「アーレントは、世界の空間がなくなった時代を『暗い時代』と呼んだ。同胞愛、信仰の暖かさ、同情心が生まれ、人々は論争を避け、可能な限り対立を避けようとする、奇妙な非現実世界が生まれ、世界のリアリティがなくなると主張した」──。
2014年5月15日、京都市上京区の同志社大学烏丸キャンパスにて、シリーズ「グローバル・ジャスティス」の第43回「今なぜ、ハンナ・アーレントを読むのか」が行われた。映画『ハンナ・アーレント』が話題になっている中、アーレント研究の第一人者であるフェリス女学院大学教授の矢野久美子氏が、ナチス・ドイツの全体主義や人類の悪について思索し続けたアーレントについて、わかりやすく語った。
「なぜ、違うものを許せないのか。なぜ、ひとつの意見に閉じ込まれる方を、心地よく思うのか。アーレントの思想は、何も解決されていない戦後日本を考えるひとつの手法になる」と矢野氏は語った。
思考することの大切さ、成し遂げることの過酷さ
矢野久美子氏は、マルガレーテ・フォン・トロッタ監督作品『ハンナ・アーレント』の人気の理由を、「思考することの大切さ。それを成し遂げることの過酷さ。考えること自体に、どれだけの勇気と覚悟、強さが必要かを問いかけてくる作品だ。また同時に、それらは人を孤独に追い込む、というメッセージを、うまく描き出しているからではないか」と評した。
そして、映画の冒頭シーンを例に挙げて、「イスラエルは、ナチス戦犯のアイヒマンを『悪の権化』と称し、反ユダヤ主義、ユダヤ人の苦難を裁判で主張した。しかし、アーレントは『法廷にあるべき正義は、被告が告発、弁護され、判決を受けることだ』と言い、かつナチスの大量殺戮を(ユダヤ人ではなく)『人類に対する犯罪』と見なした。これが、イスラエル国家の利害や、ユダヤ人被害者たちの感情を逆なでした」と語り、「その主張は、複数の人間が多様な価値を持ちながら共存する政治という、彼女にとって、もっとも重要な思想の一端を表している」と説明した。
組織的大量殺戮は「人間による人間の無用化」
次に、矢野氏はアーレントの前半生を語った。「ドイツ系ユダヤ人のアーレントは、1906年、ドイツのハノーヴァーに生まれ、ケーニヒスベルグ(旧東プロシア州都、現ロシア領カリーニングラード)に移住。マールブルグ大学入学、そこの教授だったハイデガーと不倫関係になる。ハイデルベルク大学ではカール・ヤスパースに師事。1933年、ナチ政権樹立。シオニスト活動に加担、ゲシュタポに逮捕され、パリに亡命。再びシオニスト運動に身を投じる」。
「第2次大戦勃発後、収容所に収監されるが脱獄、ポルトガルのリスボンからアメリカに亡命する。最初は記者で生計を立て、1951年にアメリカ国籍取得。同年に『全体主義の起源』を上梓した」。
矢野氏は「その著書でアーレントは、組織的大量殺戮は人類に対する犯罪であるとし、それを『人間による人間の無用化』とも言い、なぜ、そういうことが起こったかを考察した。また、人間の必然性の繰り返し(自然の法則に従って生きること)という考え方には批判的だった。歴史の間隙に、選択の余地を常に求めていた」と話した。
思考欠如こそ現代の特徴