第48回衆議院選挙の投開票日となった2017年10月22日、東京都港区の東京プリンスホテル「鳳凰の間」に立憲民主党の開票センターが用意された。
開票が始まった20時とともに当選確実が伝えられた代表の枝野幸男氏をはじめ、接戦と言われた東京7区の長妻昭候補や東京18区の菅直人候補、北海道11区の石川香織候補、さらに、新潟1区の西村智奈美候補や大阪10区の辻元清美候補、神奈川12区の阿部知子候補など、次々に当確が伝えられ立憲民主党は結果的に55議席と大きく議席数を伸ばした。
枝野氏は立憲民主党を10月3日に立ち上げて以来、「現在の永田町の数合わせの権力ゲームや『上からの政治』ではなく、『国民の草の根の声』に寄り添い、そこからのうねりで永田町を動かしていくのが『本来の民主主義』だ」と訴え続け、そして実際に大きな支持を集めることに成功した。
しかし、岩上安身やIWJがかねてよりその危険性を訴え続けている自民党改憲草案中の「緊急事態条項」や、改憲が発議されれば次にやってくる国民投票の問題点などについては、立憲民主党を立ち上げる以前には見せていた強い警戒心を見せなくなった。安倍総理は改憲が話題にならないよう、選挙の間中、街宣などでは「改憲」の2文字に触れないように極力慎重にふるまってきた。国民の目から改憲の公約を「隠そう」としていたのは明らかであり、野党の党首であれば、その意図を見抜いて本来なら逆にクローズアップすべきではないだろうか。
- 【特集】これこそ「ナチスの手口」!9条を含めすべての現行憲法秩序を眠らせ、日本改造を行う「緊急事態条項」 この上ない危険性!!
- 広告宣伝の制限なし!「異常に自由」な国民投票制度―― 憲法改正国民投票は改憲派に有利!! ~岩上安身によるインタビュー 第807回 ゲスト ノンフィクション作家・元博報堂社員 本間龍氏 2017.10.21
IWJは日付が変わった23日0時38分より、開票センターにおいて、枝野幸男代表へ、緊急事態条項の危険性への認識や国民投票法の問題点への備えなどを中心に質問した。
非常に残念な記者会見でした。何故か。立憲民主党の勝利は市民と野党共闘に負うところが少なからずあったと思うのですが、この点で市民との協定は政策として進めていくような事を枝野氏は語っていました。しかし、一方的ではありましたが市民との協定を重んじて共産党候補を下ろした共産党に対する感謝の気持ちが少しは必要であったのではないでしょうか。これこそが国民目線であり、下からの政治姿勢ではないのでしょうか。
いつも見させていただいています。
この記事には、ちょっと驚きました。
だんだん、見えてくるのでしょうが。
それで、本筋と違う部分なんですが、すごく気になるところがあって、コメントさせていただきます。
枝野氏の言っていることに、「あれ?」とか、「え?前言っていることと違うんじゃないの?」と思ったのなら、何でその時に、突っ込んで聞いてくれなかったのでしょう。
私たちは、そこが知りたいし、そこを突っ込めるのは、ジャーナリストだけなのです。そこを突っ込むのがジャーナリストのお仕事でもあると思います。
あとから、疑問がわいてきたのでしょうか。
取材者の疑問を記事にして、記事がシェアされて、皆が「え?」と思い、不安になり、疑惑の目を向ける。
でも私たちは直接、枝野さんから話を聞けません。
それを聞けるのがジャーナリストですよね。
同じ記事にするなら、少なくとも取材者の段階での疑問は記事にする前に聞いてほしい。
それを読んで読者が自分なりの疑問を持てばいい。
そういう記事を読みたいです。
*最終街頭演説会で福山哲郎幹事長が「説教してください。監視をしてください」*
あまり良くない。 というか、政党・公党としてみっともない、と言うベキか?
*例の「みなさんが立憲民主党です」*…と似た「政治(政党)なるものの見方・基本の考え方」
★何を甘えたこと言うテルか?
★何か、政治マゾヒスト的に聞こえる。
●自らの【政党綱領】の作成に早急に取り組んで、
より絶望的に劣化・ファッショ化・戦争体制国家化・公教育内容の非人権化…
に近付いた、
特に「国民」の「18~19歳世代~若者層」を取り込んだ社会的政治的、好戦・非人権化、
経済的強者の支配強化・経済とくに実体経済と国民生活と社会保障…がズタズタにされ悪化させられたままなことを土台に、
立憲民主党の今後30年くらいは保つ、その礎石づくりに智慧を結集さけたし。
誤ると、「希望の党」「旧民主党政権期」とどうよう、都会の街宣に顕著な熱狂的歓迎は、一夜にして崩壊の策略に堕ちた「第2の「前原」状況」を招来すると考える。
・「立憲民主党中心の政権」とは、何?
過去の旧き「二大政党論」に立つ「…中心の…」なのか?
同時にまた「実質的に」、「基本路線・政策が異なる党派」とは「政権」も「共闘」も「同じうセズ」の「…中心の…」なのか?
「立憲民主党」の「旗の下に」「集合」!の「…中心の…」なのか?
・街宣での枝野氏の「民主主義論」はトテモ、聞こえも、新鮮で善きものとして聞こえ、それは、聞きに集まられた人々の歓声、声、熱烈さ、最終・8000人が如実に示している。
「長たらしくない」ほぼ2フレーズの短い「民主主義論」は街宣等では特に効いた。
この点は、相変らずタラタラ・長々しく政策と立場を述べる(とっても大事なことだけど)他党派の街宣を超えて快適だった。
これは、山本太郎氏の応援演説・個人の街角演説のように、たとえ「長くても」、テンポ良く内容も繋がり説かれるなら、足しを停めて聞こう、聞いてスカッと出来たとなる、彼独特の磨かれた個性がもたらすものと、同じ質を内包する。
・ただ、枝野氏の『民主主義論』が、街宣では詰めて集約されたものだったとして、
彼の言動の中には、「理由も説かず「排除」の内実を持つ」、「消えていない「聴衆に請求する」上から目線」が、
短フレーズで「新しい民主主義論」を訴おえながらもナオ、英雄の登壇と一声ひとこえに歓声を浴びながらもナオ、
ソレが克服されたとは考え難い。
・そう考えるのは、冒頭で記した、
*何か、政治マゾヒスト的「すがり倒す的」姿勢
*例の「みなさんが立憲民主党です」と言いつつ、
それが、「私を𠮟って!」「みなさんが…してね!」に表れる。
立憲民主党が結成されて、3週間ほどしか経ていない時点ではあるが、
再度、ここで、問いたい。厳しく。
いったい『政党』とは何か?
ついでに『政党』と非政党人(市民・国民)との関係は、この場合のようで果たして良いのだろうか?
これは、『民主主義』だろうか?
新たな「偽装・3分の2超」に耐え得る『長期的展望・発展性を持つ』【新しい民主主義】なのか?
立憲民主党は、市民(市民連合)・国民とは別に、
『政党』として(ダケの狭い意味での)『立憲3野党+会派』の【野党共闘】としての、
選挙後、素早く「協議」のテーブルに就く『政党意思』は、果たして有るのだろうか?
(処処啼鳥を聞く(初冬なのに)・略) 気流連々