4月28日は「主権回復の日」とされている。サンフランシスコ講和条約によって日本が占領から脱し国際社会に復帰したのが、1952年4月28日だった。「主権回復の日」は、2012年末に自民党が衆院選政策集の中に明記されたもので、昨年4月28日には、政府主催で「主権回復記念日」の式典が行われた。だが、これに対する批判の声も強く、今年は政府主催の式典は見送られ、民間有志による国民集会として開催された。
(取材:松井信篤、記事構成:佐々木隼也)
特集 戦争の代償と歴史認識|特集 憲法改正
4月28日は「主権回復の日」とされている。サンフランシスコ講和条約によって日本が占領から脱し国際社会に復帰したのが、1952年4月28日だった。「主権回復の日」は、2012年末に自民党が衆院選政策集の中に明記されたもので、昨年4月28日には、政府主催で「主権回復記念日」の式典が行われた。だが、これに対する批判の声も強く、今年は政府主催の式典は見送られ、民間有志による国民集会として開催された。
■ハイライト
衆議院議員の西村眞悟氏は、「完全なる主権回復を決意する日と思ってここに参りました。主権回復を共に祝う以上は、軍隊を回復しましょう」と述べた。西村氏は、「日本国憲法を書いたのは日本人ではないと小中学校で教えることができない」とし、それは未だに存在している検閲のためだと主張する。さらには、中国や韓国に関する河野談話や村山談話を否定することができないのも、検閲対象となっているためだと述べた。
西村氏が、「韓国政府や警察の発表で、十数万人の韓国人売春婦が海外で働いていて、2万から5万が日本で働いている。つまり、計数不能の売春婦がいるということ。即ちウヨウヨいるのです。ウヨウヨいると言ったら、何で非難されなければならないのか」と発言すると、会場からは拍手が起きた。
上智大学名誉教授の渡部昇一氏は、日本のポツダム宣言受諾は条件降伏だったが、アメリカは国際法に違反してそれを無条件降伏に切り替えたのだと主張する。渡部氏によると、公用語を英語とし、貨幣はドルを使い、アメリカが裁判を行うというアメリカによる日本の直接統治が予定されていたという。そして、日本の外交官の努力によって間接統治になった経緯について説明した。
渡部氏は、マッカーサーが上院軍事外交合同委員会で「東京裁判で日本を侵略国として裁いたが、日本が戦争に行く目的は自衛戦だった」と公言したのに、「敗戦利得者構造」があったために、この証言が国民に知らされることはなかったと述べる。
日本国憲法は占領政策基本法として1週間ほどで作成され、当時憲法について論じることは禁止されていたという。渡部氏は、日本国憲法が「憲法でないことを憲法学者は知ってるはずなのです。主権のない時代に、主権の発動である憲法ができるはずがない」言い、国権回復を打ち出したいと主張した。
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