立の「機関」によって、証明可能で整合性のある一つの全体像をつくりあげなければならない。その際に不可欠なのは、評価にはいかなる場合も同じものさしを用いるということだ。評価にあたる者は、不整合や嘘を見抜き、それをはっきりと口にする勇気を持つことが望ましい。
このような思い切った試みにおいては、執筆者の個人的な見解があらわになることは避けられない。むしろ私はあえてそれを望む。私は客観性を保つよう努めるが、批判もまた甘受するつもりだ。
ウクライナ東部の無人地帯のどこかでMH17の残骸がまだ黒煙をあげていた頃、米国、NATO、EU、ウクライナ政府にとって、墜落の責任の所在は明らかだった:それは周知のごとくいつどこでも、どんな悪行も犯すに違いないプーチン、もしくはプーチンに操られた「親ロシア分離派」だ。万一どちらのパターンも証拠が見つからない場合に備えて、第三のパターン、すなわちプーチンと分離派の共犯、まで用意された。
予想できないことではなかったが、ドイツ政府、連邦議会のCDU・SPD・緑の党、通信社、マスメディアは、ただちにこの何の証拠もない性急な判断に同調した。わざわざ無実の可能性を検討したり、自分で調べたりして、人生をややこしくする必要があるだろうか? 政治の世界では、そういう面倒なことは、党の支持者が何らかの違法行為をしたとの容疑をかけられた時以外はしないものだ。その場合は書記長クラスが顔をしかめ、いかにも偉そうな態度で、早急な嫌疑に懸念を示してみせるのだ。だが、法治国家の原則は、プーチンのような「悪名高き犯罪者」について考える場合にはもちろんあてはまらない。この「自称皇帝(ツァー)」は、そうでなくてもNATOとその同盟国の追放者リストに載っているのだ。
こうしてマレーシア機墜落の犯人探しは早い段階で、きわめて政治的な次元で答えが出され、その後のドイツのテレビ、ラジオ、新聞雑誌の方向性を決定づけた。世界はいたって単純で、敵と犯人の明確なイメージがあった。主要メディアは不適切な質問などせず、政治の判断をくりかえし伝えた。それを反映するように、ロシアへの処罰(「プーチンは賠償金を支払うべき」)や制裁、ロシアとの国境付近におけるNATOの軍事力強化を求める意見が出た。
ウクライナ政府もまた明らかに犯人である可能性があることについては、NATOのアナリストもホワイトハウスの法律学者も言及しなかった。ふだんは神のように慎重なドイツの外相(シュタインマイヤー)も、この可能性には思い至らなかった。そして当然ながら、ドイツ公共放送ARD、ドイツ第二テレビZDFやドイツの「一流紙」がそのような不謹慎な考えを広めるはずもなかった。彼らは、そうでなくてもやかましい反ロシア・キャンペーンの拡声器の役割を果たすことで満足していた。
ロシア軍のスポークスマンが、キエフ・ウクライナ政府が犯人である可能性に触れた時、西側の主要メディアのコメントは冷淡だった。ロシアは自らの責任を「否定」している、と。「否定する」とは??つまりこういうことだ。犯人はすでにわかっている。だが、まだ犯行を認めていない。だからもっと締め上げなければならない、と。
米国の国連大使はプーチン大統領に、みずからの責任(「very clear responsibility」)から逃れるための悪あがきはいい加減にやめるよう要求した。オバマ大統領は、長い人差し指でロシアを指しながら、想像を絶する暴力を非難したが、残る三本の指が自分を指していたことには気づかなかったようだ。「シュピーゲル」誌は米国が指示した方向に唯々諾々と従い、プーチンにMH17機撃墜の釈明を求めた。同誌は「卑怯な態度を終わらせる」よう要求し、第31号の表紙にプーチンの肖像を載せ、「プーチンを止めろ!」の見出しを付けた。背景には犠牲者たちの写真を並べた。これをもって「シュピーゲル」はとうとう「ビルト」紙のレベルに堕した。「フランクフルター・アルゲマイネ」紙もアジテーション競争に後れを取るまいとし、「強さを示す」よう読者に呼びかけた。1914年のドイツ皇帝の言葉を彷彿とさせないだろうか?「強さを示す」とは、そもそもどういう意味だろうか?討伐軍派兵?国民総動員?
政治の世界ではいつも通りのビジネスが展開された。アンゲラ(メルケル首相)は悪い子のウラジミールをたしなめ、ノーベル平和賞受賞者のオバマは西ヨーロッパをロシアにけしかける。NATOの戦争屋ラスムセンは薄い唇で、「NATOは準備ができている」と脅す。
EUはオバマが要求する制裁をたびたび科してきた。しかしその制裁は、今日では明らかなように、米国経済でもロシア経済でもなく、EU自らの経済を損ねることになった。
急進的ポピュリズム主義者ホルスト・ゼーホーファーは、プーチンに最後通牒を突きつけようとした。2018年サッカー・ワールドカップのロシア開催を取り消す必要がある、と。ポピュリズムの大きなテーマである「外国人利用者からのアウトバーン通行料徴収」が銃身内早発したことをひそかに認めたようなものだった。
プーチンと(または)分離派に対する最初の非難の声が高まった頃には、墜落の状況も、そしてもちろんその責任がだれにあるのかも明らかではなかった。今日にいたるまで、詳細はいっさい不明のままだ。
最初の時点でわかっていたのは、マレーシア航空の旅客機がドネツク付近の、どこか分離派の地域で墜落したということだけだった。そもそも墜落の原因についてすら、非常に矛盾するさまざまな見解があった。西側の一致した見解は、MH17がロシアの地対空システム、ブーク(Buk)によって撃墜されたというものだったのに対し、ロシア軍は墜落の原因として、ウクライナの戦闘機SU25によって至近距離から撃墜された可能性を示唆した。レーダーの記録と、とくに塗装部分に開いた穴がその根拠であるとした。
ここで仮に、西側が主張するように、原因は地対空ミサイルだと仮定しても、犯人についてはまだ何もわかったことにはならない。まず第一に、このような兵器を保持しているのはだれか? 第二に、それを正確に使用することができるのはだれか? そして第三に、どのような証拠があるか? 最初の二つの問いに対する答えは簡単だ。ロシアとウクライナ、どちらもこのミサイルシステムを持っている。これに対して、はたして分離派がブーク・システムを持っているかどうかはわからない。分離派の指揮官チョダコフスキはこれを否定している。しかし、じつは彼が嘘をついていて、民兵部隊が戦闘の過程でブーク・システムを乗っ取った可能性も排除できないため、あとは民兵がきわめて高度な発射技術を習得していたかどうかを検討する必要があるだろう。これまでのところ、専門家たちはその可能性を疑問視している。一つ、腑に落ちないことがある。もしウクライナの航空交通管制が、分離派がブーク・ミサイルを保持していると本気で考えていたとすれば、なぜMH17を戦闘地域の上空を通るように迂回させたのか?いまだ答えの出ない疑問ばかり。判断するには時期尚早だ。
第二の可能性の場合、すなわちウクライナ軍の戦闘機による撃墜が原因である場合も、状況は変わらない。やはり疑問は山積みのままだ。
議論の余地のないわずかな事実にもとづいて犯人を特定することは、現在の知識状況では空論の域を出ない。よって次なる問いを立てざるをえない。このような(一見無意味な)残虐行為を行う動機を持つのはだれか?これに対する冷静な答えはこうだ。いずれの当事者にも、その動機がある。分離派にも、ロシアにも、そしてもちろんウクライナ政府とその支援者たちにも。
このうち分離派とロシアに関しては、もはやことさらに説明する必要もなかろう。この数週間の間にドイツのメディアが想像力を存分に発揮して、ありとあらゆるバリエーションを考え出してくれたからだ。そのほとんどは論理的な根拠をもって排除はできないので、仮説として残しておく。
しかしながら、ウクライナもまた真に動機を持ちうることは、たいてい見落とされている。悪者や犯罪者の役割を敵に押しつけるのは、古来より心理戦の主目的だ。つまり具体的にいうと、ウクライナ政府(およびその援助者たち)が、親ロシア分離派は民間機を撃墜することすら辞さない輩だ、と全世界の世論に信じ込ませることに成功するならば、ウクライナ政府は少なくともプロパガンダ戦には勝利したことになる。
こうした可能性は、残念ながらあり得ないことではない。完全なる世界支配をめざす米国の意図とも一致する。ただちに軍事的にとは言わないまでも、少なくとも政治的にプーチンを守勢に追い込めることなら、すべてこの計画に含まれる。
ごく最近の過去を振り返ってみれば、米国もしくはNATOがプロパガンダ的なトリックにきわめて精通していることがわかる。少なくとも以下に挙げる戦争は、嘘によって準備されたものだった。
ウクライナの独立広場で銃を発砲したのはだれなのか、今日まで解明されていない。にもかかわらず、西側諸国は親ロシア派のヤヌコヴィッチ大統領をただちに犯人と決めつけた。反対に、オデッサの労働組合会館で48人が焼死した事件については「事故」だとした。(建物が「火事になった」とされた。)政府寄りのファシストたちが発燃剤を投げて放火したことはほぼ確実だったにもかかわらずだ。
そしていま世界が目撃しているのは、プーチンというスケープゴートに、マレーシア機墜落の少なくとも間接的な罪を負わせようという「西洋価値共同体」の企てだ。
このような世論操作を行うことは、民主主義の法治国家にはふさわしくない。さらに悪いのは、ドイツの新聞雑誌や、国に従順なラジオ局、テレビ局の大部分が、みずからプロパガンダを牽引する役割を果たすことをためらいもしなかったということだ。
MH17機墜落をめぐる経過が明らかにしてくれるのは、私たちはいま急速に高まりつつある国際的な緊張と危機の時代に生きているということだ。未解決の紛争(アフガニスタン、イラク、リビア、イラン、シリア、エジプト、パレスチナ、東南アジア、太平洋西部など)に、ウクライナというもう一つの問題が加わった。ウクライナは私たちにとって、いわば家の玄関を出たらすぐ目の前にあるような、ごく近い国だ。そこは二つの大国の利害が絡み合う地域だ。私たちはその一方と、近年とみに傍若無人な他国干渉同盟へと化している「防衛」システムによって結びついており、もう一方とは互いに苦難にみちた長い歴史を持っている。ヨーロッパは領土的、文化的に密接な関連を持つウクライナとは、ことさら慎重に付き合った方が身のためだ。
悲劇的なのは、この危機的状況にあってヨーロッパがまともな外交を持たず、ペーター・ショル=ラトゥールの言うように、「米国に服従する政治」を行っていることだ。ドイツ政府もまた、オバマの吹く笛に操られて踊っている。それはほとんど自己否定と言ってよい。ドイツやヨーロッパの本来の利益は、同盟の利益(と謳われるもの)よりも下位に置かれている。度を越したプーチン・バッシングの淵源はドイツにはない。
思い出してほしい! そう遠くない昔、ドイツ人はミハイル・ゴルバチョフが大好きになった。彼がいなかったら、ドイツ統一はなかっただろう。私たちはゴルバチョフとロシアに感謝していた。第二次世界大戦の恐怖と、暗い戦後の時代はいまだ忘れ去られてはいなかったが、コール首相時代が終わろうとしていたドイツにとって、ロシアは大切なパートナーとなった。
その後いったい何が起きて、ドイツ人はゴルバチョフ狂から、一転してプーチン恐怖症になったのだろうか?答えは簡単だ。何も起きてなどいない!ムードが変わったのは、ロシアがドイツやヨーロッパに敵対するような政治を行ったということではなかった。ドイツとロシアの関係に暗い影が差したのは、米国の対ロシア優位・包囲政策の結果だったのだ。そしてドイツはその米国の政策に盲目的に追従した。しのび寄る異和感は、大西洋の向こうから同調してくる新聞雑誌によって次第に強められていった。
たとえ米国の支持者であっても、これを否定することはできない。過去25年間に世界を挑発してきたのは、ロシアではない。たえず新しい戦争を始めて、世界を深淵の一歩手前まで導いたのは、大西洋の向こうにいる私たちの「友人たち」だ。先日、国際法の教授であったミヒャエル・ボーテがこう書いたのは正しい。問題はロシアではなく、西洋なのだ。
プーチンは過ちを犯した、と私は思う。彼がクリミア半島をロシア連邦に編入した(「取り戻した」)やり方は、法的に問題がある。もっとも、これについて違う評価をしている国際法の専門家もいる。しかし、もしプーチンのやり方が非難に値するものであったとしても、彼をヒトラーにたとえるのは、あまりに歴史を知らなすぎるというものだ。反ロシア・ヒステリーに陥る理由もない。さもなければ米国など、何の法的根拠もなく占領している国々のために、何十年もの間、世界中の敵意を一身に集めなければならなくなるだろう。しかし何より、プーチンの行動は、戦争の準備を含むような対抗策をとる理由にはなりえない。
いまEUは、ロシアが制裁し返してきたことを不審がっているが、平手打ちを食らったロシアが感謝して、もう一方の頬を差し出すとでも思っていたのだろうか?
そしてこの犯罪の責任者が明らかにされた暁には、軍事制裁や空爆、砲兵隊を持ち出すべきではない。そこから先は司法の手に委ねるべきだ。容疑者は他のどこでもない、国際刑事裁判所で裁かれる。それが法治国家にはふさわしい。
NHKクローズアップ現代でも、ロシア高官へのインタビューの中で、高官はプーチンが悪玉扱いされている事や、どこの国が圧力に屈しているのかまた、日本に対して力のある国なんだからしっかりしろといった主旨の発言で、婉曲的にメッセージを送っているのが印象的だった。
後、ヌーランドだっけ?ある行動をとった事で、アメリカの工作が働いている事に気付いたロシア人だかウクライナ人だかが、カメラの前でその旨を話してたな。