「戦時下に起こったメディア弾圧と、今の朝日新聞に起こっていることは非常に似ている」——。
海渡雄一弁護士は2015年1月5日に岩上安身のインタビューに応え、朝日新聞の「原発撤退」報道への批判、記事全体を取り消した朝日上層部、その決定を追認した「報道と人権委員会」(PRC)の判断は「間違いだ」と断言した。
政府が非公開としていた「吉田調書」を独自に入手した朝日新聞は、2014年5月20日、一面トップで、「福島第一原発事故当時の2011年3月15日に東電社員らの9割が吉田所長の待機命令に違反し、福島第二原発に撤退した」と報じた。
これに対して、同じく吉田調書を入手した産経新聞や読売新聞は、「当時、吉田所長の待機指示はあったが命令が末端までいき渡っていなかった。福島第二原発(2F)に行った人は、福島第一原発(1F)内に残れという指示が出ていることを知らなかったはずだ。だから『命令に反して撤退した』というのは、朝日の誤報である」とするロジックで、この朝日報道を批判。「職員の名誉を傷つける記事だ」などと、ネットを中心に朝日バッシングがわき起こった。
しかし、吉田調書や東電が公開したテレビ会議の映像、膨大な発表資料を詳細に分析した海渡弁護士によると、そのバッシングこそが間違いで、朝日報道を裏付ける客観証拠はいくつも揃っているという。
朝日報道の正しさを証明する3つの客観証拠
まず、吉田所長は「当時1F(福島第一原子力発電所)構内に待機するように言った」と調書の中ではっきり言っており、当日2011年3月15日8時台の記者会見のプレスリリースに、その指示がはっきり書いてある。しかも、明確な指示文書の形になった「柏崎刈羽メモ」まで残されている。
そのうえ、保安院に提出したFAXも残されているという。つまり、吉田所長が待機指示を出した事を裏付ける客観証拠が、少なくとも3点存在するのだ。
さらに、2011年3月15日朝の記者会見のアーカイブと配布資料を確認すると、なんと東電は、所長の指示に反する650名の2Fへの移動の事実を隠していた。
会見で東電は、「所員は1Fの中に待機している」と繰り返し、文書でも配り、強調し続けている。つまり、吉田所長の待機指示が少なくとも記者会見をやっている人間たちには周知されており、一方でその指示に違反した事態が起こっているということそのものをひた隠しに隠したということだ。
海渡弁護士は、「こんな(朝日報道を裏付ける)明確な証拠があるかということ。そのことを読売新聞や産経新聞はいったいどう考えているのか」と語気を強めた。
「正しい報道」が封じられた戦時下の日本
そして海渡弁護士は、「今の日本のマスメディアは、戦時下の放送とほとんど同じになってきている」と危惧する。
満州事変の引き金となった南満州鉄道の爆破事件(柳条湖事件)が起きた時、当時の大阪朝日新聞は、関東軍の自作自演ではないか、と正しい報道をした。しかし圧力により1カ月足らずで「軍部を批判せず支持する」と屈服させられてしまったという。
「事故当時のすさましい状況が、朝日新聞の記事取り消しで日本国民の記憶から消しさられるのを危惧している。だからこんな声をからして叫んでいる」。
そう語る海渡弁護士は、「秘密保護法は法律制度によってメディアを縛る、政府にとって都合の悪いことは全部秘密だという法律。だけど吉田調書報道へのバッシング、PRC見解なる追認は、メディアを内部から腐らせ萎縮させてしまう」と語ったうえで、「秘密保護法が前門の狼だとすると、朝日新聞バッシングは後門の虎だ」と警鐘を鳴らした。
※以下、インタビューの実況ツイートを読みやすくリライトしたものを掲載します。
今の日本のマスメディアは、戦時下の放送とほとんど同じになってきてる